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人間賛歌もっちゃん4649 https://blog.goo.ne.jp/mottyann4649

人間賛歌の自分史を完結したので 古希を過ぎのんびりと自然相手に生きたいと願う日々です

母の介護で実家に帰ってきて12年が過ぎました 古希を過ぎてから 母を見送った安堵から体調を崩し 今は園芸を楽しむ日々をおくっています 愉しいお喋りの仲間に入れていただき、張りのある毎日を過ごしたいと願っています どうぞよろしく(*^_^*)

もっちゃん
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住所
竹田市
出身
竹田市
ブログ村参加

2016/02/19

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  • この子らが 私に光を!

    昭和41年は60年に一度の丙午の年でしたその反動で翌年の昭和42年は大変なベビーブームとなり55年度の中学校入学の学級数はプレハブ教室を建て増して間に合わせたほどです市内に2校あった中学校は両校ともに1500人を超すマンモス校となり第3中学校を早急に建設して分離統合を行いました私は新設校に配属となりました昭和59年のことですその後5年間は学級担任でしたが平成元年から3年間は学年主任で学年の管理を任されました障害児学級担当になったのは平成4年の満50歳のことでしたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの子らを世の光に(2006-12-02の自分史より)開校当初障害児学級はありましたがその後6年間くらい該当生徒がいなくって学級は閉鎖されていました学級担任の時は活き活きとしていた私も管理色傾向の強い学...この子らが私に光を!

  • 鉄は熱いうちに 機会をとらえて!

    百万からの先祖を敵に(2006-11-01の自分史より)おかしいなあ~?何かいやなことがあるに違いない!教師の直感でしたこの2ヶ月唾を吐きかけることも無く無事に過ぎトラブルも何も起きていません同じ小学校から来た生徒が何くれと無く気配りをしてくれていたのでした新しい友が出来て自分の事で精一杯になりちょっとHさんのことから気持ちが離れ新しい出会いを謳歌していたのだと思います誰を責めるわけでもありません教科担任制は朝の会が終わると次々に時間割のままに動き終わりの会までゆっくりと観察ができないまま過ぎていきます短い時間では解決できないしゆっくり学活の時間を取ろうと決めてその時を待ちました「新しい友達が出来ましたか?毎日が楽しいですか?」と言う問いかけから入っていきました「ここ毎日のように朝の会に来ると、Hさんが先生を待...鉄は熱いうちに機会をとらえて!

  • 自分たちと異質なものに

    健康に留意しながらスローライフを愉しめたら最高だって母の介護を終えて早10年何の疑問もなく夢中で過ごしてまいりました自分史を綴っていたことも全く念頭になく今日一日を恙無く過ごせたら幸せだと信じていたのでした6月のある日‘青春の形見’を発見できて無我夢中に寸暇を惜しんで生きたいと願う彼の世界を探求する日々が続きました10月末日までに彼の手紙の要旨を大学ノート1冊にまとめていつでも確かめたい時に手元にあるようにしました11月に入り彼の期待に添えるに相応しい生き方が出来たか否かをブログの自分史の中から探ろうと思い至ったのでしたエンドレスの世界に突入した感がありますが追憶の世界は若かりし頃のことをありありと思い起こさせてくれます何よりもの元気の出る特効薬だと感じています貴重なお時間を割いていただきありがとうございます(...自分たちと異質なものに

  • 肉親のありがたさは

    東京の養護施設での2年間の体験は何にも勝る学びでしたし最高の人間愛に触れることのできた稀有の場所だったと運命の巡り合わせに感謝していますーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー弱者の味方に立つ(2006-10-31の自分史より前半)新入生を目の前にしたとき急に東京の養護施設の子どもたちのことが浮かんできましたこの目の前の希望にあふれた子どもたちの背後には多くの肉親が祈るような気持ちで見つめ入学を祝福しているし見守っているのだと強く感じましたその頃の私は誰でもいい一人理解者がいてくれたら私たちは頑張れる!子どももまっすぐに伸びていける!そう信じていました肉親のありがたさは私には痛いほど大きく感じられたのです養護施設で家族の愛に飢えた子どもたちの空虚な思いを埋めてやることの難しさを体験していたのですぐにこの宝物...肉親のありがたさは

  • 31歳の未熟者で

    波乱万丈大好きと何事もどんと受けて立つ人生だったと懐かしく追憶の日々を思い浮かべて居ますブログと言う手段を存分に駆使して自分史を再確認できることに喜びを感じていますが独り善がりに過ぎません真新しい内容ではありませんがお時間の許す限りお付き合いくださいませーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー内外ともに激動(2006-10-30の自分史より)奈良に嫁いだのは40年前です旧い土地に縛られた田舎でしたから昔の考えにがんじがらめになっている人たちに出会いました人の値打ちは荷物の多さで決まるのです良い嫁だと言われるのは新車付きトラック3台の荷物が相場のようでした何も持たずに着替えを少しだけの私は最低な嫁だったのです初めから・・実家の大分では一人前に仕込んだらそれで親の務めは終わりなのです異文化の奈良...31歳の未熟者で

