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  • 富嶽三十六景 御厩川岸

    「御厩川岸」御厩川岸は、隅田川の浅草側、現在の厩橋西詰あたりをさした。ここと対岸の本所側を結んで渡し船が通っていた。それを御厩の渡しと云った。その渡し船を前景にして、中景に両国橋を配し、その先に小さな富士を描いている。題名は、御厩川岸から両国橋の夕陽を見る、と言う意味だろう。渡し船が河岸を離れて漕ぎ出す瞬間を描いている。小さな船にかかわらず、うねるように大きな波がたっているのは北斎の御愛嬌か。この船の船頭は艪で漕いでいるが、御厩の渡し船は竿で漕いでいたという。江戸の富士を描いた中でも、この絵の中の富士は小さく描かれている。しかも青く塗りつぶされているのは、夕陽の反照を表現しているつもりなのだろうか。富嶽三十六景御厩川岸

  • 富嶽三十六景 江都駿河町

    富嶽三十六景江都駿河町「江都駿河町」三井とは三井呉服店、又の名を越後屋といった。現在の三越百貨店の前身である。徳川時代には、駿河町の通りを挟んで両側に店を構えていた。その狭間から日本橋方向を見ると、その先に富士が見える。この絵は実景に近い。構図は、東都浅草本願寺とよく似ている。職人が屋根に上って仕事をしているところや、凧が上っているところも同じだ。この場所から見た富士は、こんなに大きくはない。富士の描く線が、屋根の線と調和して、構図に一定のリズム感をもたらしている。富嶽三十六景江都駿河町

  • 富嶽三十六景 江戸日本橋

    「江戸日本橋」日本橋は、江戸の中心として、また諸街道の始まるところとして、特別の重みを持っていたので、様々な絵師によって描かれた。北斎は、これを富士と組み合わせることで、富嶽三十六景のひとつに仕立てたわけだ。だが、これが実景と異なることは、土地の人なら誰も気づくだろう。絵は日本橋の上から江戸城方面を眺める形になっているが、富士はその方向には見えない。したがってこの絵は、北斎の拵えものだとわかる。日本橋そのものは、画面の手前の方に一部だけ姿を見せている。橋の欄干に擬宝珠があることから日本橋だと判るのである。富嶽三十六景江戸日本橋

  • 一年前のブログ

    六十余州名所図会紀伊「紀伊」和歌の浦和歌浦は大阪に接する和歌山市南部にある。本図では、和歌浦の入江から、遠景の小島までが中心に描かれている。小島は妹背山と呼ばれ、三断橋で内陸と結ばれており......>続きを読む一年前のブログ

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