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2019/04/13

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  • 木は実によってわかる

    ルカの福音書6:43-45『悪い実を結ぶ良い木はないし、良い実を結ぶ悪い木もありません。木はどれでも、その実によってわかるものです。いばらからいちじくは取れず、野ばらからぶどうを集めることはできません。良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すからです。』これは難しい例えではなく、とても平凡ですが、その例えで真理を語っておられます。木の種類と木の質によって実が変わってきます。奈良公園には切られた大きな木の根元がそのまま残ってあるものが一つありますが、木の中は大きく穴が開いています。そんな木が良い実を結ぶことはないですね。ですからその木は切られてしまいます。主は私たちを見て実を探しています。目を大きく開けてくまなく実を探しますが、見つ...木は実によってわかる

  • 愛するならば守られる

    ヨハネの福音書14:23『イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。』主を愛する者と愛さない者の区別は難しくありません。主を愛する者は主のことばを守りますし、主を愛さない者は主のことばを守りません。主のことばは主が与えて下さった新しい戒めです。ヨハネの福音書13:34-35『あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」』第1ヨハネ3:23-24『神の命令とは、私たちが御子イエス・キリストの御名...愛するならば守られる

  • もっとも小さい者にしたことは

    マタイの福音書25:40『すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』』私たち人間は最も小さい者に対しては関心がないです。しかし主は反対にそのような者に関心があります。一番弱い者、ないがしろにされている人、差別を受けている人、貧しい者たちの友になりました。主も馬小屋で生まれました。最も小さい者はだれですか?イエス様です。一番卑しい所で生まれ、誰も関心も見向きもしませんでした。奇跡を行い、病人を癒した時には多くの群衆が集まっていましたが、十字架にかかった時には弟子たちも主を捨てて離れました。最も小さい者になった主に関心がある人は、この世の小さい者に対しても関心があります。広い道にはみんな...もっとも小さい者にしたことは

  • 私たちの中にある神の国

    ルカの福音書17:20-21『さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」』神の国に関する認識は、神と人間の間に大きな差がありました。パリサイ人たちは神の国がいつ来るのかを主に聞きました。時間的概念としての『時』を聞きました。しかし主はいつ来るのかという時間の概念で答えたのではなく、神の国の実態に対して答えました。神の国が何を意味するのかも理解しないまま待ち続けることには意味がないです。今の信徒たちも一番興味があるのは、「再臨がいつあるのか」です。しかし主は何度も語って下さい...私たちの中にある神の国

  • 神の国と義をまず求めなさい

    マタイの福音書6:33『だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。』マタイの福音書6:19-34の全体の文脈は富に対する心配が主題です。日々の糧に対する心配が、当時は一番の関心事でした。365日食べないと生きていけないからです。神様は私たちに日々の糧が必要であることは誰よりもご存知です。しかし神か富のどちらが自分の人生に大事であるかを決めないといけないです。自分と自分のすべてが神の統治を受けるならば、そこが神の国です。しかし富が王になって自分を支配するならば、そこは富の国です。いくら貧しくても富に対する心配がないならば、富の統治を受けていないことになります。どんなに貧しくても自分の人生を統治する神がいることを信じて頼っている人は、心配から解放され...神の国と義をまず求めなさい

  • 預言のことばを守る者が幸いである

    ヨハネの黙示録1:3『この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。時が近づいているからである。』終わりの時代になればなるほど、惑わす霊が強く働きます。ですから惑わされないためには、終わりの時代に対して語った主のことばを注意深く聞かなければなりません。主はアジアの七つの教会にメッセージを送りました。そして終わりの時に起こる様々なことを語って下さいました。そのことばを注意深く聞いて、悟り、悟ったことばに従って歩む者が幸いな者です。ルカの福音書8:15『しかし、良い地に落ちるとは、こういう人たちのことです。正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。』【祈り】主よ。聞くだけで終わるような者にはなりませんように。【聖句をノ...預言のことばを守る者が幸いである

