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プロフィール
PROFILE

もっちゃんさんのプロフィール

住所
竹田市
出身
竹田市

母の介護で実家に帰ってきて12年が過ぎました 古希を過ぎてから 母を見送った安堵から体調を崩し 今は園芸を楽しむ日々をおくっています 愉しいお喋りの仲間に入れていただき、張りのある毎日を過ごしたいと願っています どうぞよろしく(*^_^*)

ブログタイトル
人間賛歌もっちゃん4649
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/mottyann4649
ブログ紹介文
人間賛歌の自分史を完結したので 古希を過ぎのんびりと自然相手に生きたいと願う日々です
更新頻度(1年)

128回 / 365日(平均2.5回/週)

ブログ村参加:2016/02/19

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ハンドル名
もっちゃんさん
ブログタイトル
人間賛歌もっちゃん4649
更新頻度
128回 / 365日(平均2.5回/週)
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人間賛歌もっちゃん4649

もっちゃんさんの新着記事

1件〜30件

  • ボランティアの初日は

    “若返りの道”と(2007-04-03の自分史より)千客万来!朝の片づけを済ませ、PCに向かっていると野草仲間のMさんが母のご機嫌伺いに覗いてくださったのです。母は三橋美智也の熱烈ファンでCDを楽しんでいました。「まあまあどうぞお上がり~♪」と愛想よくもてなしの言葉をかけていました。Mさんは久住がご実家で私より2歳上の上品な奥さん。図書館の司書を定年までなさっていたキャリアウーマン。話しのあう楽しい方なのです。パッチワークの大作を手がけているので、寸暇を惜しんで取り組んでおられます。私のレース編みと同じ手芸の趣味なのです。私が竹田の住民になったことを人一倍喜んでくださっている温かい人です。彼女がお帰りになってから、定期便になっている近場のドライブを1時間。郵便局に用事があったので、スーパーにも立ち寄ってきました...ボランティアの初日は

  • 親孝行って簡単なのよね♪

    人には人が寄り添うこと(2007-04-01の自分史より)楠の香りに包まれた目覚めの良さは今朝も続いています。森林浴の芳香剤といった感じに似ているけれど天然のものという安心感がうれしいのです。清々しい気分になれて特にうれしい~!10センチくらいの輪切りにした楠の花台を3個、素晴らしい香りの喜びようが並外れていたからか追加で届けてくださいました。楠と桜の大きな丸太の原木は外においてあります。年輪を数えてみると40年以上は経っているようです。撫でてみたり叩いてみたり、植木鉢を載せる台に贅沢に使わせていただこうと楽しんでいるのです。天然木の特級品ですものね~なんともリッチな気分なんですよ~檜の丸太の腰掛が3個、野草の丘においてあります。夕暮れの星を眺めながら、しばらく腰掛けて過ごしました。トランペットエンゼルスの甘い...親孝行って簡単なのよね♪

  • 人の温もりにあふれた

    人間賛歌の舞台に(2007-03-31の自分史より)楠の芳香がこんなに強く素晴らしいものだったのかと初めて知りました。阿蘇の野草の撮影会は夏以来、久しぶりのことでした。気晴らしに「野草はもう少なくなっているけれど、紅葉が素晴らしいから~」とお誘いを受けて、歓迎会を兼ねて野外に連れ出してもらえたのです。阿蘇から高千穂の方へと出かけていきました。紅葉弁当の幕の内も雄大な景色の中でわいわい言いながらいただくと、どんな料理にも引けをとらない美味しいものでした。野草を愛ずる仲間は素朴で温かい人ばかり~~きれいな空気を体中に初めて吸い込んだ気がした一日でした。途中で大学生の登山者に出会いました。祖母山に登ってきたそうです。頂上からここまで下山するのに6時間もかかったそうでした。珠の汗が眩しいと思いました。山の師匠が野草のた...人の温もりにあふれた

