テレビカメラが入ったことでその夜はファンが異常なほど盛り上がって、終電間際なのにいつまでもその場を離れようとはしなかった。次々とリクエストが飛んできて、それにぜんぶ応えていたらもう0時半を回っていた。 どこからわいてきたのか、オーディエンスはいつの間に
政治経済から芸能スポーツまで、物書き小谷隆が独自の視点で10年以上も綴ってきた250字コラム。
圧倒的与党支持で愛国主義者。巨悪と非常識は許さない。人間が人間らしく生きるための知恵と勇気、そしてほっこりするようなウィットを描くコラム。2000年11月から1日も休まず連載。
その頃の僕はといえば、実は春から恋焦がれていた相手がいた。半年ほど前に合コンで知り合った音大生で、女優の田中美佐子を彷彿させる黒髪の美女だ。完全な一方通行の恋だった。 彼女についてはその後の消息がわかっている。その名をググれば写真も出てくる。相変わらず
そして我々は呆れるほど無防備だった。彼女とはごく短い期間で何度も営みを重ねたのだけれど、一度としてお互いを隔てる措置はとらなかった。ありのままで交わり、ただ果てる場所だけをクリティカルな位置から移した。 当時、准看護婦の身分とはいえ彼女は立派な医療関係
色事を数字で語るのはあまり上品なことではない。けれど数字は時に何よりも雄弁に真実を伝えるのだ。 あえて数字に語らせよう。僕がひと晩で女性と営んだ数はあの夜が生涯で最高記録だった。その後、2時間の「休憩」でタイ記録まで及んだ狂気の沙汰もあったけれど、超え
最初はぎこちなかった房事も、二度目からはまるで慣れ親しんだ恋人同士のように自然な交わりになっていた。 怒涛のごとく三度目の閃きを終えて僕が少し微睡みかけていると、彼女は僕に覆いかぶさるようにして接吻の嵐を浴びせた。まるで特撮ヒーローが得意技を繰り出すと
ついさっき思い描いた未来図などもうどうでもよくなった。僕は今ここにある欲望に魂を売る。欲望がすべてだ。いちばん大切なことは今ここでそれを満たすことだ。 今夜限りで彼女を失ってもいいと僕は決心した。どうせ今夜の僕は誰かの代役なのだ。彼女の心にぽっかり空い
いつの間にか彼女は服を無造作に脱ぎ捨てて下着姿になっていた。その時代のそれぐらいの年齢層の女の子が好んで着けそうな、淡いピンク色の上下だった。仮に僕が本当に彼女あるいは超越的な存在から理性を試されていたとして、これは一段階高い試練になった。 もちろん、
トイレに駆け込む。放尿はメカニズム的には射精に近い。当たり前だ。通る場所は同じなのだから。おかげで僕は少しだけ落ち着きを取り戻すことができた。性欲を抑えたいなら大量の水分を摂るに限る。僕がそのとき得た教訓は後の人生でも役立つことになる。 ついでにバスル
けれど22歳の理性を突き崩すことなどたやすい。「お風呂に入りたい」と何度か繰り返したあとで、「お風呂に入れて」と彼女は言い直した。「一緒に入るの」 村上春樹の小説の「僕」ならこんなときどうするんだろう? 僕は一生懸命、「僕」が取りそうな行動を、そして彼
妄想は未来へと飛んだ。それはなぜか郷里の実家で両親に彼女を紹介するところから始まる。そこから真っ白なウエディングドレス姿、そして大きなお腹をした彼女が満面の笑みで買い物から帰ってくる。 愛おしさが内からどんどんこみ上げてきて、目頭が熱くなった。愛ゆえに
今じゃない。あるいは今日じゃないのかもしれない。 あどけない顔で眠る彼女を見ていたら、まるで何かを試されているような気分になってきた。何か超越的な存在から試されているような気もしたし、当の彼女から試されているような気もした。 もしかしたら彼女はこれか
密室に入ってから、僕は自分でも驚くほど紳士的だった。このまま朝まで彼女を寝かせておいてもいいとさえ思っていた。暖色系の薄明かりに浮かぶ彼女の寝顔があまりに無邪気すぎて、手慰みを欠いたら眠れないほど旺盛だったはずの僕の欲望を消沈させて余りあるほどだったの
