Got questions(英語版)からの翻訳です。今回日本に訳したのは“What does it mean to be lacking nothing (James 1:4)?”「何一つ欠けたところのない(ヤコブ1:4)とはどういう意味ですか?」という質問です。ヤコブ1:4は、「その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あな
Got questions(英語版)からの翻訳です。今回日本語に訳したのは、“Does the Bible instruct us to forgive and forget?”(赦して忘れなさいと聖書は教えていますか?)という質問です。私たちは、しばしば自分の怒りの感情に引っぱられて人を赦す決断ができないことがある一
イエスが一人でおられた時の言動はどのようにして福音書に記録されたのでしょうか?
Got questions(英語版)からの翻訳です。今回日本語に訳したのは、新約聖書の福音書についての素朴な疑問で、“How did the things Jesus said and did when He was alone get recorded in the Gospels?”(イエスが一人でおられた時の言動はどのようにして福音書に記録された
“罪人の祈り”を5000回以上祈った牧師の証言「イエスを心の中に受け入れる祈りを止めなさい」
Ligonier Ministriesのサイトより、“罪人の祈り”(イエスを心の中に受け入れる祈り)を5000回以上祈った経験を持つJ.D.グリアー(J.D.Greear)牧師の証し“Stop Asking Jesus into Your Heart”(イエスを心の中に受け入れる祈りを止めなさい)を日本語に翻訳しました。“イエ
A.W.トウザー(Aiden Wilson Tozer 1897-1963)が1955年に出版した論説集“The Root of the Righteous”(英語)の第6章“That Utilitarian Christ(あの実利的なキリスト)”を日本語に翻訳しました。トウザーは、聖書が警告している偽キリストは、外部からやって来るだけでなく、
ふさわしい聞き方をしなければならない by A.W.トウザー
A.W.トウザー(Aiden Wilson Tozer 1897-1963)の論説集“The Root of the Righteous”(英語)の第5章“We Must Hear Worthily(ふさわしい聞き方をしなけれならない)”を日本語に翻訳しました。御言葉から本当の意味で教えを受けるには、聞き手の側にある準備がなされていなけれ
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Got questions(英語版)からの翻訳です。今回日本に訳したのは“What does it mean to be lacking nothing (James 1:4)?”「何一つ欠けたところのない(ヤコブ1:4)とはどういう意味ですか?」という質問です。ヤコブ1:4は、「その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あな
Got questions(英語版)からの翻訳です。今回日本語に訳したのは“How can we let patience have its perfect work (James 1:4)?”「どうすれば忍耐を完全に働かせる(ヤコブ1:4)ことができますか?」という質問です。ヤコブの手紙は、さまざまな試練に会っているクリスチャン
Got questions(英語版)からの翻訳です。今回日本語に訳したのは「How does the “testing of your faith” produce perseverance (James 1:3)? 信仰がためされると、どのようにして忍耐が生じるのですか(ヤコブ1:3)?」という質問です。これは前回掲載した質問「(さまざま
Got questions(英語版)からの翻訳です。今回日本語に訳したのは、“What does it mean to count it all joy (James 1:2)?”「それをこの上もない喜びと思いなさい(ヤコブ1:2)とはどういう意味ですか?」という質問です。聖書は「さまざまな試練に会うときには、それをこの
【救いにおいて、聖霊はどのように働くのか?】Banner of Truthの記事「有効召命 effectual calling」(William Macleod著)から、救いにおける聖霊の働きについて解説している箇所を日本語に翻訳して掲載したいと思います。約ニ千年前にイエス・キリストが十字架で完成させ
前回の記事では、カルヴァン主義の聖徒の堅忍の教えとフリーグレイス論の「1度救われると永遠に救われる」(once saved always saved 略してOSAS)の教えが混同されている例を取り上げて、それらの教えは「救われたクリスチャンは救いを失うことはない」という結論の部分は