  • 施しと善行の必要性

    使徒の働き10:2『彼は敬虔な人で、全家族とともに神を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていたが、』使徒の働き10:22『すると彼らはこう言った。「百人隊長コルネリオという正しい人で、神を恐れかしこみ、ユダヤの全国民に評判の良い人が、あなたを自分の家にお招きして、あなたからお話を聞くように、聖なる御使いによって示されました。」』施しと善行は神からの命令です。神は貧しい者、困った者に関心があります。ですから持っている者たちに助けるように命令しました。そして人間は悪ではなく善を行うように創造されました。神は喜んで与える者を祝福して下さいます。申命記15:10-11『必ず彼に与えなさい。また与えるとき、心に未練を持ってはならない。このことのために、あなたの神、主は、あなたのすべての働きと...施しと善行の必要性

  • 偶像崇拝の原因は無知

    申命記29:17『また、あなたがたは、彼らのところにある忌むべきもの、木や石や銀や金の偶像を見た。』「無知を直すには薬もない」という言葉を小さい時、周りの大人たちから聞きました。無知な人は自分が無知であることになかなか気付かないです。ですから人からの助言にも耳を傾けないです。本来人間は、神が神のかたちに似せられて造りました。そして人間には創造主を知り、創造主だけに仕えるようにしましたが、人間が罪を犯して堕落してからは、創造主との関係が壊れてしまいました。それから神を知ることも仕えることもしなくなりました。しかし人間の中には絶対者に仕えたいという習性があるので、神をよく知らないまま、自分が信じたい神と思うものを信じています。そのために神々を造ってそれを拝みます。これが偶像崇拝です。偶像崇拝する人は神への恐れがない...偶像崇拝の原因は無知

  • 赦すならば赦される

    ルカの福音書6:37『さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。』人を裁く時は、自分を義人だと思っています。人を罪に定めている時は、自分には罪がないと思っています。人を赦さない時は、自分には赦されるものがないと思っています。実際はそう思いながらやっているのではないですが、心の根底にはそのような思いがあります。ですから主が、姦淫の女を連れて来て裁いた人たちに向かって『罪のない者から先に石を投げなさい。』と言われた時に、年長者から一人一人その場を離れて行きました。考えてみると自分たちも悪いことをたくさんしてきたからです。また主からたくさん罪が赦されたのに、自分に罪を犯した者を赦すことが出来ないと...赦すならば赦される

  • 聖書ほど人間に有益な書物はない

    第2テモテ3:16-17『聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。』クリスチャンでない人でも聖書を読んでいる人は多いです。あらゆる理由があると思います。クリスチャンは聖書が神の霊感によって書かれた神のことばであるので、それをいのちの糧として読みます。神から『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と言われてあるからです。そして聖書ほど神、人間、世界について詳しく書かれた書物はないです。また最高の知恵も聖書から得ることが出来ます。そして本文にも書いてあるように、教えと戒めと義の訓練のために必要なものがすべて書かれてあります。聖書を深く学び、書かれてある通り...聖書ほど人間に有益な書物はない

  • 祝福の代わりに呪いを受ける

    詩篇145:20『すべて主を愛する者は主が守られる。しかし、悪者はすべて滅ぼされる。』神を愛する人は神の命令を守ります。ですから神はその人を愛し、守り、祝福します。神は愛の神なので、すべての人を祝福したいと願っています。しかし祝福の代わりにのろいを受ける人がいます。神は誰が祝福を受け、誰がのろいを受けるかを明確に教えて下さいました。申命記28:1-2『もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行うなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。』主の御声に聞き従うならば祝福が臨むと言われました。またこのように呪いについても語りました。...祝福の代わりに呪いを受ける

  • 神の友が受けた祝福

    ヤコブ2:23『そして、「アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。』神の友と呼ばれたアブラハムは幸いな人でした。神の友と呼ばれる人が、この世に何人いたでしょうか。彼が勝手に自分を神の友と思ったのではなく、神が彼を神の友と呼んで下さいました。そのように呼ばれたには理由がありました。信仰がなくては神を喜ばせることが出来ないですが、アブラハムには神に対するはっきりとした信仰がありました。そして目を覚ました信仰をもっていました。眠った信仰や生ぬるい信仰ではなく、不義を喜ばず、義の生活をしていましたし、人々の前で神の人として歩んでいました。神のことばにすぐに従順する人でした。愛する子をささげるように言われてもすぐに従順した人でした。ですから神に喜ばれ、愛...神の友が受けた祝福

