神道、仏教、スピリチュアルな経験や知識、仕事や武道を通じた気づき、心をラクにするヒントを伝えます。
あんなことをしなければ良かった。あんなこと言わなければ良かった。そのような後悔に苛まれた時は、今ココで選びなおす、今ココで上書きする、それが過去の傷を癒すことになると話しました。ただ、そこまでやってもまだモヤモヤが消えない、自己批判が収まらない場合は、もうそれは相手への申し訳なさではなく、単純に自分自身へのこだわり、囚われになってしまっている可能性があります。そう聞くと、そんな馬鹿な、本当に相手に申し訳ないと思ってるのに、と反発したくなるところですが、それは申し訳ないという思いだけが上滑りして単なる念仏というか呪文と化している恐れがあるということです。自分に厳しいというのは一種の美徳でありますが、度が過ぎるとそれは執着になってしまいます。やり過ぎになっても表面上は依然として真面目で善良な振る舞いに映るために、自...私たちの本当の故郷(3)
「何の因果か知らねぇけども」というのは昔の時代劇によく出てきたセリフです。思いもよらない展開となった時、あるいは知り合いとまさかの巡り合わせになった時などに出てきました。この因果というのは「原因があって結果が現れる」という仏教用語で、善因善果、悪因悪果などと言われたりもします。それをもって、何かの種(たね)があって芽が生える、蒔いた種は自分で刈らねばならぬといった教えにもなっています。これは事実そのものなので、法則としてそれを知るのはとても大切なことだと言えます。ですがそこで原因は自分にあるというのを真面目に考え過ぎたり、辛気くさく考えてしまうと、もうスタート時点でウゲッという気持ち(=種)が心の中に生じることになってしまいます。そうした種を放っておくと、それが蔓(つる)のように成長して自らを縛ることになってい...私たちの本当の故郷(2)
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