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生活詩人・山村暮鳥・《序》
月 ほっかりと 月がでた 丘の上をのっそりのっそり だれだらう、あるいてゐるぞ (『雲』より) 山村暮鳥といえば『雲』というように、我々はおのがじし身勝手な親近感を胸に秘めて、山村暮鳥の研究に着手したわけであるが、まず第一印象として、誰もが感じたことは、彼のあののんびりと...
2025/05/27 09:15
◆引用文献◆
〇『昭和史』(遠山茂樹・他)・岩波新書 〇『日本資本主義講座』・第一巻・岩波書店 「資本主義の全般的危機と第二次世界戦争」(小椋広勝) 「太平洋戦争とアジアの民族革命」(小椋広勝) 「占領をめぐる内外の情勢」(陸井三郎) 〇『日本資本主義講座』・第三巻・岩...
2025/05/23 09:09
後記・Ⅱ・「楢山節考」(深沢七郎)覚え書
「庶民」とは「広辞苑」によればもろもろの民、人民あるいは貴族などに対し、なみの人々平民といほどの意である。だがしかしこれでは満足できない。その満足できない部分すなわち日本の大衆の内在的さりかた、内在的な意識構造を深沢は表現した。しからばその「庶民」という言葉のもつ内容とは何...
2025/05/23 09:03
後記・Ⅰ・「黒い雨」(井伏鱒二)覚え書
「日本人」というものの社会的存在形態、あるいはパーソナリティをこれほどまでにその内部からとらえている小説はないだろう。 私達がこの小説を読む過程の中でもつある「親近感」とはいったいどういうものであろうか。おそらく井伏鱒二は原子爆弾の恐ろしさ、あるいは戦争はまだ終わっていな...
2025/05/22 16:43
戦後文学の思想と方法・吉本隆明小論・《6》
そのようなことがもし吉本にとって自明のことであるとすれば、彼の「芸術論」には明らかに、「芸術はどのようにして創られるか」という視点が欠けている。それは同時に、芸術創造の過程における、芸術家と生のままの現実とのダイナミックな関係を見落としていることでもある。 私はそこに吉本...
2025/05/22 08:50
戦後文学の思想と方法・吉本隆明小論・《5》
ここで吉本はどのようなことをいっているのであろうか。 例えば、一人の画家が一つの風景を前にして絵を画き始めたとする。このときその画家の芸術創造の原動力となるものは、一つの風景とそれを画きたいという彼の衝動(内部意識)である。吉本はその「風景」(現実)と内部意識の関係を循...
2025/05/21 15:12
戦後文学の思想と方法・吉本隆明小論・《4》
私はこの要約における、吉本の蔵原に対する批判には全面的に同意する。 すなわち、まず階級闘争を主要主題としなければならない、といった「主題の積極性」理論、それはひとたび転向によってその思想体系を百八十度転換するや否や、まず帝国主義的侵略(「聖戦」)をその主要主題としなけれ...
2025/05/21 15:08
戦後文学の思想と方法・吉本隆明小論・《3》
さて、その第二の部分は、いわゆる二段階転向論である。それはプロレタリア文学並びに文学運動批判としてあり、同時にまた吉本隆明の提起する芸術論、芸術運動論の問題でもある。 彼のいう二段階転向論とはいかなるものであるか。 〈わたしのかんがえでは、(略)プロレタリア文学運動の...
2025/05/21 08:42
戦後文学の思想と方法・吉本隆明小論・《2》
さて吉本は「転向」ということを次のように規定する。 〈それは、日本の近代社会の構造を、総体のヴィジョンとしてつかめそこなったために、インテリゲンチャの間におこった思想変換をさしている。〉(「転向論」・『芸術的抵抗と挫折』・未来社・169頁) すなわち、吉本にとって転向...
2025/05/20 16:22
戦後文学の思想と方法・吉本隆明小論・《1》
・・・泣いてゐるものが一番悲しんでゐるわけではないのだ・・・(「中毒」織田作之助) この論文をしめくくるに当たって、吉本隆明をとりあげようとするのは、他でもない、けだしこれまでの私の戦後文学に対する言及の論拠が、吉本のそれに負うところきわめて大だと考えるからである。とは...
