たとえどれだけ離れていても、離れた分だけまた近づこうとするのであれば、それだけで二人はずっと一緒に歩いていると言えるわけです。
効果的な広告は、「価値の押し付け」を「価値の提供」と思わせることに成功している。
君のニコチンになりたい
君を幸せにする自信はない だけど僕は君となら 少なくとも僕だけは幸せになる自信がある 君はどんな時だって 「誰かの幸せは自分の幸せ」 そんなカオをしていたね 君が人の幸せを願えるなら 答えはたったひとつだけ 優しい君ならわかるよね 僕の幸せは君の幸せ 君の幸せは僕の幸せ こんなに単純で素敵なことってある? 幸せの秘訣はたった一つ 僕を幸せにすればいい だから結婚してください
画質なんて面白さに直結しないと言って昔のゲームやアニメを賛美する懐古主義者が、ドット絵やセル画から最新cgにリメイクされた作品を見て、ひたすら画質に注目し、当時の雰囲気が損なわれたなどと言ってこき下ろすだけで終わるのを見るのは何とも滑稽である。皮肉にも、最も画質にこだわっているのは彼ら懐古主義者なのだ。
下ネタに嫌悪感を見せる女のことをつまらない女だなどと言う男は、女が「下ネタそのものを嫌っている」わけではなく、「下ネタに対して女として然るべき対応を求められることが嫌いである」ということをわかっていない。
母:あんたゲームばっかして勉強せんとお父さんみたいんなるよ。見てみいなあれ。昼間からビール飲んでテレビ見て寝てるだけやがな。あんたもあんなんなるで。 父:お前ちゃんと勉強せなあかんぞ。それセーブしたらお父さんに代わりーや。 僕:お母さんも勉強せえ言ってたけど、お父さんみたいになりたくなかったらやれ言うとったで。 父:あほやなあ。お父さんみたいにちゃんと稼いで休みの日いにぐうたらするために勉強するんやろ。今日はレベル30まで上げたるわ。
大人から見た子供の悩みは取るに足りない 子供から見た大人の悩みはくだらなすぎて話にならない
立つ鳥跡を濁さず、されど水面に波は立つ。
スポーツをすることで、正々堂々と相手の嫌がることをする姿勢を身につけることができる。部屋に引きこもってオンラインゲームに勤しむ場合は、姑息に匿名で相手の嫌がることをする姿勢を誰に教わるでもなく身につけることになる。
旦那が「夢を叶えたいから仕事を辞めたい」と言っているうちは、仕事は辞めないし夢も叶えないので大丈夫だ。
愛のために夢を諦めた男が、妥協の仕事がつまらないことの捌け口として遊びの女を見つけ、ついに夫の不倫に気づいた妻に三行半を突きつけられ、まさに夢を諦めてでも手に入れたはずの愛すら失う。
職場で控えた方がよい話題トップ3は、年齢、学歴、宗教だ。
深夜遅くまで起きて勉強するより、早く寝た方が内容が記憶に残りやすい理由は、寝ている間に物の怪が枕元に座り、脳みそのシワに針を落として記憶を刻みこんでくれるからである。 この物の怪は盲目で、口と鼻に穴がなく、全身は真っ黒でこんにゃくのように柔らかい。腕は右腕しかなく、指は二本しかない。物の怪は枕元に正座して、穴の塞がった鼻を布団に押し付けて、生きた人間の生暖かさに触れ、寝ている者の爪先から頭のてっぺんまでを舐めるように鼻でなぞる。頭のてっぺんまで来ると、適当な毛穴を一つ探し、右手の二本の指で髪を一本抜き取る。物の怪が抜き取った髪を指先で端から端まで紐を捻るかのように弄ると、一本の鋭い針に変わる。…
