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八戸ノ里キリスト教会
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2019/04/13

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  • たましいにやすらぎが来る

    マタイの福音書11:29『わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。‌』不安と問題を抱えていると何よりも心が休まらないです。‌それがストレスになって心身ともに疲れることが多いです。‌人にも言えないから、うつ状態になっている人も多いです。‌イエス様は神の身分を捨てて自ら人間になり、人間が感じる様々なことを体験しました。‌ですから人間に共感することが出来ます。‌疲れ果てた人々に対して優しく語ったことばが今日のことばです。‌彼らが倒れないように支えたいと主は願っています。‌休ませたいと願っておられる優しい方です。‌私も疲れ果てた時にイエス様に出会い、たましいに安らぎを受けた者です。‌そして今まで支えてもらっています。‌そ...たましいにやすらぎが来る

  • 決定権は主にある

    箴言16:1『人は心に計画を持つ。主はその舌に答えを下さる。‌』計画を立てることは良いことです。‌計画なしに行き当たりばったりするよりは良いです。‌しかしすべてが自分の計画通りにはならないのが現実です。‌知り合いの牧師先生が1月に急逝しました。‌元気で精力的に働きました。‌日本とアメリカ、また他の国に対しても宣教のビジョンがあり、実際に宣教の働きをしました。‌69歳であっても若者のような心と体力があり、宣教のための多くの計画ももっていました。‌私もその計画を何度も聞きました。‌しかし急逝したことで本人が立てた計画はすべてストップしました。‌計画の決定権は人ではなく、神様にあることを改めて感じました。‌神様がなぜ働きの最中に召されたかは分かりませんが、神様の摂理を人間が知ることは難しいです。‌ですから神様の...決定権は主にある

  • 賜物を用いて仕え合う

    第1ペテロ4:10『それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。‌』賜物は恵みとして神様から受けたものです。‌神様は教会の益のために賜物を与えて下さいましたので、賜物を受けた人たちは神の御心のままにその賜物を用いることです。‌賜物には人々の目を引く奇跡や預言、癒しの賜物がありますが、それだけでなく貧しい者を世話すること、教える働き、施し、分け与える賜物などもあります。‌聖徒は賜物の良い管理者にならないといけないです。‌決して賜物は自分の財産ではないです。‌神様によって任されたものですから神様のみこころに従って、人々と恵みを分かち合い、人々の益のために最善を尽くすことです。‌賜物を使って商売をした人たちも見ました。‌それは良い管理者の姿...賜物を用いて仕え合う

  • より優れた賜物を求める

    第1コリント12:31『あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。また私は、さらにまさる道を示してあげましょう。‌』賜物とは一言で言うならばプレゼントです。‌人間の努力や功労によって与えられるものではなく、神様の恵みによって聖霊を通してイエス・キリストを信じる者たちに与える才能、使命、務めなどです。‌賜物の種類は多いです。‌しかし種類が異なってもそれを与える方は聖霊です。‌神様は各自に賜物を与えて個人や教会の益のために使わせます。‌そして教会の一致のために賜物は使わないといけないです。‌多くの賜物の中でも一番優れた賜物は愛です。‌信仰があっても、人のために自分のいのちを捨てても、愛がないならばすべてはむなしいと言われました。‌ですから愛の賜物はすべてのクリスチャンが熱心に求めるべき賜物です。‌第1...より優れた賜物を求める

  • 信仰の結果は何か

    第1ペテロ1:9『これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。‌』なぜ信じるのか、信仰がなぜ必要なのかは、信じる時に知らないといけないです。‌信じる理由は、たましいの救いのためです。‌霊肉ともに救いを受けることです。‌主の再臨の時に、救われた人は霊肉ともに新しい者に復活します。‌ですからいま救われたとしても、それが完成ではないです。‌最終的な救いの完成のために進んでいく過程です。‌救いには過去、現在、未来があります。‌未来の救いまで到達しないといけないです。‌救われただけで天国に入るチケットを手に入れたと言う人がいます。‌そして何をしても天国には間違いなく入ると誇る人がいますが、救われたならばそれにふさわしく地上では旅人として、神と共に歩みながら、天国に向かう歩みをしないといけないです。‌...信仰の結果は何か

