神道、仏教、スピリチュアルな経験や知識、仕事や武道を通じた気づき、心をラクにするヒントを伝えます。
もうすぐ一年が終わろうとしています。新年というのは世界中の人たちが新鮮な気持ちで迎えるものです。それを待ちきれずに、多くの国では大晦日からパーティーのように盛り上がります。しかし昔の日本人は最後の夜を静かに迎え、除夜の鐘をしんみりと聞きながら過ごしていました。私たちは今でこそ夜遅くまでドンチャン騒ぎをするようになりましたが、それでも最後の15分くらいはシーンと音もなく過ごしています。子供の頃には何故お通夜のような暗い雰囲気になるのか分かりませんでしたが、それは謂わば、瞑想のごとき無の状態であり、つまりはあらゆる囚われから解放されたニュートラルな状態に戻っている瞬間であるわけです。決して来たるべき爆発のためにエネルギーを貯めているわけではなく、ご先祖様たちの過ごしてきた習慣の名残りであり、無意識のうちに神妙なる時...今年一年ありがとうございました
前編では過去へ意識を向けて、自動運転がガチガチに固まる前の感覚にシンクロしました。そこで私たちが何をやりたかったのか、どんな心地だったのかを感じ、今現在の自動運転との違い(感覚の違い)を味わいました。あの時と今とは明らかに感覚が違っていました。「あの時はあの時、今は今だ」などと即断してしまうと思考はストップし、この試みは無意味に終わってしまいます。新たな観念、信念、日々のルーティン、諦め、さらには思考停止、そうしたものが積み重ねられた結果、あの時と今とは感覚も心地も変わっている。まずはそれを感じることが初めの一歩となります。まだ自動運転が薄い頃と比べることで、今の私たちというのがクッキリと浮かび上がってきます。とはいえ、その違いを悲しんだり悪く捉えるのがここでの目的ではありません。そちらに逃げてしまっては、また...生まれ直しのススメ(実践編・後編)
日々の選択はほとんどが自動モードで行なわれています。選択というのは、頭を介して意識的に行なうものに限らず、毎瞬毎瞬おこなわれています。もし毎瞬すべてを自ら選択していたら、それに追われてしまってまわりを見る余裕は無くなってしまいます。そのためあらゆる生物は大部分を自動運転に任せています。では自動運転のプログラムはどこから来ているかというと、動物ならば本能となりますが、人間の場合それに信念、習慣、感性といったものが加わってきます。命を維持するための自動運転は本能が司っていますが、それ以外の選択は、信念や習慣が運転手になっているということです。私たちはそうしたものに一日のほとんどハンドルを預け、ごくたまにハンドルを奪ってグイッと回しているということになります。そのように、これまでの信念や習慣というものがハンドルそのも...生まれ直しのススメ(実践編・前編)
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