噂好きの暇人は、初対面で相手の顔より左手の薬指に注目する。
完全な輝きを放つ太陽に対してでさえ、日焼けを気にしたり眩しさを愚痴ったりと、何とかして欠点を見出そうとする人類が、なおさら不完全な人間に対して不満を持たないことがあり得ようか。
底の見えない真っ暗闇の海の中で、ジタバタと立ち泳ぎしている自分を見つける。足がつりそうになるのを必死に堪えながら、水面から顔を出してすんでのところで息継ぎをする。足が疲れたらまた少し溺れて水面下に落ちる。このまま溺れ続ければどれだけ楽かという想像が頭をよぎるものの、未知の苦痛への恐怖がその度に呼び起こされ、もう出ないはずの涙を瞼に溜めて、空気を求めて再びもがき顔を出す。 時々海面に木の板が流れてくるのでそれに掴まる。少しだけ空や水平線を見る余裕が生まれる。晴れの日は喉が乾く。曇りの日はどっちつかずの心が雲に揺れて心細い。雨の日は目も開けていられない。雨雫が顔を打ち、目元を流れ続ける一筋が涙なの…
「今日は曇ってるなあ」 「雲が一つ通り過ぎてるだけですよ、5秒もしたらかんかん照りに戻ります」 「雲が一個でもあったら曇りや」
「あらー、おいくつ?」 「まだ1歳になったばかりで。」 「若いねえー。」
「どんな経験も無駄にはならない」 善を追求する経験がより良い成長の種に、愚鈍で取り返しのつかない経験が堕落の胤となるとすれば、なるほどどんな経験も相反する善悪いずれかの性質の発展に無駄なく寄与するのであり、その意味でこの言葉は正しいと言えるかもしれない。
男子の交際経験の有無は、「なぜ女子はポケットに物を入れずにバッグを持ち歩くのか?」という質問への答え如何で推し量ることができる。
誰かの為にしたことが、他の誰かの益になるのは稀である。
フケだらけのおっさんがいびきと屁をこきながら座っていた席を数日前から予約して観る映画に感動の涙を流す。
美味いカップ麺を作るために弱火でじっくり湯を沸かす。
鼻奥をくすぐるこの感覚を、匂いと言うか、香りと言うか、個人の品性に関わる重大な問題である。
健康なペットの飼い主は夜更かしをしない。
サイフの紐を一本解けばナイフが飛び出す。
「明日死ぬとしたら」と毎日考えながら生きられるほど、人は強い生き物ではない。
レイトショーでも映画は昼間と同じ明るさで上映される。
「男は女と違う」とやたらに言う男に限って、女は男と違うということを理解していない。
財布に金をかけ過ぎて 財布に入れる金がない
竹のごとく根は強く持ち、節々は風に任せてしなやかに吹かるるべし。さすれば強情ゆえの骨折りも少なからん。
やる時の動機付けは一つだが、やらない時の言い訳はたくさんある。
一期一会の大勢の前で歩行信号を無視して足を踏み出すのは、講義室の質疑応答で誰もがうつむいているのに一人だけ手を挙げる時よりは随分気楽な行為に見える。
ほどけた靴紐を踏むのは大抵他人ではなく自分の足だ。
子育ては親が自らの死を子に見せることで完結する。
盗った奴が悪いのか?人が盗りたくなるような物を人前で見せびらかして誘惑する奴が悪いのか?