  • 平和を与える主

    第1コリント14:33『それは、神が混乱の神ではなく、平和の神だからです。聖徒たちのすべての教会で行われているように、』秩序と平和がある共同体、教会、社会は人間が生きるために一番快適な環境だと思います。混乱の中では落ち着いた生活は無理です。不安と恐れがあります。人間が神の秩序を守り、他人の利益を求め、助け合う心で生きるならば、そこにあるのは平和だけです。しかし一人でも秩序を乱す者が現れるならば、あっという間に平和は壊されてしまいます。サタンは秩序を壊す者です。分裂を起こす者です。争いを起こし、互いに敵対させる者です。不安と恐れの雰囲気を作って人間を苦しめるのが目的です。しかし神は平和の神です。秩序の神です。人間が神のもとに立ち返らない限り、人間の努力だけで平和を作るのは難しいです。また平和のために私たちは神に祈...平和を与える主

  • 金持ちになりたがる人への警告

    第1テモテ6:9-10『金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。』金持ちになりたいという人への警告のことばです。なぜこのような警告を神がしたでしょうか。あらゆる誘惑のわながあるからです。何か月前にイタリアで麻薬組織が摘発されましたが、その組織のトップは女性で79歳の高齢者でした。なぜ危険な麻薬取引をその年までやっていたでしょうか。お金のためだったと思います。すでにたくさんのお金はあると思いますが、もっと金持ちになりたい思いがあったのでしょう。その結果、その女性はこれから刑務所暮らしで生涯出て来ることはない...金持ちになりたがる人への警告

  • 先走ったさばきをしてはならない

    第1コリント4:5『ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。』主の働き人の中に妬みや高慢が入ると、人に対して先走った裁きをして失敗することが多いです。熱心に奉仕する人が、奉仕をあまりしない人に対して裁くこともあります。これも間違ったことです。なぜならば神は他人を裁くのではなく、自分に与えられた使命だけに忠実な者を求めておられるからです。わき見をすると神ではなく人間が見えてきます。すると自分の考えで比較して他人を裁くことがあります。しかし主だけを見ている人は、主を喜ばせるために、自分の使命に集中するようになります。私たちの判断は間違いだらけ...先走ったさばきをしてはならない

  • 聖書に通じていた伝道者アポロ

    使徒の働き18:24-25『さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。』アポロはユダヤ人で使徒ヨハネの弟子でした。早くからキリストに関する真理を学びました。パウロがエペソに到着する前から人々にイエス・キリストの福音を伝えていました。彼はイエス・キリストを伝えていて、旧約聖書はよく知っていましたが、キリストに対する知識はまだ初歩段階でした。彼が福音を伝えていた時にそれを聞いたプリスキラとアクラは、彼を呼んで、神の道をもっと正確に説明しました。アポロは二人から聖書を学ぶ機会を得て、さらに聖書に通じる者になりました。彼は謙遜に主に対して学...聖書に通じていた伝道者アポロ

  • きびしい神のさばきがある

    マタイの福音書10:15『まことに、あなたがたに告げます。さばきの日には、ソドムとゴモラの地でも、その町よりはまだ罰が軽いのです。』今は跡形もないソドムとゴモラの町は戦争で消えた町ではなく、神の裁きによって突然消えた町でした。その町がなぜ神のさばきを受けたのか、そしてどのように消えたかの内容は創世記18章と19章にあります。創世記18:20-21『そこで主は仰せられた。「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、また彼らの罪はきわめて重い。わたしは下って行って、わたしに届いた叫びどおりに、彼らが実際に行っているかどうかを見よう。わたしは知りたいのだ。」』その町の罪の中で神が忌み嫌っていた罪は同性愛の罪でした。神は、男と女を造った神です。結婚制度も神が決めました。それが神の秩序でした。しかし人間は自分の欲望のために神の...きびしい神のさばきがある

