文観(6) 常楽寺、受難
常楽寺について、『大野史誌』から少し、お借かりして説明しましょう。常楽寺は、正嘉二年(1258)八月、暴風雨のためは、一宇を残して破壊されてしまいました。常楽寺、受難この後、繁栄を誇っていた常楽寺の再建は、さすがに進まなかったようですが、『大野史誌』は、「その後、文勧(文観)により再興された」と記しています。「文観慈母塔」の伝承を伝えていますが、銘には願主・道智とあり、文観の慈母塔ではないようです。が、この頃、西大寺の僧・文観の援助で、この寺を再建したのではないかと想像されます。再建は、この塔の造立された正和四年(1315)ごろのようです。当時、文観は37才でした。文観によって再建され、末寺18ヵ寺で寺領は30石であったといいます。そして、永禄年間(1558~1570)、三木城の別所氏の祈願所となり大いに繁栄し...文観(6)常楽寺、受難
2020/08/31 10:08