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心のお医者さま ブッダからのお薬 超訳ダンマパダ http://dhammapada423.blog.fc2.com/

「ブッダの語ったとされることばに最も近い教え」 「ブッダの説いた教え」「法の句」を物語ります。

ふつ庵 「茶室で坐る坐禅と一服の茶 そして ブッダのことのはをまねぶ庵」庵主 2500年前、ブッダは、誰に、どのような時に「法の句」を説いたのか?  ブッダの「教え・法」を物語ります。

ふつ庵
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住所
新宿区
出身
小樽市
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2017/01/03

  • 第215回「真理のことば286」

    ここで雨期(うき)を過(す)ごそうここで冬(ふゆ)と夏(なつ)も過ごそう愚(おろ)かな者はこのように考(かんが)えます[今]危険(きけん)が迫(せま)っていることには気がつかないで 「法句286」【まねび】「危険が迫っている事には気がつかないで」とは。自分自身の生命の危機について、目覚めていない事です。自由な時を、過ごすかのように、時をいたずらに過ごして、現世と来世の意味・目的をよく知らない者です。「老、病...

  • 第214回「真理のことば285」

    自分自身への愛着(あいちゃく)・執着(しゅうちゃく)を断(た)ち切(き)るがよい寂静(じゃくじょう)の道(みち)を練修(れんしゅう)するがよい善逝(ぜんぜい)は涅槃(ねはん)を説(と)いています 「真理のことば285」 【まねび】自分自身の身体と心への愛着・執着から、離れるとは。3つの欲望の世界「三界(さんがい)」から離れる事です。「三界」: 1. 欲界(よくかい)― 欲に執着する世界 2. 色界(しきかい)―自分自身の身体に執...

  • 第213回「真理のことば283,284」

    林(はやし)を切(き)りなさい木(き)は切らないように恐怖(きょうふ)は林から現(あらわ)れるから林も林叢(りんそう)も切って林を離(はな)れた者となりなさい 「真理のことば283,284」 【まねび】出家してまだ日が浅かった、老齢の修行僧たちは、ブッダから「林を切りなさい!」と言われて、こう思いました。「ブッダは、私たちに刀などを持って林に行って、木を切るように、と言っているのだ。私たちは、林の木を切ろう」と...

  • 第212回「真理のことば282」

    坐禅瞑想(ざぜんめいそう)があれば智慧(ちえ)が生(しょう)じ坐禅瞑想がなければ智慧が滅(めっ)する生(しょう)と滅(めつ)の二種(にしゅ)の道(みち)を知(し)って智慧が増大(ぞうだい)するように自分自身(じぶんじしん)を確立(かくりつ)するがよい 「真理のことば282」【まねび】心の不散乱を修(おさ)め「智慧」の成就の練修をします。まず、「止」の禅定:瞑想 ― 静かなところで独(ひと)り静かに坐ります。「坐禅瞑想」に...

  • 第211回「真理のことば 281」

    言葉(ことば)を慎(つつし)み意(こころ)を護(まも)り身体(からだ)によって不善(ふぜん)を行(おこな)わずこの三つの行いの道(みち)をよく浄(きよ)めて仙人(せんにん)の説(と)く道を成(な)し遂(と)げなさい 「真理のことば281」 【まねび】ブッダの教えは「意・口(言葉)・身体」「3つの行い」を浄(きよ)める事です。「意(こころ)を護り」とは。 1. 貪る(貪 とん) 2. 怒る (瞋 じん) 3. 愚かな事を思う (痴 ち)貪・瞋・痴...

  • 第210回「真理のことば280」

    務(つと)める時(とき)に務めず若(わか)くて力(ちから)があっても怠(なま)け意思(いし)も思考(しこう)も薄弱(はくじゃく)で怠ける者は智慧(ちえ)によって道(みち)を見(み)ることはできません 「真理のことば280」 【まねび】人生は、今、この時しか無い、とは考えない者。「後でしよう」、と怠けて、放逸(ほういつ)に耽(ふけ)る者は、「3つのよくない考え」に陥(おちい)ってしまいます。「3つのよくない考え」とは。 1....

  • 第208回「真理のことば278」

    作(つく)られたもの「行(ぎょう)」は苦(く)、と智慧(ちえ)をもって観(み)る時(とき)に苦(くる)しみから遠(とお)ざかり離(はな)れるこれは清浄(しょうじょう)にいたる道(みち)です 「真理のことば278」 【まねび】「すべての作られたもの「行(ぎょう)」は苦」ブッダの教えの根幹「三相」:「無常」「苦(不安定・空虚)」「無我」の2つ目である「苦」について学びます。「苦」とは。1.私たちには、生きる苦しみ「四苦八...

  • 第207回「真理のことば277」

    生(しょう)じたものは無常(むじょう)、と智慧(ちえ)をもって観(み)る時(とき)に苦(くる)しみから遠(とお)ざかり離(はな)れるこれは清浄(しょうじょう)にいたる道(みち)です 「真理のことば277」【まねび】「すべての生(しょう)じたものは無常(むじょう)」ブッダの教えの根幹「三相」:「無常」・「苦(不安定・空虚)」・「無我」この「三相」の1つ目である「無常」について学びます。無常とは。常に変化しています(無常の...

