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物怖じしない国際人を育てるヒント集BLOG https://blog.goo.ne.jp/amazon-japon

自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか

1歳から80歳あまりの自分史を大正・昭和・平成の近現代史を織り込んで記録する。 近現代史のテーマは戦傾化の解明。 自慢は謎解きのオリジナル。 ①樺美智子さん死の真実 ②田中上奏文の真実 ③狭山事件の真実(未完)

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2015/01/27

  • イエズス会グアラニー布教区の興亡/グアイラ地方とバンデイランテ

    イエズス会によるペルー布教は1568年に始まった。エンコミエンダ制の行き詰まりのかたわらで、先住民布教にめざましい活躍をするイエズス会のミッションに目を付けたペルー副王トレドは、海抜4000メートルのティティカカ湖畔のフリ村(人口9000人)の布教をイエズス会に委ね、イエズス会士以外のスペイン人の立ち入りを禁止した。「会士たちは布教に携わるだけではなく、村のカシケ[首長]と一緒になって、行政や経済活動、あるいは村人の生活にいたるまでをこと細かに指導し、フリの住民の生活をめざましく改善することに成功した。*」*この章においても、典拠を明記してない出典はすべて前記伊藤慈子著『幻の帝国』である。それだけではない。ほかに類書が無いので、関連の章は創作ではなく、主題の文脈にあわせて同書の「まとめ」で代用した。157...イエズス会グアラニー布教区の興亡/グアイラ地方とバンデイランテ

  • イエズス会グアラニー族布教区の興亡/前史 グアラニー族とスペイン人の出会い

    同成社2001年当ブログ記事もようやくイグアス―瀑布の滝下流域、イエズス会士の指導で築かれたグアラニー族の教化村の世界に到達した。最大の大河パラナ川を挟んでパラグアイ川とウルグアイ川を配した流域である。大西洋への出口は、スペインの最初の遠征隊(1516年)に太平洋に通じる水路と間違われたラ・プラタ川(銀の川)である。イエズス会ミッション遺跡群Londrinaとイグアスーの滝も確認できる。スペイン人遠征隊は三度パンパスの先住民との抗争に敗れて撤退した。残留して上流に向かい適地を探求していた一隊が、首長の許しを得てパラグアイ川東岸Távaに砦を築いた。1541年、ブエノスアイレスを放棄した残留者を加えて、役所と教会を設けてアスンシオン市となった。その地は各地へのスペイン人進出の根拠地となり、のちにパラグアイの...イエズス会グアラニー族布教区の興亡/前史グアラニー族とスペイン人の出会い

  • 皆既日食/Londrina で幼時に体験

    皆既日食Londrina1947.5.204月6日の朝日夕刊に、「北米縦断皆既日食フィーバー」と題する記事が掲載された。8日昼前からメキシコとテキサス~ニューヨークの各州で観測されるとNASAが発表した。大勢の人の移動に伴う混乱が懸念されている。記事を見て幼い時の記憶がよみがえり、古い写真をひっぱり出した。その裏に父の筆跡で地名と日付が書かれていた。私が日食を観たのは8歳の時だということが判った。ブラジルでも観測フィーヴァーがあった。ニュースの入らない田舎生活の私でも日食があることを知っていた。「南方」の空の高い所で日が欠けていき、夜のように暗くなった。明るくなりはじめると雄鶏があちこちで時を告げていた。今回の下調べで私は自分の不安定だった位置・方向感覚をいくらか正常化することができた。私は8歳の時ウチの...皆既日食/Londrinaで幼時に体験

  • 鵬翔高校サッカー場落雷事故で回想

    4月3日午後2時半過ぎ、宮崎市にある鵬翔高校サッカー場でピッチサイドに落雷があり、熊本から試合に来てウオームアップ中の鹿本高校の選手18名が負傷して救急搬送され、9人が入院、このうち、1人が意識不明の重体となっている。「その場の天候は、雨がぱらついてきたというくらいの状況だった。落雷音が全くしなかった。いきなりドンと(雷が落ちた)」2日午後4時ごろから県内全域に雷注意報が出ていた。鵬翔高校教頭先生のインタヴィユー記事mrt宮崎放送4/4(木)19:02配信鵬翔高校サッカー部といえば、わたしが高槻フットボールクラブの監督をしていたころ、ウチの卒業生が毎年入部していた。2013年には全国高校選手権で優勝実績がある強豪校である。これも因縁か、わたしは2013年の8月18日に、その17年前の1996年に高槻市営グ...鵬翔高校サッカー場落雷事故で回想

