鎌倉城のマトメ 4
上図は切岸の段差を黒く表示し。ご覧の傾斜表示となります。しかし、住宅地に占領された状態であり、緑地は樹木のベールに隠れて、単なる山に見えます。更に巨大でその様な自然地形か??等と考えるのでしょうね、、人手でこの様な地形を作った!とは思えない大きさですから、、下調べをして、確信的にこの段差は切岸痕跡として見ないと誤魔化されます。鎌倉城には二面性が有ります。一、国内の敵から、鎌倉の市街を守る城壁としての城。二、国外の侵略(元寇)対策としての砦。「鎌倉城の城壁5」2016/12月06記より「尾根の周りに真っ黒な縁取り」の様な切岸に新田義貞は鎌倉市内に入れなかった。太平記では新田総勢五十万七千余騎が『粧坂』に攻めよせた。鎌倉勢は三万余騎にて『粧坂』を堅めたり。新田勢を喰い止められた!鎌倉軍は『粧坂』で19倍の敵を相手に...鎌倉城のマトメ4
2021/05/25 18:12