  • 第206回「真理のことば273」

    道(どう)の中(なか)では「聖八正道(せいはっしょうどう)」が最上(さいじょう)諦(たい)の中では「四聖諦(ししょうたい)」法(ほう)の中では離欲(りよく)が最上二本足(にほんあし)の中では智慧(ちえ)の眼(め)を具(そな)えた如来(にょらい)が最上この道(みち)の他(ほか)に道はない見方(みかた)・考(かんが)え方が清(きよ)まるようにこの道を歩(あゆ)むがよい苦(くる)しみの終(お)わりを作(つく)るがよい矢(や)の断(た)ち切(き)り破壊(...

  • 第205回「真理のことば271,272」

    私は戒(かい)や務(つと)め多(おお)くの知識(ちしき)禅定(ぜんじょう)の獲得(かくとく)離(はな)れた臥所(がしょ)だけでもなく凡夫(ぼんぷ)の親(した)しむことのできない離欲(りよく)の楽(らく)に触(ふ)れている[とは、まだ言わないように]心(こころ)を緩(ゆる)めてはなりません 真(まこと)に煩悩(ぼんのう)を滅(めっ)し尽(つ)くさないうちは 「法句271,272」【まねび】煩悩の滅し尽くした人とは。漏尽者・阿羅漢をいいま...

  • 第204回「真理のことば270」

    生き物を害(アリ)する者は聖者(アリヤ)とはならない生き物すべてを害さない(アーラー)から聖(アリ)なる者(ヤ)と称えられます 「真理のことば270」 【まねび】「アリヤ」は「敵・アリ」に通じます。害する者、殺す者の意味があります。それ故に、生き物を「害する事・アリヤ」によって「聖者・アリヤ」となるのではありません。それでは「聖者」を意味する「アリヤ」とはどのような人でしょうか?「聖者」の原語は「アリ...

  • 第203回「真理のことば268,269」

    愚(おろ)かに迷(まよ)う無知(むち)な者が沈黙(ちんもく)しても牟(む)尼(に)・賢者とはなりませんすべての悪(あく)を避(さ)け善(ぜん)と悪の両方(りょうほう)の世界(せかい)を考(かんが)える人が牟尼と称(たた)えられます 「真理のことば268,269」 【まねび】牟尼とは。「ムナティ・正しく考える」人・賢者です。無知の者が、言葉を発しないで、ただ黙っている「沈黙・モーナ」によって「牟尼(むに)・ムニ」になるのでは...

  • 第203回「真理のことば268、269」

    愚(おろ)かに迷(まよ)う無知(むち)な者が沈黙(ちんもく)しても牟(む)尼(に)・賢者とはなりませんすべての悪(あく)を避(さ)け善(ぜん)と悪の両方(りょうほう)の世界(せかい)を考(かんが)える人が牟尼と称(たた)えられます 「真理のことば268,269」 【まねび】牟尼とは。「ムナティ・正しく考える」人・賢者です。無知の者が、言葉を発しないで、ただ黙っている「沈黙・モーナ」によって「牟尼(むに)・ムニ」になるのでは...

  • 第202回「真理のことば266,267」

    食(た)べ物(もの)を乞(こ)う者だからといっても不正(ふせい)な法(ほう)を保(たも)つならば比丘(びく)とはなりません教(おし)えにおいて梵行(ぼんぎょう)をそなえ善(ぜん)と悪(あく)を除(のぞ)き去(さ)って思慮(しりょ)し世界(せかい)をゆくならばその人こそ比丘と称(たた)えられます 「真理のことば266,267」 【まねび】ブッダの「教え・法」を練修する人は「善」― 功徳を積んでいるという思い、考え「悪」― 不善の行い...

  • 第201回「真理のことば264,265」

    頭(あたま)を剃(そ)っても戒(かい)を保(たも)たず偽(いつわ)りを語(かた)る者欲(よく)貪(むさぼ)りのある者は沙門(しゃもん)とはなりません僅(わず)かなものも粗大(そだい)なものも悪(あく)をすべて静(しず)めている人は悪が鎮静(ちんせい)しているから真(まこと)の沙門と称(たた)えられます 「真理のことば264,265」 【まねび】悪を鎮静している事は「サミタ」と言います。それ故に「沙門(しゃもん)・サマナ」と呼ばれ...

  • 第200回「真理のことば262,263」

    言葉(ことば)も美貌(びぼう)も嫉妬(しっと)や物惜(ものお)しみ偽善(ぎぜん)があるならば端正(たんせい)な人にはなりませんこれらが断(た)たれ根(ね)こそぎ除(のぞ)き去(さ)られているならば怒(いか)りを吐(は)きだした端正(たんせい)な人賢者(けんじゃ)と言われます 「真理のことば262,263」【まねび】端正な人とは。怒りなどを吐きだし尽くした人や、不善な行いのまったく無くなった人は「真理・法」を、身体と心の...

  • 第199回「真理のことば260,261」

    頭(あたま)の髪(かみ)が白(しろ)いからといって長老(ちょうろう)とはなりません歳(とし)をとっただけならば空(むな)しく老(お)いた者です真理(しんり)と法(ほう)をそなえ傷(きず)つけ害(がい)さない自(みずか)ら慎(つつし)み調(ととの)えたその人こそ汚(けが)れを吐(は)き捨(す)てた賢者(けんじゃ)長老(ちょうろう)と称(たた)えられます 「真理のことば260,261」【まねび】長老とは。外からは見えない、内にある「陰(い...