どんな名画も無地のキャンバスから生まれている。
「年取って金なくなったら野垂れ死にするからええねん」と将来への準備のなさを勇気ある行動であるかのように自信満々に吹聴する者は、実際に年寄りになって金がなくなった時、賢明に備えてきた者達にすがりついて周囲にすさまじい損害を与える上に、案外誰よりも長生きする。
普通のことが出来ないのではなく、普通のことも出来ないのだ。
ギャンブル好きの休日は、朝食は早め、昼食はおやつ時、夕食は寝る直前である。
出不精は雨の日に安心感を覚える。
釣り人は晴れ晴れした青い空や澄んだ水平線には目もくれず、汚れた手元やゴミの浮く足元の海面ばかり眺める。
「病は気から」が真であれば、健康を気に病む者は呑気な者よりも病気にかかりやすいことになる。
金を無心することに慣れた者は、借りる時は不自然なほどにへりくだり、返す時は驚くほど傲慢である。
加工された女の美しさは、男には幻滅され、女には称賛される。
臆病者は、自分がいじめられる前に誰かをいじめる。
安売りの品すら買わなければ、さらに安上がりである。
エンジンをかけたりアクセルを踏み込むことは誰でもできるが、穏やかにブレーキをかけることは容易なことではない。
靴の下から靴下を履く者はいない。
明日の糧を得るために、今日の命を費やして仕事をする。
「泣くのはやめなよ」と言われて泣き止むことができるのは、泣き慣れた俳優だけだ。
「子どもを愛さない親はいない」のではなく、「子どもを一度も愛さない親はいない」のである。
学校は、将来の奴隷養成機関でありながら、支配者養成機関でもある。
子どもの成長は、星の運行のようである。
愛による結婚も、金目当ての結婚も、別れる原因は大抵金である。
恋多き者は経験から学ばぬ愚か者だが、恋をしない者は経験すらしない大馬鹿者である。
金を得る手段は二通りある。誰もがやりたがらないが誰でもできる仕事をするか、誰もがやりたがるが誰にもできない仕事をするかだ。
芸術とは、嘘から出たまことである。
若者は老人になることを知らず、老人は若者であったことを忘れる。
節約の秘訣とは、安いものを長く使うことである。
赤ん坊は気付かぬうちに生まれ落ち、老人はとぼけながら死んでゆく。
幸福の秘訣とは、砂糖と塩を間違えないことである。
時ははるかなずっと昔から、止まることなく川のように流れていて、人の手にはとても負えそうにない。それでも、少しでも川の流れを手ですくいたい、その手で温かさや冷たさを感じ取りたい、そんな気持ちから、一区切りの時代という概念が生まれた。 時代を分ければ、自分達がどんな流れの中にいるか、少しだけわかったような気になれる。前の時代があれだった、その前の時代はああだった、その前の前の時代はあんなだった、じゃあ今はどうなんだろう?そんな風にして、昔と比較して、今を理解しようとした。そして、時代時代にひとまとめにして、思い出を語りやすくした。あんな時代もあった、こんな時代もあった、そんな時代の中で、自分自身に…
東京駅までは新幹線で数時間だった。新幹線での旅は旅とは言い難く、単なる移動だと感じた。窓側の席から、外を次々と流れ去る風景を見ていても、ある時には田舎の殺風景な、ある時には都会のごみごみした街並が代わる代わるやってくるばかりで、取り立てて感動を呼び起こすものはなかった。窓そのものを眺めるよりは、窓の向こうの風景を見た方が時間潰しになるだろうというような、それほど意味を持たない時間だった。それもそのはず、新幹線の線路を敷設するのに、重要な施設などをぶった切ってやるわけにもいかない。平凡な場所を拓いて線路を作るのだから、その上を走る車両から見える風景もまた平凡であるのは当たり前なのだ。しかし大きな…
