ウクライナ侵攻でロシアの若い男性の中の30万人近くが徴兵を逃れるためにロシアから外国へ移住した。また、出生率も下がった。先行き不透明で不安要素が多いと子孫を残そうという感じにならないのかもしれない。しかし、戦争中は仕事が暇になって出生率が上がるという報告も
天国で忙しくなく過ごすとき、何をするものだろうか?にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ
問題は、なぜ、意識が植え付けられたかだ。それがなければ、誰も何も文句は言わない。逆に文句を言うのは、意識があるからだ。意識がなければ、進化や脳の発達が促されなかったというのだろうか?ならば、その結果として進化した脳が世界にクリティカルヒットを与えられるだ
何日も何ヶ月も何年も、変化やきっかけやヒントが得られなくても、答えが見つかる日まで諦めないで、続けるべき。何十年も続けなければ得られない答えもあるはずだから。同じことの繰り返しに見えても何十年も地道に続けるべき。人気ブログランキングへにほんブログ村
ほとんどの人は自分さえよければ楽しく生きていって他人のことは考えない人生を送っている。唯一、相手のことをずっと思えるのは親が子供に心配する時のような愛情だろう。ほとんどの人は自分さえよければ楽しく生きていって他人のことは考えない人生を送っている。唯一、
人生に意味はなく、一回きりの人生好きに楽しく自由に生きるのが良い!と言ってそれを実践して生きている人がいたら、その人は成功者なのか?成功者じゃなくても、それでも周りの凡人はその人のことを羨むだろう。しかし、生き甲斐がなくても、充実して生きていなくても、苦
ロータスイーターの主人公は単なるフィクションだから別にして、人生の意味を考え続けて不幸になったという人の話は聞いたことがない。むしろ、人生の意味を考えないで虚しい悲しい人生になった人の話はよく聞く。誰かが人生の意味を考えて考えて、周りの人が心配してかマウ
昔の方が輝いてみえるという錯覚ヘルマンヘッセが晩年に少年時代の理想的な姿を夢見たように、人生の先が見えてもう心身ともに限界になってくると、まだ平穏な方である現在よりも、苦しくて一日一日が切羽詰まっていた子供の頃の方が希望をも抱いていて頑張っていて良かった
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ウクライナ侵攻でロシアの若い男性の中の30万人近くが徴兵を逃れるためにロシアから外国へ移住した。また、出生率も下がった。先行き不透明で不安要素が多いと子孫を残そうという感じにならないのかもしれない。しかし、戦争中は仕事が暇になって出生率が上がるという報告も
人生の幸楽は全く意味がないと涼しい顔をしても、自分の独り子が誰かに苛められたり虐げられたり辱められたりしたら、親の気持ちは怒りというよりも憤りで気が狂わんばかりになるであろう。それでも、人生の全てのことに動じず心を平静に保つのが良いわけあるだろうか?いや
健康のためには、栄養をいろいろ取るのではなく粗食が大事なように、人生の幸せにとっては、いろんなことをいろいろ体験するのではなく、いかに苦難を避けた人生の輪廻を過ごせるかが大事なのかもしれない。老いていくと、仕事が減り、自由にできるお金も減り、だんだん行動
この世界は不条理だ。理不尽ではない。人間のやっていることなど、馬鹿らしいことばかりだから、一生懸命頑張っても報われるわけではないし、何か不運なことがあってもそれは不運ではなく当然の失敗なのだ。しかし、不条理はある。努力せず運だけで幸せになる人はいるし、不
仕事が生きがいという人がいる。しかし、そういうのは、仕事をしていないと、パタッと思考停止するというか、脱力するというか、人生空しくなってくるものだ。人生の意味がAということだとしたら、Aがなくなったときに人生空しくなってくるようなものではないはずだ。Aを知っ
やめてみる
このブログに書く記事の内容を考えるのも全くアイデアが浮かばない日々が少なくない。まるで作曲家がどうにかこうにか曲を生み出すように、僕も頭の中ら思索をひねり出している。しかし、人生の意味の探求っていうのは、そんな作曲家の創作活動と同レベルの作業ではないはず
本当に自殺したい気持ちが確かなら水も食料も断って死ぬのが大切だろう。もちろん、それは難しい方法だ。西べ進が友人に手伝ってもらって自殺したのは、生前にたいそうなことを論述していたのとは違って姑息というか情けない・・・
本を読んでると著者が読者へ自分の主張を認めさせようとした内容になっていて、本来の著者の考えた道筋の言語化ではなくなってしまってるのがほとんどだ。 にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ
