【詩編142編1~7節】【ヨハネによる福音書5章1~9節】ヨハネによる福音書5章から「ベトザタの池で病人をいやす」という箇所を読んでいただきました。ベトザタという意味は、明確ではないようで、「慈しみの家」とか「オリーブの家」といった意味があると言われています。言葉の意味ははっきりしていないとしても、この池は、イスラエルの人々からすれば、特別な池であったことは間違いありません。細かい箇所ですが、5章3節の次が5節になっています。4節がありません。なぜ無いのかというと、恐らく後のある時代に、4節に記された御言葉は加筆されたであろうと考えられているからです。その印が小さな♰のような印です。口語訳聖書には4節がカッコに入れられて記されていまして、そこにはこうあります。「彼らは水の動くのを待っていたのである。それは、時々...声をあげ、主にむかって
詩編141編1~5節ヤコブの手紙3章1~12節本日は、ヤコブの手紙3章という箇所を読んでいただきました。「舌を制御する」というタイトルが付けられています。私はこの聖書箇所を読む度に思い起こすことがあります。以前おりました教会で、若いご夫妻が礼拝に通って来られるようになった。大変嬉しい思いでよくお出で下さいましたと良い交わりをしておりましたが、彼らには小さな女の子さんがおられて、いつも三人で礼拝に出席されていました。ある礼拝が終わって話をしていた時に、女の子がお父さんに似ているなぁと思ったのです。お母さんに似たら良かったのになぁと、「心の中」で思ったのです。でもそんなことは言えませんから、黙っていようとしたのですが、つい言葉に出して「お父さん似だよね」って言ってしまって、そこまでは良いのですが、その後に「仕方ない...御前に立ち昇る香りとして
詩編140編1~14節ルカによる福音書18章1~8節「気を落とさずに絶えず祈る」本日は、ルカによる福音書18章からの箇所を読んでいただきました。「やもめと裁判官」というタイトルが付けられた箇所になります。ある裁判官がいて、そこにやもめが裁判を開いてくれるように必死にお願いするという内容です。聖書に親しみ、また礼拝に出席されている方であれば、これまで一度ならず、二度ならず、何度も読んだ方もおられるでしょう。説教で聞いたという方もおられるでしょう。そういう意味では、今日読まれた聖書箇所も、私たちは知っている聖書箇所の一つと言えると思います。けれど、この話はイエス様のたとえ話の一つですが、なぜ、イエス様がこのたとえを話されたのか、あるいは誰に対して話されたのですかと問われたとしたらどうでしょうか。上手く答えられないか...気を落とさずに絶えず祈る
【詩編139編11~12節】【ローマの信徒への手紙8章26~28節】今日の説教題を「すべてが最善に」といたしました。木曜日に雪となりまして、大分寒い日が続いておりますが、昨日朝から今日の準備に牧師室にこもっていたのですが、暖房をつけても大分寒い、それで肌着のシャツが薄いのではないかと思いまして、着替えようと家に帰りました。戻りながら歩きながら、「すべては最善に」、「すべては最善に」と考えながら戻りまして、家に入ってマスクを外して、眼鏡をはずして、着替えて、良しこれで大丈夫、と思いながらまた「すべては最善に」と頭で巡らしながら牧師室に戻りまして、改めてさあやるぞとパソコンの前に座ったら気が付きました。眼鏡をしていない。マスクをすると、耳の感覚がメガをしているように感じるものですから、気が付かなかったんでしょうね。...全ては最善に
【詩編139編1~6節】【ルカによる福音書2章22~38節】新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願します。新年最初の礼拝で読まれましたのは詩編139編です。「主よ、あなたはわたしを究めわたしを知っておられる。座るのも立つのも知り遠くからわたしの計らいを悟っておられる。歩くのも伏すのも見分けわたしの道にことごとく通じておられる。わたしの舌がまだまだひと言も語らぬさきに主よ、あなたはすべてを知っておられる。」新しい年を迎えるにあたり、私たちの心に直接的に訴えかけるような相応しい御言葉だと思います。主なる神がわたしを究める程に、わたしを知っておられる。過ぎるクリスマス、御子イエスが誕生された聖書箇所を私は何度も読みましたが、マリアの夫となるヨセフのもとに現れた天使は、ヨセフに向かって語り掛けました。「...わたしを知る方がいる
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