もしもあれがネットで繋がれる時代の出来事だったら、あの恋ももう少しうまくやれたかもしれない。あるいはネットの恩恵で別の女の子との恋に夢中になっていて、彼女との接点なんてそもそもなかったのかもしれない。 固定電話しかない時代。たまたま彼女がアドレス帳で見
僕は彼女の「お願い」を叶えた。その彼女はベッドに突っ伏したまま寝息をたてていた。古めかしいホテルで、中居さんのような女性が部屋まで付き添ってきて、前金で何円ですと目も合わせずに言った。 2軒めの店を出たとき、彼女は僕の腕にしがみついて耳打ちした。「ホテ
後から思えば彼女はあの日、ドタキャンされたどころか相手と破局した直後だったのかもしれない。その後のいろんな経験値から、失恋したばかりの女の子は思いのほかサバサバしていることを知った。失意から頭を切り替える能力は男よりもはるかに長けているのだ。 彼女はた
かたや僕は間を持たせるためにサワーを2杯飲んだ。僕の側にも「必然性」が必要だったからだ。あれは不可抗力だったと後からいえるだけの状況が。けれど僕は残念ながら酔ったふりができるほど器用ではなかったし、度胸もなかった。これから起こるかもしれないことを落ち着い
後から思えば2軒めの店はただのクッションだったのだと思う。その先につながる流れを、彼女の口からぽつりと出た「お願い」という言葉が少しずつはっきりとした輪郭を帯びてきた。 彼女にはもう一段の酔いが必要だった。2軒もはしごしてあれだけ酔っていたのだから何が起
その日は彼女がよく行っていたという新宿三丁目の居酒屋からスタートした。彼女も僕も大いに飲み、そしてよく食べた。22歳と21歳。今の3倍ぐらい体力があった。「お願いがあるんだけど」と彼女がぼそっと言ったのは、19時過ぎから始まった宴が3時間を過ぎた頃だった。
当時の僕はといえば、さすがに今よりははるかに痩せていてシュッとした体型ではあったけれど、取り立てていい男でもなかった。かといって醜くもなかった。中肉中背。あるガールフレンドには「無難な彼氏」と言われたこともある。 取り柄といえば、割と名の通った大学に通
紀伊国屋エスカレーター前で見つけた彼女は全身深いグリーンの出で立ちだった。形までははっきり憶えていないけれど、初めて見るエレガントな装いだったことは印象深く記憶している。 本来は誰かとデートのはずだったのだろう。22歳の青二才にもおおかた察することはでき
それは1986年10月30日18時35分のことだった。大学のゼミからアパートに帰って、さて夕飯でもと思った矢先、電話が鳴った。Iですと名乗られてもにわかにはピンとこなかった。バイト先では彼女のことを先輩ともども名前をもじってRちゃんと呼んでいたからだ。 新宿にいるの
今どきのLINEの交換もそうであるように、電話番号を交換したからといってただちに親しい交流が始まるわけではない。「アドレス帳に載っている人」という距離になったというだけのこと。FBの友達に追加してもらった程度の話だ。 そこから約2年、僕の中で彼女は「たまにお
彼女は僕より一つ歳下で、中野区の病院でナースをしていた。僕がアルバイトをしていた喫茶店でずっと前に働いていたつながりで、古株の店員を通じて知り合った。誰それに似ているという表現をした方が伝わると思うのであえていうと、佐野量子を少しふくよかにした雰囲気だ
「Iさんという女性の方からです」 24のときだったか。職場に電話があった。Iさんという苗字には正直いってピンとこなかった。「お久しぶり。元気?」 おっとりした語り口はあの頃のままだった。元カノ――といえるのかどうかはさておき、ざっくりいえばそんな相手だ。3
