10年間、血管性の認知症を患った父と暮らしていました。介護です。理不尽な事、切ない事ありました
10年前に認知症が発覚した父親。はちゃめちゃだけどどこか憎めない父。40代は常に父の介護が頭にあり、それまでの自由な独身生活は一変しました。以降、色んな方々に助けられ、なんとかやってきました。悪戯な延命を止める決心をし、看取り体制に入ったわずか8時間後−85歳で永眠しました。 最期はとても穏やかでした。後半は、本人にとっても辛い時期だったと思います。理不尽な事、切ない事沢山ありました。そんな記録です。
亡くなって、急性期病院から退院時に処方された薬を見て驚いた。全て最期のカンファレンス後、退院前日の日付で新たに処方されていた。水を飲むことも危ういと言われていた父に7日分、合計70錠もの錠剤が処方されていた。
岐阜の高齢者の熱中症の死亡事件は、日本の高齢者医療を物語っていると思う。
私は絶対に、姪含む親戚筋には迷惑を掛けたくない。自分が元気で無くなったら、人様に迷惑かけず、速やかに、逝きたいと思う。 人はそういうような状況に置かれたら、生きたくなると言う人も居るけれど、 周りに掛ける負担を考えると、そうならないように、今を悔いなく生きて、逝きたい。
父の葬儀を無宗教で執り行う事にした。宗教的な儀式や、戒名は無し。その分、食べ物や、飲み物を充実させて、故人を偲んでもらう事にした。しかし、なぜ戒名はあんなに高いのだ?兄は、ネットで調べて俺が良いのを考えると言っていた。
最期の最後はあまり人に迷惑をかけることなく、自分の力で逝った。 賑やかなのが大好きだった父らしく、最期に大勢の人に囲まれて、賑やかな時間を過ごした後逝った。
仕事も、母の世話も、父の病院へ面会も、こんなにやっているのに、「嘘ばっかりだ」と父に言われ、心が折れた私。”耳を傾けて、聴くという事も大切な緩和ケアなんだ”と先生が教えてくれた。 そうだ、聴く事も大切なんだ。
2018年8月14日-病院から脱出-グループホームへ無事帰る。スタッフに囲まれる。男性スタッフが大きな声で父の名前を呼ぶと、父はニコッとした。 久しぶりに見る笑顔だった。とても嬉しかった。
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