【カニの大腸検査その32】内視鏡でお腹かき回されてヨレヨレのまま検査結果を聞くカニ。結果的に言えば疾患名は「虚血性大腸炎」、字面は怖いけどわりとよくある疾患で、何らかの理由で大腸の血流が悪くなり炎症・出血を起こすそう。大腸は縦横無尽に血管が走ってるので再生能力も高いらしく、黒いウンコが出てから1週間以上経ってる間にほぼ再生してて痕跡しかなかったそう!後日でた生検の結果も異常なしという事で無罪放免となりましたッ!上から下から検査は辛かったけど、問題なしという事でホッとしたッ!
国指定難病の黄色靭帯骨化症と戦う日々を描いたゆるゆるな闘病日記です。ちなみに後縦靭帯骨化症も併発してたりもします
【カニローマ帝国見聞録その20】ローマの中心部から郊外まで電車で約30分くらいで目的の駅に着く。駅の中はスプレーの落書きだらけで若干不安になったりする。下車して記念に今乗って来た電車の写真を撮ってたら、駅員さんに凄い剣幕で怒られるカニ。えーなんで怒ってるのと原因がさっぱりわからなかったけど、とりあえずスクージィスクージィと平謝りするカニ。イタリアじゃあ電車の写真撮影は御法度なんですかね?未だにあの時なぜ怒られたのかは謎のままw
【カニローマ帝国見聞録その19】ローマ郊外の遺跡を見る為に果敢にも電車移動にチャレンジ!日本に比べて自動改札の扉が異常にデカくてビビる。とりあえず切符を入れたら扉が開いたので改札をくぐったところ、出口側に切符が見当たらない…。辺りを見渡したら既に閉じた扉の向こう側に切符の出口がありましたッ!うそーん!いや、仕組み的におかしいやろ!w。困っていたら反対側にいた通りがかりのイタリア人が状況を察したのか、切符を取って隙間から手渡ししてくれましたw。グラッツェだけど、扉の反対側から出た方がよくない?w
【カニ田一少年の事件簿その119】その後も偏食にまつわるトラブルはずっと続いたが、大人になるにつれて嫌いなものは少なくなっていった。しかしそれは老化現象によって味覚が衰え、子供の頃感じていた繊細な苦味やえぐみを感じなくなったせいと聞き盛大にヨボりました…
【カニ田一少年の事件簿その118】偏食ボーイの受難は続く。小学生の時の二泊三日の林間学校では嫌いなものだらけの献立となる!その時は食えないおかずを周りの人に押し付けて、カニは各テーブルに配置されたおひつを抱えて醤油をかけて食い尽くした!おかずなどなくても米さえあれば大丈夫なんです!ww
【カニ田一少年の事件簿その117】先生やクラスメイトの圧力に耐えきれず、観念して納豆を一粒口に放り込むカニ。そして秒で教室を飛び出してトイレでゲボする!追い込まれてかえって気持ち悪くなり、そのトラウマのせいか、大人になっても納豆だけは未だに食えないカラダになりました…。どんなに無理させても食えんもんは食えん!w
【カニ田一少年の事件簿その116】授業が始まってるのに机の上に納豆パックを置いたままのカニ。先生も困った挙句"じゃあ納豆一粒だけ食べてみろ"と譲歩案を出してきたのだが、その一粒すら食べられないのが偏食ボーイのカニ!巻き起こる"食え"コールの中、いよいよ身体極まるカニ!どうする!
【カニ田一少年の事件簿その115】突然のクラスメイトの裏切りで嫌いな納豆パックを隠しそびれたカニ!先生には「給食を残してはいかん!」と厳命されるも、ずっと嫌いな物がいきなり食える訳もなく。給食時間も昼休みも食べることは敵わず、挙句午後の授業が始まってもカニの机上には納豆パックが置かれたまま!さすがに教室が変な感じにザワつきはじめる!
