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伊勢の祈り
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2017/06/07

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  • 自然のようにこだわらない心

    清らかな心は真の力となる晴れ渡った青空、たちまち変わって雷が鳴り稲妻が走ることもあれば、はげしい暴雨も、たちまちやんで、明日のかがやく晴れ空に変わることもある。そのように、天地自然のはたらきには、なんのこだわりもない。人の心も、かくありたいものである。(『菜根譚』)こだわらない、大らかな心世の中で苦しむ人、悩む人に共通するのは何かに執着する心のように感じます。・あの人のこの言葉が気に食わない・あの時このように言われた・失ったものが惜しくてたまらない・あの時、このようにしておけば良かった気にする心、とらわれる心によって、その問題がピンで止められたようにグルグルと頭の中で巡ってしまいます。面白くない心、悲しみ、怒り、憎しみはすべてこの執着心が引き起こします。どんな喜怒哀楽も一時だけのもの。ずっと続くことはありません...自然のようにこだわらない心

  • 良いことも悪いことも両方あって人生!

    良いことばかりの人生はない順調に人生を歩む人、明るく生き生きと毎日を過ごす人。一方で、会社で理不尽な上司のもとで一日の中で何度も心が折れながらも歯を食いしばり過ごす人。家族間の問題で悩み、表情までも暗くなってしまっている人。自分の将来について悲観して生きた心地のしない人。この世の中を生きていると悩み、心配は尽きません。下を向きなんでこんな人生なんだと自分に言いたくなる、こんなはずではなかったと嘆きを発したくなることもあることでしょう。そんな状況の中で過ごしていますのは、あなた一人ではありません。世の中の人すべてがそのような経過をたどり、過ごしています。後から思えば、何であんなことで迷っていたのだろう。なぜそこまで悩む必要があったのだろうと、ビックリするくらい軽く振り返ることができるのが人の悩み、心配だと思います...良いことも悪いことも両方あって人生!

  • 真の学びは真の輝きがある!

    真の学びは人を輝かす「それ学問は心のけがれを清め身のおこないをよくするを本実とす」と近江聖人と謳われた中江藤樹はこう残しています。なお、中江藤樹は江戸時代1608年に生まれ、41歳の若さで亡くなりますが、亡くなるまでの14年間、近江の地で多くの人々を育てました。清らかな心今の時代、学問は学校の科目を勉強することの意味でつかわれています。各教科のテストでいかにいい点数をとるか?そこに重きが置かれています。テストでいい点数をとるのは結構なことだと思います。成績よいいことによって将来の選択肢の幅も広がります。知らないことを知ることによって、新たな関心が生まれ、視野が広がっていくことでしょう。しかし、本来の意味での学問とは違います。昔の学問は”人としての道”、”人が人たる教え”を学ぶことでした。そのような学問を通して、...真の学びは真の輝きがある!

  • 心がけ次第で未来は変わります!

    いつの時代も悩み、心配は同じ長い歴史の中で、読み継がれ、語り継がれる言葉は静かな重みと深い味わい、そして、真の輝きがあります。その代表的な言葉の一つに中国古典の四書五経があげられます。四書五経は一つの本ではなく儒学の学問を一まとめにした呼び方です。一般的に四書は、・『大学』・『中庸』・『孟子』・『論語』、五経は、・『易経』・『書経』・『詩経』・『礼記』・『春秋』のことを指します。四書五経のどの本を読んでみても、その鋭い視点と広い世界観にハッとさせられ厳粛な気持ちになります。国、時代は違えど、人として生きるうえで大切にしたい心や考えが文章からとうとうと流れ静かに心に入ってくるように感じます。今日は、四書五経の『中庸』の言葉について神道の視点から言葉を加えたいと思います。一歩先に楽になりましょう余談になりますが、『...心がけ次第で未来は変わります!

  • 目からうろこ!神社という言葉は建物のことでない?

    神々と霊性が鎮まる聖地タイトルをご覧になった方は、さぞ驚かれたことでしょう。幼いころ親に手を引かれて行った神社、お祭りの時に友達と露天商の前に並んだ記憶の中にある神社、今日改めて”神社”の言葉を通して、”神社”の意味を考えるきっかけとなれば幸いです。自然と神々神社は、もともと里山遠く離れた奥深い水源の森山や渓谷などの自然の中に潜む隠れた霊性、カミ(神霊)が里山近くに鎮まるように迎えられた里宮となっています。そのため、神社が鎮守の森と言われるように、あくまでも森に籠る神域を理想としています。日本語をたどる『延喜式』では伊勢の大神宮など十一社を「宮」(ミヤ)と読む以外は、すべて”神社”の言葉が使われていて、”カムツヤシロ”と読まれています。これは神ノヤシロ、つまり、神を祭るヤシロの意味です。『万葉集』では、ヤシロに...目からうろこ!神社という言葉は建物のことでない?

