長崎めぐみ教会 tearoom 2
読者になる
住所
出身
ハンドル名
長崎めぐみ教会 tearoom 2さん
ブログタイトル
長崎めぐみ教会 tearoom 2
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/nagasakimegumi
ブログ紹介文
日本イエス・キリスト教団 長崎めぐみ教会から、楽しいお知らせ、牧師のつぶやき、日記、メッセージなどお
自由文
-
参加カテゴリ

哲学・思想ブログ / キリスト教

ライフスタイルブログ / 感謝と祈りの暮らし

地域生活(街) 九州ブログ / 長崎県情報

更新頻度(1年)

73回 / 324日(平均1.6回/週)

ブログ村参加:2015/07/03

※ランキングに参加するとカテゴリ順位・ポイントが表示されます。

今日 10/13 10/12 10/11 10/10 10/09 10/08 全参加数

長崎めぐみ教会 tearoom 2さんのブログ記事

1件〜30件

新機能の「ブログリーダー」を活用して、長崎めぐみ教会 tearoom 2さんの読者になりませんか?

ハンドル名
長崎めぐみ教会 tearoom 2さん
ブログタイトル
長崎めぐみ教会 tearoom 2
更新頻度
73回 / 324日(平均1.6回/週)
読者になる
長崎めぐみ教会 tearoom 2
  • 万事が益に変えられる

    2019年10月2日(水)秋の特別集会(ウエルカム礼拝,他)が今日で終了。さいごのゲストを浦上駅まで送り、教会に帰ると、イスも綺麗に並べられ、10月の聖餐礼拝の準備をすれば良いだけになっていた。厳粛な気持ちと共に、主に在る姉妹方のご奉仕に感謝で溢れる。今、一人静かに、夕暮れを迎えようとしている礼拝堂で、一週間を振り返る。9月26日(木)郵送した残りのハガキに一筆を添え、住所を印刷して配布。さいごの1枚を配り終えて、長与の山の上の住宅街から見た夕日です。英会話KIDSクラスが28日(土)pm2:00から行われることが決定!なかなか日程が決まらず、特別集会までに開催を!と祈っていた通りになってしまった!27日(金)特別集会のための買い物に車でショッピングセンターを走りまわる。消費税10パーセントを目前にどのお店もポ...万事が益に変えられる

  • A・W・トゥザー聖書日課から

    神の中で満たされて生き、その経験した臨在から一瞬たりとも離れずに生活できることは、すべてのキリスト者に与えられている特権である。その全生活は祈りになる。考えは頭の中での祈りになり、その行為は、行動の中での祈りになり、睡眠さえ、無意識の祈りとなるのである。「日々、聖霊に満たされて」よりA・W・トゥザー聖書日課から

  • 雲仙散策

    つかの間の夏休みでも、めぐみが溢れました(^_-)-☆雲仙散策

  • A life of purpose | Rick Warren

    Alifeofpurpose|RickWarrenAlifeofpurpose|RickWarren

  • ”試み”は”心見”なのか?

    2019年9月11日(水)水曜聖書研究祈り会列王記17章から主の預言者エリヤを通して2回目の学び。まずは、F師の幸いなビデオメッセージ。真に神を信じて行動している者であったかどうかが、探られる。メッセージでも教えられたが、神は、ザレパテのやもめ女にエリヤを養わせるからと命じたが、一人の人をを養わせるほどだから、裕福な婦人かと思えば、あに諮らんや、その婦人は、極貧な上、最後の一握りの小麦粉と油でパンを焼き、それを食べて、子どもと共に死のうとしていたのだった。その婦人に向かって、エリヤが発したことばはこうだ。「恐れるにはおよばない。行って、あなたの言ったとおりにしなさい。しかしまず、それでわたしのために小さいパンを、一つ作ってもってきなさい。その後、あなたと、あなたの子供のために作りなさい。『主が雨を地のおもてに降...”試み”は”心見”なのか?