【カニ田一少年の事件簿その114】偏食小学生は給食でも度々嫌いなものが出て、その度にコッソリ隠して帰り道で捨てたりしていた。しかしそんなある日苦手な納豆のパックをカバンに押し込んだところ、隣のクラスメイトが突然の裏切りによる密告!カニピーンチ!
【カニ田一少年の事件簿その113】毎日の食卓に嫌いなものがあるので、それなりに対処法はあった。好きなものと一緒に口に放り込めるものはレベル1。息を止めて噛んで水や味噌汁で流し込めるのはレベル2。絶対食えないレベル3の時は終了間際に無理やり口に放り込んで、流し台で素早く噴き出す!これはバレたらめっちゃ怒られる最終手段でしたッ!
【カニ田一少年の事件簿その112】カニは今でこそ人並みになんでも食べられるようになったが、子供の頃は極端な偏食だった!特に野菜全般はあの青っぽさでオエッとなって苦手で。中でも歯応えあるブロッコリーやぬるぬるした里芋、定番のニンジン・ピーマンなどはダメ。しかしお残しは絶対許さないカニパパにじっと見られていて、飯時はいつもプレッシャーでした!
【カニファミリーストーリーその150】兵籍簿によると最後に駐留した場所は「ダブコウ」。該当する地名が判断できなかったのだが、研究員の方がハノイの北東部にある「ダップコウ」ではないかとの見解。他の資料を見たら当時のダップカウには兵器工廠があり、カニソフの所属した歩兵第83連隊が駐留した記録もあったので可能性は高い!しかし銃撃戦の記録は遂に見つからず調査は遂に袋小路にハマった。昭和17年仏領インドシナのダップコウで2月11日から9月13日の間でおそらく銃撃戦に巻き込まれ、傷病兵として日本に帰還したのでは…と言うところまでは間違いなさそうなんだが、それらを裏付ける記録は見つからず…。研究家や戦史マニ…
【カニファミリーストーリーその149】防衛省の防衛研究所には戦争関連の資料が保管されていて、事前申請すれば一般人でも閲覧が可能。研究員の方に相談もできて、関連資料をいろいろと見せてもらいながら丸一日読み進める。書籍の記録の一部気になる部分を写真に撮ろうと思ったら残念ながらNG!有料で出版社に部分コピーを依頼する。ついでに父方の祖父の資料も漁ってみたけど、こちらもいろいろ収穫有り!
【カニファミリーストーリーその148】仏領インドシナに転進したカニソフの兵籍簿にある時期も理由も書かれてない入院の記録。昭和17年の2月〜9月の間に何かがあったのは推測できるけれども、もはや兵籍簿からその理由を読み取るのは不可能だった。すこし思案してカニが向かったのは「防衛省」!果たして何か手がかりは見つかるのか!
【カニファミリーストーリーその147】昭和16年は呼吸器系疾患で半年近く入退院を繰り返したカニソフは、10月になってようやく原隊復帰。自分の入院した陸軍病院のあった河北省の保定市で周辺警備の任務に就いた模様。それからわずか3ヶ月後、明けて昭和17年1月末日。カニソフの所属する歩兵第83連隊は中国・徐州から仏領インドシナへと転進。その兵籍簿にはカニソフ3度目の入院の記述があるのだが、なぜか日にちや理由が空欄のまま!えーっ、一番知りたい所なのに何故!モヤる!
【カニファミリーストーリーその146】中国の徐州で鉄道警備を務めて1年が経った昭和16年、カニソフの体に異変が起きる。肺炎を患い徐州陸軍病院に約1ヶ月入院したらしい。退院してすぐに復帰したものの、完治しきってなかったのか元々体が弱いのか、わずか1ヶ月ほどで今度は気管支炎で再入院!大丈夫かカニソフ!