日本がもうすぐ津波に飲み込まれる…
カンちゃんドラ待ちリーチ者が他家二人の好形タメンチャンよりもツモ上がれる場合、そのリーチ者は何故その待ちでリーチしようと思えたのか?何故その待ちにすっぽりドラがやってくるのか?弱肉強食の自然界において弱い者が悪手を打てばその失態を見逃さずに敵に攻められ喰
カンちゃんドラ待ちリーチ者が他家二人の好形タメンチャンよりもツモ上がれる場合、そのリーチ者は何故その待ちでリーチしようと思えたのか?何故その待ちにすっぽりドラがやってくるのか?弱肉強食の自然界において弱い者が悪手を打てばその失態を見逃さずに敵に攻められ喰
見かけではわからない。過去の自分や未来の自分を想像するとき一人称視点で認識しているか、それとも三人称視点で認識しているか。夢の中も同様にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ
精神が輪廻転生なりで存続し得るのかどうかが大きな課題だ。転生するのなら、前世の精神の記憶がないように来世の精神が今世の精神の記憶を想起できないだろう、そんな中で同じ精神と言えるような何か今世と来世に共通する何かが存在するだろう。それはきっと性格のようなも
世界が不条理なのと同じくらい不条理なのが、人の考えだ。この世界の多くの人の考えも全く合理的でない。ほとんどの人は、まるで炎に飛び込む蛾のよう。ただただ明るい方に向かって盲目的に進もうとしている。この世界は欠陥だらけ。そして多くの人々もまるで放し飼いされて
仏陀は人が死後も輪廻転生すると考えた。僕もそろそろ現実的に対策を考えないといけないだろう、今までは理想論を言ってただけだから。死後も自分という存在が存続することを想定して、その対策を。
世の中には、松本人志のように仕事でも王様のように楽しみ、プライベートでも色々楽しんでる人がいる一方で、何が楽しくて生きているのか、何も楽しみはなく、ただ辛いだけの日々で、かわいそうな人もいる…何か一つ生きる楽しみがありさえすれば、それだけでいいのではない
人は精神が変化する。良い方向に変わる人もいれば、悪い方に変わる人もいる。親しい友人や家族であっても、いつ敵対的な関係になるかわからない。イエスはそれを指摘して、家族を捨てて私についてきなさいと人々に出家を勧めた。イエスは神以外には永遠の愛はないとか、仏陀
国と国と争い団体と団体の争い上級国民と上級国民の争いそしてその下で成されるがままに振り回される国民、貧民、弱者たち…イエスが人々を助けようとしたヒーローなのかどうかわからないが、ヒーローなど存在し得ないことは昨今の社会情勢を見てもうよくわかった。幻滅した
本能にとっては、個体の生存に大切な脅威を避ける、つまり怖がることしか重要ではないのだ。だから、誰もいないのに幽霊がいるように見えたり感じさせたりする。逆に、食べ物が見えたり、美味しそうな匂いがしてきたりといった幻覚は怒ることはまずない。
この世の真理のヒントだけでも
この先の未来がただ何も予定はなく、どうなるか未定で、どうなってもどうならなくても世界にとってはどうでもよければ、世界は何の意義もなく、存在に価値はなくなる・・・
有意義なことをしようとしていても、徒労に終わっているかも知っれないし、何かやろうとして失敗して借金したってそれは別にたいしたことじゃないかもしれない。。。とにかく、一生懸命無理して頑張る必要はないのだ。人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブ
何をすればいいかは、その時の状況や環境に左右される。例えば、愛する家族がいるならなるべく自分がしっかり健康で長生きするよう頑張るのがいいだろう。逆に、孤独な人生なら、早めに死ねるように暴飲暴食して生活習慣病になったほうが良いかもしれない。何かをしている途
世の中には頭の回転が速く話題が豊富でひっきりなしにおしゃべりしている人が少なくない。もちろん、そういう人も、無口な人と一緒にいるときや、葬式の場面などでは、おとなしくしている。まるで、話し始めて、エンジンがかかり、おしゃべりのスイッチが入るのは、お酒を飲
嬉しいことも喜びは少なく憤るべきことかいなかも考えずに無関心になり悲しい出来事にも涙は見せず楽しいことにもクールにふるまう一番大事なのは、悲しさや憤りに左右されない事か・・・
世の中の運不運に動じることなくいつも感情を一定にし物事に左右されることなく心を振り回されずにしていたい。しかし、過去の辛かった出来事を懐かしく思い出しながら感慨にふけるのはやはりだめなのだろうか?