  • みことばgift !!

    2019年8月13日(火)午後、納骨堂の周りに除草剤を蒔くハズだったことを思い出し、あわてて、OKで除草剤を購入して、墓地に急いだ。長崎のお盆は、墓参客でラッシュ!先日姉妹と2人で引き抜けなかった強力な草の根に向かって除草剤を注入した。効果は一週間後あたりからだそうだ。それはそれは大きな根っこなので、なんだか枯れそうにないように思えた。2019年8月14日(水)夕方、九州高速バスから、台風10号到来の為、私が予約していたバスが運休になったとの連絡が入る。残念ながら、明日、明後日と予定していたバス旅行がキャンセルになってしまった。折角、駅前のパークホテルが朝食付きで5000円以下でゲットできたと言うのに、、、ああ、残念だ~見たいこと、尋ねたいことも目白押しだったのにナ~それにつけても、突然訪れた空白の2日間どう過...みことばgift!!

  • 収穫

    ー日々聖霊に満たされてーA・W・トウザ―聖書日課から「生活の中での魂の収穫」御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取り取るのです。ガラテヤ6・8聖霊によって永遠の報酬を受けるためには、全権を主に明け渡さなければならない。御霊によって行い、キリストに従って行い、三位一体の神に誉れをもたらす目的で行われる行為は、限りない祝福の種である。いのちという第一の賜物は行いによってではなく、贖い主の十分な働きを信じる信仰によって与えられる。しかし、十字架による罪の赦しと新生のめぐみに与った後においても、キリスト者は将来を自分の手で実現しようとする。もし、御手の中で、自分自身を明け渡して、自分を捨て、自分の十字架を負って、柔和に従って行くならば、その人の行為は、いのちと永遠の栄光の種になる。たとえ、自分のした愛の行い...収穫

  • 2019年 盛夏

    2019年8月1日(木)うだるような暑さの中で、午後、髪を切った。7月から、毛糸玉のように汚く纏わりついていた毛先が、美容師さんの手で綺麗に刈り取られてゆくのは心地良い。鏡を見ると、どこかで見たことのある顔だと思っていたら、20年も前に亡くなった母の顔を思い出した。私の中に今も母が生きている、そう思えた。2日(金)明日の英会話を見越して、週報、礼拝メッセージの仕上げを目論んだ。クーラーをつけると、意外に仕事は(メッセージ以外は)はかどり、次週の役員会アジェンダまで進んだ。溜まっていた牧会日誌も手帳やカレンダーをめくりながら書き込み、「クーラーがあれば生きていけるワ!」と、思った。8月は電気代のことは忘れることにしよう。日没を待って、ツタヤまで散歩を兼ねて出かけた。生きる力が失いかけているらしい一人の方を思い起こ...2019年盛夏

  • ただ、清いものにあこがれて

    2019年7月27日(土)礼拝堂で黙想の時をもった。40年の月日が走馬灯のように駆け抜ける。何が私をこの40年走らせたのだろう。ただ、きよいものにあこがれていた、そう、それだけだったのかもしれない。ただ、清いものにあこがれて

  • トウザー聖書日課「日々、聖霊に満たされて」から

    「聖性は神である」神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。・・・手を洗いきよめなさい。・・・心を清くしなさい。ヤコブ4・8・・・キリスト者生活の聖性とは、降伏し、明け渡し、(神に)頼っている信者に、神の御霊が住み、満たし、満足させてくださることである。私たちは、いつ神の臨在とともに聖性が与えられたと認め、告白するのだろうか。私たちは、いつ神との真実の出会いによって、心の純潔が与えられた信じるのだろか。キリストは単に私たちを聖化されるだけではない。ご自身、私たちの聖性なのである。まさに燃えている柴に火が宿ったように、キリストが私たちの心の内に生きておられるなら、生きた出会いと経験によって、私たちは清められて純潔になる。神聖で純粋なキリストが私たちの中に生きてくださるなら、そういうこうこ...トウザー聖書日課「日々、聖霊に満たされて」から

  • 台風効果?