朝のうちに空を覆っていた灰色の厚い雲が穏やかな風と共にちぎれ行き、陽の光がその隙間から少しずつ差し込むようになった午後の時間、片側一車線の車通りの少ない道路をゆっくりと一人歩いていたところ、後ろから一台の自転車が若々しい足取りで走ってきた。自転車が私の右側を颯爽と通り過ぎようとしたとき、私がちらりと横目で見てみたところ、乗り手は紺色のズボンに白いシャツを着、首にはオレンジと黒の斜線が交互に入ったネクタイを着けた少年であり、どうやらすぐ近くの中学校の生徒らしかった。彼は両手をハンドルから離してペダルを漕いでいた。なるほど中学生くらいなら両手離しで自転車を漕げるアピールをするのもごく自然の生理なの…
仮に自分の妻と子供が同時に崖に落ち、片方の手に妻の腕を、もう片方の手に子供の腕を掴んだとして、いずれはどちらかの手を離してもう片方を助けなければ皆落下してしまうとしたら、どちらを助けるだろうか? 「俺は嫁を助けるかな。子供はまた産めばいい。」 彼は結婚の契りを思い出す。いかなる時も支え合うと誓ったあの日を思い出す。子供との間で契りを結んだことはない。彼が永遠を誓ったのは他ならぬただ一人の妻であり、他に代えのきく存在ではない。 「嫁がもう子供を産めない年齢だとしたら?」 彼はそれでも妻を選ぶ。もし本当に産めなければ、養子でも貰えばいい。妻があっての子育てであり、妻なくして子育ては不可能だ、仮に男…
女にとっての誕生日とは、自分の価値が目減りしたことを思い知らされる、一年に一度の悲劇である。とりわけその悲劇の前日ともなると、まさにこれから処刑場へと案内される囚人のような心細さと恐怖を感じずにはいられない。 一年前の自分の写真を取り出し、鏡に写る今の自分と比較してみると、一年前の自分は随分と美しく若々しかったと感じてしまう。肌の艶も、髪質も、皺の数も違うような気がする。今の自分の姿といえば、去年から10歳くらいは歳を取ったように老けて見える。そういえば一ヶ月前はもっと若かったような気がするし、昨日は今日ほど老けていなかったような気もしてくる。 男は女と比べれば随分と気楽なものだ。歳を取ったか…
学校や役所、病院など、ほぼ全ての市民が利用する機関が話題に上がる際、少なからず耳にする言葉が「世間知らず」という言葉である。学校の先生は大学を卒業してそのまま先生になるから世間を知らない、とか、公務員の常識は世間の非常識、とか、病院の先生は皆から先生先生と言われているから世間からずれていくんだ、とか、とにかくこれらの機関は世間から隔絶されているものとして表現されることがある。 世間とはそもそも何なのか? 世間とはおそらく、一人の人間をとりまく個別の空気のことである。この世間は一人一人異なるはずのものである。営業マンにはそれ、工場作業員にはそれ、主婦にはそれ、それぞれに特有の世間があり、また、営…
口元を手で覆ったところで、咳がおさまるわけではない。 耳を塞いでみたところで、とりまく音が消え去るわけではない。 目を閉じてみたところで、瞼の裏を見ないわけにはいかない。 指先で瞼を拭ったところで、涙が止まるわけではない。 手を繋いだところで、いつかは離さぬわけにはいかない。
三カ月前に壁に叩きつけた蚊の死体がまだ残っている。叩きつけた瞬間の姿は、過去見た多くの蚊の臨終の時と同じように、ありきたりでつまらないものだった。切れた弦を垂らすかのように、未練がましく後ろ足をゆっくり伸ばして死んでいった。腹から血を吐き出さなかったことから、一仕事やり遂げる前に果てたことがわかった。ゴキブリのように死んだふりをしておいて再び羽を広げるかもしれないと思い、死体をそのままにして様子を見ていたのだが、ついに動くことはなかった。どうせならこのまましばらく放置しておいてやろうという気になった。一ヶ月ほど経った頃は死んだ時の姿をそのままに残し、足が壁から生え出ているかのようにくっきりと残…
