論語漫歩690 『星の王子さま』 「孔子 事毎(ごと)に問ふ」
前回我々は、「大知の人 舜」が、「問うことを好む人」、すなわち「好学の人」であることを知った。 今回は、「至聖 孔子」も、同じであったことを見てみよう。天下…
前回我々は、『中庸』章句第六章冒頭の「子曰く 舜はそれ大知なるかな 舜は問ふことを好む」の解釈を試みた。 今回は、その続きである。一体、「問うことを好む」こと…
前回我々は、、『中庸』章句第六章の全文を引用した。今回から、その読解である。 子曰く 舜は それ 大知(たいち)なるかな 舜は 問ふことを好む …
前回我々は、「中庸の実践」が、いかに「至難」の技であるかを、『中庸』章句第九章で見た。 ところで、この「至難」の「中庸」を、中国四千年の歴史で実践した人物が…
前回我々は、『中庸』章句第八章の一部分の解釈をこころみた。今回は、その続きである。もう一度、全文を引用しておこう。 子曰く 回の人となりや 中庸を…
前回我々は、空海の処女作『三教指帰』(さんごうしいき)(1965年岩波書店)「序文」P84 余(われ)、年、志学にして外氏阿二千石文学の舅(きゅう)…
我々は今、空海自身の言葉によって、彼の「生い立ち」を見ている。今回もその続きである。彼の処女作『三教指帰』(さんごうしいき)(1965年岩波書店)「序文」P…
前回我々は、「空海の生い立ち」を見た。 今回は、彼自身の言葉によって、その「生い立ち」を見てみることにしよう。丁度我々が、今、論語の中の孔子自身の言葉によっ…
前回我々は、「超人 空海」の登場を見た。 今回は、「空海の生い立ち」について。前回に続いて『仏教の思想』9「生命の海」(空海)1968年角川書店P⒒ …
前回我々は、「蝶」が、「愛」(エロス)のシンボルであり、「荘子哲学」の究極とされる「渾沌」が、宇宙の「陰・陽」「天・地」の「合体」、仏教の「入我我入」(仏我…
論語漫歩680 『星の王子さま』 「蝶」は「愛」(エロス)のシンボル
前回我々は、「蝶」が「魂」のシンボルであるのを見た。すなわち、「蝶」は、「不死」・「復活」・「不死の魂」を表わすということを。 今回は、「蝶」が「愛」のシン…
前回我々は、母の胎内で、「母子一体」となっている 「胎児」 こそが、「渾沌」の「原型」であることを知った。それを「中核」として、「万物一体」という、『荘…
前回我々は、「渾沌衣」(混沌衣)(こんとんい)とは、「胞衣」(えな)・「混元母」・「仏の袈裟」のことであり、中味は、 「胎児・天地・仏陀」 であること…
大脳の前頭連合野の発達につれて、自我意識・競争心が肥大し、ついには「相手を消してしまう殺しの心に爆発する」と、時実利彦(ときざねとしひこ)先生は言う。『人間…
前回我々は、「楽園」を失い、「混沌」が死んだのは、大脳の前頭連合野が余りにも発達し過ぎて、「知恵」が芽生えたためであるのを見た。 今回も、時実利彦(ときざね…
前回我々は、『荘子』の哲学が、「渾沌」をテーマとしていることを知った。 荘子は言う。 真実在は、「渾沌」である。 目・耳・口・鼻の感…
我々はこれまで、「荘子哲学」を代表する二つの説話、「渾沌」と「胡蝶の夢」を見て来た。そして、前回、「胡蝶の夢」の結論に達した。 今回は、「渾沌」の結論であ…
前回我々は、『五重塔』の名人「のっそり十兵衛」が、いかに「荘子哲学」の「絶対者」の好例であるかを瞥見した。 今回は、いよいよ『荘子』の「テーマ」である「渾…
前回我々は、やっと名作『五重塔』の走り読みを終えることが出来た。今回から、「荘子哲学」に復帰することにしよう。 我々は、論語漫歩654「荘子の絶対者」で、…
論語漫歩671 『星の王子さま』 「川越の源太郎 これを成す」
前回我々は、「のっそり」十兵衛、「渾沌」の十兵衛の、「真の姿」・「正体」を知った。 今回は、いよいよ『五重塔』の大団円である。『五重塔』幸田露伴1970年…
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