  • アモン人に対する神の審判

    アモス書1:13-15『主はこう仰せられる。「アモン人の犯した三つのそむきの罪、四つのそむきの罪のために、わたしはその刑罰を取り消さない。彼らが、自分たちの領土を広げるために、ギルアデの妊婦たちを切り裂いたからだ。わたしはラバの城壁に火を放とう。火はその宮殿を焼き尽くす。これは戦いの日のときの声と、つむじ風の日の暴風のうちに起こる。彼らの王は、その首長たちとともに、捕囚として連れて行かれる」と主は仰せられる。』神は悪者たちが行う悪いことを一つ残らずすべて覚えておられます。すぐに刑罰が下らないから悪者たちは大胆になってますます悪を行います。しかしその悪が満ちて来ると神は立ち上がり、裁きを宣言します。神が生きておられ、裁き主であることを見せます。アモン人が行った罪も残虐でした。領土を広げるために、平気に人の命を取り...アモン人に対する神の審判

  • ツロとエドムに対する神の審判

    アモス書1:9-12『主はこう仰せられる。「ツロの犯した三つのそむきの罪、四つのそむきの罪のために、わたしはその刑罰を取り消さない。彼らがすべての者を捕囚の民として、エドムに引き渡し、兄弟の契りを覚えていなかったからだ。わたしはツロの城壁に火を送ろう。火はその宮殿を焼き尽くす。」主はこう仰せられる。「エドムの犯した三つのそむきの罪、四つのそむきの罪のために、わたしはその刑罰を取り消さない。彼が剣で自分の兄弟を追い、肉親の情をそこない、怒り続けていつまでも激しい怒りを保っていたからだ。わたしはテマンに火を送ろう。火はボツラの宮殿を焼き尽くす。」』ツロはシドンと共にバアル崇拝の中心地でした。アハブ王の妻イゼベルはこの地域の出身で、イスラエルにバアル崇拝を広めた人物でした。イスラエルの民を神から離し、神の怒りを引き起...ツロとエドムに対する神の審判

  • ダマスコに対する神の審判

    アモス書1:3-5『主はこう仰せられる。「ダマスコの犯した三つのそむきの罪、四つのそむきの罪のために、わたしはその刑罰を取り消さない。彼らが鉄の打穀機でギルアデを踏みにじったからだ。わたしはハザエルの家に火を送ろう。火はベン・ハダデの宮殿を焼き尽くす。わたしは、ダマスコのかんぬきを折り、アベンの谷から、王座についている者を、ベテ・エデンから、笏を持っている者を断ち滅ぼす。アラムの民はキルへ捕らえ移される」と主は仰せられる。』神の目に見える世界は、悪と罪と汚れによって堕落しています。この世界はいつか神によって裁かれます。昔の時代にも神は預言者を通して国々に対してさばきを宣言しました。そして預言通りにそのさばきが行われました。神のさばきによってソドムとゴモラが滅ぼされましたが、彼らの最大の罪は同性愛でした。神は国々...ダマスコに対する神の審判

  • 預言者の使命

    アモス書3:7『まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない。』預言者は勉強して出来る働きではないし、志願して出来ることでもないです。志願して預言者になった人たちは、神が遣わした預言者ではないです。本物の預言者は神の選びによって、神から使命を受けてその働きが出来ます。預言者とは神と民の間の仲介者として、神から聞いたみこころを民に伝える使命があります。神が遣わす預言者には神が直接ことばを与えます。神様は、にせ預言者に対しては厳しいです。なぜなら神の名を使って偽りのことばを使って民を惑わすからです。終わりの時には、にせ預言者がたくさん現れるので、惑わされないために特に気をつけないといけないです。エゼキエル書13:1-8『次のような主のことばが私にあった。「人の...預言者の使命