    2019年7月20日(土)台風5号が五島沖を通過し、テレビで情報が全国に流れた様で、思いがけない方々から電話やラインでメッセージが飛び込んできた。日頃はだんまりを決めている固定電話も、今日だけはひきりなしで、「あの音は、そうだ、電話の音だ!」と、携帯と電話の間をいったり来たりした。中には強力な「祈りの人」がおられて、2人の方に新たに「長崎めぐみ教会祈りのサポーター」にご招待させていただいた。「これって、ヤッパリ台風効果カナ??時には、遠くの人に心配していただくのも、悪くはないかもしれない。」などと思いながら、土曜日の夜は、ムンクの叫び状態のはずの心が、なぜか、今日だけはホカホカとしている。明日が気になって眠れないのではなく、嬉しくて、感謝が溢れて、暫く眠れそうにない。こんな気持ちになれること、めったにないから、...台風効果?

  • 幸せなひと時

    2019年7月17日(水)先日、一人の来訪者があり、入ってこられるなり、「ここの礼拝堂は本当にくつろぎますね、臨在を感じます」と、言ってくださった。図らずも、今日の聖書研究祈り会は、「教会について」聖書神学事典から学んだ。「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」エペソ1:23祈祷会後、一人礼拝堂で雑務をしつつ不思議な喜びが沸き上がり、何かがあったわけではないのに、なぜか幸せ感に満たされた。「ああ、ヤッパリ、教会は、いっさいのものを満たす方の満ちておられるところなんだ!」と思いつつ、礼拝堂がめぐみの家に移転されても、この主のご臨在がご一緒に行ってくださらなければ、と、切に思った。・・・それにつけても、リフォーム会社の方からの連絡がないケドね、、、...幸せなひと時

  • ミッション

    2019年7月15日(月)うたた寝をしてしまい深夜に目がさめた。なぜか心がざわめき、内に勝利がない。街灯も消して、一人主の御前に静まった。明らかに一つのことが心にひっかかっている。それは、のどに小骨がひっかかっている様な状態、と言えば良いのだろうか?具体的にと言えば無くもなく、あれがこうで、これがこうで、それでここが気になっている。と、言えば言えないこともない。しかし、それが全てという訳でもないように思え、暫くパットしない心を抱え、礼拝堂でため息をついていた。・・・・・どれくらい時間が経っただろうか、フト、天が開かれるように、それまでとは全く違った思いが舞い込んできた。「大切なことは、神様を示すこと、私の立場でできることは、終極それだけかもしれない。イヤ、それこそが最も重要だったんだ!」と、思った瞬間、エンドレ...ミッション

  • 祈りの応え

    2019年7月9日(火)8日(月)福岡の会議を終えて、小倉のA姉を訪問。小倉で一泊。9日(火)目覚めるなり、身支度を整えて、7時半の高速バスに乗る。夏の行事の後の生ごみ出しは結構課題で、心のどこかに、「生ごみ」がひっかかっていたのも、早く帰ってきた理由の一つ。小倉から長崎まで3時間数分。と、言うことは、バス停から教会までの配車時間を入れるとざっと、11時には帰着できる。ゴミ収集車は、早い時で、9時半から10時。でも、遅い時にはお昼ごろになることもあり、ひたすら心の中で「今日がゴミ収集車の遅い日でありますように」と祈りながら、一目散に11時10分ほど前に帰り着くも、すでにゴミ収集所のゴミはなく、、、こういう時の祈りって、神様はお聞きくださらないのカナ?などと、チョッピリぶつくさ言いながら、どれだけ我が家のゴミ箱の...祈りの応え