皆働くのは嫌に決まっていてそんな仕事をどうせなら楽しくやろうとしてるだけ。人生も同じ。皆生きるのは嫌に決まっていてそんな人生をどうせなら楽しく生きていこうとするのが世の多くの人の考えだ。どうせやるなら楽しんだ方がいいだろうと考えるのは、いかがなものだろう
人生の意味は、いろんな体験をしながらいろいろ悩み考え思い煩うことにあるのではないだろうか?人生の意味を考えるのもその一つだろうけれど、人生の意味そのものを考える時間がなくても、人生の現実的ないろいろな諸問題を考えることも大いに意味があると思う。ただし、最
何のために?『1さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。 2弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」 3イエスはお答えになった。「本人が
今生きている人で悩みのない人は、無意識的に、ただ何となく生きているのだろうか?死ぬ理由がないから生きているだけなのだろうか?毎日のルーティーンを脊髄反射的に淡々とこなし、考えることもなく生活。意識はほとんどない。人は何かで悩み始めると途端に意識が大きく出
自分自身を自覚する存在としての「意識」はいつも自分の脳にまとわりつく。。。寝ている時、寝入っている時、夢を見ている時、、、全身麻酔の手術を受けている時、一体どこにいってしまっているというのだろうか?意識は連続性を持つというけれど、空白の期間があったりもす
AbemaTVで麻雀のMリーグ戦を見ていると、実力よりも運が半分以上を支配しているゲームの大会で一生懸命深刻に考え込んで一喜一憂している打ち手達に、呆れてしまう…佐々木寿人のように考えても仕方ないことは考えるだけ無駄と割り切って、さっさと手際よく打ち進めている方
仕事に対する人々の価値観が千差万別だがみんなおかしい…まるで蟻のようだ。何のために働いているかわからないまま踊らされている…労働というか働くというのは平和な社会への参加が目的だ。平和な社会ではなく、自分を虐げてくるような奴がいるなら外にでたくないのは当然
このコロナ禍で、いまだにタバコを吸ってる人は喫煙所も少ない中で肩身狭い思いをしていることだろう。本当にこそこそっと吸っている。あの姿を見ていると、何かストレスがあって喫煙で気を鎮めているんだろうなあ、ストレスフルなんだろうなあと気の毒に思えてくる…(実際
某教授の顔や首を切って逃亡していた41歳男性が自宅で自殺していたというニュースを見た。こういうはた迷惑な奴は人に迷惑をかける前に自殺すればいいものを一体、良い解決法はあるのだろうか?まるで癌細胞のように、まるで自爆テロリストみたいに、こういうやつを、自分だ
希望を持つことは刹那主義だと思う。人類全体が希望を持って生きているが、希望というのは空虚な幻に過ぎない、本当に空しいものだ。麻薬みたいなものだ。希望という幻に惑わされた煩悩なのだ。将来に希望を抱いてはいけない。もともと初めからこの世には絶望しかないのだ。
何故この自分の肉体に自分が存在するのか?何故なにもないのではなく何かが存在したのか?何故この自分の感じることが他の人と同じかどうかわかりえないのか?
この世界や、自分の人生に意味があるようには見出せない難問であるのは、神がわざとそうしてるかもしれない。わかることが目的ではなく、わかろうと探究することに意味があるのかもしれない。
自分が生きようと死のうと世界は何事もなかったかのように動き続け、他の人達も一切見向きもせず歩き去っていく。そしてその人達もやがて寿命が来て死んでいく。