  • 罪人を迷いの道から引き戻したことがありますか

    ヤコブ5:19-20『私の兄弟たち。あなたがたのうちに、真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を連れ戻すようなことがあれば、罪人を迷いの道から引き戻す者は、罪人のたましいを死から救い出し、また、多くの罪をおおうのだということを、あなたがたは知っていなさい。』惑わされて真理から迷い出た人は、自分は天国に向かって歩んでいると思っていますが、実際は地獄に向かっています。偽りの信仰をもって熱心に教会で奉仕をしたとしても、口でキリストに対する信仰告白をした人でも真理から離れているならば、本来あった道に戻らないといけないです。すなわち真理の道に戻ることです。罪人とは、真理から離れて間違った生き方をする人のことを言っています。真理でないものを真理であるかのように信じる人は、真理から離れていきます。教会の中で、周りで真理から...罪人を迷いの道から引き戻したことがありますか

  • 再び産みの苦しみをする

    ガラテヤ4:19『私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。』福音を伝える者は伝えるだけで終わりではないです。伝えるだけならばどんなに楽かわかりません。伝えた後は信じる者を神のことばで教えながら育てなければなりません。またその魂をサタンの攻撃から守らないといけないです。信じる者が教えられた通りに育つならば、問題はないと思いますが、なかなか育たず、脇道にそれたり、サタンの誘惑に負けたり、神に反抗したりする時には本当にしんどい思いをします。妊婦はお腹が大きくなると早く赤ちゃんが生まれてほしいと思います。しかし子をすでに産んだ経験のあるお母さんたちは『お腹にいた時の方が楽だよ。』ということばをよく使います。育児のほうがはるかにしんどいからです。福...再び産みの苦しみをする

  • 救いと助けを一番受ける人

    詩篇37:39-40『正しい者の救いは、主から来る。苦難のときの彼らのとりでは主である。主は彼らを助け、彼らを解き放たれる。主は、悪者どもから彼らを解き放ち、彼らを救われる。彼らが主に身を避けるからだ。』自分の力と知恵、そして人の助けに頼る人がいつでも助けを受けるでしょうか。それとも神に頼る人でしょうか。神を知らない人は当然自分や人の力に頼るのが一番だと思うでしょう。私も神を知らなかった時は、自分や人に頼る事しか道はないと思っていました。しかし神を信じてからは、神の助けが一番であることを体験で分かりました。苦難の時に誰にも言わず、神様に泣きながら祈ったことも多かったです。困った時にもまず神に助けを求めました。神様は私を無視せず、願いを聞いて下さり、いつも助けてもらいました。主が助け主であり、救い主であることは1...救いと助けを一番受ける人

  • ヨシヤ王は信仰の人であった

    第2歴代誌34:1-3『ヨシヤは八歳で王となり、エルサレムで三十一年間、王であった。彼は主の目にかなうことを行って、先祖ダビデの道に歩み、右にも左にもそれなかった。彼の治世の第八年に、彼はまだ若かったが、その先祖ダビデの神に求め始め、第十二年に、ユダとエルサレムをきよめ始めて、高き所、アシェラ像、刻んだ像、および、鋳物の像を除いた。』悪い指導者が多い世の中を見ると、良い指導者を持つ国民ほど幸せな国民はないです。イスラエルの歴史の中でも悪い王がとても多かったです。良い王は少なかったです。その中でヨシヤ王はとても素晴らしい王でした。彼はイスラエルの歴史の中で素晴らしい宗教改革を行ったからです。彼に対する評価が聖書に記録されてあります。第2列王記23:25『ヨシヤのように心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしてモーセの...ヨシヤ王は信仰の人であった

  • むなしいことばに騙されてはいけない

    エペソ5:6『むなしいことばに、だまされてはいけません。こういう行いのゆえに、神の怒りは不従順な子らに下るのです。』むなしいことばとは、内容がない価値のないことばです。どんなに知恵あることばに聞こえても、中身が空っぽになってあります。真理の上に堅く立っている人はむなしいことばを言わないし、むなしいことばに騙されません。しかし神のことばに不従順する人たちが語ることばには、むなしいことばが多いです。神の口から出ることばは真理です。しかしサタンの口から出ることばは、むなしいことばです。例えば神がアダムに語ったことばはこれでした。『神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」』しかし...むなしいことばに騙されてはいけない