  • 信仰の報酬

    2019年7月7日(日)どうだろう・・・1300枚の子ども大会のチラシを配布し、ドキドキしながら、当日を迎えた。子どもが9名、お母さんが2人来てくれて、英語のトワイアルレッスンも、腹話術もこれ以上楽しく充実している内容は望めないほどだった。奉仕してくれた人たちは、みんな声をそろえて、「良かったネ!」と言われた。けれど、なぜか私の心は、「神様、1300枚配ったのですケド・・・」と、言う思いを打ち消すことはできなかった。👣今、心にいろんな言葉が浮かんできている。「骨折り損のくたびれ儲けってこのことダネ!」でも、「成功する人はポジティブな言葉を使うっていうよ」「でも、これって、成功したとは言えないのではないの?」・・・いろーーんな言葉が去来する中で、少し、私の中に潜む「不信仰」の岩盤に触れた気がしてきている。👣それ(...信仰の報酬

  • 喜びがわいてくる ( ^)o(^ )

    2019年7月1日(月)めぐみ教会では、今週6日(土)、腹話術子ども大会が行われる。今の私の頭の中を切り開くと、おそらく、小学校の下校時間と子ども大会のチラシがでてくるにちがいない。私の住んでいる街の小学校は4校、めぐみ教会そばの公園向こうから広がる隣り町には、6校もある。これだけ小学校があるのだからと、ワクワクしながら下校時の子どもへのチラシ配布計画をたてても、微妙な時間差で悔しい思いをすること、しきり。今日は。前回行った学校の下校時間に合わせて、3時半過ぎに狙いを定めて目標の場所に行ったものの、カラ~んとした空気に一瞬心が萎えてしまったが、それでも、と、思いなおして予定の橋の上に立っていた。すると、一人の男の子が近づいてきた。が、チラシは受け取らないで通り過ぎていった。その子は、またしばらくして近づいてきて...喜びがわいてくる(^)o(^)

  • 友来る、、、

    6月×日友来る。迎えに行った私に、「ウワーー―、年取った!」トハ。。。心の中で、「どっちが!」と、思うも口にはださず。ジョイフルで遅い夕食。黙って友は、レシートを私に渡す。偶数月の15日直前では、そうだろう。彼女は無職なのだから。◇日温泉へ行く。帰り道、友人と私は安さが売りの市場に果物を買いにいった。「メロンが食べたい、メロンが食べたい」と、言いながら、買って帰ったのは、四分の一スイカと、二つで300円のマンゴーだった。スイカのようなお腹を抱えつつ、マンゴーを切れば、一つはいたんでいてトテモたべれず、、、、ヤッパリ安いものは安いものなんだ・・・とガッカリしつつ頭の中はメロン色の後悔で一杯になった。👣夕になり友は一人で出かけ、私は自室でPCに向かていた。帰ってきた友人の手には、イオンのカットメロンがあった。そのメ...友来る、、、

  • 今、私は・・・

    2019年6月15日(土)朝のデボーション。「聖日を前にして、このことは今日して良かったのかな?それとも良くないのかナ~?」と、なぜか、心に引っ掛かっていることが一つあり、静まり、思い巡らしていた。フト、昨日DVDメッセージで聞いた、ザレパテの貧しいやもめを思いだす。その女性は、壺の中に残っていた一握りの小麦粉と、瓶の中のわずかな油で、パンを焼き、子どもと二人でこの世でのさいごの食事をして死のうとしていた。そういう状況であるにもかかわらず、預言者エリヤは、丁度それで焼けるだけのパンをその女性に所望する。あり得ないことだけど、その女性は、自分たちが食べるはずのさいごのパンを焼いて預言者エリヤの望み通りに、彼に与えたのだ。すると、預言者が彼女に言った通りに、その女性の台所の「壺の粉は尽きることなく、瓶の油もなくなら...今、私は・・・

