神さまは、すべての物を創造したまいしが、そのうち一番の傑作は女の肉体である。曲線美の柔らかい肉体、つぎが男の肉体、つぎが馬である。動物のなかでは馬が一番よくできているのである。それだから神さまに馬はつきもので、どこのお宮にも神馬というものが
現代の科学さえ包容できぬ宗教は迷信である、と私は思う。無論、科学は未熟であり仮説にみちている。しかし、その当否を霊学上より判断することさえできぬようでは、真の神にもとづく宗教とはいえぬ。神さまが、真に天使を降して、われわれ人間をお導きくださ
信仰は要するに信じることだ。信じることは、真と見定めることによって生じる。真と見定めるということは、外形的に知ることではなくして、内分的に悟ることだ。
そして女の云うことなら、一から十まで、二つ返事で聞いてやって増長させた神さまも、よほど助平にておわしますとみえる。天下国家のために寝食を忘れている男子の願いは、容易にお聞き届けくださらないことを思えば、男子というやつ、神さまに憎まれていると
このごろ、特に、その無駄でないと思うこと切である。で、無論、後になって考えてみれば「あのころは、ナンテつまらんことに狂しんだんだろう」というようなことが、たくさんあるに違いないとはおもっているのだが、しかし、要するに、自分というものの考え方
この世を如実に支配している、目に見えない神の存在を確認するまででも相当にかかる。しかし、人間的理知)以上のものを、人間的理知によって解釈しようとしたところでとうていだめだ。とにかく、ただ、不思議な活きている力がわれわれを支配しているというこ
必ず成功しますよ。と教えて、自分が破産する。成功法自体が、もう欲の塊である。成功しますよ、と教えて破産する人。
起こせば抱け、抱けば負えと、どこまでも気侭ばかりというものをつくって、裸一貫益荒男を朝夕困らせ、泣いて男子を脅嚇し、手にも足にもおえないものをつくった神さまも、女にはよほど甘いとみえる。
自分は、今、こうやって、この世に生まれさせられてきている以上、ここに、何かの使命は持っているにちがいない。決して、世間的なはなばなしい、名誉や功名を得んがためのみではない。それはとにかく、自分というものが、五十年なり六十年なり、この世に在っ
信仰はどうして得るかというと、現界では、まず、何かの不満、不平、不審などが始まりで、自分というものが、いかに小さく無力であり、自分の力ではどうすることもできないということを心の底から悟って、この世を如実に支配しているものに頼りたいという気に
大本信徒を救う。最後は、月宮宝座を開放する。教主様は、できる。
最後は、そうする。教主様に、付いてきてくれ。神霊を開放する。
宗教としての分野が終わる。
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