  • 大きな恩返しが

    第3幕の始まり(2007-03-30の自分史より)第1幕を現役の期間。第2幕は退職してからの往復介護の期間。そして母の介護に専念しても良いという許しをもらえたこれからを第3幕と名付けようと思っています。充実した日々の現役時代でした。生徒に癒してもらいながら、コロコロと笑いの絶えない毎日でした。そのころ要介護1の認定が退職する1年位前からはじまり、どこまで認知症が進むのか不安な気持ちを抱えていました。1年早い退職でしたが、独居の母を体調が悪いと知りつつ月曜日の勤務のために奈良に帰るときなどは、すべてを放り出してしまいたい心境でした。お茶や水を飲みたいと思っても、自分が動かないと誰にも手助けをしてはもらえません。奈良での9人の大家族を経験しているからよけいに孤独の辛さが堪えて感じられたのでしょう。「もう、今年一杯で...大きな恩返しが

  • 私利私欲のない

    大きな恵みを与えられ(2006-11-21の自分史より)私たち夫婦のおかげだといつもお会いするたびにその話が出てきます。出会いというのはやはりご縁があるのですよね。助かる運命の人は先祖の導きで私たちと出会えて話を聞くことが出来たのだといつも感じていました。顔の広い私たちですから、人助けの道具としての使命があるのでは~と本気で思っていました。母の介護が始まって時間の余裕がありませんから、人助けの新しい話は何も持っていませんが、今現在の私は大きな恵みを与えられている最中です。この経験はまたいつの日にか話しのネタになるのでしょうね。そんな気がします。プラス思考は得ですよね。何でも良いように考えられるから、良いことにつながっていけるのです。学年集会で生徒たちに話をする機会が多くありました。その時に「思う」と言うことで話...私利私欲のない

  • 心を温めて

    幸せを願っていた証し(2006-11-20の自分史より)年賀状のやり取りをしている人とはみんな癒しの出会いの思い出があります。だから年1回の交換で安否を確かめ合って思い出をよみがえらせ心を温めているのでしょうねえ。教え子といい、同僚といい、懐かしさは同じ重みで心にあります。癒しの出会いは辛いことを共有しあえたものほど強い絆で結ばれているのだと思います。激動の時を一緒に過ごしたからこそかけがえのない宝物として温かく刻まれていくのです。人相手の仕事に携わることが出来て、たくさんの癒しの出会いを色褪せずにいつまでも鮮明に思い出せるのはそれだけ真剣に幸せを願っていた証しでもあります。癒しの出会いの3章もエンドレスほどありますし、いったんここで終わろうかと思いましたが、ちょっと横道にそれますがT教師と連れ合いの部下のMさ...心を温めて

  • 追憶っていいものです

    元気で幸せでいなくっちゃ~と(2006-11-19の自分史より)Yは3人姉妹で、長女だけが結婚して、父は4年くらい前に亡くなっていたので、3人家族になっていました。姉は外大を3年の時に休学したままで鬱病になって4年経つそうです。症状が一段と強くなって、母一人には任せられずYも学校を休みがちになりました。このYの3人姉妹は中学校では学年トップの成績で優秀な3姉妹として有名でした。進学校も3人ともトップのN高にわざわざ奈良まで通学し、前途洋々で何て親孝行なのだろうと噂されていたのです。人の運命なんてどこでどう変わるかわからないものです。先祖に守られている姿が一番肝心なんですよねえ。それにはお墓参りですが、遠く離れているときは静かに心を沈めて黙祷して思い出すだけでも先祖さんに届いているって聞きましたよ。今日在ることの...追憶っていいものです

  • 不思議なことって

    これはただ事ではないと(2006-11-18の自分史より)サツキの植え込みの上にふんわりと支えられ、足だけは地面に当たったので大腿部が複雑骨折でしたが、不思議とそのときも流血はなかったそうです。大きな事故で2回とも流血もないし、これはただ事ではないと私を思い出したと言うわけでした。Kさんと出会ったのは40歳の時でした。連れ合いの難病も10年に一度くらいに再発と思えるような悪化の時期があり、38歳の時が最悪だったのです。「もうだめだ~!」と八代亜紀さんの「ともしび」と言う歌を聞きながら、通勤の車の中で涙を流していた時期でした。あなたの命のともしびがもうすぐ消えると聞かされた~♪家では家族の目がありますから、泣き場所は通勤の車の中でした。私には泣き場所もないとよく思っていましたねえ~、その頃は。昭和55年の春でした...不思議なことって

