前回我々は、『クリスマスキャロル』の一部分読解を終えた。今回から『星の王子さま』に復帰することにしよう。我々は、論語漫歩503「音楽」で、ショーペンハウアーの…
論語漫歩507 『星の王子さま』と『クリスマスキャロル』8 幼な子
前回我々は、スクルージの「回心」を見た。彼は、未来のクリスマスの聖霊によって、誰一人として悲しむ者もなく、この上なくさみしい、自分の「死」を「体験」し、自分の…
論語漫歩506 『星の王子さま』と『クリスマスキャロル』7 晴れやかな笑い
前回我々は、スクルージが、「遊び」に夢中になり、すっかり「子供」に返るのを見た。過去・現在・未来、三人のクリスマスの聖霊たちの導きによって、「我利我利亡者」ス…
論語漫歩505 『星の王子さま』と『クリスマスキャロル』6 子供に返って遊ぶ
前回我々は、「音楽の力」について見た。今回は、「遊び」について。我々は、シラーの 人間は 遊ぶ時にのみ 真の人間であり 真の人間であるときにの…
論語漫歩504 『星の王子さま』と『クリスマスキャロル』5 音楽
前回我々は、為政者次第で、世の呻吟する「レミゼラブル」(貧しい悲惨な人々)が救われるのを見た。今回は、「音楽の力」について見てみよう。 スクルージは、現在を見…
論語漫歩503 『星の王子さま』と『クリスマスキャロル』4 格差
前回我々は、スクルージの改悛の行為を見た。今回は、改悛前の彼と同類の人を一人、見てみよう。村岡花子訳『クリスマス・カロル』1982年新潮文庫P18に登場する「…
論語漫歩502 『星の王子さま』と『クリスマスキャロル』3 改悛
前回我々は、三人のクリスマスの聖霊の導きによって、スクルージが、「愛」と「知」こそが人生だ、と悟るのを見た。今回は、その悔悟の前日のスクルージの冷酷な姿と改悛…
論語漫歩501 『星の王子さま』と『クリスマスキャロル』2 人生とは?
前回我々は、「人間の行為の価値は、財を築くことではなく、慈悲にある」という思想を見た。我々は、これと同じ思想を、論語漫歩365「阿弥陀仏は実在する ! 21」…
論語漫歩500 『星の王子さま』と『クリスマスキャロル』1 慈愛
前回我々は、文字通りわが身を削って人々の幸せに尽くす『幸福な王子』を見た。今回も、クリスマスプレゼントについてである。英国の文豪ディッケンズ(1812~187…
前回我々は、クリスマスのプレゼントの意義について考えてみた。父なる神は、いとし子キリストを、我々にプレゼントして下さった。池澤夏樹氏は、天から来て、重大なメッ…
前回我々は、『星の王子さま』第24・25章の「井戸の水」が、天上からもたらされた、この上なく聖(きよ)らかで、心の底まで染み渡るやさしさと安らぎに満ち溢れた、…
前回我々は、『星の王子とわたし』文春文庫P39の、サン・テグジュペリの伯母の一人の回想「彼は正真正銘・子供そのものであった」の前半について触れた。今回は、後半…
我々はこれまで、『星の王子さま』と「童心」についてみてきた。最後にもう一度、「童心」について、『星の王子とわたし』文春文庫から引用させていただこう。 …
前回我々は、物事の表面しか見えぬ愚かな「大人」たちと、「心の目」で物事の真実を見抜く「子供」たちとの鮮やかな対比を見た。今回は、『星の王子さま』と同じ世界、…
論語漫歩494 『星の王子さま』 かんじんなことは 目に見えない
前回我々は、「ゾウを呑みこんだウワバミ」の絵が、「ぼうし」にしか見えない大人たちの姿を見た。物事の中身、物事の「真実」の姿を見ることができない大人たちの愚か…
我々は、「星の王子は、六才のころのサン・テグジュペリにそっくりで、彼自身のたましいそのままの姿かたちだった」ことを知った。ところで、『星の王子さま』は、まさ…
われわれは、「星の王子は、六才のころのサン・テグジュペリにそっくりだった」ことを知った。ここらで、『星の王子とわたし』文春文庫第四章「砂漠愛」P39に戻るこ…
前回我々は、『星の王子さま』第六章の「ぼく、いつか、日の入りを四十四度も見たっけ」の、「44」という数字が、作者の44歳での戦死の予告だったかもしれない、とい…
前回我々は、「六」という数字の「象徴」について少考してみた。今回は、「44」という数字について一考してみよう。サン・テグジュペリは、44歳で亡くなった。ユン…
前回我々は、『星の王子さま』懐胎の瞬間に立ち会った。27歳の時、サン・テグジュペリは、サハラ砂漠に不時着した。そこは貝殻の砂地が柱のように盛り上がっていて、…
前回我々は、果てしなく広がる灼熱のサハラ砂漠という「道場」が、サン・テグジュペリの「魂」を極限まで浄化し、「行くべき道の発見」に導くのを見た。今回は、彼の身…
前回我々は、サン・テグジュペリのやむにやまれぬ 「砂漠愛」 が、星の王子を一も二もなく、サハラ砂漠に連れて行ったことを見た。27歳から1年半、サハラ砂漠…
前回我々は、サン・テグジュペリの「子供時代」が、彼の「新鮮ないのちの糧」であるのを見た。今回は、『星の王子とわたし』文春文庫第四章P35 「砂漠愛」 …
「ブログリーダー」を活用して、井藤マサカツさんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。