「弱さ」の神学 ー 待降節黙想会の講話
当教会で待降節の黙想会があった。ごミサの前に教会で開かれるということで、保久要師の講話が中心だった(1)。講話のタイトルは「クリスマス~弱さの中の希望」というもので、その内容は興味深いものであった。「弱さ」に関する保久師のお考えを整理されたもののようだ。師は神学という言葉を使ってはおられないが、弱さをテーマにした議論は教会内では珍しいので、ここに印象を書き残しておきたい。黙想のテーマは「神様の救いの計画」というもので、師は5ページにわたる長文のレジュメを配られた。以下、骨子だけをまとめてみたい。【レジュメ】師の主張は簡潔だった。「なぜ救い主は「弱い」存在としてこられたのか?」この問いに答えるために師はつぎのように話を始められた。①第一の創造では、神はアダムとイブを作られた:アダムとイブは「大人の姿」として...「弱さ」の神学ー待降節黙想会の講話
2024/12/09 15:56