東京ブギウギ
太平洋戦争が終わった時、ボクは9歳だった。食糧難で配給の食糧では、餓死する人がいた。食べ物を闇市で手に入れるなんて、曲がったことが出来ない、裁判官や検事、警察の偉い方などなどは、餓死寸前に皇居前の広場で切腹自殺・・・何人もいたのが新聞に載った。子供のボクの記憶に残るのは、配給になる食糧と言えば、大豆、砂糖・・・これが三食のご飯となる。大豆は炒って醤油をかけて味を付け、ボリボリ食べた。大豆はまだよい方で、キューバからの支援でキューバ糖なるものが配給された。どこから手に入れたのか、母が大鍋に一握りの小豆にたっぷり水を入れ、そこへキューバ糖を入れる砂糖水。母は、「ゼンザイよ」と言って食べさせたが、丼に小豆は1個入っていればOK。小豆の味がするだけの砂糖水をがぶがぶ飲んで、学校に出かけた。家族は全部で8人、大なべ...東京ブギウギ
2023/07/29 04:33