しばらく見なかったタレントがテレビに出てくると、ずいぶん老けたものだなと感じる。往年のアイドルたちなどは両極端だ。男女問わず、年齢相応の色気を増している人も少なくない一方で、劣化としか言いようがないほど醜く歳をとっている人もいる。 歳を重ねるごとに生き
今なお世の中にはアナログ信者が多い。オーディオの世界の話だ。アナログレコードの方がCDより「音がいい」と信じている。 そもそもアナログレコードは最初に刻まれる原盤からいくつもの物理的コピーを経た型からプレスされる。そのコピーの間にいったいどれだけのノイズ
つくづく、セックスとは文化だと思う。性欲についていえばよく「本能」だと語回されがちだけれど、これは人間が生物として本能的に持つものでは決してない。上野千鶴子さんも詳しく書いているけれど、性欲は極めて後天的、社会的なものだ。 後天的なものは育つ環境に大き
物好きな日系アメリカ人が『どうする家康』にちなんで史跡を廻りたいというので、名古屋を起点に静岡まで自動車でめぐるルートを組んであげた。清須城から大高城、桶狭間、岡崎城から長篠。浜松城、三方原古戦場、二俣城。そして駿府城、久能山。3日間にわたる行程だ。
今年の大河ドラマは主役の大根ぶりが際立つ。役どころが「己の弱さを知る家康」であるからむしろその方がしっくりくる部分もあるのだけれど、少なくとも今のところ、主役の存在感でぐいぐい引っ張るドラマとはほど遠い。 ただ、そういう年の大河は脇がすごい。今年は本多
日本三大名城といえば名古屋城、姫路城、熊本城。これに限らず立派な古城が日本各地に点在している。 お城ってそもそもなに? 殿様の家ではない。江戸時代の殿様の多くは町屋敷に住んでいた。お城は単なる国の象徴であり、議事堂であり、いざというときの軍事拠点でしか
日本三大古戦場といえば、壇ノ浦、桶狭間、関ケ原。この3つはすべて行ったことがある。これに加えて長篠にも三方原にも足を運んだ。ちなみに、このうち関ケ原は世界三大古戦場にも数えられている。 古戦場は多くの命が失われた場所でもある。関ケ原では8千人、長篠では
ひと昔前、コーヒーは身体によくないから控えるべきとされてきた。一日に何杯も飲むものじゃない、と戒められた。それが最近では、1日3杯飲むと胃がんの予防につながると。言っていることが真逆になった。 ひところは喉にも悪いとされてきた。しかし最近の知見では気道
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テレビカメラが入ったことでその夜はファンが異常なほど盛り上がって、終電間際なのにいつまでもその場を離れようとはしなかった。次々とリクエストが飛んできて、それにぜんぶ応えていたらもう0時半を回っていた。 どこからわいてきたのか、オーディエンスはいつの間に
そのうちに常連のファンたちと親しくなった。老若男女、いろんな人がいた。それぞれに自分の抱えている悩みを口にした。僕はそれをメモ帳に書き留め、どんどん歌にしていった。 生きていることが 罪に思えてきた 死んだら誰かが 笑ってくれるかな 面白すぎて
1ヶ月ほどホテルに滞在しているうちに、僕は近くの高輪台に1DKのマンションの一室を買った。ついでに中古のメルセデスのクーペも買った。そんなものがポンポン買えるだけのお金があった。そのほとんどは妻子4人分の命の代償であって、どんな形であれこれを使い切らな
たぶんその頃の僕は東京でいちばん暇な37歳の一人だったと思う。けれど幸いその中で経済的にはかなり豊かな方だったと思うし、人生経験のダイナミックさなら五指に数えられたかもしれない。 僕は毎日10時にホテルを出て、最寄りの品川駅まで歩いてそこから山手線に乗
天はこれ以上ないはっきりとした答を返してくれた。苫小牧にいる理由はないということだと僕は解釈した。けれどいざユキヨと別れようとなると、何と言って出ていけばいいのか見当もつかなかった。 けっきょく僕は昼間ユキヨが水産会社に働きに出ている間に、置き手紙ひと