2025/05/20 08:52
戦後文学の思想と方法・坂口安吾論・《13》
だがしかし私は一方でそうした精神主義的限界をみながら、坂口安吾を次の二点において評価しなければならない。 その一は、「堕落論」における《醇風美俗》意識に対する闘いであり、その二は「オモチャ箱」における、新しい芸術論の提起においてである。 〈彼の小説の主人公はいつも彼自...
2025/05/19 16:19
戦後文学の思想と方法・坂口安吾論・《12》
〈人間だけが地獄を見る。然し地獄なんか見やしない。花を見るだけだ。〉(「教祖の文学」・前出・Ⅱ・32頁) はたして、この花とは桜の花びらのことであったろうか。 《桜の森の満開の下》とは何か。それは芸術という一つの空間であり、人間が「真実」を垣間見る、一瞬の世界ではあ...
2025/05/19 10:03
戦後文学の思想と方法・坂口安吾論・《11》
私は「木枯の酒倉から」「風博士」「母」といった小説が、「海の霧」や「竹藪の家」とたとえ同時期に書かれたとはいえ、はっきりとその両者に区別をつけなければならないと思うのだ。すなわち、坂口安吾は前者において、人間の不可解さを見つめ、それによって得た一つの「観念」によって、後者...
2025/05/19 08:41
戦後文学の思想と方法・坂口安吾論・《10》
だがそれではいったい、そうした坂口安吾の姿勢とは、いいかえればどういうものなのであろうか。私はそうした姿勢に、必ずしも坂口安吾のオリジナリティ、あるいは可能性を求めようとしないにである。 母の憎しみによって与えられ、育てられた坂口安吾の観念、それは人間はあくまで不可解な...
2025/05/18 20:07
戦後文学の思想と方法・坂口安吾論・《9》
〈母。…得体の知れぬその影がまた私を悩ましはじめる、 私はいつも言ひきる用意ができてゐるが、かりそめにも母を愛した覚えが、生れてこのかた一度だってありはしない。ひとへに憎み通してきたのだ「あの女」を、母は「あの女」でしかなかった。〉(「をみな」・前出・Ⅵ・29頁) 坂...
2025/05/18 16:18
戦後文学の思想と方法・坂口安吾論・《8》
坂口安吾の思想とは何か。だがその前に私は、坂口の次のような言い方に注意しなければならない。 〈思ふに文学の魅力は、思想家がその思想を伝へるために物語の形式をかりてくるのではなしに、物語の形式でしかその思想を述べ得ない資質的な芸人の特技に属するものであらう。〉(「大阪の反...
2025/05/18 09:09
「FARCEに就て」の骨子はいうまでもなく文学方法論であるが、福田が「文学について語ったことばのはうが、ずっと深く人生の真実を突いてゐる」と指摘しているように、ここで坂口は文学のレーゾン・デートルを人間のレーゾン・デートルとして語っているのである。つまり先の私の同意し得な...
2025/05/17 13:52
戦後文学の思想と方法・坂口安吾論・《6》
さて私は、坂口と私の関係を必然化せしめるものが、坂口と私が共に生きるとはどういうことなのかという問いかけを、おのれに向かって発している人間であるという、芸術的事実であると言った。そしてそれは、実生活において坂口が書こうとすることによって、また私が読もうとすることによって、...
2025/05/17 09:01
戦後文学の思想と方法・坂口安吾論・《5》
さて、それではいったい福田恒存のいう、「作品を通じてつかみ得た」坂口安吾のすがたは、どこにおいて存在し、またいかなる方法において捉え得るのであろうか。この問題について、私は坂口安吾と必ずしも同意見ではない。私は次のように考える。私がまず「作品を通じて」坂口安吾の姿をつかも...
2025/05/16 16:18
戦後文学の思想と方法・坂口安吾論・《4》
もし、生活とは何か、生きるとはどういうことかという問いに、答える方法それが、他ならぬ生きることだといったら、それは同義反復だろうか。ともかくも坂口安吾は、そのような同義反復におのれの芸術を賭けているのだ。 〈私が自ら戯作者と称する戯作者は私自身のみの言葉であって、いはゆ...
2025/05/16 08:43
戦後文学の思想と方法・坂口安吾論・《3》
坂口安吾は、おのれに向かって生活とは何か、生きることはどういうことか、という問いかけを、その生涯にわたって発しつづけた人間であった。とはいえ私は、坂口安吾に会って彼の口からそれを聞き正したわけではない。何故そのようなことがいえるのであろうか。ただそう言ってみただけのことで...
