繋がぬ沖の捨小舟生死の苦海果てもなし石牟礼道子2015年次ACIMの課題に「のさり」というレポートがある。水俣病患者たちとともに生きた作家「石牟礼道子」彼女にならってかいたものだ。石牟礼さんがどういうひとなのかくどくど説明するよりじっさい彼女の言葉にふれてみればわかる。水俣病の子をもつ母のはなしであるきよ子は手も足もよじれてきて、手足が縄のようによじれて、わが身を縛っておりましたが、見るのも辛うして。それがあなた、死にました年でしたが、桜の花の散ります頃に。私がちょっと留守をしとりましたら、縁側に転げ出て、縁から落ちて、地面に這うとりましたですよ。たまがって駆け寄りましたら、かなわん指で、桜の花びらば拾おうとしよりましたです。曲った指で地面ににじりつけて、肘から血ぃ出して、「おかしゃん、はなば」ちゅうて、...しゅはキませ『り』