何でもよいので、あなた自身を何かに例えてください。 はい、私は葦のような人間だと思います。 どうして葦なんでしょうか。 はい、踏みつけられても折れることなく、どんなことにも耐えていける人間だと思うからです。 それについて具体的なエピソードはありますか。 はい、わたしは子供たちと遊ぶボランティアサークルを一回生の時に立ち上げて、部長をしていました。最初は部員がわたし一人でした。構内にチラシを貼っても誰も興味を持ってくれませんでした。これではダメだと思い、講義の合間などに大学でみんなから見える場所でPR活動をすることにしました。 どんなPRを。 はい、ボランティア活動をしている自分と、その自分と一…
一年二組の小川先生は黒板に「木」を書いた。 「皆さんはこの漢字を知っていますか。」 40人いるクラスメイトの半分くらいが手を真っ直ぐ天井に向けて挙げた。皆が口を同じ形に横に引き伸ばしながら「き」「き」と叫び出した。 「じゃあゆうやくん」 手を挙げずにじっと黒板を見つめていたゆうやが当てられた。 「き?」とゆうやはまわりを見ながら答えた。 「そうだね、「き」だね。なんでこの字が「き」なのか、わかる人いますか。」 クラスメイトの4分の1くらいがさっきよりも少し勢いがない程度に元気よく手を挙げた。 「じゃあかおりちゃん」 「「き」の形をしているからです」 「そうだね。実際にみんながグラウンドで見るあ…
田舎のとある飯屋の軒先に、一匹のうり坊が頑丈な一本の赤い綱で繋がれているのを見た。そういえばどうしてうり坊はうり坊と呼ぶのだろうかとぼんやりと、そういえばうり坊のうりとはなんなのだろうかとまたぼんやりと考えながらじっとうり坊を見ていると、うり坊の茶色で栗色な毛並みがまさにうり坊がうりと呼ばれる所以のように感じられてきて、やはりうり坊にはうり坊という名が最適なのだと思えてきた。そうしてうり坊という言葉を頭の中で繰り返し繰り返し響かせていると、今度はいや待て果たして今目の前にいるこのうり坊らしきものが本当にうり坊なのだろうかと自信がなくなってくると同時に、少しばかり体が宙に浮いたような、うり坊とい…
シュパンヌンクとは日常に溢れたものである 今ここでキーボードを叩いている指先の感覚、これはシュパンヌンクである ベランダから差し込む光と、その光により生み出されるカーテンの淡い影を視覚で捉える、これもシュパンヌンクである 昼飯前の腹の鳴りと収縮感、これもシュパンヌンクである 便座シートをつけていない便座に座ってひんやりびっくりする、これもまたシュパンヌンクである さればこそシュパンヌンクは日常に溢れていると言えるのである シュパンヌンクとはゲシュタルトとほぼ同義とされる このシュパンヌンクを日々日々感じとることに努めるのである シュパンヌンクされること、またシュパンヌンクすることを習慣とすると…
あの家の下、あのスーパーの下、あのビルの下には何が眠ってるんだ。絶対何かあるよな。あそこで発掘調査をしてる。小学校の運動場くらいの面積か。そうだ全部そんな風にすればいいんだよ。全部調査だ調査。全部の建物ぶっ壊して、そこかしこの土全部掘り返してくれや。古墳が見つかるかもしれないし、恐竜の骨が見つかるかもしれないし、オーパーツのかけらが見つかるかもしれない。次から次に建ててんじゃねえ。地層の一番下からはマグマしか出てきませんでしたって報告するしかないくらいに掘り起こしてこいや。そこまでやって何もなかったらまあ建ててもいいわ。海も深すぎなんだよ。一年に一日だけでいいからやばいくらいの干潮になってくれ…
丸太の腰掛けに家族三人が座ろうとしている。父と子ども二人である。小さい方の男の子が、勢いよく丸太に腰を落として背中から転げ落ちる。少し頭を打ったようである。後ろで座っている中年女性が、ああ、と言って心配そうな顔をする。男の子は泣き出そうとする。父は、よしよし、痛くないもんな、痛くないもんな、と言いながら男の子の頭を撫でている。男の子は、ふぃー、と声を押し殺しながら、父の腕の中で涙をこらえている。 男の子が泣きそうになっているところに、その子のお姉ちゃんであろう女の子が駆け寄る。女の子は肩にかけたポーチからハンカチを取り出し、父に向けて差し出す。女の子の顔は笑顔である。父は弟の頭を抱えてやるばか…