  • 本物の人間に

    人の怖さや優しさを(2006-11-17の自分史より)私は奈良漬屋の娘です。家にあるものですからお召し上がりください。中学時代のお礼が遅くなりましたが、いつかはとうれしく思っていました。と言うお礼の内容でした。あれ以来、文通が続いています。最近では「いつか別荘を訪ねてみたいです~」とうれしいことを言ってくれています。実現したら真っ先にお伝えしますね。きっと素晴らしい女性に成人していることでしょう!会いたいなあと願っています。哀しい辛い思い出があったからこそ、癒しの出会いとなって今心を温めあえているのです。人の怖さや優しさを彼女なりに理解して大きく成長してくれたから、本物の人間に育ってくれたはずですとても楽しみに見守っているのです。40歳の時に出会ったKさん親子も大きな癒しの出会いでした。活発で自分の意見をはきは...本物の人間に

  • 友の力の大きさを

    親に心配をかけまいと(2006-11-16の自分史より)Wさんは成績もトップで人望も厚く、学級委員も1年からしていたし、部活も熱心でどこから見ても優秀な中学生でした。2年の2学期に部活のキャプテンになった頃から何か揉め事が生じたらしく、上靴のいたずらを度々受けるようになりました。初めは上靴を隠されていることが多く、職員室にスリッパを借りに来ていたのですが、どんどん日を追うに連れて陰湿さがエスカレートしていきました。初めのうちはゴミ箱や植え込みの中に放りこまれていたりして、簡単に探し出せたのですが、上靴を切り裂かれたり、油性マジックのピンクでエロい卑猥な落書きをされたり、目に余る卑劣な状態に陥っていきました。新しい上靴にしてもすぐにその日の翌朝にはいたずらが続くのでした。自衛手段で持ち帰ると言う方法しかないように...友の力の大きさを

  • 自分を取り戻せた時

    美しく年を重ねていこうと(2006-11-15の自分史より)にこやかな笑みを浮かべ、ロングヘアーのストレートの美しい女性が傍らに立っていました。よく見るとHさんだったのです。思いがけないところで何の連絡もなく一人の世界に入っている時だったので、びっくりしてしまいました。「あら~~、誰だと思ったらHさんじゃないの!あなたも朗読の夕べを楽しみにきたの~?」と訊ねたら、「いいえ~!先生、お誕生日おめでとうございます♪」とアートフラワーの花籠を差し出してくれました。綺麗なお祝いカードも添えられていました。自分の誕生日も思い出せないくらいに心が沈んでいた時だったのです。憂鬱な気分から抜け出したくって、偶然見かけたチラシを見て自分に褒美を~と思っていたのでした。まさかその日が誕生日だったとは~~思いもよらない出来事に、Hの...自分を取り戻せた時

  • ご縁の深さを

    天晴れな母親だと(2006-11-14の自分史より)24歳で結婚し翌年に長男が産まれ、3年おきに3人が理想だと当時の育児書で学びました。母親の年齢が25歳から30歳初めの母親に頭の良い子が生まれる率が高いことも知りました。25歳・28歳・31歳の時にもったいないような男児を授かり、私の産児計画は物の見事に理想の形で実現し、願いがかなえられました。運の強さはこの辺りでも感じ取れていました。すごいでしょ?先祖の守りのおかげだと深く感謝しているのです。副担任の見習い期間もたっぷりと4年間いただくことが出来たし、満を持して意欲に燃えて担任時代へと突入していきました。1年2組の新入生の担任です。入学式での点呼の読み間違いは許されないし、名前の確認を一人ずつにしていました。登校してきた新入生は何組になっているか発表を確かめ...ご縁の深さを