2025/05/15 16:15
戦後文学の思想と方法・坂口安吾論・《2》
さて、生活とはいったい何であろうか。私は『広辞苑』のいう二つの意味それ自体というよりはむしろ、その二つの意味の差異に、注目しなければならない。なぜなら、その差異の関係をもたらすそのもの、もしくは要因こそが正に生活であると思うからである。 ちなみにその二つの意味の差異とは...
2025/05/15 13:46
戦後文学の思想と方法・坂口安吾論・《1》
・・・私はつまり天来の退屈男なのだから、生活を芸術と見る。・・・(「金銭無情」昭和22年) いったい、生活とは何であろうか。『広辞苑』(岩波書店)によれば〈①いきていること。いかすこと。生存して活動すること。生存して働くこと。②活計。くらし。くちつぎ。すぎわい。〉である。...
2025/05/15 08:42
戦後文学の思想と方法・石川淳小論・《11》
「わたし」は、胸膜炎と「精神の運動」によって自己の生活と「観念」を、いくさ仕掛の世界とその生活意識に対立させた。だがそのことによって正に「わたし」は、色仕掛の世界において文字通り自己の闘いを闘わねばならなくなる。すなわち弓子との闘いである。「わたし」と、弓子とをその色仕掛...
2025/05/14 16:28
戦後文学の思想と方法・石川淳小論・《10》
「無尽燈」(昭和21年)、それは一見すると「焼跡のイエス」に比べて戦後的な作品とはみえないかもしれない。だがそれは明らかに石川淳における《戦後》の文学的表現なのである。いうまでもなく「無人燈」は、石川淳のこれまでの生活に対する回想録では決してない。 〈あひにく、わたしは...
2025/05/14 14:04
戦後文学の思想と方法・石川淳小論・《9》
石川淳は「死」を一つの「現実」として受け止めた先の登場人物たちに次のような会話をさせている。 〈「帯子にも判らない、何だかとてもいい気持ち。でも三治ったら、ずいぶんはらはらさせるの。沖で、いきなり泳ぐんだって冷たい水の中に飛びこみさうにするの。自動車に乗ったら、きっと崖...
2025/05/14 08:56
戦後文学の思想と方法・石川淳小論・《8》
ところで石川淳において、自己の「観念」を表現することが小説であるとすれば、彼の闘いは、より厳密にいえば彼自身の内部意識における生活意識(地上的感情)と精神生活者として追求する理想観念(それは世界観もしくは世界像といいかえることができるだろう)との闘いとしてあるだろう。とす...
2025/05/13 14:11
戦後文学の思想と方法・石川淳小論・《7》
〈わたしは元来飛行家の弟子なのだ。雲をも風をも低しと見て過ぎつつ厚みも重みもない世界へ入らうとする離れ業はさることながら、わたしのもくろむのは低空飛行で、直下に現ずる此世の相をはためく翔に掠め取って空に曼荼羅を織り成さうと云ふ野心を蔵してゐるのだが、さて梅子とか仙吉とか雑...
2025/05/13 11:28
戦後文学の思想と方法・石川淳小論・《6》
ところで「佳人」は、佳人についての叙述ではない。「わたし」にとって佳人とはミサのことであるが、石川淳にとってそのようなことはどうでもよかったはずだ。にもかかわらず、石川淳はこの叙述を「佳人」と題した。そのことは彼がこの叙述においてことさら「わたし」という登場人物を設定した...
2025/05/13 09:07
戦後文学の思想と方法・石川淳小論・《5》
「わたし」は、かくて臍からではなく、死もしくは死の意識から自己の生活を再出発させようとする。 〈その間にしたことといへば、これまでし来った些かな習慣をさへ削除することであった。まづ例の手帖(注・・ユラとの愛について考えるための手帖)など焚き捨てること、つまらぬ歌や句をひ...
2025/05/12 13:48
戦後文学の思想と方法・石川淳小論・《4》
「わたし」は、ユラ、ミサたちとの生活を「魚のような漠然たる生存」と名づける。同時にまた、それは「わたし」の生活に絶望する生活の表現でもある。そして「わたし」はというより石川淳はそうした「魚のような漠然たる生存」に一つの決着をつけようとする。すなわち書き手としての「わたし」は...