【カニファミリーストーリーその145】兵籍簿とは兵役の記録された書類のことで、海軍は厚生省、陸軍は各県庁に保管されていて、申請すれば入手が可能。まず応召されたのは昭和14年、カニソフ24歳の時。歩兵第83連隊要員として広島の宇品港から中国の塘沽港に上陸し、河南省・帰徳から江蘇省・徐州に移動して鉄道警備に従事していた模様!まだ銃創がつくような記録は見当たらない…
【カニファミリーストーリーその144】カニママ方の祖父であるカニソフは、カニが生まれる前に亡くなっていて全く面識のないおじいさん。カニママの記憶によれば囲碁を嗜み物静かで几帳面な人だったそう。そして首には銃創が!世代的に戦争で受けた傷には間違いないのだが誰も詳細を知らなかったので、これを機会にカニソフの兵籍簿を取り寄せてみた!これで謎は解明されるのか!
【はたらきガニメモリアルその196】当時のプロジェクトチームが解散して10年が過ぎた頃、自宅で新作ゲーム発表のYouTubeを見ていたら、そこにはあのナマさんがメジャータイトルのディレクターとして舞台に立っていた!まさかこんな所で再会するなんてッ!やっぱりできる人は表舞台に出てくるもんなんだなぁと感心する表舞台に出ない謙虚ならカニは思いましたw
【はたらきガニメモリアルその195】いよいよプロジェクトも佳境に入る。デザイン業務もほぼ終わり、デザイナーはこの時期はデバッグと修正に注力する。二年の予定のプロジェクトは三年以上かかってしまったが、ついに皆が待ち侘びたマスターアップの日を迎えたッ!しかし今回期間契約社員だったナマさん達は、プロジェクト終了と同時に次なる会社に去っていってしまった。あんなにチームワークよかった仲間が居なくなるのは残念だし寂しいです…
【はたらきガニメモリアルその194】一方的な減給で東支社長とギスギスするようになり、チーム飲み会で酔いに任せて愚痴るカニ。そんな不満を静かに聞いてくれるナマさんはホント人格者!皆で偉い人をボロカス言い合う事でだんだんやる気が復活してくるw。とにかくこのチームの為にプロジェクトを完遂しよう!という気持ちになれた単純思考のカニでしたw
【はたらきガニメモリアルその193】せっかくプロジェクトの雰囲気が上向いてきたのに、冷水浴びせるような減給!こんなに忙しいのになんでやと思ったら、なんとプロジェクト遅延による予算の枯渇。イヤでもそれはワイがヘルプに入る前からPとDが対立してたせいやん!全く納得はいかんけど、無理やり条件飲まされてしまった。こうなると仕事にも悪影響でるわなー。もうすっかり仕事への意欲がダダ下がりでメンタルヨボヨボになってしまいました…
【はたらきガニメモリアルその192】ヒョウ子さんは時たまスイッチが入る事もあったが、お目付け役の睨みが効いてあまり無茶な修正は無くなった。ナマさんのミニゲームもPやDを上手い事口説き落として採用された!結果的にはゲームボリュームに貢献したナイスアクションだった!全体的にプロジェクトが好転し始めて皆やる気が出てきたあたりに年に一度の職能改定。まあ現状維持かとたかを括ってたらガッツリ減給を提示されるカニ。イヤこのタイミングでなぜ?w
【はたらきガニメモリアルその191】企画見直し期間と言う名の休養を経て復帰した弱D。この間に偉い人同士でも話し合いが持たれたようで、久々のミーティングにはベテランのプロデューサーが新たに任命され、荒ぶるヒョウ子さんはサブに降格。すっかりマイルドになってて逆に怖かったカニでしたッ!