  • 「日々、聖霊に満たされて」A・W・トウザ―聖書日課から

    6月9日-赦されない罪-”神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。”ヨハネ3・17赦されない罪を犯したかもしれないと苦しんで落伍したキリスト者が多くいる。私はこのことについて非常に役に立つ原則を発見した。それは世界中の神の教会全部に有効であると思う。赦されない罪を犯したと心配している人はだれでも、その罪を犯していないことが確かである。実際に、その邪悪で恐ろしい赦されない罪を犯した人はだれでも、罪意識を感じず、悩むことはないのである。イエスはパリサイ人と論じ合われた。しかし、その人たちはイエスの警告で悩むことはなかった。むしろ、自分たちがなお、全く正当であると信じていた!悔い改める必要や罪を犯した悲しみ、不信仰への罪意識を感じていなかった。「私たちのことは心配しな...「日々、聖霊に満たされて」A・W・トウザ―聖書日課から

  • 6月の羊飼い

    (すずなりの琵琶の木)6月21日(火)活水大学のチャペルでご奉仕させていただいた。お昼、中庭から元気な若いサウンドが耳に飛び込んできた。ランチコンサートがあるんだ、、専門学校の経験しかない私には、とても新鮮で、優雅に思えた。以前京都で、トーフルを受けに行った大学に足を踏み入れると、校庭の庭の木々の間から、クラリネットを練習している音が耳に入ってきた時のことを思い出し、、シッカリと遠のいてしまった、青春の一ページが重なった。(活水大学の中庭)29日(水)祈祷会を終えて、4名の者たちで、嬉野バプテスト教会と、諫早ナザレン教会の見学に出かけた。嬉野は、お茶と温泉で知られているが、温泉ドーフでも良く知られている。ランチの定食もお寿司と温泉豆腐のセットで1000円ほど。4人共々満足しごく。美しい嬉野教会がビデオに治まる。...6月の羊飼い

  • 「神を見る生活」ロイ・ヘッション著(湖浜 馨訳)からー12-

    4.真理としてイエスを見る(5)p81このような私たち自身と神とについての真理の啓示に対して、私たちはどのように応答しべきでしょうか。神が私たちに求めておられる応答は、私たちが当然考えるようなものとはずいぶん趣を異にしている。ヨハネによる福音書3章20節には、「悪を行っている者はみな光を憎む。そして、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光にこようとはしない」としるしてある。このことは、私たちが隠したい罪をもっていると光をきらう、すなわち私たちの姿をむき出しにするいっさいのものを避けるという意味である。続いて次の節には、「しかし、真理を行っている者は光に来る。その人の行いの神にあってんされたということが、明るみにされるためである」とある。私たちは、「悪を行っている者は光を憎む」と書いてあったら当然続きの文は「善...「神を見る生活」ロイ・ヘッション著(湖浜馨訳)からー12-

  • 一人の雨の休日に

    2019年5月13日(月)朝10時、聖会祈り会の為、車で福岡に向かう。佐賀吉野跡から山を越え、山々の新緑に圧倒されつつ福岡へ入る。K牧師の奨励は、復活の朝、女たちが墓に行ってみると、石は墓からころがしてあった、という箇所から、漠としていた信仰の世界が具体的に現されていくようだった。参加者は少ない中にも、お一人一人の牧師先生方の証が、あまりにも信仰が生きているので、思わず心の中で、「ヤッパリ、来てよかった!」と、主を賛美していた。15日(水)聖書研究祈り会インマヌエル教団の藤本満先生のDVDメッセージ、2作目は、スミルナにある教会に向けてのメッセージ。スミルナ教会が受けた苦難から、クリスチャンが受ける苦しみについて、26聖人も例にあげて、語りかけられ、一同恵まれる。祈祷会後、五島から帰ってこられたH姉の歓迎会を兼...一人の雨の休日に