2025/05/12 13:43
戦後文学の思想と方法・石川淳小論・《3》
さてそれでは石川淳にとって「佳人」が意味するもう一つの意味、すなわち新しい「生活」への出発とはどのようなものであったのか。厳密にいえば、それは新しい「生活」への出発という形を、生活的な意味においてとるものではない。むしろ認識者から表現者へ飛躍するときの一つの契機、そういう...
2025/05/12 08:45
戦後文学の思想と方法・石川淳小論・《2》
〈ここでわたしのペンはちょっと停止する。もしわたしがこの叙述を小説に掏りかえようとする野心をもってゐたとしたらば、別にできない相談ではあるまい。〉(前出・51頁) これは「佳人」のおわりの部分の書き出しであるが、石川淳は、斜面をずり落ちてゐった「わたし」について書いてい...
2025/05/11 14:39
戦後文学の思想と方法・石川淳小論・《1》
・・・春とはいへ、夜更の風酔ざめの襟に沁み、はっと夢破れて起きあがった曽呂利が大きな嚏一つ、ほい、まだ地上に生きてゐたか。・・・(『曽呂利噺』) 人は石川淳について語るとき、何故石川淳的にならざるを得ないのであろうか。いいかえれば、何故石川淳の言葉で石川淳を語らざる...
2025/05/11 09:31
戦後文学の思想と方法・織田作之助論・《11》
さてそれでは、織田がめざした方法上の転換とはそのようなものであったのだろうか。 織田は「郷愁」において、自己の小説方法論をあからさまに述べている。そこにおいては「世相」と「人間」とが対立的にとらえられ、彼の結論は、人間の郷愁への回帰という形をとる。 〈再び階段を登って...
2025/05/10 14:15
戦後文学の思想と方法・織田作之助論・《10》
織田は、戦後間もなく発表した「表彰」(『文芸春秋』昭和20年12月号)という作品で次のように書いている。 〈伊三郎が消防部の副班長に任命された頃、お島は警防団から表彰された。表彰式の日お島は名前を呼ばれると、居並ぶ団員の一人一人にペコペコ頭を下げながら団長の前へ出て行った...
2025/05/10 09:07
戦後文学の思想と方法・織田作之助論・《9》
織田は、この作品でも、登場人物の内面に立ち入ることをことごとく避け、かわりに船、海、あらし、動物、その他生活用品等で彼らの「生活」を表現している。だがそれは、もはや人間関係そのものを媒介させうる社会的な「物」としてのそれではなく、自然の一部としての人間に対してきわめて並列...
2025/05/09 18:07
戦後文学の思想と方法・織田作之助論・《8》
〈ところがある日、賀来子は電球を手にしてしきりに溜息をついてゐる基作をあやしんで、その電球をどうするつもりですかと訊いた。まさか玩具だとも言へず、古い電球を新しい電球にする法を思案してるねんと答へると、そんなことできるんですか。出来ィでかいな。すると賀来子はさうですかと暫...
2025/05/09 08:40
戦後文学の思想と方法・織田作之助論・《7》
さてすでに述べたように、織田作之助の方法意識の中には、ストーリー・テリングに対立するものとしての近代的リアリズムへの志向がふくまれていた。私はそのあらわれを「夫婦善哉」「素顔」「天衣無縫」といった作品にみたわけだが、その中でも「夫婦善哉」「素顔」と「天衣無縫」との間には異...
2025/05/08 17:51
戦後文学の思想と方法・織田作之助論・《6》
資本主義社会が発展していく中で、かつての封建中流階級は「庶民」として生き抜くために、他ならぬ「庶民」を徹底的にだましつづける他はなかった。いわゆる日本的なブルジョア合理主義とは、伝統的な仏教・儒教道徳としての「勧善懲悪」思想の裏返しとしてあるのであり、それゆえ両者における...
2025/05/08 09:23
戦後文学の思想と方法・織田作之助論・《5》
織田作之助は、いわゆる生活というものを平面的な流れとしてとらえる。そしてその流れは、多かれ少なかれ「運命」とよばれる一つの必然性によって支配されている、という認識がある。織田は「雪の夜」において、坂田というひとりの男が、瞳という娘に惚れるということをきっかけに、どこまでも...