【はたらきガニメモリアルその190】企画見直し期間中にナマさんの音頭でミニゲームを次々作る。PやDが口を挟まないので皆の意見がバンバン反映されてめちゃくちゃ現場は活気づく。でも見直しが終わったらまたダメ出しがくるだろうなと思ってたのですが、ナマさんは"そんなルールは壊せばいいんですよ!"と男前なセリフ!ロケンロー!w
【はたらきガニメモリアルその189】クライアントのプロデューサーと開発側のディレクターの意思疎通もなければ相性も悪い。結局ひはたりの冷却期間の意味も込めて企画見直しが始まった。こうなると現場は手持ち無沙汰になるのが通例なのだが、今回は意外なことに契約社員のナマさんの音頭で、皆でミニゲームをたくさん作る方向に舵を切る。おかげで活気を保ったまま見直し期間を乗り切る事ができましたッ!やはりリーダーシップある人てのはどこに隠れてるか分からないもんです
【はたらきガニメモリアルその188】クライアントの外部プロデューサーのヒョウ子さん。3年目にして抜擢された"できる女"オーラ全開の人でやる気満々なのはわかるんだど、事前打ち合わせしても説明しても会議のたびにダメ出しと再考のリテイクが大量にくるのでとにかく前に進まない状態。おかげで内部ディレクターの弱Dが自信喪失して半鬱状態!いきなり前途多難なプロジェクトのヘルプに入ることになりましたッ!
【はたらきガニメモリアルその187】コンペが終わりしばらく経った頃、東支社長から進行中のプロジェクトにアサインされる。別フロアなのであまり状況は知らないのだが、開発スケジュールを大分遅延中のプロジェクトらしい。しかしチームの雰囲気は明るくて問題があるようには感じなかった。早速メンバーに開発が滞る理由を聞いてみたら、それはかなりクセの強いクライアントに原因があるとの事!またクライアント問題か!
【はたらきガニメモリアルその186】企画マンは不本意だろうけど、もう時間がない。そもそも3人で1ヶ月では人も時間も足りずにどうしてもチープなものになってしまい、それは他のチームも同じような状況だった模様。コンペの審査員は東支社長自らが行なったが完璧主義者のお眼鏡に適うものはなかったらしく、全員ボツでコンペは幕を閉じた。まぁ、そうだと思ってはいたけれど…w
【はたらきガニメモリアルその185】企画マンの中Dか煮詰まってしまい、もうコンペまで時間がない!一応助け舟と思い、デザイナーとプログラマで作った仮画面を整えて出してみないかと振ってみた。中Dは基本的には柔和なタイプではあるのだが、やはり企画マンはプライドが高くて他人のネタには全力で嫌そうな顔!これって大なり小なり企画マンの性格のような気がしマッスル!
【はたらきガニメモリアルその184】企画マン、プログラマ、デザイナーひとりずつのコンペ用ミニチーム結成。しかしいつもの事ながら企画マンが仕様に詰まり作業が何も進まない状況に陥る。しかたがないので仕様待ちの間はデザイナーとプログラマーで好きに仮画面を作ってキャラを動かしたりして、これはこれでめちゃくちゃ楽しいw。でも企画マンはなかなかアイデアがまとまらず日に日にヤバい感じになっていく。経験則的にこういう状態の企画マンに何か言うとかえって事態が悪くなりがちなので、声をかけようにもかけにくい…
【はたらきガニメモリアルその183】よもやの東Dの大出世に騒然とする開発部。大きなプロジェクトが終わったばかりでゴタゴタしてる中、少人数編成のチームをたくさん組んで社内コンペをする方針を打ち出してきた。それはよいアイデアだと思ったカニでしたが、チームは完全にトップダウンでランダムな編成、カニは中途入社ディレクターの中Dと組む事になる
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【カニの大腸検査その32】内視鏡でお腹かき回されてヨレヨレのまま検査結果を聞くカニ。結果的に言えば疾患名は「虚血性大腸炎」、字面は怖いけどわりとよくある疾患で、何らかの理由で大腸の血流が悪くなり炎症・出血を起こすそう。大腸は縦横無尽に血管が走ってるので再生能力も高いらしく、黒いウンコが出てから1週間以上経ってる間にほぼ再生してて痕跡しかなかったそう!後日でた生検の結果も異常なしという事で無罪放免となりましたッ!上から下から検査は辛かったけど、問題なしという事でホッとしたッ!