  • 試練の後に来た平安

    使徒の働き9:31『こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数がふえて行った。』初代教会であるエルサレム教会は始まった時から激しい迫害に会いました。ユダヤ人の律法原理主義者たちは殺意を持って信徒たちを殺そうとしました。ですからみんな、諸地方に散らされました。この迫害の中には神のみこころが入ってあることにも気が付かないといけないです。なぜなら信徒たちが主から受けた命令に従わなかったので、主はこの迫害を許しました。どのような命令でしょうか。使徒の働き1:8『しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」...試練の後に来た平安

  • 誰も言い訳出来ない理由

    マルコの福音書2:17『イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」』アメリカでは医療費が高すぎて、病気になっても病院に行けない人たちが大勢います。医療保険に入った人でも治療費が高いので、気軽に医者にかかることが出来ないです。ですから病院に行けず死んだ人たちは本当に気の毒だと思います。保険にも入っておらず、お金もない人は理由がちゃんとあります。しかし魂の救いに関しては誰も言い訳が出来ないです。自分は罪をたくさん犯したから救われることがないと言っても、主のことばは『わたしは罪人を招いて救うために来たから、問題がない。』と言われます。自分には罪がないから救いは要らないと言う人がいるならば、主は『その通り...誰も言い訳出来ない理由

  • 力のない者から力ある者に変わる

    使徒の働き5:15『ついに、人々は病人を大通りへ運び出し、寝台や寝床の上に寝かせ、ペテロが通りかかるときには、せめてその影でも、だれかにかかるようにするほどになった。』イエス様が最初にペテロを見つけた場所はガリラヤ湖のほとりでした。そこでペテロとその兄弟アンデレは湖で網を打っていました。彼らは漁師でした。彼らを見てイエス様は声をかけました。『わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。』彼らはすぐに網を捨てて従いました。私はイエス様を信じ、聖書を読むようになってから初めて『人間をとる漁師』ということばを知りました。それまで聞いたことのないことばでした。魚を捕ることしか能力のない者が、イエス様の弟子になり、主から多くのことばを学び、また聖霊の賜物を受けてからは、主のことばのように『人間をと...力のない者から力ある者に変わる

  • いばらに種を蒔くな

    エレミヤ書4:3-4『まことに主は、ユダの人とエルサレムとに、こう仰せられる。「耕地を開拓せよ。いばらの中に種を蒔くな。」ユダの人とエルサレムの住民よ。主のために割礼を受け、心の包皮を取り除け。さもないと、あなたがたの悪い行いのため、わたしの憤りが火のように出て燃え上がり、消す者もいないだろう。」』いばらの中に種を蒔くと、成長して良い実を結ぶことがあるでしょうか。常識的に考えても、実を結ぶことがないです。しかし、目に見える茨の中には種を蒔かないですが、目に見えない茨の中に種を蒔く人が多いです。聖書では、いばらをこのような意味で使いました。本文ではユダという地が、マナセ王の統治以後、悪行という茨で満たされました。主を捨ててあらゆる偶像の神々に仕えるようになって、民の中には神が忌み嫌うものがたくさんありました。それ...いばらに種を蒔くな

  • 心を頑なにするとわざわいに陥る

    箴言28:14『幸いなことよ。いつも主を恐れている人は。しかし心をかたくなにする人はわざわいに陥る。』心が頑なになる一番の理由は、神との関係が遠くなったからです。自分の人生は神とは関係がないと思って、人間的な思いで生きると神とは関係のない人生になってしまいます。教会に通う者であっても、神との関係が良くならないと、それは信仰生活ではなく、宗教生活です。そんな生活を続けると、神のことばを聞いても心が頑なになっているので、耳にことばが入ってこないです。神との関係が遠いと、いのちを主から受けることが出来ないので、心はさらに頑なになり、主の声にも無感覚になり、ことばを聞き流します。警告のことばも聞こえて来ないので、災いが突然自分を襲っても何も準備することが出来ず、災いに陥ります。【祈り】主よ。何よりも柔らかい心になりたい...心を頑なにするとわざわいに陥る

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