2025/05/07 17:13
戦後文学の思想と方法・織田作之助論・《4》
周知のように、井原西鶴は江戸時代の封建社会体制をなし崩し的に崩壊せしめる、変革の可能性を裡に秘めた新興階級(町人)、つまり商業資本家の代表者として登場した。従って、井原西鶴の小説は、新興階級の封建社会に対する自己主張であり、中世的な美意識や、儒教道徳を拠りどころとする当時...
2025/05/07 17:09
戦後文学の思想と方法・織田作之助論・《3》
織田作之助におけるストーリー・テリングという方法は、「ストーリーの奇抜な変化に凝ったり」するようなものではなかった。 〈その頃、もう人に感付かれた筈だが、矢張り誰にも知られたくない一つの秘密、脱腸がそれと分かる位醜くたれ下がってゐることに片輪者のやうな負け目を感じ、これ...
2025/05/07 10:45
戦後文学の思想と方法・織田作之助論・《2》
織田作之助の「文学」における基本的方法をひとくちでいえば、それはストーリー・テリングという方法である。 〈おれの小説は一気に読める、と彼は豪語していた。いかにも彼の文体はキビキビして、鈍味がなく、素早い頭脳回転に渋滞のあとがなかった。しかし彼の頭脳は素早く回転すればする...
2025/05/07 08:49
戦後文学の思想と方法・織田作之助論・《1》
・・・夜を経なくっちゃ、太陽が登らないのだ。・・・(「夜の構図」) 織田作之助、太宰治、坂口安吾、石川淳、この順は彼らの世を去る順であった。そして中島誠は、この順を彼らの文学的資質の順としてみている。 〈必ずしも、淳、安吾、治、作之助の四人は同質の作家ではないだろう。...
2025/05/06 14:36
戦後文学の思想と方法・戦後文学とは何か・Ⅱ・《8》
さて、もう一度戦後の文学現象をながめてみたい。 1 志賀直哉・永井荷風・正宗白鳥・谷崎潤一郎らの大家の復活 2 上林暁・尾崎一雄・外村繁らによる私小説の復活 3 舟橋聖一・田村泰次郎・石坂洋次郎らの風俗小説 4 川端康成・田宮虎彦・井上靖らの中堅作家 5 織田...
2025/05/06 08:49
戦後文学の思想と方法・戦後文学とは何か・Ⅱ・《7》
またすぐれた文学を次のように規定している。 〈すぐれた文学とは、われわれを感動させその感動を経験したあとでは、われわれが自分を何か変革されたものとして感ぜずにはおられないような文学作品だといってよい。感動しうるためには、その作品はわれわれにとって再経験しうるものでなければ...
2025/05/05 16:49
戦後文学の思想と方法・戦後文学とは何か・Ⅱ・《6》
さて、ここで注意すべきは、科学も芸術もそのような対立をいわゆる「実践・・認識・・再実践・・再認識」という形でおこなうが、そのとき科学にとっての実践とは正に認識の実用化であり、芸術にとっての実践とはそのような対立の表現であり、その表現はおおむね非実用的なものであるということ...
2025/05/05 13:50
戦後文学の思想と方法・戦後文学とは何か・Ⅱ・《5》
ところで芸術がそのような人間の生活活動の意識的生産の中から生まれてきたということははたして自明のことであろうか。 思うに、人間がその生活において意識的生産と物質的生産を《同時に》行うとは、いいかえれば人間の生活は意識的生産と物質的生産との対立として存在するということでは...
2025/05/05 08:27
戦後文学の思想と方法・戦後文学とは何か・Ⅱ・《4》
ここでいう自己疎外とは、人間が絵を描こうと思って描きはじめるや否や、その描かれた絵が独立して、逆に人間を支配しはじめるというそうした人間と絵との関係、もしくは人間の意識活動の内的構造のことである。だがこうした自己疎外という現象は、単に人間の意識活動の中にあるばかりでなく、...
2025/05/04 14:23
戦後文学の思想と方法・戦後文学とは何か・Ⅱ・《3》
人間を人間たらしめているものは、その存在を存在たらしめている生産活動・生活活動に他ならないが、マルクスはそれを動物の生産活動と区別して「自由な」生産活動であると規定する。すなわち、動物が直接的な肉体的欲望に支配されて生産するのに対して、人間は肉体的欲望から自由に生産し、し...