  • マイナスをプラスの出会いに

    静かに淡々と(2006-11-13の自分史より)2番目の赴任校は私生活を見られるのはマイナスだと思って、隣の市を選びました。地方の商業都市として栄えた町でした。本物の暴力団の抗争があったり、タオルや靴下などの中小企業の多いところです。血気盛んな大人の集まりだと感じました。父親が刑務所に入っているって言う家庭も何人か聞いたことがあり、組長の息子が入学したと言うドラマのような出来事にも出会いました。花畑など持つ余裕もない家庭がひしめいているかと思えば、檜作りの門構えの大きな家だったり、貧富の差の大きな町でした。32歳で義父が亡くなり、私のよき理解者であった義父との別れは家庭生活の前途が真っ暗だと感じた時でもありました。「3人の男児の孫が出来て、家は万・万歳だ」という言葉を良く聞いた年でした。あまり喜びすぎると、ろく...マイナスをプラスの出会いに

  • 癒しの出会いを

    癒しの隠れ場所(2006-11-12の自分史より)新任の場合、山の学校へ3年以上赴任しなければならないと当時は暗黙の了解があったのでした。すでに長男が生まれていましたので、家から通えるぎりぎりの山の学校が任地でした。電車とバスに1時間以上乗り、待ち時間を入れるとかなり通勤時間のかかる不便な土地でした。でも、景色も人もすべてが別天地で癒しの出会いを2年間いただけました。大分の実家は奥豊後の竹田という盆地の城下町です。山紫水明の中に開けた故郷でしたから、バスの車窓の途中から雰囲気が故郷と違和感なく重なって来た時には驚いて目を凝らして見入ったものでした。ここも城下町跡で、家並みも代官屋敷跡の黒門も竹田の町を彷彿とさせてくれました。奈良ではじめて見つけたまさに居心地の良い癒しの隠れ場所でした。退職して奈良と大分を半月ず...癒しの出会いを

  • 本心から出た言葉に

    無気力・無感動・無関心の(2006-11-11の自分史より)その翌年新設された第三中学校へ春休み中に移転しました。23億円の建設費だったそうです。地域の人の理解と協力で池を埋め立てて運動場を確保してもらったり素晴らしい環境を整えてもらえ、子どもは地域の宝!ということを肝に銘じて、教師も生徒も伝統のある良い学校にしようと燃えました。その年は3年担任でした。学級に一人だけ燃えない生徒がいたのです。朝の会にはいつもいなくって、その席は暗くぽっかりと穴が開いていました。お昼前にノッソリ教室に入り、黙って椅子に座ります。めったに声を発しませんし、弁当も食べないのです。手ぶらでポケットに両手を入れたスタイルで、靴のかかとを踏んづけて登校するのでした。精気のない青白い抜け殻のような顔なのです。1・2年と同じ学年に所属していた...本心から出た言葉に

  • 本物に触れる機会を

    怪我の功名(2006-11-10の自分史より)「芝生に座って観客は見物をするところから、芝居と言う言葉が出来たそうです。走れメロスは中2の国語の教科書に取り上げられている太宰治さんの名作です。全校生に見せるわけですから、どんな内容かは私が全校生徒に教科書を持たせて学年ごとに3回放送による朗読をします。あらすじをつかませ、それがどんな形で体育館の中で演劇として公演されるのか、とても田舎では生に触れる機会が少ないですから、ぜひ、取り上げたいし実現にこぎつけたいと願います!」と意見を述べました。係りがこれだけ企画を練っているのなら前向きに検討しましょうと言うことになり、金銭面のことはPTAに諮って見ましょう!と言う結論になって、画期的な取り組みが実現できたのでした。必ず成功させなければと、体育館の安全確保に前の晩はか...本物に触れる機会を

  • 人間の素晴らしさを

    腕を磨いて男を上げようと(2006-11-09の自分史より)新入生担任となりました。次男が中学に入学した時で私は40歳でした。入学式後、自教室で担任の自己紹介を済ませて教科書配布をしている時に、取っ組み合いの喧嘩が始まりました。教室の後ろには保護者もいるのに、平気なのです。親をはるかに超えている生徒がいるのだと感じました。翌日『中学生になって』を書かせて見ると、「人には力が必要だと思う。勉強の力もあるが俺は腕の力をみがきたい。」とただそれだけの抱負を書いたのがMでした。町工場を経営している父親で、いつも何かに怯えているような気の弱さを感じさせる人で、母親が手伝いながら、明るくてきぱきと切り盛りしているようでした。年子の妹が優秀で親は大阪の私学に中学から入れるのだと兄のことにはまったく期待をしていません。兄妹を比...人間の素晴らしさを