【カニの大腸検査その31】なかなか進まない内視鏡でお腹の苦しさはピークに達する!もう無理勘弁してーと思ったタイミングで内視鏡を抜く事に!どうやら3/4位までしか進めなかったらしいのだが、カニがあまりにしんどそうなんでこのくらい迄でいいでしょうって事らしいです。いいオジサンなのにヘタレですんません…
【カニの大腸検査その30】先生が言うには、筋肉質で体の幅の薄い人は内視鏡は比較的すんなり進むらしい。しかし腹筋が弱くて腹の出た体は内視鏡が上下にもブレるせいでなかなか進行方向に進まないんだそう。そう言う場合は上から腹を押さえつけて内視鏡の向きを調節するらしいが、カニは仰向けになれない為にそれもままならないッ!もっと真面目にダイエットしとけばよかったッ!
【カニの大腸検査その29】鎮痛剤の効果は薄く地獄の呻き声をあげるカニ。お腹が破裂しそうな苦しさに悶絶する中で先生が仰向けの姿勢を所望する。しかし黄色靭帯骨化症のカニは背骨が硬くて仰向けになれないのである!すんませんッ!
【カニの大腸検査その28】いよいよ5年ぶり(2回目)の大腸検査!めちゃくちゃ緊張して構えてたら、検査前に鎮静剤を打つとの事。これは前回はやらなかった処置!もしかして無痛で検査できるのかな?と期待したものの、異物挿入感は変わらずキモチ悪いッ!ウボァッ!
【カニの大腸検査その27】先生が代わっても大腸検査はやらねばならぬ。渋々とベッドに腰掛けたその刹那、下剤効果で猛烈な便意に襲われる!こらいかんと慌ててトイレに行こうと思ったら、先生ったら笑顔で内視鏡を手に"大丈夫、ちょっとぐらいならコレで吸っちゃうから"とアドバイス。内視鏡にそんな機能があったとは知らなんだ!
【カニの大腸検査その26】胃カメラの1週間後に大腸検査という内視鏡連チャンとなったカニ。下剤は相変わらずしんどかったけど前回と同じなんで詳しくは"カニの大腸検査その4、その5"を参照でw。ぶっちゃけ何も知らなかった初回よりも、苦しさを経験してる2回目の方が恐怖感ある。めっちゃビビって検査室に入ると、そこに居たのはゴリ先生じゃなかった!若い爽やかな先生による二度目の大腸検査が始まりますッ!黒いウンコの原因は判明するのか?
【カニの大腸検査その25】胃カメラの結果は食道も胃も十二指腸もキレイで出血はないとの事。ますます黒いウンコの謎が深まるが、事前の便の検査では潜血反応があったのは間違いない。"やはり出血箇所を特定したいですよね?"と聞かれたので、"まぁ"と生返事をしたら、今度は大腸検査をする事に!まさかの上下時間差検査!ものすごくイヤァァァァァァァッ!
【カニの大腸検査その24】えずこうが喚こうが胃カメラはズンズン体の奥へと侵入する。ようやく十二指腸まで到達したところでゴリ先生が言うには"どこにも異常はないですね"との事。こんなに苦しんだけど原因は見つからず!じゃあ、あの黒いウンコは何だったのか?やはり原因解明は一筋縄じゃいかない!