2025/05/04 09:34
「日本国憲法改正草案・自由民主党」修正案・《6》
【第五章 内閣】 ◎草案(修正該当部分) 第七十二条3 内閣総理大臣は、最高指揮官として、国防軍を統括する。 ◎修正案 第七十二条3を削除する。 《解説》 ・修正案においては、国防軍は存在しないので、この規定は不要である。 【第九章 緊急事態】 ◎草案 (緊急事態の宣言) ...
2025/05/03 09:47
「日本国憲法改正草案・自由民主党」修正案・《5》
【第四章 国会】 ◎草案(修正該当部分) 第四十二条 国会は、衆議院及び参議院の両議院で構成する。 第四十九条 両議院の議員は、法律の定めるところにより、国庫から相当額の歳費を受ける。 ◎修正案 第四十二条 国会は、衆議院及び参議院の両議院で構成する。 2 参議院は非政党議...
2025/05/03 09:46
「日本国憲法改正草案・自由民主党」修正案・《4》
【第三章 国民の権利及び義務】 ◎草案・1(修正該当部分) 第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民はこれを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び責務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならな...
「日本国憲法改正草案・自由民主党」修正案・《3》
◎草案 【第二章 安全保障】 (平和主義) 第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。 2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。 (国...
2025/05/03 09:03
「日本国憲法改正草案・自由民主党」修正案・《2》
《日本国憲法改正草案・自由民主党》修正案・《2》 【第一章 天皇】 ◎草案(修正該当部分) (天皇) 第一条 天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。 (国旗及び国家) 第三条 国旗は日章旗とし、国...
2025/05/03 09:00
「日本国憲法改正草案・自由民主党」修正案・《1》
【前文】 ◎草案 日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴いただく国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。 我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めて...
2025/05/03 08:58
戦後文学の思想と方法・戦後文学とは何か・Ⅱ・《2》
芸術とは何かという問題はだがしかし、決して主観的な解釈ですませてはならない。つまりそれは芸術をいかに認識するかという問題であり、その限りにおいて認識は正に《科学的》でなければならない。なぜというのに、芸術という言葉が指す対象が具体的に私たちの前に存在しているわけではないの...
2025/05/02 18:16
戦後文学の思想と方法・戦後文学とは何か・Ⅱ・《1》
・・「歌わぬ詩人ということはありえない」(ヘーゲル)・・ 私は、戦後文学を規定しようとするとき、戦後の文学現象に登場した個々の文学者たちが、「戦前」から「戦後」へという歴史的転換を一つの「状況」としてどのように認識したかということと、個々の文学者たちが自己のありかたを表現...
2025/05/02 11:28
戦後文学の思想と方法・戦後文学とは何か・Ⅰ・《12》
それでは「民主主義文学」についてはどうか。 まず、それがアメリカ占領軍を解放軍と見あやまった日本共産党の文化政策の一環として存在していることはいうまでもない。そして彼らの文学運動理論が、その「政治の優位性」理論によって、かつての文学報国会のそれと表裏一体のものであること...
2025/05/02 09:12
戦後文学の思想と方法・戦後文学とは何か・Ⅰ・《11》
私の『近代文学』派に対する評価を要約すると次のようになる。 彼らは戦後、日本の社会に残存している前近代性に注目し、それを近代化しようとした。それは多分に彼らの戦争体験にもとづいた発想である。彼らの戦争体験とは、厳密には戦時体験もしくは転向体験であり、彼らの思想の拠りどこ...
2025/05/01 18:02
戦後文学の思想と方法・戦後文学とは何か・Ⅰ・《10》
だが、『近代文学』派が主張した文学論上における前近代性の克服、それはすでにみたように私小説リアリズムの否定ということであった。そしてそのことはいかなる文学論(芸術論)にもとづいて主張されたのであろうか。つまり『近代文学』派は、いかなる文学的視点から私小説リアリズムを否定し...
2025/05/01 13:35
戦後文学の思想と方法・戦後文学とは何か・Ⅰ・《9》
マルクスは、インテリゲンチャが何故にプチ・ブルジョアジーであり労働者と敵対するものであるかを、ここにおいて明確に語っている。ここで重要なことは、インテリゲンチャの主観にかかわらず、まず彼らの「存在」こそが近代的な生産関係によって決定的に基礎づけられ、同時にその「存在」は、...
2025/05/01 08:50
2025年5月 (1件〜100件)
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