  • 第198回「真理のことば259」

    多(おお)くを語(かた)るからといって法(ほう)を保(たも)つ人とはなりませんわずかを聞(き)いても身(み)により法を観透(みとお)して法に怠(おこた)る事がなければ法を保つ人となります 「真理のことば259」【まねび】「諸の意路」とは。すべての意(こころ)の路(みち)「三学」:「戒律」「禅定」「智慧」の3つの学びです。「牟(む)尼(に)」とは。智慧の人です。寂黙(じゃくもく)の人として、静かに坐禅瞑想して、黙(もく)し...

  • 第197回「真理のことば258」

    多(おお)くを語(かた)るからといって賢(かしこ)い人とはなりません安穏(あんのん)無怨(むおん)無畏(むい)の人その人こそが賢い人といわれます 「真理のことば258」 【まねび】安穏(あんのん)無怨(むおん)無畏(むい)の賢者とは。初めに、自分自身が安らぎ、穏(おだ)やかであること、です。そして「5つの戒」を守っている人です。なぜなら、「五戒」: 「殺生」 「偸盗」 「邪淫」 「妄語」 「飲酒」これらは「5つの...

  • 第196回「真理のことば256」

    正(せい)と不正(ふせい)の両方(りょうほう)を見極(みきわ)めてこそ賢(かしこ)い人力(ちから)によらず法(ほう)によって他(た)の人を公平(こうへい)に導(みちび)くならば法(ほう)を守護(しゅご)する人智慧(ちえ)の人法に住(す)む人と称(しょう)されます 「真理のことば256,257」 【まねび】「力で事を処理」とは。「欲」「貪り」「怒り」「愚かさ」「恐怖」などに基づいて、嘘(うそ)をつき、不正に無理やり、強引に処理(...

  • 第195回「真理のことば254,255」

    虚空(こくう)には足跡(あしあと)が無くブッダの教(おし)えの外(そと)には沙門(しゃもん)がいない人々は虚妄(こもう)を大喜(おおよろこ)びし如来(にょらい)は虚妄を離(はな)れます作(つく)られたものに常住(じょうじゅう)不変(ふへん)は無くすべての仏(ほとけ)に動揺(どうよう)は無い 「真理のことば254,255」 【まねび】「虚妄(こもう)」とは。愛着・慢心・我見による、不正な思いの迷妄です。愛着― 私のもの、という...

  • 第194回「真理のことば253回」

    他人(たにん)の過失(かしつ)を 細(こま)かく探(さが)しつづけ苛立(いらだ)つ想(おも)いがあるならば煩悩(ぼんのう)が増(ま)すばかりその者に煩悩の滅尽(めつじん)は遠(とお)いのです 「真理のことば253」 【まねび】他の人の欠点だけを見て、不平不満を言う者は、自分自身が分かりませんし、見えていません。だから、内に静まりを、そなえることができません。出家の人も、在家の人も、守るべき基本の戒「五戒」「不殺...

  • 第193回「真理のことば252」

    他人(たにん)の過失(かしつ)は見(み)やすい自己(じこ)の過失は見がたい他人の過失については籾殻(もみがら)のように選(え)り分(わ)けるのに自己の過失は隠(かく)してしまう狡(ずる)い賭博師(とばくし)が賽(さい)の目(め)を隠すように 「真理のことば252」 【まねび】確かに 他の人の過(あやま)ち、失敗(しっぱい)、欠点は、どんなに小さくても、よく見え、たやすく、簡単に見ることができます。しかし 自分自身の過(あ...

  • 第192回「真理のことば251」

    貪(むさぼ)りと等(ひと)しい火炎(かえん)は無い怒(いか)りと等しい捕(とら)われ、縛(しば)りは無い愚痴(ぐち)と等しい網(あみ)も無い渇(かつ)愛(あい)・執着(しゅうちゃく)・欲(よく)と等しい河(かわ)も無い「真理のことば251」【まねび】「貪(むさぼ)りと等しい火炎は無い」とは。貪りは、煙など、何も見せないで、ことごとくみんな、焼き尽くしてしまいます。「愚痴(ぐち)と等しい網(あみ)もない」とは。心の中に、愚かさを包ん...

  • 第191回「真理のことば249,250」

    他(た)の人から布施(ふせ)された物(もの)に対(たい)して不満(ふまん)の思(おも)いを懐(いだ)いたならば昼(ひる)にも夜(よる)にも心(こころ)の安(やす)らぎを得(え)ることがありません不満(ふまん)が断(た)たれて不満は根(ね)こそぎ除去(じょきょ)されたならば昼(ひる)にも夜(よる)にも心(こころ)の安(やす)らぎを得(え)ることになります 「真理のことば249,250」 【まねび】不平不満を断ち・捨て・離れるには、「坐禅瞑...

  • 第190回「真理のことば246~248」

    生(い)きものを殺(ころ)し嘘(うそ)をつき与(あた)えられていないものを取(と)り他人(たにん)の妻(つま)と通(つう)ずる穀(こく)酒(しゅ)、果実酒(かじつしゅ)を飲(の)み耽(ふけ)るこのような者は自己(じこ)の根本(ねもと)を掘(ほ)り返(かえ)す知るがよい!慎(つつし)みがないのは悪法(あくほう)、と貪(むさぼ)りや不正(ふせい)によって長(なが)く苦(くる)しむことのないように 「真理のことば246~248」 【まねび】「五...