【カニの大腸検査その23】ゴリ先生か胃カメラは鼻から入れた方がえずきにくいとアドバイスしてくれたので、鼻から挿入をリクエスト。鼻から何かが侵入してきて喉を通り抜ける感覚が気持ち悪い上に、想像以上にヴォエヴォエえずきまくるカニ!涙と鼻汁まみれでヒドい有様でしたww
【カニの大腸検査その22】下剤を飲みまくる大腸検査と違い、胃カメラの場合は前日夜からの絶食だけですむのはありがたい。検査当日ベッドに横になるや否やゴリ先生"鼻からと口からとどっちがいいですか?"と質問される。エッ、そんなんどっちが苦しいのか分からないんで選べませんケドッ!w
【カニの大腸検査その21】ネットでもあらかじめ調べてた通り、黒色便は食道・胃・十二指腸あたりからの出血が原因である事が多いという事。予想はしてたけど今回は上からの内視鏡検査が決まりました!めっちゃ不安だけど早いとこ原因突き止めたいッ!
【カニの大腸検査その20】ゴリ先生に黒いウンコの話をしたところ、どのくらい黒かったかと問われるカニ。墨のような黒さだと言った後で、興味本位でウンコの写真を撮ってた事を思い出した!写真を見せたら"コレは大分黒いですね…"と言われましたッ!撮ってて良かった!
【カニの大腸検査その19】個人病院で診察を断られたので地域の中核病院で予約を取る。カニが以前骨折の手術をして入院した病院である。消化器内科で順番が来て診察室に入ったら、そこにいたのは5年前にカニの大腸検査をしてくれたゴリ先生!なんだか猛烈にイヤな予感が…w
【カニの大腸検査その18】ググってただ不安になってもしょうがないので、近所の消化器系の個人病院に診察予約の電話をいれる。しかし電話口で黒いウンコの話をしたら、しばしの沈黙の後に"ウチよりもっと大きい病院に行かれた方が…"とたらい回される!エッ、そんなに黒いウンコってヤバいんか?と更に不安を募らせるカニです!
【カニの大腸検査その17】黒いウンコさんの写真を撮ってる場合じゃないと我に返る。まずはこれが何なのかスマホでググってみたところ、これはどうやら黒色便とかタール便というらしい。食道や胃や十二指腸からの出血が小腸・大腸を通過する間に参加して黒くなるというもの(小腸・大腸の出血の場合は赤い血がでる)。調べたら調べたでまた不安が増すカニ!
【カニの大腸検査その16】ペンタブラックばりの漆黒のウンコに狼狽するカニ。あたふたした後でカニはウンコをスマホで撮影した!ただ流すにはあまりにもったいない黒さだったので!w
【カニの大腸検査その15】令和6年3月某日、その日も定期便のウンコさんをしたところ、いつもと違う異変が起きてました!それは見たことのない漆黒のウンコさん!なんか知らんけどお腹がヤベェ気がする!
【カニの徒然小ネタ日記その55】スーパーで買い物してた時の話。前に並んだ客が大量に肉を購入していたのだが、詰め替え用の作業台のうえで衝撃映像が!それは買った肉のビニールをその場で破り、持参したらしいプラ容器に肉を移し替えていく!そして大量にでたトレイはそのまま店のゴミ箱に捨てていきましたw。イヤまあ確かに合理的だけど衛生面で大丈夫?と思わずにはおれないカニでした
【カニファミリーストーリーその193】カニジジの足跡をいろいろ調べていく中で、昭和26年6月、地元地方紙におけるカニジジのインタビュー記事を発見した。「あの頃の俺は戦争に凝り固まっていた、家業を投げ出し尽力したが戦いは負けた。私に昔の指導力はもうない。今後は戦没者の冥福を祈り遺族のために役立つ」といった内容だった。その後カニジジは商売に精を出し、競馬界の興隆に尽力したそう。長くなりすぎましたが、以上でカニジジの戦争記録全てとなります!
【たわばガニのジモトーーク!その105】ゲームソフトが当たってもファミコンがない。机の上に飾られたままの日々が続き、学校でその話をしていた時に天啓が!何人か有志を募ってファミコンを共同購入すればいいんじゃね?四半世紀以上前にシェアリングを思いついたカニたちです!
