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亡き人に会うために https://sms2001.hatenablog.com

最愛の人との再会|そのための方法を本気で考えている人間が綴る、死別経験者への前を向くためのヒントや日々の雑感。

sms2001
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2017/10/18

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  • 減った気がします…

    最近は、以前と比べると死別ブログ全体の読者が減ってるような印象を受けています。 これって、死別ブログの読者のほとんどが「遠くない昔に死別を経験されて、今現在悲しんでいたり苦しんでいる方」と認識している私からすれば、おそらくいいことなんですよね。というのも、ものすごく安直に考えると「死別で苦しい思いをしている方が減った」と言えるので… ただ、世の中で亡くなっていく人間の数自体はそれほど変わっていないはずですから、苦しい思いをされている方が急に減るということも考えづらそうです。 では、死別ブログの読者が減っている原因として考えられるのは何でしょうか? 個人的な想像だけで語るなら、思い浮かぶのは以下…

  • 周りは何も悪くない…

    ハロウィンにクリスマス、そしてお正月と… この時期になると街はにぎわいを見せ始め、肌で感じる寒さと反比例するかのように華やかな雰囲気となっていきます。特に、現時点で緊急事態宣言が解除されている今年は、去年の分まで取り戻そうとするかのごとく精力的に動き回る人々やお店などがあっても不思議ではありません。 もっとも、まだまだ自粛が必要と感じている方も多いので、実際のところがどう転ぶのかまでは私にもよくわかりませんが… そんなこの季節ですが、死別経験者にとっては基本的に憂鬱なものです。目に飛び込んでくるのは「幸せそうに見える人間」ばかりで、現在の自身の状況とは似ても似つかないはずですし、華やかな街の雰…

  • そのルールに価値はない…

    大切な人と死別した人間が自分に課すルール…この中には不幸しか生まないルールが往々にして存在します。 とその前に、そういったものには特にあてはまらないルールもありますので先に紹介しておきます。それが、「毎日仏壇に手を合わせる」「毎月お墓参りに行く」といった類のもの。こういったものは基本的に無害だと思いますし、そこに価値を見出すのは人の好き好きですから、どうぞお好きになさってください。 問題なのは次のようなルールです。 「もう恋なんてしない」 「二度と結婚なんてしない」 「私だけ幸せになんてならない」 ちなみにこれらは昨日の記事に書いたのと同じルールですので、気が向いたら昨日の記事も読んでみてくだ…

  • 美談なんて必要ない

    大切な人を亡くすと、残された人間は「0か100かの思考」になりがちな気がするので、今日はその点について。 さっそくですが、この記事で言うところの「0か100かの思考」がどういったものかをまずはじめに説明しておきます。 「もう恋なんてしない」 「二度と結婚なんてしない」 「私だけ幸せになんてならない」 なんてことはありません、こんな感じの思考です。おそらく心当たりのある方も多いでしょうし、仮にご自身に心当たりがなくても周囲にそういった人間がいるケースは少なくないはずです。また、これは「死別あるある」とも言えるので、もしかするとこういったブログなどでも見かけるかもしれません。 ※先に断っておきます…

  • どうせできないでしょうけど…

    死別ブログに迷い込んでくる可能性はゼロに等しいと思いますが、大切な人との死別を経験していない方々には、「愛する人を大切にしてください」と心から伝えたいですし、それを願ってもいます。ですが、この言葉が届くことはないでしょうし、仮に届いたとしてもこの願いが実を結ぶことはきっとないでしょう。 というのも、そばに大切な人がいる状態ではこの言葉を本気で受け止めることがそもそも難しいですし、もし本気で受け取れたとしても、その人自身が死別を経験する時には「大切な人が実は自分の想像をはるかに超えて大切だった」ことに気付かされるからです。それはつまり、「もっと大切にできたはず」という感情が死別後に生まれてしまう…