  • 第189回「真理のことば244.、249」

    恥(は)じらいがなく厚(あつ)かましく無遠慮(ぶえんりょ)に踏(ふ)みこんでくる傲慢(ごうまん)な者汚(けが)れた者の生活(せいかつ)は容易(たやす)い恥(はじ)があり、清浄(しょうじょう)を常に求(もと)めて執着(しゅうちゃく)、傲慢(ごうまん)もなく生活(せいかつ)が清(きよ)く真理(しんり)を見(み)る人の生活は難(むずか)しい 「真理のことば244,245」 【まねび】出家者でも、驕(おご)り高ぶって、人を侮(あなど)る、礼を欠...

  • 第188回「真理のことば242,243」

    物(もの)を惜(お)しむのは施(ほどこ)さない者(もの)の垢(あか)です悪(わる)い行いはこの世あの世で垢となりますその垢よりもさら汚(けが)れた無明(むみょう)は、垢の極(きわ)みですこのような垢を捨(す)て去(さ)って垢のない人となりなさい 「真理のことば242,243」 【まねび】色々な垢がある中で、最も汚れた垢は「無知(むち)・無明(むみょう)」です。次の「8つのこと」を知らないからです。1. 四つの聖なる真理「四...

  • 第187回「真理のことば241」

    読誦(どくじゅ)しなければ聖典(せいてん)の垢(あか)修理(しゅうり)しなければ家(いえ)の垢不精(ぶしょう)するのは肌(はだ)の垢放逸(ほういつ)は護(まも)らない者の垢です 「真理のことば241」 【まねび】学ぶ教えの「聖典(せいてん)」「経典(きょうてん)」は、声を出して読み、読誦し学習されて、その意味する内容を練修されなければ、意義なく滅びてしまいます。色々な生活の垢があるけれど、最大の垢は、怠けること「...

  • 第186回「真理のことば240」

    鉄(てつ)から生(しょう)じた錆(さび)は鉄から生じて鉄を損(そこ)ないます自分自身の行(おこな)いはそのように罪(つみ)を犯(おか)した者を悪(あく)の世界(せかい)に導(みちび)きます 「真理のことば240」 【まねび】鉄から錆が生じて、その鉄が、鉄そのものを傷(いた)め、害します。そのように、激しく執着する渇愛・欲が生じたならば、苦しみの世界に向かいます。生活に必要なものとしての着る物食べる物住む処薬などを...

  • 第185回「真理のことば239」

    賢(かしこ)い人は順々(じゅんじゅん)に機会(きかい)ごとに少しずつ自分自身の垢(あか)を除(のぞ)くがよい銀細工師(ぎんざいくし)が銀の垢を除くように 「真理のことば239」 【まねび】「賢(かしこ)い人」の「教え・法」の学びは生活の学び心の学び「智慧」の学びとして少しずつでも、確実に実行します。機会を得て、少しずつ順々に丁寧に、何回も、何回も「善い行い」をして、自分自身の貪り・怒り・気づきのない愚かさ=...

  • 第184回「真理のことば235-238」

    今(いま)ではお前(まえ)は枯葉(かれは)のようなもの閻魔(えんま)の近(ちか)くに趣(おもむ)いているお前に、途中(とちゅう)の宿(やど)もないその上、旅(たび)の糧(かて)もない自分自身の島(しま)を作(つく)るがよい急(いそ)ぎ努(つと)めるがよい賢(かしこ)い人であるがよい汚(けが)れが除(のぞ)かれ垢(あか)のない人はふたたび生(う)まれと老(お)いにいたらないでしょう 「真理のことば235~238」 【まねび】枯葉を見...

  • 第183回「真理のことば231-234」

    身体(からだ)・言葉(ことば)・意(こころ)の動揺(どうよう)を防護(ぼうご)するがよい身体・言葉(ことば)・意(こころ)の善(よ)い行(おこな)いをするがよい賢(かしこ)い人(ひと)は身体(からだ)・言葉(ことば)・意(こころ)が真(まこと)によく調(ととの)えられて護(まも)られています「真理のことば231~234」 【まねび】身体・言葉・意(こころ)の3つの行いを善く護(まも)ることは、心の動揺(どうよう)を防(ふせ)ぎ護ります。それは、身(...

  • 第182回「真理のことば227-230」

    黙(もく)して坐(すわ)る人も多(おお)くを語(かた)る者も適度(てきど)に語る者も非難(ひなん)されます世(よ)に非難されない人はいません非難されるだけの人称讃(しょうさん)されるだけの人そのような人は過去(かこ)にも未来(みらい)にも、現在(げんざい)にもいません智慧(ちえ)と戒(かい)とをそなえて欠点(けってん)がない生活(せいかつ)をする智者(ちしゃ)を誰(だれ)が非難できるでしょうか 「真理のことば227~230」...

  • 第181回「真理のことば226」

    つねに目覚(めざ)めて怠(おこた)らず昼(ひる)も夜(よる)も学(まな)び努(つと)めつつ涅槃(ねはん)に向(む)かって行く人(ひと)たちの煩悩(ぼんのう)は消(き)え去(さ)ります 「真理のことば226」 【まねび】つねに、目覚めて怠(なま)けることなく「三学」「戒律・禅定・智慧」として、8つの聖なる道「聖八正道」を練修している人は、念(今の心)を失わないで、不放逸に努めています。「聖八正道」は「戒学」「定学」「...