20○○年4月○日 某大学にて 皆さんこんにちは、ご入学おめでとうございます。私は史学科で主に西洋史を研究しとります●●です。皆さんどうぞよろしくお願いします。 僕は皆さんが史学科に入ってくれてすごく嬉しいです。だって皆さんは、僕が愛してやまない史学っちゅう学問の世界に入ってきてくれた、仲間なんですからね。 皆さんは高校でたくさん勉強されたでしょ。歴史で出てくる地名とか人名とか年号とか、ひたすら暗記して覚えてくれたんじゃないでしょうか。それは本当にありがたい。何でありがたいかっちゅうと、そういう地名とか人名とか年号とかは、これから史学を研究していくための、そうですな、言うたらひらがなみたいなも…
パンドラというのは、ギリシャ神話に登場する女の名です。彼女は開けてはならない瓶の蓋を開けてしまい、あらゆる厄災が世界中に広がりました。しかしその瓶の底にはただ一つ、「希望」が残っていたということです。これが人の持ちうる最後のもの、どれほど絶望する時にも心の底に残る希望だと言われています。 しかしこの話には続きがあります。パンドラは「希望」の残る瓶を持ち、ある男のもとに嫁ぎました。この時から、女は結婚する時、心に希望を抱いて結婚するようになったと言います。反対に男にはそのような希望はないと言います。 まだ続きがあります。パンドラは結婚後、それほど楽しい生活を送れませんでした。そこで彼女は瓶の底の…
高校野球には独特の熱気がある。テレビ中継で見ているだけでは、実際の熱気の10分の1程度も味わうことはできないだろう。高校野球はライブ感の極みなのである。 この熱気が最高潮に達するのは、9回の逆転がなるかどうかという瀬戸際の場面である。勝負の緊張感と相まって、会場の熱気はますます高まっていく。この熱気の理由はどこにあるのだろうと考えてみると、それはどうやら観客にあるようである。というのも、彼らが劣勢のチームを応援するからである。つまり、会場全体が、劣勢のチームを勝たせようとするのである。 外野スタンドのライト側とレフト側で応援するチームが変わるかと思いきや、そんなことはない。その瞬間瞬間で劣勢で…
老師 僕が見た夢には続きがあるんだよ。 夢の中で種蒔き人が種を蒔き終わると、驚くべき早さで季節が移り変わり始めた。春は心地よく、夏は蒸し暑く、秋は涼しく、冬は寒かった。それぞれの季節が種を育んだ。季節のもたらす風や光は、時にはきびしく、時には優しく大地を包みこんだ。 季節の移り変わりはある瞬間にピタリと止まった。そこに広がる光景はとても興味深いものだった。良い種蒔き人によって植えられた質の良い種たちは、天にも届くかと思われるほどの大木となり、香り良い花を多く咲かせ、豊かな果実を枝に実らせ、小鳥たちの住処となり、人々に憩いの影をもたらす柱となった。 それに対して、腕の悪い種蒔き人によって蒔かれた…
先生、今日は授業中に寝てしまってごめんなさい。次からは絶対に寝ないようにします。ごめんなさい。でも、謝るだけだと、ただ夜更かししたダメな子どもだと思われそうなので、わたしなりの理由を書いておきます。 わたしのお母さんは毎日夜遅くまでお仕事があるので、いつもくたくたになって帰ってきます。お母さんは疲れているのに、いつも晩ご飯を急いで作ってくれます。昨日もちゃんと作ってくれました。わたしが特に好きなのは、お母さんの野菜炒めです。学校の給食の野菜炒めはあんまり好きじゃないんですけど、お母さんの野菜炒めは大好きです。それから、晩ご飯の時は、お母さんと一緒にテレビを見ながら食べます。お母さんはドラマが好…