  • まずは自分を取り戻すことから…

    大切な人を亡くして悲しみに明け暮れていた頃、わざわざ考えようとするまでもなく頭を支配していたのは「あの頃に戻りたい」という思い。特に、死別直後はそれが顕著だったように記憶しています。これはもちろん「ほんの数日前にさえ戻ることができれば大切な人に会えるはず」と考えてしまうことが原因なのですが、「死別の大きなショックと比べると、数日前に戻ることぐらい造作もないことに思えてしまう」というのもその思いを強くさせていた一因だと思います。 今思えば、時計やカレンダーが目に入ると「この針が何周前なら…」とか「今から何日前だったら」などといったことをよく考えていました。 とはいっても、当然われわれは一秒たりと…

  • 私なら…

    自分の人生がいつ終わるのか… 余命でも宣告されない限り、もしくは自ら命を絶つという道を選ばない限り、これはほぼすべての人にとってわからないことだと思います。もちろん、私だって自分の人生がいつ終わるのかを知りません。 ただ、どうせいつか終わってしまう人生とはいえ、人生に絶望したまま自分の生涯を閉じるのだけは気が進みません。というかそれは絶対イヤです。もっともそこには特に理由があるわけでなく、しいて理由を挙げるとすれば「さすがにちょっとカッコ悪いかな」といった程度のものです。なお、ここでのカッコ悪さというのは「周囲の人間に対して」といった外部に対するものではなく、「せっかく生を与えられた一人の人間…

  • ブログの選び方

    ブログを開始してから5年ぐらい経過していることに気付き、自分でもちょっと驚いている私ですが、今日は最近死別した方のために、あらためて「死別ブログの活用方法」とでも言うべき内容を書いておきます。 なお、以前にも似た内容を書いてますので、その点はあしからず。 ご存知のとおりいろいろな方がブログを書いてますが、私は他のブログをほとんど読まないため、各ブロガーがブログを始めた経緯やそこに込めている想いなどについてはよく知りません。その上でこの記事を書いてますので、その点はご理解頂けますと幸いです。また、死別の専門家というわけでもないので、ここに書く内容もあくまでも個人的な意見でして、それを踏まえた上で…

  • 他人のしあわせをねたむ人の望みとは…

    今日は昨日の続きみたいなものです。 昨日の記事を書いたせいで改めて思ったのですが、死別してしあわせな人をねたむ人ってどういう心理なんですかね?その望みはいったい何なのでしょうか? 無理やり考えるなら、そういった方々の望みはおそらく以下の2つのどちらかのはず。 他人に自分と同等の不幸を望む 自分に他人と同等のしあわせを望む 一つ目は、仮に今の自分のポジションが他人と比較してマイナスだとすると、他人にも自分の位置まで下りてきてもらうことで相対的にマイナスではない状態を作る…つまり「私だけなのは不公平だから、一緒に不幸になろうよ」ってところなのでしょう。これは周囲のしあわせそうな方々が全員死別を経験…

  • ねたみがどうにも止まらない方々へ

    今回は、ねたみ癖がある方に向けて書いてますので、そのつもりで読んでください。 大切な人との死別は、言うまでもなく当人にとっての人生の一大事と言えるでしょう。それはきっとそれまでの人生における最も過酷で悲しい出来事でしょうし、そのつらさは経験したものにしかわからないのかもしれません。 その一方で、周囲に目を向けるとそんな経験をすることもなく幸せそうに暮らしている人間がたくさんいるはずですし、もしかするとそんな人間が否が応でも目に入ってくる状況にいらっしゃるかもしれません。 となると、他人をねたむ気持ちが生まれてしまうのも無理はないのかも… 「どうして私だけ…」「他の人はみんな幸せなのに…」 いわ…

  • 全然関係ないけど…

    今日のニュースでYouTuberの「ハラミちゃん」の紅白出場が取り上げられていました。ご存知ない方のためにリンクを貼っておきますが、この方はチャンネル登録者数が180万を超える人気YouTuberで、主にストリートピアノを使っていろいろな曲を演奏しつついろいろな活動をなさってます。 www.youtube.com www.youtube.com 私もこの方の動画を何度か拝見したことがあるだけに、そしてこの方がどのような経緯で活動を行うようになったのかを知っているだけに、他人事ながらとても嬉しいニュースでした。 ところが、たまたまそのニュースに寄せられているコメント(いわゆるヤフコメ)を読んだと…