  • 第180回「真理のことば225」

    身(み)を慎(つつし)み調(ととの)えて害(がい)することのない聖者(せいじゃ)・牟尼(むに)たちは不死(ふし)の境地(きょうち)に到(とう)達(たつ)しますそこにいたれば憂(うれ)いはありません 「真理のことば225」 【まねび】この世界は、老い、病(やま)い、身の滅すること、「老・病・死」によって導かれています。そこで、大切なことが2つあります。1.善き意思、善き行いが尊ばれる基本の「5つの戒」をしっかりと定めて、動...

  • 第179回「真理のことば224」

    真実(しんじつ)を語(かた)る怒(おこ)らない乞(こ)われたらわずかでも与(あた)えるこれら三つの根拠(こんきょ)によって神々(かみがみ)のもとに行くでしょう 「真理のことば224」 【まねび】「真実を守る」「怒らない」「施す」これら「三つの根拠」の意味するところは?「真実」を理解する事を言っています。1. 真実を守る― 真実を守り、語り、言って、 真実を理解します。 そして真実を確かな...

  • 第178回「真理のことば223」

    怒(いか)りを離(はな)れて怒りに勝(か)つ善(ぜん)をそなえて不善(ふぜん)に勝つ施(ほどこ)しによって物惜(ものお)しみに勝つ真実(しんじつ)によって嘘(うそ)を言(い)う者に勝つがよい 「真理のことば223」 【まねび】嘘(うそ)を言う者には「真実」のことばを語る事によって、打ち勝つ事ができます。では、怒りのある者、不善の者、物惜しみする者嘘を言う者はどうすれば、それに打ち勝つ事ができるのでしょうか?まず、行...

  • 第177回「真理のことば222」

    暴走(ぼうそう)する車(くるま)を止(と)めるように噴(ふ)き出(だ)す怒(いか)りを抑(おさ)える人その人を御者(ぎょしゃ)と呼(よ)びます 「真理のことば222」 【まねび】御者(ぎょしゃ)とは何か。噴き出した怒りを止めて抑(おさ)えることのできる人が、本当の御者です。怨みは、怨まれた相手が傷つくのではありません。怨んでいる人の方が、もっと深く、傷つくのです。このように、どのような場合にも、自分自身も他の人も...

  • 第176回「真理のことば221」

    怒(いか)りを慢心(まんしん)を捨てなさいどんな縛(しば)りも脱(だっ)するがよい名(みょう)と色(しき)に執着(しゅうちゃく)しない無一物者(むいちもつしゃ)に苦(くる)しみは従(したが)いません 「真理のことば221」 【まねび】名(みょう)と色(しき)とは。私たちの身体と心「五蘊」です。1つの身体(色)と4つの精神作用(名)です。色(しき)―色・形あるもの、身体・肉体受(じゅ)― 快、不快、そのどちらでもない、 ...

  • 第175回「真理のことば219.220」

    長(なが)い間(あいだ)外(そと)で生活(せいかつ)し無事(ぶじ)に帰(かえ)った人を身内(みうち)・親族(しんぞく)、友人(ゆうじん)、知人(ちじん)は帰ったことを大いに喜(よろこ)びます同じように功徳(くどく)を積(つ)んでこの世(よ)から他の世へ行く人を多(おお)くの功徳は迎(むか)え受(う)けます身内・親族のように愛(いと)しい人の帰(かえ)りを 「真理のことば219,220」【まねび】身内・親族は誰もが、わが家に帰ってく...

  • 第174回「真理のことば218」

    言葉(ことば)を超(こ)えた境地(きょうち)を求(もと)めて意(こころ)によって満(み)たされて欲(よく)に心(こころ)が捉(とら)われなければ上流(じょうる)の者といわれます 「真理のことば218」 【まねび】「言葉を超えた境地」とは。涅槃です。自分自身の意(こころ)のなかに貪る欲があって、それを言葉にして出すと、他の人とも、それぞれ意見が違い、問題が起こります。好き・嫌いによって、怒りもあります。愚かさもあり...

  • 第173回「真理のことば217」

    戒(かい)と正見(しょうけん)をそなえ法(ほう)に従(したが)って生き真理(しんり)を覚(さと)って自分自身の務(つと)めを行(おこな)う人は世(よ)の人たちから愛(あい)されます 「真理のことば217」【まねび】4つの練修の種子「四種の清浄な戒」「信・精進・念・智慧」を保ち、実行している人は、世の人たちから愛されます。1.「四種の清浄な戒」を 守っているために「功徳」があります。 (1) 「信」をそなえ 「教...

  • 第172回「真理のことば172」

    渇愛(かつあい)から憂(うれ)いや、恐(おそ)れが生じます渇愛を離(はな)れている人に憂いはありませんましてや恐れはありません 「真理のことば216」【まねび】「渇愛」とは。長い間、砂漠をさ迷い歩き、喉(のど)が渇(かわ)いて「水、水、水」と、水を求めるように、激しく、何かを求める欲望です。具体的には、6つの感覚器官「眼・耳・鼻・舌・身・意」が欲する、好ましい対象「色・声・香・味・触・法」によって、激しく求...

