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八戸ノ里キリスト教会
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2019/04/13

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  • あなたはどこから来て、どこへ行くのか

    創世記16:8『「サライの女奴隷ハガル。あなたはどこから来て、どこへ行くのか」と尋ねた。彼女は答えた。「私の女主人サライのところから逃げているところです。」』自分が行く道を正しく知って歩む者は道に迷うことがないです。‌しかしまったく知らない人は進むことが出来ないです。‌中途半端に知っている人も結局は目的地が分からないので、正しい道を歩むことは出来ないです。‌家の近くに行き止まり道路があります。‌看板を見落とした人は、道路があるので入りますが、すぐにバックしてその道から出ないといけなくなります。‌車ならば戻ることが出来ます。‌しかし人生の道は、戻ることが出来ない道です。‌人生の最後には永遠の死か永遠のいのちかの二つの道があります。‌まことの神に導かれていない人は、大勢の人が歩む広い道を選びます。‌まことの神...あなたはどこから来て、どこへ行くのか

  • なぜ私にこんな試練が

    創世記22:1-2『これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。神は彼に、「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は、「はい。ここにおります」と答えた。神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」』困難にぶつかり、解決策もない時は途方にくれます。‌神様を信じる人にも例外はないです。‌『神様。‌どうして私にこんな試練を与えますか。‌耐える力もありません。‌』と叫んだ経験があると思います。‌人は他人が受ける試練には寛大です。‌しかし自分が受ける小さな試練に対しては大騒ぎです。‌試練は正直言って来てほしくないものです。‌辛く忍耐するのが難しいからです。‌良い...なぜ私にこんな試練が

  • 弱い私たちを助ける主

    第2コリント13:4『確かに、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力のゆえに生きておられます。私たちもキリストにあって弱い者ですが、あなたがたに対する神の力のゆえに、キリストとともに生きているのです。‌』自分の弱さを弱点だと思う人が多いです。‌しかし主にあるならば、その弱点が有利に働きます。‌泳ぎが出来ず水に溺れた人を監視員が見つけました。‌他の人たちもそれを見て、監視員に早く行って助けるように叫びました。‌しかし監視員の人はじっと待っていました。‌そしておぼれた人が沈みかけた時に素早く近づいて救出しました。‌人々は彼の遅い救助を非難しました。‌しかし監視員の人はおぼれた人が弱くなる時を待っていました。‌もがいている時に近づくと、二人とも溺れる可能性があったからです。‌神の力は私たちの弱さの中に完全...弱い私たちを助ける主

  • とりなす者になる

    第1テモテ2:1『そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。‌』耳に聞こえる悲惨な出来事や事故のニュースが多いです。‌遠く離れた見知らぬ人のことであっても、とりなすことは良いことです。‌祈りは時間と空間を超えるからです。‌自分には力がないし、何の助けにもならないと無力さを感じる時に、自分で出来ることがあります。‌それは主が教えたとりなしの祈りです。‌神様は世界のどこで祈ってもその祈りを聞いて下さる方です。‌神様を信じる人にはとりなす義務があります。‌信仰の先祖たちはみんなとりなしの祈り手でした。‌アブラハムもモーセもサムエルも、ダニエルも主の弟子たちも、とりなす祈りをよくしました。‌主の名...とりなす者になる

  • 水の中に沈んだ人生

    マタイの福音書24:37-39『人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。‌』主の再臨がある時とノアの洪水の前の時は似ていると主が語りました。‌それは人々が予期しない時に突然起こるからです。‌罪と悪に染まった世界は、主の手によって滅ぼされます。‌ノアの時代のさばきは水でした。‌すべての人間も山々も水の中に沈みました。‌高い山に登った者も水かさが増すと逃げる場所がなく、そのまま沈みました。‌どんなに泣き叫んでも後の祭りでした。‌『ノアの話を聞けばよかったのに。‌』と、どれほど多く...水の中に沈んだ人生

  • 救いの道は一つである

    使徒の働き4:10-12『皆さんも、またイスラエルのすべての人々も、よく知ってください。この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石が、礎の石となった』というのはこの方のことです。この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」』多くの者が救いの道を捜しています。‌しかし救いの道が一つであることに対しては信じず疑います。‌それを伝えると拒否反応を起こす人が多いです。‌独善的であるとも非難します。‌善行を行えば救われると教えている宗教、救いの道はたくさんあるから好きな道を選んだら良い...救いの道は一つである

  • 神の恵みを受けた者

    創世記6:5-8『主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。そして主は仰せられた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」しかし、ノアは、主の心にかなっていた。‌』みんなが堕落し悪いことをしている中で、正しく潔白に生きる人は尊敬されるでしょうか。‌尊敬ではなく嘲られ、‌迫害されます。‌ノアの時代にノアのような人はいませんでした。‌ノアを認めたのは神様でした。‌神の目に映ったノアは、『主の心に適い、正しい人で、全き人で、神と共に歩んだ人』でした。‌そういう者でしたから、すべての人間が洪水のさばきを受け...神の恵みを受けた者