  • 「神を見る生活」ロイ・ヘッション著(湖浜 馨訳)から-11-

    4.真理としてイエスを見る(3)p55・・・・・・営所の外とは、「イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がない」(エペソ・2・21)外国人の居住区であった。普通これらの外国人は営所の中に住むことを許されなかったのである。営所の外はツアーラト(ハンセン氏病)の人のいる所でもあった。この病の持つ伝染性のために、いっさいの生活の喜びから除外されていたのである。そこはまた、律法違反者および犯罪者を処刑する恐ろしい場所でもあった。モーセの律法によれば、姦淫の者、安息日を破った者、偶像礼拝者、殺人犯、石を投げて殺されることになっており、その処刑の場が営所の外であった。しかし、使徒はここで、おそらく営所の外の最も陰惨と思える面を描写しているのである。そこは、人の罪のために聖所に注ぎかける血を提供した家畜の死体...「神を見る生活」ロイ・ヘッション著(湖浜馨訳)から-11-

  • 「神を見る生活」ロイ・ヘッション著(湖浜 馨訳)から-10-

    4.真理として神を見る(3)p51・・・真にイエスを見ることは真理を見ることにほかならない。真理としてのイエスをどこで見るかと尋ねられたら、その至高の姿はカルバリの十字架上にあると答えたい。私たちはそこにおいて、罪、人、および人の対決すべき神についての裸の真理を彼のうちに余すことなく見る。十字架は人に対する最も豊富で甘美な神の恵みを現わすと同時に、人間についての真理を最も鮮明に描写している。もし恵みがカルバリより流れて来るとしたら、真理もそこから来るに違いない。なぜなら「めぐみとまことは、イエス・キリストをとおしてきたのである」から(ヨハネ1・17)。ここで以上のことを例証してみよう。患者は医師の異常な関心と最悪を予想させる処置を見て初めて、自分の病気の重さがわかる。まだ検挙されていない法律違反者は、自分と同じ...「神を見る生活」ロイ・ヘッション著(湖浜馨訳)から-10-

  • 「神を見る生活」ロイ・ヘッション著(湖浜 馨訳)から-9-

    4.真理として神を見る(2)p48悪魔は今もなお私たちの回りに相変わらず偽りのくもの巣を巻き付けている。彼は私たちが善良な人間であり、敬虔なキリスト者であるから、自分自身の生活について気にかけることは少しもないと言っている。また神というおかたは額面どおりにはきよくなく少しぐらいは妥協されるかただと偽り、あるいは神は私たちを愛しもせず、公平に扱ってはおられないと言う。そしてこの言葉を信じてしまうところに、相変わらず私たちの悲劇がある。そのため私たちは物事のありのままを見る視力を失い、自己について全くの錯覚状態に陥っているのである。とは言うものの、この責任が皆悪魔にあると、彼だけをきめつけてはならない。私たちの心の中には彼の忠実な味方がいるからである。ヨハネ第一の手紙1章には、私たち自身についての錯覚状態を築き上げ...「神を見る生活」ロイ・ヘッション著(湖浜馨訳)から-9-

  • 「神を見る生活」ロイ・ヘッション著(湖浜 馨訳)から-8-

    4.真理としてイエスを見る(1)p46イエス・キリストが私たちの必要を満たすおかたであることを知って、私たちは心からの感謝をささげた。では私たちの最初にして根本的な必要とはなんであろうか。それは真理ーー私たち自身および神についての真理ーーを知ることである。それがわからないうちは、私たちは鎖国の領域に住んでいることになり、恵みの世界については無感覚である。私たち自身と神についての真理がはいって来て、私たちが住んでいた錯覚の建物が破壊されることが、失われた人にとっては救いであり、キリスト者にとっては信仰復興のはじまりである。自分自身についての真理を見て、その挑戦に十分な回答を与えないうちは、イエス・キリストの顔にある神の恵みを見ることができないのである。この「真理」という言葉は重要な言葉である。この章に大きな貢献を...「神を見る生活」ロイ・ヘッション著(湖浜馨訳)から-8-