  • 第171回「真理のことば215」

    欲望(よくぼう)から憂(うれ)いや、恐(おそ)れが生じます欲望を離(はな)れている人に憂いはありませんましてや恐れはありません 「ダンマパダ215」【まねび】欲望とは。2つに見ることができます。 1.欲の対象としてある物欲と、 2.煩悩から生まれる煩悩欲、です。苦しみや、悩みが起きる原因、とは。2つあります。 1. 物や人(自分自身)に対する欲望: 自分自身の身体と心への愛着です。 2. 無智によって起こる欲望...

  • 第170回「真理のことば214」

    快楽(かいらく)から憂(うれ)いや恐(おそ)れが生じます快楽を離(はな)れている人に憂いはありませんましてや恐れはありません 「ダンマパダ214」 【まねび】快楽とは。「5つの妙なる欲」です。それは、5つの感覚器官「眼・耳・鼻・舌・身」が捉(とら)える対象「色・声・香・味・触」に欲を出し、執着することです。快楽を離れている人に、憂いや、恐れはありません。形あるものは、移ろいゆきます、と「3つの相」で観るか...

  • 第169回「真理のことば213」

    愛情(あいじょう)から憂(うれ)いや、恐(おそ)れが生じます愛情を離(はな)れている人に憂いはありませんましてや恐れはありません 「ダンマパダ213」 【まねび】愛情とは、息子や娘など身内に対する愛着です。愛着という愛情は、憂いが起こる原因です。「愛情という執着」。ここから、自分自身の思いどおりにならなかった時、気持ちが不安定になり、心の動揺があって、憂いや、恐れが生じます。愛は、苦しみを伴(ともな)い...

  • 第167回「真理のことば209-211」

    愛(あい)する人と会(あ)わないのがよい愛さない人とも会わないのがよい愛する人を見(み)ないのは苦(くる)しみです愛さない人を見るのも苦しみです愛(あい)する人を作(つく)らないのがよい愛する人を失(うしな)って別(わか)れは辛(つら)いから愛する人も愛さない人もいない人に束縛(そくばく)はありません 「法句209~211」 【まねび】家族への執着心は、親しい身内ほど、危険な関係です。子供にとっても、親の期待は最悪の...

  • 第166回「真理のことば206-208」

    もろもろの聖者(せいじゃ)に会(あ)うのは善(よ)い事ですともに住(す)むのは常(つね)に楽(たの)しい常に楽(らく)のある人となります 賢(かしこ)い人と住むのは楽しい身内(みうち)・親族(しんぞく)がともに集(つど)うように 堅固(けんご)で、智慧(ちえ)があり、多聞(たもん)であり忍耐(にんたい)、戒行(かいぎょう)をそなえた聖者(せいじゃ)このような善(よ)き人(ひと)、賢(かしこ)い人に従(したが)うがよい月(つき)がもろもろの星(...

  • 第165回「真理のことば205」

    遠離(おんり)の味(あじ)とさらにまた寂静(じゃくじょう)の味を飲(の)んだならば恐(おそ)れも悪(あく)も消(き)えてなくなります法悦(ほうえつ)の味を飲んでいるうちに 「ダンマパダ205」 【まねび】3種の「遠離(おんり)」があります。 1. 身の遠離- 独(ひと)り、身をおきます。 常に静かに 坐禅瞑想に入ります。 2. 心の遠離- 心が坐禅瞑想・禅定 「止」「観」に集中してい...

  • 第164回「真理のことば204」

    健康(けんこう)で無病(むびょう)は最上(さいじょう)の利得(りとく)であり満足(まんぞく)は最上の財産(ざいさん)です信頼(しんらい)は最上の身内(みうち)・親族(しんぞく)であり涅槃(ねはん)は最上の安(やす)らぎ・楽(らく)です 「ダンマパダ204」 【まねび】健康は「最上の利得」とは。病気であったなら、利益も、得することもありません。病気でなければ、利益も、得することもすべて利得とすることができます。「...

  • 第163回「真理のことば203」

    飢(う)えは最大(さいだい)の病(やまい)であり諸行(しょぎょう)・五蘊(ごうん)は最大(さいだい)の苦(くる)しみですこれを真実(しんじつ)のとおりであると知(し)ったならば最上(さいじょう)の楽(らく)である涅槃(ねはん)があります 「ダンマパダ203」 【まねび】「最大の苦しみ」とは。私たちの身体と心を構成している、「五蘊」「色・受・想・行・識」です。なぜ苦しみなのでしょうか?私たちは「五蘊」を自分自身のもの...

  • 第162回「真理のことば202」

    貪(むさぼ)りに等(ひと)しい火炎(かえん)はなく怒(いか)りに等しい不運(ふうん)はありません諸(もろもろ)の蘊(うん)に等しい苦(くる)しみはなく寂静(じゃくじょう)に勝(まさ)る安(やす)らぎ・楽(らく)はありません 「ダンマパダ202」 【まねび】私たちは欲望、怒り、愚かさのために身体と心「五蘊」「色・受・想・行・識」が焼き尽くされるままに、われを忘れてしまうことがあります。「五蘊」― 1つの身体と4つの精神...