美術館ではお馴染みの注意書きである。作品保護のためには、まず作品を保護するガラスから保護しなければならない。 普段美術館に行かないようなファミリーが何かのイベント開始までの時間潰しに展示室に押し寄せ、子供がベタベタと汗まみれの手をガラスにご機嫌に塗りたくっている場合もあるが、基本的に大人が堂々とガラスに両手をつくことは少ない。 しかし手を触れずとも、ガラスに自分が来場した痕跡を残す方法はある。前のめりに作品を覗き込み、顔をガラスに埋もれさせることである。顔は平坦ではない。真っ先にガラスに向かうのはその鼻先である。鼻先がガラス面にチョンと着く。ヒヤリとした冷たさを鼻先に感じてガラスから顔を離すと…
みなさん、こんにちは!大人気コーナー、すこやか診断のお時間です! お仕事中のサラリーマンも、お昼寝中の奥様方も、どなたも片手間耳だけ貸して!日頃の鬱憤掴んで投げろ!夢のひと時あなたと共に! というわけで今日はこちら!穴埋め性格診断です! これから一つの単語をお見せするのですが、そのうちの一文字だけ○で抜けています!そこにどんな文字を入れるかで、あなたの性格や傾向がわかってしまうんです! それではさっそく行きましょう! お題は ○ルフ です! さあ、それでは皆さん、この○に入る一文字を直感で頭で思い浮かべてみてください!直感ですよ、直感が大事なんです! イメージできましたか?それでは参りましょう…
[31歳] 自分の年齢を示すような数字には敏感である。 カレンダーを見ると、1から31まで数字が振られている。19日までの日付を見ても、自分には全く関係のないものに思われる。しかし、20日から先は違う。この20という数字からは、汚してはならない神聖な光が放たれている。20日を人差し指で優しくなぞる。指の先からたくさんの思い出が、美しい音色や、甘い匂いや、鮮やかな色とともに飛び出してくる。ハタチの頃の自分!信じられない奇跡だ!自分にもあんな頃があった! 21日から先にも指を動かしていくと、次々と楽しい思い出が蘇ってくる。思い出に水を差されないよう、29日以降の日付からは出来るだけ目を逸らすように…
○月○日 今日は初めて彼をお父さんに紹介した。お父さんは黙って突っ立ってただけ。 彼の家柄の話をしても、「金持ちの相手はできへんで」って何度も言う。うちだって普通の家庭なのに。 ○月○日 彼のご両親との初顔合わせ。都内のホテルで。お父さんはスーツ。いつもの作業着と全然違う。サマにはなってない。 正直、今日のお父さんは恥ずかしかった。 仕事でお得意さんに会う時みたいな、ヘラヘラした顔。家にいる時は頑固親父のはずなのに。 ナイフとフォークの使い方も知らない。「お箸はないの」とか、「お米はないの」とか、いちいち聞かないでよ。 全然話そうとしないから、向こうのお父さんがすごく気を使ってくれた。話し方も…
私が愛する小説の一つに、エミリー・ブロンテがこの世に残してくれた唯一の長編小説、「嵐が丘」がある。 この作品を初めて読み終えた時、落雷に脳天を貫かれるような衝撃があった。形容しがたいあるものが身体を通り抜けたと感じた。しかしそれが何なのかわからない。まさに嵐が猛風を巻き起こして過ぎ去り、その跡にぽつんと一人残されたようだった。身体がむず痒くなり、すぐにもう一度最初から読み始めた。1回目の通読ではあやふやだった小説の流れが理解できる。人物の相関関係もより明確になる。しかしもう一度読んでも、やはりこの小説を確かに掴んだという実感を持てない。とめどなく流れ行く大河に手を入れているような感覚である。し…
夏に向けて日に日にその力を蓄えつつある太陽が、一切の雲を寄せ付けずカラリと輝いていた。街のアスファルトには、晴れ晴れとした陽気な休日を存分に楽しもうと外へ出てきた人々の影が、あちらこちらに行ったり来たり、伸びたり縮んだりしていた。主人と寄り添い歩く犬も澄み渡った空気を存分に味わいたいのか、その鼻をあちこちに向けては主人にぐいぐい引っ張られていた。友人や家族との談笑を楽しむ人々の笑い声がまわりの店先から聞こえていた。 そんな日に、一匹の鳩が街路をトボトボ歩いていた。見たところ仲間はいないようであった。この国では信号を見るのと同じ位の頻度でお目にかかるその姿は、いつもと同じく見慣れた灰色で、こじん…