  • 同じだけの幸せは

    結婚式も恙無く終わり8代目の跡取り夫婦の誕生だと本家や分家や新宅などの長老などに祝っていただきました大和の古い淀んだ流れに高千穂の清純な空気を送り届けてもらえることはまことにありがたいことだと義父の挨拶の言葉も記憶に残っています嫁を勤めに出すことはできないと聞いていたので東京での教職は一応退職して奈良に入りましたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー大和の家(2007-02-05の自分史より)大和の家は閉鎖的というのが第一印象でした全く言葉通りで三百坪の屋敷は周囲に塀を廻らしています門家(もんや)は一日中締め切っていてはいけません朝6時に開けて夕方6時には閉めてという規則通りの生活があります日曜日など朝寝を楽しみたいと思っても6時に門家をがらりと開けなくてはならず開けたら最後用事のある...同じだけの幸せは

  • 本気であることを証明

    昭和40年5月22日の抜粋です‘一度は死にかけた体だがお前のおかげで助かったのだあの時お前が俺から離れていたら死んでいたかもしれないあの時だけでなく今でもそうなるかもしれないこれから先もそうなるかもしれぬ俺を占めているお前の比重は大変大きいだからお前がいてくれるから俺は生きていられるのだ本当にお前のおかげだと喜んでいるお前は俺の偶像だ!’^^^^^^^^^^^^^^^昭和40年の3月に卒業しました卒業したらすぐにでも式を挙げようなと二人は話していましたが親たちは「狭い学園生活の中での出会いだから広い社会に出ても決心が変わらなければ良い選択だと思う」と意見されました2年間私は必要とされる場所で働きたいと希望し東京の養護施設に就職して彼は大阪の貿易会社に就職して励まし合い本気であることを証明しましたーーーーーーーー...本気であることを証明

  • 彼からの贈り物だったと

    人が好き花が好きお喋りが好きそんな陽気なもっちゃんです♪ブログを始めた19年前の元気いっぱいな私のキャッチフレーズでした週一のお墓参りの供花は8束要るし毎月の出費が家計を圧迫すると思い球根や多年草や肥料代を何か月か続けるうちに一粒万倍の言葉通り退職するまでの25年間の花代は無料でした実家に帰ってからも花庭は私の大事な運動場です園芸三昧の日々を楽しめているのは大きな彼からの贈り物だったと改めて感謝している私です(*^-^*)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー追憶の日(2006-10-14の自分史より)朝の空気が大好きな私はお勤めしていた頃から早起きでしたブラックコーヒーを片手に花庭を散歩して車に摘んでいく花を見定めていました毎週2回月と水が花の日でした1回に運ぶ量は2千円分位を目安に25年間続けました...彼からの贈り物だったと

  • うれしい知らせを お前に

    晴天続きの1週間は玄関前のステージの春を夢見ながら園芸三昧を楽しんでいました今朝は葉牡丹とパンジーの苗を近くのホームワイドに出かけて求めてきましたこれから午後の園芸タイムで植え付けてすべてが終了ですおかげで心弾む日々を過ごせていますのでご安心くださいね(*^▽^*)‘青春の形見’の世界がどう展開していくのか聞いていただけますか?ブログの自分史が残っているから思い出せるのだと喜んでいます(^^♪ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーお墓参り(2007-02-10の自分史より)主人の父親が亡くなったのは33年前でした教職を終えて好きな飛鳥大仏の彫刻にとりくみ地元の推薦で市会議員となり池の周りに桜を植えたり今では桜の時分になると花見客でにぎわっています30年という年月はすっかり見事な大木に苗木を変えてしま...うれしい知らせをお前に

  • ブログに綴った思い出を

    青春時代を懐かしくゆっくりと回顧したいと願いのんびりとスローライフを愉しませていただいています(^^♪彼の期待に添えるに相応しい生き方が出来たか否かを自問自答する日々でもありますが結論はもちろん「イエス!」と胸を張って言えそうです急いで終わってしまうよりもブログに綴った彼との思い出を辿ってみようと考えましたどうでも良い暇つぶしの内容で貴重なお時間を頂くのは恐縮ですがしばらくお付き合いくださいませ_(._.)_ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー‘儲けの命’(2007-02-03の自分史より)早いもので私たちが結婚して40年めを迎えようとしています現在の大和は結婚してもマンション住まいや核家族化が進んでいますから嫁入り荷物も必要なものだけを送り込んだりあとは持参金となって表面的には見えにくくなり良い時...ブログに綴った思い出を

  • 中間報告の話の糸口に

    秋晴れの素晴らしい日をいただいていますこれからの日々の生きる糧にしたいものだと連れ合いの青春の形見の抜粋を大学ノート一冊にまとめ上げました五十肩で右腕に痛みが残っているのでかなり長期に渉ると計画していましたがやり始めたら止まらない質ですし3日前に完了しました季節はどんどん駆け足で過ぎていきます前庭の住人達もアップを心待ちにしていましたので中間報告を兼ねて久しぶりにPCに向かいましたログインしてアクセス解析を覗くと2007年2月2日の自分史が昨日愛読者さんにピックアップされているのに気付き神様の先回りだと感じました都合よく物事が運ぶのは全て神のお計らいだと感じる私ですから読み直してみるとまさにこれがピッタリだと思いました中間報告なんて何からお話しすればいいのか何もまとまっていませんでしたから渡りに船だと感じました...中間報告の話の糸口に

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