  • 第161回「真理のことば251」

    勝利(しょうり)からは怨(うら)みを引(ひ)き起(おこ)します敗(やぶ)れた者は苦(くる)しんで床(とこ)につきます勝敗(しょうはい)を捨(す)てて寂静(じゃくじょう)・安(やす)らぎに入(はい)った人は安(やす)らいで、楽(らく)に眠(ねむ)ります 「ダンマパダ201」 【まねび】勝敗を捨てるためには?まず「息(自らの心)」に気づき、心を鎮(しず)めます。「4つの無量(むりょう)の心」によって達成される、坐禅瞑想・禅定の安らぎ...

  • 第160回「真理のことば250」

    私(わたくし)たちの中に、どんな妨(さまた)げ・障害(しょうがい)も持(も)つことなく安(やす)らいで、楽(たの)しく生(い)きよう光(ひか)り輝(かがや)いている梵天(ぼんてん)さまたちのように喜(よろこ)びを食(は)む者となろう 「ダンマパダ200」 【まねび】簡素で健康な暮らしができる人は、正しい法(真理)「大自然の真理」を知っている人です。太陽の光り輝くさま、月や星の輝き、山の荘厳さ、川の流れる音、鳥のさえ...

  • 第159回「真理のことば197~199」

    怨(うら)みを懐(いだ)く者たちのなかにいて怨むことなく苦(くる)しみ悩(なや)む者たちのなかにいて苦しみ悩むことなく貪(むさぼ)り求(もと)める者たちのなかにいて貪り求めることなく安らいで楽しく生きよう安らいで楽しく住もう 「法句197~199」 【まねび】「怨(うら)み」とは。ブッダの教えでは、「5つの善くない行い」をいいます。 1. 殺生(せっしょう)― 生きものを殺す 2. 偸盗(ちゅうとう)― 盗みをする 3. ...

  • 第158回「真理のことば195,196」

    妄想(もうそう)を超越(ちょうえつ)し憂(うれ)いと悲(かな)しみを乗(の)り越(こ)えた供養(くよう)に値(あたい)する寂静(じゃくじょう)の諸(もろもろ)の仏(ほとけ)や諸の弟子(でし)を供養する人がいますこの供養する人の功徳(くどく)は誰(だれ)にも計(はか)ることができません 「法句195,196」 【まねび】「妄想(もうそう)」とは。 愛着― 私のもの 慢心― 私がいる 邪見― 私の考えこれら、3つの妄想のことです...

  • 第157回「真理のことば194」

    諸(もろもろ)の仏(ほとけ)の出現(しゅつげん)は幸(さいわ)い、正(ただ)しい法(ほう)を説(と)き示(しめ)すのは幸い、僧団(そうだん)が和合(わごう)しているのは幸い、和合している人たちが連修(れんしゅう)しているのは幸いです 「ダンマパダ194」 【まねび】在家の人、出家の人にかかわらず、苦しみの解決のために正しい「教え・法」があります。渇愛・執着・欲の煩悩などによって、「欲界(よくかい)」「色界(しき...

  • 第156回「真理のことば193」

    高貴(こうき)な人はどこにでも生(う)まれるのではありませんその賢(かしこ)い人が生まれる家(いえ)は安(やす)らぎ、楽(らく)へと導(みちび)かれて栄(さか)えがあります 「ダンマパダ193」【まねび】一切(いっさい)の善法(ぜんぽう)を円満(えんまん)にしている人が、高貴な人です。高貴な人は「十の波羅蜜(はらみつ)」を満たしています。一. 布施波(ふせは)羅(ら)蜜(みつ)二. 持戒(じかい)波羅蜜三. 出離(しゅり)波羅蜜四...

  • 第155回「真理のことば188~192」

    仏(ほとけ)・ブッダ・教(おし)え・法(ほう)・僧団(そうだん)に帰依(きえ)する人は四つの聖(せい)なる真理(しんり)を正(ただ)しい智慧(ちえ)をもって見ます苦(く)・苦の生起(しょうき)・苦の滅尽(めつじん)・苦の滅尽に導(みちび)く聖(せい)なる八つの部分(ぶぶん)からなる道(みち)ですこのような帰依は安穏(あんのん)、最上(さいじょう)ですこのような帰依に依(よ)ったならば苦(くる)しみから解(と)き放(はな)たれます ...

  • 第154回「真理のことば186,187」

    金貨(きんか)の雨(あめ)が降(ふ)ってももろもろの欲(よく)は満足(まんぞく)しないけれども賢(かしこ)い人は覚(さと)ります「欲の味(あじ)は楽が少(すく)なく、苦悩(くのう)のもの」とそれを知る正自覚者(しょうじかくしゃ)の弟子(でし)は渇愛(かつあい)・執着(しゅうちゃく)・欲(よく)の滅尽(めつじん)を喜びます 「ダンマパダ186,187」 【まねび】「賢い人は覚(さと)り」ます、とは。色々な欲望は、夢のようなものです...

  • 第153回「真理のことば185」

    罵(ののし)りも害(がい)することもなく「根本戒」をよく守(まも)り食事(しょくじ)は量(りょう)を知(し)り遠(とお)く離(はな)れて臥(ふ)し坐(すわ)り坐禅(ざぜん)・瞑想(めいそう)に励(はげ)みますこれが諸(もろもろ)の仏(ほとけ)の教(おし)えです 「法句185」【まねび】「根本戒」とは。善き意思、善き行いが尊ばれる基本の「五つの戒」です。 1. 不殺生戒――生き物を殺さないことを 保ちます。 ...

