サンクチュアリやuciでも、祈祷の締めは、祝福中心家庭、を使っているそうだ。ということは、真のお父様を認めて、侍っている、ということになる。だって父なんだから。問題は、お母様ということか。母なのに。キリスト教2000年の歴史の上に、イエス・キリストはまた来る。婦人は夜中にろうそくを消さずに、準備しなさいとか。黙示録には、子羊の宴、とか。だから、キリスト教とは、再臨するイエス(男性)を待ち望んで来た。大母様もそのお母さんも、聖主教、腹中教と変遷されながら、北から南へくだられて、統一教会に再臨のイエスを訪ねてきたのではないか。平和の母に書いてありますよ。創造原理から見ると、アダムを創造されてから、あばら骨でエバをつくられた。復帰も、アダムの再創造から、真なる男性の再創造。そのための、タマルのお腹で胎中聖別ゼラ...曲がっていても、道は道