寺だけではない。会社や家庭、それを行き来する事が一つの遍路なのだ。
世界の終わりが来ている。自分だけじゃない。それはあらゆる場所で様々な次元で起こっている事なのだ。終わりなんだけれども新しい時間と時代の始まりをも意味している。だからこそ我々は日々仏に出会い神に出会う。家で会社で電車の中で遍路を繰り返す。
1970年代の事であるが静岡教会の献身者で今でも忘れる事の出来ない関さんというびっこだったが如何にもクリスチャンという感じの女性が原理講論総序の講義をして下さった。その講義が始まる前に彼女が歌ってくださったのが、この賛美歌だった。今から思い出すと涙が込み上げ
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