一人の思想は、一人の幅で迎えられることを欲する。不特定多数への語りかけは、すでに思想ではない。2022年戦後77度目の夏ひとり私は異郷の地で先祖(おや)を偲ぶ。コロナ禍前は盆休み代わりの夏期休暇をよく広島で過ごした。容赦ない真夏の白光(まひ)はかく地に沈む姿なき阿鼻叫喚のケを召喚するのかふいに昏い白昼夢(ヴィジョン)がありありとまなうらに浮かぶ私の輪郭を見失う畏日は嫌いだ。多くのみたまが苦しんでいる。生きているひと同様死んだひともチの呪縛に苛まれつづけている。耐えるとは、〈なにかあるものに〉耐えることではない。〈なにもないものに〉耐えることだ。自らの苦しみから逃れたい有情ならばこその必然無常なるがゆえの自然だ。かなしい空蝉をこいする当たり前の性向(nature)、情動プログラムワレワレが自分自身(ワレワレ...『FA』どれみの詩⑤~「沈黙」を語るための言葉