「クリスチャンは救いを失う可能性がある」と信じている人々の間では、しばしばカルヴァン主義の聖徒の堅忍(Perseverance of the Saints 別名:preservation of the saints 聖徒たちの保持)の教理は、“救いの永久保証”(1度救われたら永遠に救われる)を教える危険な教
リーゴン・ダンカン(J.Ligon Duncan)の「Dispensationalism - A Reformed Evaluation(ディスペンセーション主義ー改革派の評価)」からディスペンセーション主義と契約神学の違いを簡潔に挙げている箇所を翻訳して掲載します。全部で28項目(比較表にあるものを含めると30
↓こちらの記事を読まれた方から質問を受けましたので、少し補足しました。「ディスペンセーション主義と契約神学の違い(2)~字義通りの解釈 vs 信仰の類比~」
リーゴン・ダンカン(J.Ligon Duncan)の「Dispensationalism - A Reformed Evaluation(ディスペンセーション主義ー改革派の評価)」からディスペンセーション主義と契約神学の違いを簡潔に挙げている箇所を翻訳して掲載します。全部で28項目(比較表にあるものを含めると30項
リーゴン・ダンカン(J.Ligon Duncan)の「Dispensationalism - A Reformed Evaluation(ディスペンセーション主義ー改革派の評価)」からディスペンセーション主義と契約神学の違いを簡潔に挙げている箇所を翻訳して掲載します。全部で28項目(比較表にあるものを含めると30項
リーゴン・ダンカン(J.Ligon Duncan)の「Dispensationalism - A Reformed Evaluation(ディスペンセーション主義ー改革派の評価)」からディスペンセーション主義と契約神学の違いを簡潔に挙げている箇所を翻訳して掲載します。全部で28項目(比較表にあるものを含めると30項
リーゴン・ダンカン(J.Ligon Duncan)の「Dispensationalism - A Reformed Evaluation(ディスペンセーション主義ー改革派の評価)」からディスペンセーション主義と契約神学の違いを簡潔に挙げている箇所を翻訳して掲載します。全部で28項目(比較表にあるものを含めると30項
リーゴン・ダンカン(J.Ligon Duncan)の「Dispensationalism - A Reformed Evaluation(ディスペンセーション主義ー改革派の評価)」からディスペンセーション主義と契約神学の違いを簡潔に挙げている箇所を翻訳して掲載します。全部で28項目(比較表にあるものを含めると30項
リーゴン・ダンカン(J.Ligon Duncan III)の記事「Dispensationalism - A Reformed Evaluation(ディスペンセーション主義ー改革派の評価)」から、ディスペンセーション主義と契約神学の違いを簡潔に挙げている箇所を翻訳して掲載します。ダンカン氏は改革派(契約神学)ですが
リーゴン・ダンカン(J.Ligon Duncan III:Reformed Theological Seminary学長兼CEO)の「Dispensationalism - A Reformed Evaluation(ディスペンセーション主義ー改革派の評価)」という記事の中に、ディスペンセーション主義と契約神学の違いを簡潔にまとめた箇所があります
前回の続きです。今回は全的堕落と救いの関係についてです。全的堕落を扱う際に取り上げるべき重要なテーマは、「人は行ないによって救われるか?」よりも、むしろ「人間には福音に正しく応答する能力があるのか?」という点です。正しく応答するとは、人が福音を聞いて、悔
前回の続きです。全的堕落の教理がしばしば拒否される理由の一つは、人々は日常生活においてクリスチャンではない人の中にも善を行なう良い人がいるのを実際に見ており、自分たちが見ている事と全的堕落の教理の「人間はみな罪の奴隷である」「善を行なう者はひとりもいない
Got questions(英語版)からの翻訳です。今回日本語に訳したのは、“Total depravity - is it biblical?”(全的堕落は聖書的ですか?)という質問で、人間の堕落に関するものです。全的堕落の教理は、神の恵みのみによる救いの前提となるものです。人間の全的堕落を受け入れて
フィル・ジョンソン著「羊の衣を着た狼 〜チャールズ・フィニーの神学はどのようにして福音主義運動を破壊したのか」からの翻訳です。次は、チャールズ・フィニーが原罪を否定したことについて取り上げます。今回は記事の前半部分のみを掲載します。以下は、Phillip R. John
前回の記事では、カルヴァン主義の聖徒の堅忍の教えとフリーグレイス論の「1度救われると永遠に救われる」(once saved always saved 略してOSAS)の教えが混同されている例を取り上げて、それらの教えは「救われたクリスチャンは救いを失うことはない」という結論の部分は
「クリスチャンは救いを失う可能性がある」と信じている人々の間では、しばしばカルヴァン主義の聖徒の堅忍(Perseverance of the Saints 別名:preservation of the saints 聖徒たちの保持)の教理は、“救いの永久保証”(1度救われたら永遠に救われる)を教える危険な教