  • 「正義の戦争」と抵抗部族の根絶 ブラジル1550~1650

    16世紀後半、総督によるキャピタニア回収、統治により砂糖キビのファゼンダ(先進のペルナンブーコを中心とする)が軌道に乗ると植民地の奴隷不足が発展のネックになった。黒人奴隷の輸入が始まっていたが本流になっていなかった。大農場主(ファゼンデイロ)は先住民の奴隷化を望み、総督(カピタ~ン・ジェラウ)は洗礼を受けていない先住民の奴隷化を認めて先住民に改宗をせまった。イエズス会は改宗者を保護した(布教所が「駆け込み寺」になった)が奴隷化の流れに抗しきれない。しかも移民の数は増える一方で、移住者が持ち込んだ伝染病で先住民集落の人口が激減したこともあって、力関係が逆転した先住民は、服従(改宗と定住)するか蜂起して逆襲するか、ほかに選択の余地がない窮地に陥る。抵抗した主要部族は、ペルナンブーコのカエテー族をはじめとして、...「正義の戦争」と抵抗部族の根絶ブラジル1550~1650

  • 背中を寝違えたような痛み/寝ていて発症

    胃もたれが治ったと思ったら、間を置かず、寝ていて突然右肩に激痛が走った。右腕を動かすと痛くて力が入らない。左腕一本では起き上がることができない。寝返りしようにも肩と腕が痛くて動けない。寝不足のまま朝を迎えた。右足で蹴ってマットの左側に転がって、残りの肢(てあし)を使って起き上がった。立った状態では、ふつうに体を動かすことができた。幸いにもその日は通院予定日だった。自転車をこいで病院に行った。まず胃カメラの受付に行った。消化器内科主治医に症状を告げると、救急に行くレベルだから、と予定の変更を提案された。わたしも不安だったのでそうすることにした。次に飛び込みで循環器内科の診察を受けた。肩の痛みが心筋梗塞の前兆(放散痛)ではないか、と心配だったからである。いろいろ調べて、頸椎が圧迫され、首筋の筋肉が緊張している...背中を寝違えたような痛み/寝ていて発症

  • 胃もたれ・胃下垂・腸閉塞/食物繊維とりすぎ・消化不良

    ここ2週間ほど、夜間にお腹がすかなくなった。食事の量が増えたわけでもないのに体重が2kgほど増えた。上腹部、臍から上方が肥満して突き出ている感じになった。パートナーが以前からそうなっていたのを冷やかしていたが自分がなるとは思いだにしなかった。妻は胃が弱く長らく食事制限をしている。孫たちを放課後迎えにいって母親の仕事が終わるまで世話をしている(土日だけ休み)ので過労でダウンしてしまった。内科医の診断は胃下垂だった。それがわたしの自己診断のヒントになった。わたしの場合、お腹がすかなくなったのと同時に胃もたれでえずくようになった。昨晩目が覚めてから眠れなくなって、いろいろ思考をめぐらして原因を探った。妻と違って胃腸が丈夫な私が胃下垂らしい症状になるとすれば食べ過ぎによる消化不良しか考え付かない。一昨年の大腸癌発...胃もたれ・胃下垂・腸閉塞/食物繊維とりすぎ・消化不良

  • ブラジル史初期のレジェンド/ポルトガル人・先住民・マメルーカ

    河出書房新社2022年本章記述中の数字はこの一冊に依拠している。植民地ブラジルの創成期は三期に分けることができる。「パウ・ブラジルと先住民」収奪期封建制ブラジル人祖型「サトウキビと奴隷」搾取期カピターニア制先住民蜂起「大ファゼンダとイエズス会」植民地確立期総督制三結合項目分けはしてないが記述の流れで見えてくると思う。ブラジル史は贈り物の交換から始まった。1500年、発見者カブラルの到着地は後にポルト・セグーロ(現バイーア州の南部、州都サルヴァドールから700キロ)と呼ばれた。カブラルは10日間滞在し、トゥピニキン族から水と食料と薪を贈られた。パウ・ブラジルを発見し即ポルトガル王に報告のための船を先発させた。他日役立たせるために二人の受刑者を残置した。1502年、領土と資源を独占所有するポルトガル王が大商人...ブラジル史初期のレジェンド/ポルトガル人・先住民・マメルーカ