  • 夜に書いた手紙は…

    私が記事を書くのは決まって夜中です。状況的にはほぼほぼ寝る直前。ですので、翌日以降に自分の記事を読み返してみると結構ひどい時があります(笑)「夜に手紙を書くな」とか「夜に書いた手紙は朝読み返せ」とかいう通説がありますよね、そう、まさにあの状況です。 ちなみに、この記事も23時過ぎに書いているので、当然そういった危険をはらんでいます。 それはさておき、この通説の理由が改めて気になったのでちょっと調べてみました。それによると、その日に起こったいろいろな出来事を踏まえて感情が高ぶっているのが「夜」らしく、その感情の高ぶりを認識することなく文章を書いてしまうことによってこのような悲劇が起きるとのこと。…

  • 死別が人間を強くする

    似たような内容を書いたことがある気もしますが、私の人生において最も私を成長させてくれたもの、それは大切な人との死別です。また、私を人間的に最も強くしてくれたのもやはりこの死別の経験だと思います。 もはや多少のことでは動じなくなりましたし、他人にどう思われようがそんなことはまったく気になりません。理由は簡単です。死別以降の人生において起きていることは、他人からの視線も含めてすべて取るに足らないことばかりだからです。 とはいっても、物事に対して常に斜に構えているわけでもなく、また人生に楽しいことなんてないと絶望しているわけでもありません。大切な人がいない世界を生きる今の私にだって、何かを純粋に楽し…

  • 頭で理解していることを心にも理解させる

    最近は落ち着きを見せていますが、コロナ禍で著名人をはじめとして少なくない方々が亡くなっています。このような誰かの死に触れるニュースを聞くたびに、私は自分自身に言い聞かせるようにしています。 「その方々にとって、そして周囲の方々にとってそれは予定外だったかもしれないが、人が亡くなるのはごくごく自然なこと。これは残念ながらいつの世も変わらないことであり、人間の人生という大きなくくりで考えれば必然の出来事」 誤解のないように丁寧に書いたつもりですが、最近死別なさった方々には少しストレート過ぎる表現かもしれませんね。でも、許してください。これはやはり真実なので…それに、私自身も「自分が想定もしていなか…

  • 死別に苦しんだ者ができることとは…

    今振り返ってみると、大切な人と死別したことによって私の人生はいったんリセットされたような気がします。あの経験は当時の私にとって悪夢以外のなにものでもありませんでしたし、それがゆえに後追いを考えるほどつらいものでもありました。つまり、あの時私の人生は悪い方向に完全にリセットされたのです。少なくとも当時の私はそう思っていました。 ところが、今考えてみると「あの経験を糧に」成長をした自分がいることもまた事実で、考え方によっては実はいい方向へのリセットだったのかもしれません。もちろん、それでも大切な人が亡くなったことに変わりはないので、ここで触れているのは死別というものをどの側面からとらえるかだけの話…

  • 昨日の続き

    今日は昨日の補足です。 供養って「亡き人に対して想いがある人がするからこそ意味があるもの」 昨日はこんなことを書いてみましたが、これって逆から考えると「亡き人に対する想いを持ち合わせていない人間が行う供養は無意味」ってことになりますよね。これはおそらく真実なのでしょうけど、その一方で「その人に対して何の想いも持ち合わせていない人間が供養をする」というケースはそもそも考えづらい気もします。となると、上記の文章ももう少し丁寧に表現したほうがいいのかもしれません。 というわけで、「何かしらの金銭的な対価の上に成り立っている供養は無意味」とでも言い換えておきますね。そのほうが核心を突いている気がします…

  • 永代供養きっかけの疑問の連鎖…

    近年、お墓はいらないという人がどんどんと増えているのはみなさんご存知のとおりです。まぁ墓石や墓地などにはお金もかかりますし、その管理などにも同様にお金や手間がかかってきますので、このご時世であれば当然の流れな気がします。それに、お墓を管理する人間が高齢になったり亡くなったりしてしまった場合はどうすればいいのだろう…などといった問題まで考えなければいけないとなると、手が出しづらくなるのも無理はないでしょう。 ただ、このような人が増えるとお墓に関わる人間たちは困ってしまいますよね。なんといっても食いぶちがなくなりますので。 となると、そういった方々や業界は新たにお金を稼ぐ手段を見つけなければいけま…

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