  • 学級目標のように

    心を育てる詩(2006-11-23の自分史より)学級開きの自己紹介のとき、「私を呼ぶのはこんな言い方にしてください」と、まず学級のみんなに伝え、すきなニックネームを紹介します。「それ以外で呼ぶのは、いじめやで!絶対許しません。」と些細なことに真剣に一月間取り組みます。いじめを見逃さない、いじめを許さないクラスという印象を早い時期に叩き込みます。自分たちは守られているんだと理解したら安心した顔にみんななってくるし、楽しい学級になりますからね。そのころを見計らって坂村真民の詩を紹介していました。ある年の道徳の副読本からの引用です。毎朝、暗記するまで学級目標のようにみんなで音読するのも気持ちの良いものでしたよ!快いリズムが詩にはありますからね♪『二度とない人生だから』坂村真民二度とない人生だから一輪の花にも無限の愛を...学級目標のように

  • どんな目標を持って

    心を育てる詩(2006-11-26の自分史より)学級には様々な個性の生徒がいて、個性のぶつかり合いの中で大きく成長していくのですが、どんな目標を持って大きくなればいいのかを考える時に取り上げさせてもらっていた詩です市内のある小学校の碑に刻まれていた詩で痛く感銘を受けたのでした『人間の尊さを守ろう』吉野源三郎たれもかれもが力いっぱいにのびのびと生きてゆける世の中たれもかれもが「生まれてきてよかった」と思えるような世の中じぶんを大切にすることが同時にひとを大切にすることになる世の中そういう世の中を来させる仕事が君たちの行くてにまっている大きな大きな仕事生きがいのある仕事ーーーーーーーーーーーーーーーーー今朝の癒しをお届けしますね(^^♪肥後日本錦です初黄です若楓です紅唐子ですサンシュユです次男の卒園式記念品の見守り...どんな目標を持って

  • 心して毎日を

    心を育てる詩(2006-11-30の自分史より)「人には優しく、自分には厳しく」を不言実行していきたいとは考えるけど、「まっ、いいか」と自分を許し、甘やかしていることが多々あります。56歳のときに今日紹介しようと思っている、相田みつをさんの詩に出会いました。20440枚のレンガを積み重ねたことになり、よく倒れないものだと驚いたものです。あれから8年が過ぎ、約3000枚のレンガが増えました。大きく曲がりくねっているであろう、私の命のレンガを想像しながら、見えなくって良かったとも思っているのです。ここで、あなたのレンガのこともちょっと考えて見て下さい♪『いのちのレンガ』「しあわせはいつも」文化出版局相田みつを著-O先生の講話から-ある日の<洗心講座>でO先生がこんな話をされました「人間の一生は毎日毎日、一枚ずつのレ...心して毎日を

  • 小さな喜びをたくさん

    心を育てる詩(2006-11-28の自分史より)『小さい勇気こそ』平成10年10月10日10時10分10秒の時に、九州の母は奈良に電話をかけてきました。そのころは体育の日で祝日だったので、娘に喜びを送りたかったのでしょうね。「10がたくさん並んで珍しいから・・・」と言う用件でした。「あら!そうねえ。」と私も気付きました。平成11年11月の時も、平成12年12月12日12時12分12秒の時も、同じパターンの喜びを母は感じているだろうなあと、授業中なのに、なぜか思い出していました。平成13年以降はこの楽しみもなくなりました。でも、HPを始めてアクセス数が気になり始め、他の人のHPでも、5555とか66666などと並ぶととても喜びを感じます。小さな喜びをたくさん感じられる人になりたいと思うのです。「チリも積もれば山と...小さな喜びをたくさん