  • バンデイランテス余聞/二人のキング

    バンデイランテスは、ブラジル植民地創成期に大農場(ファゼンダ)の労働力不足を埋める奴隷を求めて、インジオ狩りをした奥地探検部隊のことである。「イエズス会士とバンデイランテス」の章の執筆途中で自分史とちょっと関わりがあったのでエピソードとして投稿する。奥地に奴隷狩りに向かうバンデイランテスは、往路の駐屯地で砦を築き、耕作、播種をして帰途の食料に備えることもあった。私の父方の伯母家族(父は姉家族の構成員とされていた)がサンパウロ州での義務労働(コロノ)で貯めた資金で購入・移住したバンデイランテス駅付近の土地は、昔その駐屯地の一つだったと考えられないこともない。そこは南部ジェ語族・カインガンゲス族の生活圏だった。バンデイランテス遠征隊は奴隷狩りと奴隷商売で忌避される一方で金銀ダイア目的の遠征の実績によりブラジル...バンデイランテス余聞/二人のキング

  • フランス革命下の一市民の日記

    日課のブログ編集で頭がさえて睡眠不足になっている。気分転換に表題の日記を読むことにした。四天王寺境内で開催された秋の古本市でたまたま見つけた832ページの文庫本である。フランス革命の臨場感を味わえるだけでなく、日課で綴っている植民、気候変動についても有益な資料が得られそうだ。[]内は私のコメント。1791年1月26日水曜日[日記付け初め]日中気温5度。夕方3度。西の風。ジャンヴィエ氏と昼食。[フランス革命記念日は1789年7月14日。著者はC.ギタール。氏名以外は不明。おいおい分かってくるはずだ。]4月4日月曜日気温16度。北の風。最高の天気。[2日に亡くなった国民議会議員ミラボー伯の盛大な葬儀について長文を綴っている。ミラボーは後にパンテオンと改名された偉人墓地の第一号被葬者となった。]貴族、聖職者、最...フランス革命下の一市民の日記

  • 大腸癌術後15カ月

    11月21日に大腸の内視鏡検査を受けた。昨年8月の腹腔鏡下大腸癌手術後は、3カ月ごとに定期検診を受けてきた。この間体調に異常は感じられなかった。先日の検診の際、最近へその右横にゆで卵の鈍端部のような膨らみが出来て押さえると柔らかいことをDr.(消化器外科医)に告げた。Dr.はちょっと見ただけで、大腸の内視鏡検査をしましょうと言った。理由も聞かず承諾した。「患部」が横行結腸と小腸の吻合部あたりだと思ったからである。大と小の管を縫合するイメージが今一つ私には浮かばず心配だった*。*切り口と切り口を縫合すると早合点していた。横行結腸の切断部を閉じて結腸に回腸(小腸の最下端部)を横付けするのが正しいイメージ。検査中モニター画像を見ることができた。ポリープを二つ切除した。検体の精査結果は3か月後の定期検診時に知らさ...大腸癌術後15カ月

  • マト・グロッソ/大いなる逆さまの藪

    2014年10月16日、グリーンピースブラジルの調査チームは、大豆と畜産のための樹木の焼却と森林伐採を監視するためにマットグロッソ州を撮影しました。出典:www.greenpeace.org.taiwan©パウロ・ペレイラ/グリーンピース国際環境NGOグリ-ンピースはブラジルでもインディジェナ団体と共同して自然保護と生物多様性保存を政府、企業、消費者に訴えて成果を上げている。引用ばかりで気が引けるが、つぎの記事も地球環境破壊、気候変動を語るうえでも優れて有益である。大豆と「世界で最も生物多様性に富むサバンナ」ブラジルセラードの深い関係この記事のポイントブラジルの中央を縦断する広大なサバンナ地帯、セラード。豊かな生物多様性、大量の炭素貯留、豊富な地下水源を誇るこの地域の自然が今、牛の放牧や、家畜の餌となる大...マト・グロッソ/大いなる逆さまの藪

  • 悲しき熱帯 下/中西部マト・グロッソ編/ボロロ族

    教授は、ブラジル滞在中の4年の間(1935~1939)中部高原を1500km横断して、しばしば中西部マト・グロッソ州とアマゾン側で調査をおこなった。教授が指摘したことだが、多くの旅行者がMATOGROSSOを「巨大な森」と誤訳していた。私も既述の南部高原MATAATLÂNTICA(マタ・アトランティカ)と同じ肥沃なジャングルだと誤解してきた。どんぴしゃりの訳がみあたらないので「広大な藪」としておく。地球温暖化と関連して、後章でどんでん返しの異称を紹介する。これまた驚きだが、教授は東海岸から中西部まで、トラック、汽車、蒸気船、ときにはチャータ機を乗り継いで移動していた。なぜ文明の利器を、馬車、カヌーと併せて利用できたのか。原因は、中部高原の土地の風土=気候・地味・地勢などの有様にある。気候は乾季と雨季、乾燥...悲しき熱帯下/中西部マト・グロッソ編/ボロロ族

