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RIPES BLOG https://ripe.hatenablog.jp/

記事の中身は「R65」。年の功がある人(RIPE)向け。だからジャリは侵入禁止!

RIPEとは成熟の意味。昔、クリントイーストウッドらが出た「スペースカウボーイ」という映画があった。ジジイ宇宙飛行士が地球を救うために宇宙に行く痛快作。由緒正しい宇宙飛行士は「ライトスタッフ」と呼ばれたが、彼らは尊敬と揶揄を込めて「ライプスタッフ」と呼ばれた。「熟年」という言葉は嫌いだが、「ライプ」はイカス!と思って命名。

R65 RIPEKUN
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住所
新宿区
出身
佐渡市
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2015/06/19

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  • 「人の行く裏に道あり」の紅葉散歩

    NHKBSで「赤ひげ」シリーズが断続的に続いており、小説(山本周五郎)とも映画(黒澤)とも違うオリジナル脚本らしい。でもその舞台が小石川養成所であることは変わらない。時代は享保、実在の町医者がモデルで。その場所は「後楽園」にあった。今はドーム球場や遊園地に圧されている感があり、岡山の後楽園ほどの広さはないが、なかなか凝った手入れの良い庭園だ(65歳以上割引150円!) 先日この近くが現場になり、イイものを見つけたから紹介したい。世に「人の行く裏に道あり花の山、いずれを行くも散らぬ間に行け 」(千利休)と言う言葉があり、株屋たちの投資心得のように流布しているが、言葉通りに、後楽園の樹々も借景にし…

  • 「老害」と言われる側のヒヤヒヤ感

    今週の地下鉄車内広告で目を引いたのは、内館牧子の本『老害の人』だ。それもシルバーシートの場所に掲示されていて笑ってしまった。100万部突破らしいが、内容は、引退して娘婿に会社経営をゆずったはずの会長が、どっこい出張ってきて「老害」を振りまく話。ネットで試し読みできるから、そこから冒頭のエッセンスだけ抜き書きしてみよう。購読者が増えるなら長い引用も許されるかな? ●自分がどれほど「老害の人」かということに、当の本人はまったく気づいていないものだ。●自分は実年齢よりずっと若くて、頭がしっかりしていて、分別がある。男女ともにだ。そうではない人を見ると、彼らをいたわったりさえする。●困ったことに「老害…

  • 人形町は「浮世の町」?

    仕事は生産的ではないが色んな町に行けるのが愉しく思える時がある。先日の現場は日本橋人形町だった。 隣町・蛎殻町の水天宮で祈った「有喜」の子は、この世が「憂き世」でもあることをまだ知らない。長じて裏切りや悲しみや不条理をさんざん味合わされてそのことを知り、束の間の気晴らしを求めて、この町界隈に来たかもしれない。 この町は元吉原。歌舞伎三座の2座があり、浄瑠璃の人形師が住んだことが地名の由来になった。明和の頃には陰間(男娼)茶屋が賑わい、文明開化後は隣する浜町に明治座が建ち、大正にはカフェが並んだ。 「玄治店(げんやだな)」は『お富さん』に出てくるが、粋な黒塀の並んだ妾宅エリアだった。宇江佐真理の…

  • 「11月」って「ヘビー」な月じゃない?

    個人的に、1年12ヵ月で一番影の薄い印象があったのが11月だった。朝夕は寒く、日はみぢかくなる一方で、印象的な祝日もない。それがこの数年で変化して一番「ヘビー(しんどい)」気分になる月になった。 4年前の11月には初めて交通警備員という仕事に就いた。前後のいきさつは「就老」(就活老人日記)シリーズで書いたから省くけど、それまでとは懸け離れた仕事に飛び込むのはやはりヘビーだった(今は元気にやってるけどね)。 2年前は頸部膿瘍で喉を切開し、スピーチカニューレを使ってやっと声が出たのが術後40日目の11月だった。でもまだ経管栄養で先が見えず気分は「ヘビー」だった(退院は12月)。 そんな気分を映す「…

  • 「11月」って「ヘビー」な月じゃない?

    個人的に、1年12ヵ月で一番影の薄い印象があったのが11月だった。朝夕は寒く、日はみぢかくなる一方で、印象的な祝日もない。それがこの数年で変化して一番「ヘビー(しんどい)」気分になる月になった。 4年前の11月には初めて交通警備員という仕事に就いた。前後のいきさつは「就老」(就活老人日記)シリーズで書いたから省くけど、それまでとは懸け離れた仕事に飛び込むのはやはりヘビーだった(今は元気にやってるけどね)。 2年前は頸部膿瘍で喉を切開し、スピーチカニューレを使ってやっと声が出たのが術後40日目の11月だった。でもまだ経管栄養で先が見えず気分は「ヘビー」だった(退院は12月)。 そんな気分を映す「…

  • 昔住んでいた場所

    ①大田区長原:「♪池上線の走る町に~♪」(西島三重子)住んでいたのは1968年3月からの1年。浪人を決め、就職で上京した姉と一緒にミニ台所つき6畳、共同便所、風呂なしの木造アパートだった。代ゼミに登録したものの小田実や鈴木武樹などの名物講師の授業だけ覗いていつも渋谷全線座に通っていた(B級映画3本立て100円だった)。だが世間は大変でベトナム戦争、キング暗殺、新宿騒乱、3億円事件とあり、年明けても安田講堂事件などで東大と教育大は入試中止……生活実感なく映画と世間をキョロっていたから町の記憶は不鮮明。いや脳内地図ではピンポイントで色々記憶しているのだが、先日、偶然この町が現場だったので歩いてみた…

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