  • 読みついでいくことが

    生かされている尊さを(2006-11-29の自分史より)奈良県の障害児教育の大先輩に向野幾世先生がいらっしゃいます。図書館の仕事と読書クラブの活動をあわせて、明日香養護学校の向野先生を、講師としてお招きしたことがありました。もう30年近い前の話です。その時に紹介された本がありました。向野先生著の「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」という本でした。向野先生の担任に土谷康文君という脳性麻痺の小学1年生が入学してきます。その土谷くんの生い立ちから、家族の思いなどを綴った本なのです。題名は土谷君の詩からとったものです。土谷君は重度の脳性麻痺で、歩くこともしゃべることも食べることも自由がかなわず、意思表示はイエス、ノウの区別として舌を出すか出さないかで伝えていました。そういうやり取りで心を開いていきました。先生は高学...読みついでいくことが

  • 生かされている意味を 

    追憶はエンドレスの世界ですし私だけの楽しみかもしれないと思っていましたこれまでたくさんの詩の引用で学級通信を彩っていました洗練された言霊は大きく心を育ててくれます中でも愛用させてもらった詩を数篇選ぼうと思っていますーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー生かされている意味を(2006-11-27の自分史より)魂が宿り命の誕生の時には両親がいたはずだし、幸せを祈ってくれていたことは間違いのない事実です。私の背後には、たくさんの人の祈りがあることに気付かされました。そして私は、祈りと愛を次代のものへとバトンタッチして、見守りながら生きていたのでした。自分が今ここに生きているということ!その意味を的確に説明してくれている詩の紹介です。自分の番いのちのバトン相田みつを「文化出版局」父と母で二人父と母の両親で四人そのまた...生かされている意味を

  • 愛しい3年間でした

    地域の中で生きる(2006-12-06の自分史)Eちゃんは詰襟の学生服が似合う凛々しい男の子でした祖父母と両親と弟の6人家族で靴下製造業の跡取りとして生まれました歩き始めて名前を呼んでもどんどん歩いていくしその時にちょっとおかしいのでは~?と母親は思ったそうです自閉症の障害がわかった最初でした言葉を持たないので理解させるのに早めにカレンダーに予定を書いておかないとパニックになってしまいます彼が困っていると分かるのは体操服の胸のゼッケンを両手でサッとつかみ口に持っていく動作でわかります学生服を着ているときはタオルのハンカチを持たせるとそれを口に頬張って気持ちを鎮めていました何も持たない時・・・それもありました!後部座席にYちゃんとEちゃんを乗せて家まで送ってあげようとした時でした幼・小・中合同学習会を終えて機嫌よ...愛しい3年間でした

  • 喜びの連絡帳を

    思いやりの言葉(2006-12-05の自分史)50歳から59歳までの10年間で出会えたみどり学級生は13人でした市内の幼稚園から中学校までのすべての学級に関わる仕事でしたので笑顔をもらった出会いはもっともっと多いのですがみどり学級生として結びつきの深い生徒の人数の話ですいつまでも覚えておきたいから印象に残っていることをこの際まとめておこうと思いましたまず最初の年はYちゃんとEちゃんとの出会いでしたYちゃんはみどり1組の知的障害児学級生でダウン症児です歌の好きなスマップファンで5人のメンバーの名前を漢字で書けるのが大きな自慢のYちゃんでしたYちゃんがダウン症だと分かった時父親がたくさんの本を買って自分の入院中に勉強してくれていたことを退院後に知りどんなにありがたかったかと母親は今も感謝しています温厚でYちゃんを大...喜びの連絡帳を

  • みんなは ひとりのために

    この子らを世の光に(2006-12-04の自分史より)みどり学級通信の名前はもちろん『プチモナミ』です30年間同じ校区に子どもの幸せを願いながらの日々を盛り込んで発し続けてきました初めは学級数の40枚だったのが学年6クラスの240枚になりみどり学級通信は全校750枚の印刷数に変わっていきましたもちろん全職員にも「一人一人を見落とさないでね」という気持ちで配布しました学校のスローガンであったひとりはみんなのためにみんなはひとりのためにというテーマに迫る優しさの追求というか思いやりを学ぶための資料にして欲しいと願ってみどり学級生の純粋な生き様を全校に訴えていきました障害児学級担任の10年間に出会えた仲間は13人でした半分の7人とは今も福祉作業室に行けば元気な顔に出会えます奈良に帰っても寂しさは感じないと思っています...みんなはひとりのために