  • 関東大震災/渦中の憂国虐殺と大正デモクラシーの凋落

    関東大震災から100年、追悼のイヴェントが盛況である。映画「福田村村事件」はずっと気にかけてきて観たくてたまらんが難聴で断念するほかない。百年を記念してこのブログの関連シリーズをタイトルだけ紹介したい。あまり知られていない話題を満載しているので、読んでいただけたら満足されると思う。2017年執筆の記事である。「治安維持という名のテロ/平澤計七・川合善虎たち虐殺/関東大震災」04.21「間島出兵/不逞鮮人/関東大震災・朝鮮人虐殺の前史」05.14「関東大震災/朝鮮人ジェノサイド/四ツ木橋/名もなく遺骨もなく」05.27「関東大震災/王希天暗殺/共謀して国が隠蔽」06.14「関東大震災/中国人虐殺なぜ?/王希天暗殺」06.30「憲兵隊による世直しテロ/大杉栄夫妻と孫虐殺/大正社会運動の扼殺」07.23「朴烈・...関東大震災/渦中の憂国虐殺と大正デモクラシーの凋落

  • 悲しき熱帯 上/パラナ編

    1977年中央公論社刊写真猿を頭にのせた娘(ナンビクワラ族)1935年、文化人類学者レヴィ=ストロースがサンパウロ大学を発って奥地の先住民集落の伝統、慣習の調査、民俗学上の蒐集のための探検旅行に向かった。このブログで長く付き合うことになる教授の氏名は長いので以下教授と略称する。フランスと同じくらいの広さをもつサン・パウロ州は、1918年の地図によると、その三分の二が、「インディオ[トゥピ語族]のみによって居住されている未開の土地」であったが、私がそこへ着いた時には、海岸に押し込められた数家族から成る一団を除けば、もはや唯ひとりのインディオもいなかったのである。以上p711935年、教授は「1930頃までほとんど人間に汚されていないと言ってよかった」パラナの大森林地帯に入った。その最初の都市がLondrin...悲しき熱帯上/パラナ編

  • 日本成女W杯代表、スペインに完勝

    12年前のW杯優勝以降、競技力の対外的地位が下がり続けていると感じていた成人女子代表*が上位のスペインに4-0で一方的な勝利を収めた。*世界水準に追いついた成人代表に「女子」は失礼だろう。今後敬意を表して成女(男の場合成男)と呼ぶことにする。勝因は、監督の堅守速攻の戦術が奏功したこと、そのチーム戦術を齟齬無くこなせた選手の技量、個人戦術の高さにある。スペインはいわゆるポゼッション・フットボールで最初にW杯(成男)を制した実績を誇る。それゆえボール保持にこだわりすぎ、伝統が足かせになって、成男に続いて成女も、日本代表の戦術にはまってしまった。日本は、トップを一人だけにして植木理子に前線でボールを追わせた。植木はエネルギー消耗をいとわず役割を忠実に果たした。攻めのシステム3-4-2-1。残り十人は引いて三重の...日本成女W杯代表、スペインに完勝

  • 三里塚フィールドワークに参加/三里塚大地共有運動の会主催

    7月2日にマイクロバス2台で一日かけて回った。参加者40人の内10人が青年男女だった。岩山歴史館、木の根ペンション、東峰共同墓地&らっきょう工場、横堀鉄塔と横堀農業センターを見学し、大木よねさんをはじめ戦い続けて倒れた活動家の墓碑に祈りを捧げた。それぞれの拠点で責任者の説明があったが、難聴のせいで一言も聞き取れなかった。もったいないが仕方がない。もっとも印象に残ったのは50年以上の歳月が刻んだ大地の変容だった。拠点に行く狭い道は、高い金属板?に挟まれあるいはトンネルをくぐり、まるで迷路のようであった。横堀鉄塔は頂上である4階(先端部分は撤去されていた)まで上がることが可能だったが、まわりを囲む孟宗竹に視界をさえぎられていそうだ。一度も切られることなく伸び放題に伸びた孟宗竹は、妙齢女性の胴回りほどの太さだっ...三里塚フィールドワークに参加/三里塚大地共有運動の会主催

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