【たわばガニのジモトーーク!その104】中学生頃のハナシ。学校から帰るとカニに郵便物が届いていて、何の覚えもなく開けてみたら中には当時人気のファミコンソフトが!どうや、雑誌の懸賞ハガキで当たったらしく、めっちゃテンション上がった!しかし当時カニはファミコンを持ってなくて、意味ないじゃーん!と今度はテンション急降下!宝の持ち腐れとはこの事!
【カニ田一少年の事件簿その101】皇居の馬場には観覧席がセッティングされていて、カニパパは後ろの方の席に座らされたそう。やがてあたりがざわつきだし目をやると、そこにはやんごとなき方のお姿が!マジか!歴史メイニア的には超うらやましい!その後は皆で競馬だか馬術競技だかを楽しんだと言う話。昭和30年代の雅やかなオハナシ
【カニ田一少年の事件簿その100】皇居内の厩舎に馬を無事届けてカニパパのミッションは終了。そこにカニジジがやってきて労をねぎらいながら"せっかくだからお前も見ていくか?"と不敵に微笑むw。カニジジの後をついていくと皇居の中に大きな馬場があり、多くのセレブが集まっていた!これがなんとあの吉田茂も会長を務め、戦後わずか20年程しか存在しなかった幻のクラブ「パレス乗馬倶楽部」だったそうです!まさに歴史の目撃者!
【カニ田一少年の事件簿その99】昭和30年代の話。皇居の大手門橋前で皇宮警察に下馬を命じられたカニパパは、素直に応じれば良いものの血気盛んなお年頃。皇宮警察を睨みつけ「橋の上で無用な下馬をして恐れ多くも天皇陛下にお届けする馬に万が一でも怪我をさせたらどう申し開きをするか!"と長口上で黙らせる!ww。結局騎乗のまま橋を渡り大手門を潜り抜けたそうですが、カ20代のニパパは怖いもの知らずというか不敬というかww
【カニ田一少年の事件簿その98】昭和三十年代の東京で馬上の人になるカニパパ。東京駅と皇居を結ぶ行幸通りを真っ直ぐ進み、大手門橋を渡ろうとした時!皇宮警察が飛び出してきて騎乗したまま橋を渡るべからず!と静止されるッ!まるで一休さんみたいなシチュエーション!
【カニ田一少年の事件簿その97】今のサラブレッドは馬運車で陸送しますが、当時はまだ貨物列車を使っていたせう。夜行の貨物列車で十数時間かけ、東京についた頃は通勤のサラリーマンが溢れる時間帯。そんな中を馬上の人となり悠然と進むカニパパ!昭和30年代とはいえかなり珍しい騎乗姿に東京駅周辺はザワついたらしいです!w
【カニ田一少年の事件簿その96】カニジジは戦前から100年続く馬商人の家系。軍馬の取引などで中央にも顔が効く名士だったらしい。カニパパが学生の頃だから60年以上前の話。その日カニジジからカニパパに電話があり、自分の代わりに顧客に馬を一頭届けて欲しいと頼まれたそう。「届け先はどこ?」と聞いたら「東京」と言われ、競馬場かどこかだと思ったら、お客さんはなんと"天皇陛下"!学生カニパパの重要ミッションが始まります!
【カニリーヒルズ高校白書その114】マラソン大会サボりでガチ説教の果ての総仕上げは原稿用紙十枚の反省文提出!しかもタイトルは「マラソンと私」!しかし他のみんなは苦労してたみたいだけど、カニはダラダラ文章を書くのは得意だったので、古代ギリシャのマラトンの戦いを導入部にマラソンの歴史を描きつつ、反省・謝罪に持っていった!w。これが先生には大ウケでしたw
【カニリーヒルズ高校白書その113】マラソン大会サボりがバレたカニたちは学校に戻るなり職員室に呼び出されて正座!生徒指導の先生から全員仲良く出席簿の角で一撃喰らう!クソ痛いけど完全に自業自得なんで文句言えませんww
【カニリーヒルズ高校白書その112】ほどほどサボってそろそろコースに復帰するかと思った頃、6人目か駆け込んできた!今頃サボりに合流したのかと思ったら、実は先生のメッセンジャー!カニたちのマラソン大会サボりは既にバレバレだった!一気に血の気が引くカニたち!ヤベェ!