  • 5月つれづれなるままに

    5月6日(月)今日でゴールデンウイーク終了。しっかり、悔いなく休息をとらなければ・・・と、思いつつも、明日のトワイアルレッスンの調整で明け暮れる。7日(火)朝、長大生のレビさんから、「体調を崩したので、トワイアルレッスンの日程を延ばして欲しい」との連絡が入り、ビッシリだったスケジュールに風穴があき、ホットする。11時住吉のショッピングセンターでミレットさんに会う。南アフリカ共和句の隣国にあるゼルバブルという、人口7億の大国からご夫妻で来られているそうだ。長大院生の好青年のご主人と、お二人に挨拶をする。その後、ミレットさんは、時津イオンまでドライブをし、フードコートでお茶を飲みつつ30分ほど、面談をする。1時過ぎ、ココウオークで、オーケーさんと会う。ニューヨーク大学院を卒業され、長崎で教育支援もされている方だ。ジ...5月つれづれなるままに

  • 「神を見る生活」ロイ・ヘッション著(湖浜 馨訳)から-7-

    3.いっさいの必要としてイエスを見る(2)p42神がご自分の民の罪以外の必要を満たす場合には、イエスをつかわされなくても事が足りた。事実旧約聖書の場合にはそのようにされたしまた私たちの時代にも引き続いてそのようにすることがおできになった。しかし罪人としての民の必要となると、どうしてもイエスでなければならなかったのである。それ以外に方法はなかった。罪の価を払うために、それ以外のよきものはなかった。そのため神は御子イエスを惜しまれなかったのである。神は私たちを愛するあまり、ご自分の栄光の輝きでありまた本質の形であるイエスを地上に送られた。そしてこのイエスは、自らの血を流すことによって、私たちのために罪からの十分な贖いを成し遂げ、さらに復活された救い主として、絶えず、罪人としての民が必要とするいっさいのものとなってお...「神を見る生活」ロイ・ヘッション著(湖浜馨訳)から-7-

  • 「神を見る生活」ロイ・ヘッション著(湖浜 馨訳)から-6-

    3いっさいの必要としてイエスを見るP35・・モーセは、燃えるしばのもとで神の御前に頭をたれ、彼をイエスラエルの民に遣わそうとしておられる神にどのような名前をつけたらよろしいのでしようかと尋ねた。それに対して神はこう答えられた。「『わたしは、有る者』。・・・イスラエルの人々にこう言いなさい、『「わたしは有る」というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました。・・・あなたがたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主(エホバ―「英訳」)が、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と。これは永遠にわたしの名、これは世々わたしの呼び名である」(出エジプト3・14、15)。この時以来神の名はエホバとなったが、この言葉はヘブル語の「わたしは有る」という語と同じ源から出ており、また同じ意味をも...「神を見る生活」ロイ・ヘッション著(湖浜馨訳)から-6-

  • 「神を見る生活」ロイ・ヘッション著(湖浜 馨訳)から-5-

    2イエス・キリストの顔の中に神を見る(2)p32ここで私たちは、「イエスを見る」とは実際に言ってどのようなことであるか、自らに問いかけねばならない。おそらく、それがどのようなことではないかを調べることが、私たちの理解の助けとなるであろう。イエスを見るということは、神秘的な方法で彼を見たり、いろいろなビジョンを見ようと努力することではない。ある人がイエスを見ているかと尋ねられた時に、「ええ、いつでも私は心の中で、イエスの肖像画を描こうと努めています」と答えたということである。ある人たちはビジョンにつかれているが、ビジョンは追及されるべきものでも、誇りとされるべきものでもない。パウロは自分が見たことについて非常に控えめである(第二コリント12・1-7)。ビジョンを見たということは、必ずしも他の者よりいっそう主イエス...「神を見る生活」ロイ・ヘッション著(湖浜馨訳)から-5-

カテゴリー一覧
商用