  • 塩気をなくした塩

    ルカの福音書14:34『ですから、塩は良いものですが、もしその塩が塩けをなくしたら、何によってそれに味をつけるのでしょうか。‌』料理を作る時に一番頻繁に使うものは塩です。‌少量だけを使いますが、なくてはならない調味料です。‌以前塩を切らしたことがありましたが、本当に困りました。‌それからいつも常備しています。‌他の調味料は使う国と使わない国がありますが、塩だけは使わない国はないです。‌それほど塩はなくてはならないものです。‌その塩をイエス様はクリスチャンにあてはめました。‌マタイの福音書5:13『あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。‌』クリスチャンはこの世で、塩の役割をする者です。‌塩は人...塩気をなくした塩

  • 主に貸している人

    箴言19:17『寄るべのない者に施しをするのは、主に貸すことだ。主がその善行に報いてくださる。‌』今はSNSを通して世界中の様子が見られます。‌私が好きなものは実験カメラです。‌人々がどんなリアクションをするのかを見ます。‌アメリカの路上に若い女性のホームレスが座ったまま寝ていました。‌手に持っている段ボールには、『私はホームレスです。‌食べ物がほしいです。‌』と書かれてありました。‌地面には空き缶が置いていました。‌今アメリカではホームレスが急増しています。‌そこにひとりの男性が近づいて来ました。‌カメラを設置しているのでYouTuberだと思います。‌空き缶にそっとお金を入れました。‌女の人はまだ寝ています。‌さらに紙幣を丸めて入れました。‌女の人がずっと寝ているので、空き缶に自分の時計、指輪、食べ物...主に貸している人

  • なぜ争うのか

    第2テモテ2:23『愚かで、無知な思弁を避けなさい。それが争いのもとであることは、あなたが知っているとおりです。‌』真理のことばと知恵のことばならば聞く人に恵みを与えますが、愚かで無知な思弁は、聞く人に真理に逆らう間違った思想を与えます。‌ある人たちは真理ではない愚かでむなしいことを伝えて人々を惑わし、真理を語る人たちと対決するように導きます。‌もし間違った教えに集中するならば、その魂は滅びます。‌真理に逆らった教えがこの世にはたくさんあります。‌キリスト教の中でも、真理でないものを真理であるかのように伝えて、真理に逆らうように人々を導く者がいます。‌それは愚かな教えなので、神様は彼らと論争などしないように言われました。‌なぜならそれによって分裂と敵対心が生まれるからです。‌無知な思弁は信仰生活に要らない...なぜ争うのか

  • キリストの心にあるもの

    ピリピ2:5『あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。‌』キリストの心には何があるでしょうか?‌主の心には神のことばがありました。‌イエス様はすべての働きを神のことば通りになさいました。‌みことば通りに行うことが神のみこころ通りに行うことです。‌ですから十字架を負う前に、『わが父よ。‌できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせて下さい。‌しかしわたしの願うようにではなく、あなたの御心のようになさって下さい』と祈りました。‌またキリストの心には愛と謙遜、赦し、あわれみ、平和があります。‌人の心には悪いものがたくさんありますが、イエス様には悪いものは一つもないです。‌ですからキリストを信じる者たちに、キリストにある心構えを持ちなさいと言われました。‌...キリストの心にあるもの

  • 愛を受けている者ならば

    第1ヨハネ4:19『私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。‌』イエス様は体を張って私たちを愛しました。‌罪人の人間を救うために神が人間になり、それだけではなく人間の罪の代わりに十字架にかかって命を捨てました。‌十字架の意味を知っているならば、主の十字架は犠牲の愛が詰まった象徴であることが分かります。‌それを知っている人は、いま自分が主の愛を受けていることが分かります。‌そして自分も主を愛する者になります。‌主を愛する者は他の人間も愛するようになります。‌イエス様はこの人も愛して十字架にかかって死んで下さった、と思うからです。‌イエス様が愛する人を憎むなら主が何と思うでしょうか。‌【祈り】主の愛にいつも感謝し、人も愛しています。‌【アルバニア】ギリシャの北部に位置する国です。‌資源...愛を受けている者ならば

  • 試練と共に脱出の道も備える主

    第1コリント10:13『あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。‌』激しい試練を通った人は多いと思います。‌出口が見えないような状況を体験した人もいると思います。‌しかし死なずに今生きているのは、その試練をくぐり抜けたからです。‌私も『いつまでですか』と、とても苦しかった時期がありました。‌しかしそれらの試練も通り過ぎました。‌真実な神様から約束を受け、神様を信頼すると、いつの間にか試練の波も静かになり、試練から脱出することが出来ました。‌そして試練の中でも主の恵みが尽きることがなかったと後で思うようになりました。‌神様は恵みとあわ...試練と共に脱出の道も備える主

