🌸「神道」と日本人(序説)2⛳前方後円墳の誕生と終焉☆大嘗祭も、伊勢神宮も、7世紀~8世紀に整備された*「神道」は大きく性格を変えた☆ヤマト建国来続いてきた「前方後円墳体制」が*7世紀初頭に終焉を迎えた*前方後円墳は、ヤマト建国のシンボルだった☆纏向遺跡(奈良県桜井市)前方後円墳*各地に伝播し、埋葬文化を共有する「ゆるやかな連合体」が生まれた*これが、ヤマト建国の実態である*強大な力をもった征服者が、ヤマトをうち立てたのではなかった☆ヤマトの王は祭祀をつかさどっていた*ヤマトは、武力や経済力を有する*多くの首長(豪族)たちに支えられる体制が整った*前方後円墳は、「王や首長のお墓の個性的な形」であった*大切なことは、「新たな宗教観」を提示し、共有したことである*墳丘上で祭祀が執りおこなわれていた☆4世紀から...『ヤマトの王と祭祀』『ヒメヒコ制』『ヤマト朝廷の変化』『天武・持統期』