  • 教師自覚の目覚め

    この子らを世の光に(2006-12-03の自分史より)私には三人の息子がいます一番上は喘息がひどく夜中に酸素吸入をしてもらったりアトピーがひどかったりこの子は大きく育つのかなあと本気で思うほどの虚弱体質でした親になって初めて中学生にまで育て上げたお家のご苦労が解りました独身の時養護施設の学園にいましたいろんな事情で親と生活出来ないそれこそ生まれてすぐに道端に棄てられ名前も親も分からないという生い立ちの生徒から姉弟で着替えの荷物を持っていくら待ってもパチンコやさんの片隅に父親は現れず相談所預かりになり学園で生活している生徒たちと共に過ごした2年間がありましただから普通の公立中学校に勤めはじめた時に「この子らの後ろには家族の期待と愛があるたとえ今非行に走っていてもきっと立ち直るぞ!」という信念を持っていました信じら...教師自覚の目覚め

  • この子らが 私に光を!

    昭和41年は60年に一度の丙午の年でしたその反動で翌年の昭和42年は大変なベビーブームとなり55年度の中学校入学の学級数はプレハブ教室を建て増して間に合わせたほどです市内に2校あった中学校は両校ともに1500人を超すマンモス校となり第3中学校を早急に建設して分離統合を行いました私は新設校に配属となりました昭和59年のことですその後5年間は学級担任でしたが平成元年から3年間は学年主任で学年の管理を任されました障害児学級担当になったのは平成4年の満50歳のことでしたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの子らを世の光に(2006-12-02の自分史より)開校当初障害児学級はありましたがその後6年間くらい該当生徒がいなくって学級は閉鎖されていました学級担任の時は活き活きとしていた私も管理色傾向の強い学...この子らが私に光を!

  • 鉄は熱いうちに 機会をとらえて!

    百万からの先祖を敵に(2006-11-01の自分史より)おかしいなあ~?何かいやなことがあるに違いない!教師の直感でしたこの2ヶ月唾を吐きかけることも無く無事に過ぎトラブルも何も起きていません同じ小学校から来た生徒が何くれと無く気配りをしてくれていたのでした新しい友が出来て自分の事で精一杯になりちょっとHさんのことから気持ちが離れ新しい出会いを謳歌していたのだと思います誰を責めるわけでもありません教科担任制は朝の会が終わると次々に時間割のままに動き終わりの会までゆっくりと観察ができないまま過ぎていきます短い時間では解決できないしゆっくり学活の時間を取ろうと決めてその時を待ちました「新しい友達が出来ましたか?毎日が楽しいですか?」と言う問いかけから入っていきました「ここ毎日のように朝の会に来ると、Hさんが先生を待...鉄は熱いうちに機会をとらえて!

  • 自分たちと異質なものに

    健康に留意しながらスローライフを愉しめたら最高だって母の介護を終えて早10年何の疑問もなく夢中で過ごしてまいりました自分史を綴っていたことも全く念頭になく今日一日を恙無く過ごせたら幸せだと信じていたのでした6月のある日‘青春の形見’を発見できて無我夢中に寸暇を惜しんで生きたいと願う彼の世界を探求する日々が続きました10月末日までに彼の手紙の要旨を大学ノート1冊にまとめていつでも確かめたい時に手元にあるようにしました11月に入り彼の期待に添えるに相応しい生き方が出来たか否かをブログの自分史の中から探ろうと思い至ったのでしたエンドレスの世界に突入した感がありますが追憶の世界は若かりし頃のことをありありと思い起こさせてくれます何よりもの元気の出る特効薬だと感じています貴重なお時間を割いていただきありがとうございます(...自分たちと異質なものに

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