  • 第152回「真理のことば184」

    耐(た)え忍(しの)ぶのは最上(さいじょう)の修行(しゅぎょう)涅槃(ねはん)は最上(さいじょう)、と諸(もろもろ)の仏(ほとけ)は説(と)きます他(た)を害(がい)する者は出家者(しゅっけしゃ)ではない他を悩(なや)ます者は修行僧(しゅぎょうそう)ではない 「ダンマパダ184」 【まねび】「耐え忍ぶのは最上の修行」とは。忍耐(にんたい)こそが、ブッダの「教え・法」の練修修行の基本・根本です。貪らない、怒らない、気づきが...

  • 第151回「真理のことば183」

    どのような悪(あく)も行(おこな)わず専(もっぱ)ら善(ぜん)を完成(かんせい)する自分自身(じぶんじしん)の心(こころ)を浄(きよ)くするこれが諸(もろもろ)の仏(ほとけ)の教(おし)えです 「真理のことば183」 【まねび】ただ1つの布薩「教えと誡め」とは。「どのような悪も行いません 専(もっぱ)ら善を完成します」 1.

  • 第150回「真理のことば182」

    人間(にんげん)として生(う)まれるのは難(むずか)しい死(し)にゆく人が生(い)きるのは難しい正(ただ)しい教(おし)え・法(ほう)を聞(き)くのは難しい諸(もろもろ)の仏(ほとけ)が出現(しゅつげん)するのは難しい 「真理のことば182」 【まねび】私たちが、人間として生まれているのは、私たち自身の大変な精進努力の賜物(たまもの)です。善い世界に生まれるように善い行いの積み重ね、そのまた積み重ねの結果です。それゆえ...

  • 第149回「真理のことば181」

    賢明(けんめい)に坐禅瞑想(ざぜんめいそう)に努(つと)め寂静(じゃくじょう)、出離(しゅり)を喜(よろこ)んでいる気づき(念)をそなえた正(ただ)しい覚(さと)りに達(たっ)した人を神々(かみがみ)でさえも羨(うらや)みます 「真理のことば181」【まねび】「坐禅瞑想」「禅定(気づきの呼吸)」は、ブッダの「教え・法」の練修の根幹です。気づきの呼吸を続けていくと「禅定」を基礎にした勝れた智慧に到達します。また、自由自...

  • http://dhammapada423.blog.fc2.com/blog-entry-1596.html

    2,500年前ブッダは、誰に、どのような時に「法の句」を説いたのか。その教えについて、物語ります。 「法句179,180」[ブッダの]その勝利(しょうり)は敗(やぶ)られませんどのような人もその勝利を追(お)いません誘(さそ)い導(みちび)き、網(あみ)が絡(から)まるような渇愛(かつあい)・執着(しゅうちゃく)・欲(よく)はどこにもありません、このような無限(むげん)の境地(きょうち)跡(あと)の無いブッダをどのような跡によって誘...

  • 第147回「真理のことば178」

    地上(ちじょう)での絶対的(ぜったいてき) 権力(けんりょく)天上(てんじょう)の 世界(せかい)に趣(おもむ)く事全世界(ぜんせかい)の支配者(しはいしゃ)これらよりも聖者(せいじゃ)の最初(さいしょ)の境地(きょうち)「預流果(よるか)」が勝(すぐ)れています 「真理のことば178」【まねび】聖者の最初の境地が勝れています とは「呼吸に集中」する瞑想を続けていくと貪り 怒り 愚痴(ぐち)によって起こる 苦しみの世界から ...

  • 第146回「真理のことば177」

    強欲(ごうよく)・物惜(ものお)しみをする者愚者(ぐしゃ)は布施(ふせ)を讃(たた)えません賢(かしこ)い人は布施を喜(よろこ)びますそれ故次の世で楽(らく)になります 「真理のことば177」【まねび】賢い人は布施を喜びますとは「智慧と慈悲」の心です。「慈悲」「慈愛」は心を 癒(いや)してくれます。布施とは自分自身の持ち物所有物に対して執着心が 無くなり心は広く 解放されて寛大(かんだい)になる 行いです。同時に 他...

  • 第145回「真理のことば176」

    一つの 法(ほう)を保(たも)つ事なく嘘(うそ)、偽(いつわ)りを語(かた)り次の世を無視(むし) する者にどのような悪(あく)も行(おこな)えない事はありません 「真理のことば176」【まねび】どのような悪も行えない事はありません とは嘘(うそ) 偽(いつわ)りを 語る者は悪い行いをする可能性が ありますと、言っています。ブッダが 実子ラーフラに諭(さと)した 教えがあります。「意図(いと)した 故意(こい)の嘘(うそ)に対して...

  • 第144回「真理のことば175」

    白鳥(はくちょう)は太陽(たいよう)の道(みち)を行き神通力(じんつうりき)による者は虚空(こくう)を行きます賢い人は世(よ)の中から離(はな)れます魔(ま)と その軍勢(ぐんぜい)に勝利(しょうり)して 「真理のことば175」【まねび】神通力による者は虚空(こくう)を飛ぶ とは賢い人の振る舞いを このように 譬(たと)えています。「意欲 精進 意(こころ) 観察」 は「4つの神の足」といわれます。 これら「意欲 精進...

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