  • 人の一生は仮の夢を見ているようなもの

    自然と人生「この世が幻のように仮りにあらわれた現象界だという観点に立てば、功名富貴などはいうまでもなく、わが肉体でさえ、仮りの形でしかない。この世が真の実在世界だとう観点に立てば、父母兄弟はいうまでもなく、天地万物もみなわれと一体である。そこで、この世が幻のような現象界だということを見破り、同時に、実在界における真を認識することができた人であってこそ、はじめて天下を一身に背負って立つことが可能であり、また、人間世界の拘束を超えて、自由の境に遊ぶことができる。」『菜根譚さいこんたん』鉄筆文庫天地万物と一体この『菜根譚』の言葉を今日は皆様とご一緒に考え、理解を深めてまいりたいとおもいます。宇宙の誕生から悠久の時間が流れ、そして、未来へ時間が流れていきます。その時間の流れを考えると、自分の一生の時間はほんのわずかしか...人の一生は仮の夢を見ているようなもの

  • この世で一番大切な心がけ

    しあわせのヒント江戸時代の儒学者貝原益軒(かいばらえきえけん)は、『養生訓(ようじょうくん)』のなかで、・人間はいかに生きるか・人生の中で何が大切かを、やさしく、そして、鋭い洞察とともに愛情をもって温かく伝えています。この養生訓は貝原益軒、83歳の時に書いたと言われています。その長い人生から経験した言葉は、静かな重みと深い味わいを含んでいるように思います。ココロ豊かに生きる「ひとの身体はきわめて貴重であって、全世界のなにものにもかえることのできないものではないか。しかるに養生の方法を知らないで、欲にふけり身をほろぼし命を失うことは、もっとも愚かなことである。生命と私欲との軽重をよく考えて、日々の生活を慎み、私欲の危険性を恐れること、深淵にのぞむような、薄氷をふむような細心の注意をはらって生活すれば、長生きもでき...この世で一番大切な心がけ

  • まごころを尽くすと、それが自分の「力」となる

    磨くと輝きを放つ「内に誠意がなく、ただ外部に表れたものは、一つの虚礼にすぎない。礼節の形式はあっても、その精神がない。内部に欠けた敬意を故意にありそうに装うのは、むしろ、無礼に近い」戦前、国際連盟事務次長を務めた新渡戸稲造はこう述べています。さらに続けて、こう言うと、「私には尊敬するべき人がいないから、礼節を表すことができない」などの暴論を吐く者があるかもしれない。しかし、他人を尊敬する念は、誰の心中にも必ず潜んでいるものである。また少し注意すれば、どんな人に対しても、必ず尊敬すべき理由を発見し得るものである。もし他人を尊敬する念のない人があるとすれば、それは、その人に自重心がないのである。いやしくも自らを重んじる人であれば、必ず人を尊敬する。他人を尊敬する念が起こらないという人は、自分の心中に大きな欠陥がある...まごころを尽くすと、それが自分の「力」となる

  • 悠久の時間の流れに、まかせましょう!

    知ることから人は変わります以前、私が神道を学校で学んでいたときに先生から、神葬祭(しんそうさい、神道によるお葬式のことです)での不思議な出来事のお話を教えていただきました。関東の大きな神社の神職から聞いたお話だそうです亡くなった人はこの世に未練を残す関東の大きな神社に急きょ神葬祭の依頼があり、複数の神職がご奉仕する大きな葬儀であったようです。遷霊祭(せんれいさい)という、亡くなった方の霊魂(れいこん)を霊璽(れいじ)に遷(うつ)す儀式がありまして、その間、神職が「オー」という言葉を発します。複数の神職が、「オー」という言葉を一定時間発するのですが、一同なかなか発するのが止まらなかったようです。参列した神職は、これまでいくつもの神葬祭にご奉仕してきたけれども、このようなことは初めてのことで不思議に思ったけれども、...悠久の時間の流れに、まかせましょう!

  • 〇自然のようにこだわらず、大らからに生きましょう!

    いい人生を歩む視点とは?風わたる青田がやさしい陽をうける爽やかな季節となりました。なだらかに続く青々とした山の稜線、時間をかけながらなゆるやかに流れる川。澄み切った空。緑ゆたたかな国土の全ての自然界の生き物が生き生きとしているように感じます。もしこの景色が、山には木がなくはげ山で、川の水は生活排水で汚れ、冷たい感じの受ける建物だらけになってしまっていたらと思うとゾッとします。日本の先人たちが残してくださった美しい自然から、今に生きる私たちはたくさんの贈りものを頂いています。例えば、山に木があり森となっているから、雨が降った時に雨水を山の木々が蓄えてくれる。長い月日を経ながら何層にも地下に染みわたり、それがにじみ出て沢となり、川となる。川から水を引いて田に水を張ることができ稲が育っていく。また、山の養分を含んだ川...〇自然のようにこだわらず、大らからに生きましょう!

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