  • 目を覚まして祈っていなさい

    マタイの福音書26:41『誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」‌』誘惑が目の前に迫って来たことを知ってイエス様は弟子たちに『誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。‌』と切実な思いで話しました。‌そして本人は汗が血のしずくになるほど切に祈りました。‌しかし弟子たちは眠りの誘惑に負けて寝てしまいました。‌その眠りはそのまま霊的眠りになりました。‌祈るべき時間に祈らず寝ていました。‌弟子たちの寝ている姿を見て一番喜んだのは彼らを誘惑したサタンでした。‌サタンはイエス様の目の前で弟子たちを誘惑することが出来ました。‌寝ていた弟子たちはあっけなくサタンの手に落ちて、イエス様からみんな離れ、イエス様を知らないと裏切りました。‌私たちもイエス様から同じこ...目を覚まして祈っていなさい

  • 何を喜びにして生きていますか

    詩篇37:4『主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。‌』人それぞれ喜びの対象が違います。‌多くの場合、自分がしたいことをする時に喜びが出て来ます。‌それも人生の楽しみになるので悪くはないです。‌しかし主のことばに耳を傾けるならば、何よりもまず『主をおのれの喜びとせよ』と言われてあります。‌全世界で主を喜びとして生きる人がどれほどいるでしょうか。‌主が自分の人生で一番の喜びになっている人は幸せなものです。‌その人は心から主を愛し、神中心に生きる人です。‌主をおのれの喜びにして生きる人が一番価値ある人生を送っています。‌なぜならば主が喜びであるならば、その人が持つ喜びは消えることも色褪せることもないからです。‌そして後悔のない人生を送るからです。‌【祈り】主をおのれの喜びにするなら、...何を喜びにして生きていますか

  • 怠け者と勤勉な者

    箴言13:4『なまけ者は欲を起こしても心に何もない。しかし勤勉な者の心は満たされる。‌』怠け者の特徴は、『体を動かすのが嫌い、欲はあっても心にやる気がない、楽をするのが好き、時間にルーズで、何でも後回しにする、熱しやすく冷めやすい、面倒くさがりで自分に甘い』です。‌自分の中に当てはまるものがありますか。‌勤勉な者の特徴は、『責任感が強く仕事を真剣に取り組む、コツコツと努力をする、要領よくするのが苦手、周囲から信頼されている、任された仕事は無理をしてでも最善を尽くす』です。‌勤勉な部分が自分にありますか。‌神様は怠け者には目を覚ますように警告しています。‌今は終わりの時です。‌怠け者には厳しいさばきがありますが、勤勉な者には良い報いがあります。‌【祈り】やる気を起こし、もっと熱心に生きる者になりますように。...怠け者と勤勉な者

  • 息ある者がすべきことは

    詩篇150:6『息のあるものはみな、主をほめたたえよ。ハレルヤ。‌』コロナの時、マスクをし、席が離れているにもかかわらず、賛美を禁じた教会がありました。‌その光景が私にはとても不思議でした。‌何をそんなに恐れているのかと思いました。‌誰の目をそんなに気にしているのかなと思いました。‌人とは話をするのに、神様に賛美が出来ない理由が分かりませんでした。‌私の教会では変わらず賛美しました。‌息ある者はみな、主をほめたたえなさいと言われました。‌ですから主を礼拝する時間に、主をほめたたえることは当たり前です。‌3年間マスクもせずに大きな声で賛美をささげても、教会でクラスターが起きたことはなかったです。‌みんなが信仰によって主を賛美したことを、今も良かったと思っています。‌主が守って下さったことには間違いないです。...息ある者がすべきことは

  • 感謝の心を持つ人になりなさい

    コロサイ3:15『キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。‌』詩人ゲーテが言いました。‌『感謝を知らない人間は役に立たない人間だ。‌』ドストエフスキーは『人間は感謝を知らない二本脚の動物だ。‌』感謝を忘れた人間が多いことは確かです。‌イエス様が10人のらい病の人を癒した時も、感謝しに戻って来た人はひとりだけでした。‌『10人癒されたのではないか。‌9人はどこにいるのか?』と聞きました。‌感謝の心を持っている人はひとりだけでした。‌良くしてもらったのに、それを当たり前と思う人は感謝を知らない人です。‌世の中に当たり前はないです。‌自分以外の人から良くしてもらったならば感謝するのが当然です。‌親に対して...感謝の心を持つ人になりなさい

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