【カニリーヒルズ高校白書その111】マラソン大会を抜け出しコース沿いのトモダチんちに上がり込むカニw。両親共働きで誰もいないのが都合いい!炎天下のマラソンでカラカラの喉にキンキンに冷えた麦茶が染みる!w。そのままマラソン大会が終わる頃にしれっとコース復帰する算段をし、ファミスタなぞしながら時間を潰す事にする!
【カニリーヒルズ高校白書その110】マラソン大会をバックれると決めたカニたちは、監視役の先生の目を盗んで路地に駆け込む!うまいことエスケープできたかと思いふりむいたら、さらに何人かの仲間がついてきた!ちょ!おま!ww
【カニリーヒルズ高校白書その109】カニ高3年の時の校内マラソン大会。炎天下の中10km以上のコースを走るだるいイベント!文化部系のカニは早々にヘトヘトだったのだが、そこで後ろからトモダチが話しかけてきた。マラソンコースの途中に自宅のある彼は「マラソンバックれてウチでゲームでもやらないか?」と誘ってきて、バテバテのカニは二つ返事でその提案に乗ることにした!
【カニの徒然小ネタ日記その43】毛深い人には地味な気遣いがある。それは風呂に入った後、湯船に浮いた毛を手桶で地味にすくう事ッ!これやらないと後から入る人に文句言われることあるw。手桶で水面ギリギリの水をすくうと、けっこう毛が回収できるんで、割とマジになりがちw
【カニの徒然小ネタ日記その42】毛深い事のデメリット、それは常に体毛が部屋に落ちること!ズボンの裾からハラハラと落ちているのか。たまに家具の隙間に箒をいれたりすると…。西部劇で見る丸い草のような体毛の塊がコロコロと転がってる!日々自分の体からゴミを生み出し、自分で掃除するという無駄なサイクル!ww
【カニの徒然小ネタ日記その41】毛深い人にもメリットはある。例えば入浴時にはほんのちょっとのボディソープでもめちゃくそ泡立ちます!つるつる肌のイケメン脚より当社比50%増は間違いありませんぜ!(適当)
【カニの徒然小ネタ日記その40】すね毛でアリンコを作ると絡みすぎて解けなくなる時がある。その際はハサミで切ったりしていたのだが、一度勢い余ってすね毛で引っ張っられた肉を切ったことある!あまりの痛みで声にならない声をあげるカニでしたッ!めっちゃ血ィ出た!ww
【カニの徒然小ネタ日記その39】元祖すね毛KINGのカニパパから伝授された持ちネタ。それはすね毛を手のひらで強烈に摩るとすね毛同士が絡み合い、アリンコが出来上がる!ずっとカニパパの発案だと思ってたけど、わりとあちこちにあるみたいで最初にこの技を編み出したのが誰なのか、めっちゃ気になってます!w
【カニの徒然小ネタ日記その38】突然ですがたわばガニは毛ガニです。胸毛やすね毛がモッサー生えてる毛むくじゃら系男子。思春期の頃はコンプレックスでカミソリで剃ろうかと思ったりもしたが面積が広くて断念し、やがておっさんになるにつけどうでもよくなるw。ちなみに毛深さの理由は遺伝子レベルのようで、自分のすね毛がどれも三本横並びでワンセットになってます!古代には「毛人」と呼ばれた蝦夷の末裔の証拠とか言われたりもしましたが、真相は不明ですw