  • 神と共に歩んだエノク

    創世記5:21-24『エノクは六十五年生きて、メトシェラを生んだ。エノクはメトシェラを生んで後、三百年、神とともに歩んだ。そして、息子、娘たちを生んだ。エノクの一生は三百六十五年であった。エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。‌』エノクは特別な業績を残しましたか。‌彼は有名人でもなく特別な業績は何も残していないです。‌子どもたちを生み、神と共に歩んだ人生だけでした。‌神と共に歩んだと二回も同じことばが出て来ました。‌エノクは神が彼を取られたので、彼はいなくなりました。‌不思議なことが起こり、彼の名は聖書に残されてあります。‌マタイの福音書7章には多くの者が主に言いました。‌マタイの福音書7:22-23『その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの...神と共に歩んだエノク

  • 人間の内面にある二心

    ローマ7:14-15『私たちは、律法が霊的なものであることを知っています。しかし、私は罪ある人間であり、売られて罪の下にある者です。私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです。‌』人間の心ほど複雑なものはないです。‌多くの思いがあるので、自分でも何がしたいのか分からない時があります。‌大きく二つに分けるならば、神に敵対する心と神を賛美する心です。‌神に敵対する心の中には、自分の弟を殺したカインの不敬虔さ、苦い毒草のようなものがあります。‌それによって不信仰の実を結びます。‌神様に敵対する行動をします。‌神様を賛美する心もあります。‌神様の恵みに感謝し、神様に仕えたい思いもあります。‌良い働きをしたい思いがあります。‌それによ...人間の内面にある二心

  • 堕落した人間の姿

    創世記3:7-12『このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」彼は答えた。「私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。」すると、仰せになった。「あなたが裸であるのを、だれがあなたに教えたのか。あなたは、食べてはならない、と命じておいた木から食べたのか。」人は言った。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」‌』人...堕落した人間の姿

  • 賢明な者と狡猾な者

    創世記3:1『さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」‌』人間に一番嫌われている生き物の一つが蛇です。‌私も一番嫌いです。‌その蛇は主が造られたあらゆる野の獣のうちで一番狡猾でした。‌そして蛇を利用したのがサタンでした。‌サタンが蛇を代行者として立てた理由は、狡猾さがあったからです。‌狡猾とは悪賢いという意味です。‌神様が最初から悪いことをさせるために狡猾さを入れたわけではないです。‌ヘブル語で狡猾という元の意味は、慎重で賢いとの意味があります。‌ですから神様が蛇に与えたのは悪いものではなく、すごく価値ある才能でした。‌優れた才能も間違った所に使うと狡猾さになります。‌...賢明な者と狡猾な者

  • 主の日を守りなさい

    創世記2:1-3『こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。神は第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。神は第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである。‌』神様は六日の間、世界を創造し、七日目には休まれました。‌十戒の4番目のことばです。‌出エジプト記20:8-11『安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。─あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も─それは主が六日の...主の日を守りなさい

  • 積極的な考え方

    ピリピ4:13『私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。‌』積極的な考え方は建設的でやる気を感じます。‌私は積極的な考え方が好きです。‌それがないと前に進むことが出来ないからです。‌リーダーになる人には特に積極的な考え方が必要です。‌そうでなければリーダーが人々の障害になることがあります。‌主の弟子になった人々は弱い者、人を恐れる者、言い訳の多い者でした。‌主は彼らを弟子として選び訓練しました。‌後に彼らは変えられると大胆な者、強い者、先頭に立って福音を伝える者になりました。‌人を恐れず、死を恐れない者になりました。‌消極的、否定的だった頃は人を恐れてイエス様から身を引いた者でしたが、聖霊によって力を受けてからは積極的な考え方に変わりました。‌彼らによって福音の道が開かれ、やがて...積極的な考え方

  • 限られた時間で生きる人生

    詩篇90:10『私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。‌』2020年の国連の予測価によると、世界中で100歳以上の高齢者は573,000人に過ぎないことになっています。‌日本で100歳を超えた人は92,139人です。‌世界人口は80億4500万人です。‌これに比べると100歳を超えた人はとても少ないです。‌すなわち人間の齢は短いことを私たちに教えています。‌気持ちではいつまでも長生き出来ると思っても、人生はあっという間に過ぎて行きます。‌ですから人生は無駄にする時間がないです。‌神様が目を覚ましていなさい、忠実でありなさい、悪から離れなさい、愛しなさいと色々と命令するのは、限られた人生を無駄にせず、実りある...限られた時間で生きる人生

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