夜には一人で歩いた。別に邪魔するやつもいなかった。あの門はいつも開いている。ここには門限なんてないんだ。お、あんたは今帰りかい。名前も特に知らないけど、きっかけさえあれば知ってたかもしれないし、もしかしたら今日一緒に出歩いてたかもしれない人よ。あんたは今どうしてる。顔も思い出せないけど、何度も何度もすれ違った気がするよ。 ああ、ここも通ったんだ。夜によく一人で歩いたんだ。川沿いに生えた名前も知らない草っ原から流れてくる匂いが好きだった。この匂いを良い匂いだと感じられる美意識の持ち主は、自分以外にはそういないだろうと思った。何で昼間にはこの匂いがないんだろう。夜だけなんだ。夜のこの場所だけなんだ…
小学生が持つ休み時間への熱意というものは、実に驚嘆すべきものである。定時退社の瞬間に人生の楽しみと優越感を凝縮させる大人でも、あれほどの疾走感と勢いを持ってチャイムと同時に走り出すことはできない。大人であれば諸々の事情により、たとえ定時で速やかに帰ることができる日であっても、あえて道草を食ってのろのろと帰る者もいるくらいであるが、小学生にはそのような面倒な事情は一切ない。その過ごし方は様々あれど、休み時間とはすべての小学生に約束された、誰にとっても間違いなく幸せで楽しい時間なのである。 休み時間のチャイムが鳴ると、一番乗りで教室のロッカーからボールを取り出す男子がいる。この役目を果たす男子は大…
ある日、70代か80代かのおばあちゃんが、その年齢の女性が出し得る最高速と言ってもいいほどのスピードで、交差点に向けて自転車を走らせていた。東西を走る道路側の信号が点滅しており、おばあちゃんが到着した頃にはもう完全に赤になってしまった。しかもその時、一台の軽自動車がおばあちゃんの目の前をかすめるようにして曲がっていった。おばあちゃんはこの危なげな出来事について、「え〜〜〜」と言うだけだった。世間の多くの人に見られる傾向として、車なり自転車なり歩行者なりが、自分のすぐ前を横切ったり接触しそうになった後には、たとえ自分の方に非がある場合、例えば自分が信号無視をして道路を横切ろうとした時に車が目の前…
一人住まいの女がベランダから顔を出すと、目線の下に、見慣れた工場のトタン屋根を確認することができた。元々灰色だったトタンが錆びついて茶色になったのか、錆びついたトタンを上から灰色に塗ったのか、それも判別できないほどに茶色と灰色が入り混じり、マダラ模様を形成していた。トタンの一部が、台風の日に石でも当たったのか、へこんで一層黒ずんで見えた。この風景は女にとって見慣れたもので、ただ一点を除いては、その意識に食い入るものは何もなかった。 ピンクのハンカチが、その手足を伸び伸びと広げかねた様子で、トタン屋根の上に寝そべっていた。その寝そべり方は、まるで工場を一足で跨げるほどの巨人が、手からフワリと屋根…
多くの勤め人が帰路につく電車の中でのことである。 車内は満員御礼というわけでもなく、向かい合わせに並べられた座席シートには、およそ人一人分の間隔を空けて、示し合わせたようにお互いの領域を守り合いながら、一日の勤めを終えて疲れた人々が座っていた。縛りから解放された人々の手には、大抵何かしらのアイテムが握り締められていた。まるで仕事の時のように、もしかしたらそれよりも忙しく手を動かしながら、あてどもなくスマホの画面に指をこすりつける人。これみよがしにやや分厚い文庫本を手に取り、自慢のややお高そうなブックカバーについたしおりを、読みさしのページからふわりと空中に弧を描きながら外し、できるだけ前のめり…
「ブログリーダー」を活用して、飴羊羹さんをフォローしませんか?