「長いことピルなんか飲んでたのがいけないのかしら」「それは違うって前の先生が言ってたはず」「ううん、絶対その影響はあるわよ」 コールガールなんてやらなければよかった、と言って、ユキヨはアパートのカーペットに突っ伏して声をあげて泣いた。彼女が泣くのを僕は
それから半年ばかりの間に、僕は自分が一生のうちで算出できるであろう遺伝子の半分以上をユキヨに注ぎ込んだと思う。週末になれば昼夜分かたず獣のように交わり続けたし、この日だと確率が高いという日には5回戦に及んだこともある。 けれどいっこうな懐妊する気配はな
僕の中でにわかに答は出なかった。ユキヨのことは好きだけれど、ここで結婚して子供をもうけたらユキヨも僕も何か別の不幸に見舞われるような予感がした。 とはいえユキヨと離れる気もない。ここはひとつ、自分の運を改めて天に委ねてみようと思った。もしも子供ができた
「私さあ、ピルやめたんだよね」 夜の営みの最中にユキヨはそんなことを言い出した。「でも、ゴムしてるから」と僕は言った。「大丈夫」「大丈夫じゃいやなの」 そう言ってユキヨは僕の背中に手を回して自分に引き寄せた。「妊娠したい」と彼女は真面目な顔をして言っ
我々は同じアパートの住人やご近所からは仲良しの夫婦に見えたらしく、僕は「旦那さん」、ユキヨは「奥さん」と自然に呼ばれるようになった。「お子さんまだなの?」と訊く主婦もいた。「旦那さんも頑張らないと。女房にばっか働かせてぷらぷらしてちゃだめよ」「家で仕
それから僕はユキヨとともに苫小牧で冬を越した。彼女が夜の仕事で稼いでいた分は僕が補充した。「お金持ちなんだね」お金を渡すたびにユキヨは言った。「そうでなかったら犯罪者だわ」 思ったことをぜんぶ口に出してしまうのも良し悪しではあるけれど、おかげで彼女は
「ていうか」とユキヨは仰向けになって暗い天井を眺めながら言った。「このさい結婚しちゃうとか?」「さすがにそれはな」と僕は言った。「まだ旅の途中だからね」「まだどこか行きたいの?」「行きたいというか」と僕は口ごもった。「居場所がないんだ。実家はあるけど今
「ねえ、もしかして私のこと大事にしてくれてるの?」「もちろん大事にしてる」「嬉しい! けど、私は何番目に大事な女?」と訊いてからユキヨはハッとして物言いを変えた。「ごめん。つまんないこと訊いたね」「今は君しかいないから」「私しかいない? まじで?」「
寒冷地特有の二重窓を閉め切ってしまえば電車の音も踏切の音も聞こえない。ユキヨの出勤がない日の夜の営みはいつも絶望的な静寂に包まれていた。「あなたは着けなくていいよ」と肌を合わせながらあるときユキヨは言った。「お客には漬けさせてるけど、こういう仕事してる
苫小牧といえば工業都市ではあるけれど、ユキヨのアパートがある海に近い街はとても寂れた印象だった。なだらかな傾斜の土地にポツポツと街並みが続き、その先は森になって遠くの樽前山に連なっている。至る所でキタキツネが野良犬のようにうろついているのを見た。 海岸
「そんな君がどうして苫小牧に?」 流れからしてここにはさむべき質問を僕はインタビュアーのように投げかけた。「男と駆け落ちしてきたのよ」とユキヨは鍋の味見をしながら言った。「その人もテレクラで知り合ったんだけどね」 一度だけ勢いで寝たその相手が故郷の苫小
驚いたことにユキヨは東京の生まれだった。葛飾区で生まれ、江東区で育ち、名の知れた短大も出て、3年間は都銀の支店に勤めていたという。 仕事のストレスから夜な夜なテレクラに電話をするようになり、そこで知り合った相手と男女の仲になった。男に貢いで作った借金を
「一緒にいてあげる」 ユキヨはそう言って、半ば強引に僕をホテルから引きずり出すように車で彼女の家に連れていった。家はコールガールの胴元がある札幌ではなく苫小牧にあって、比較的新しい1DKの小綺麗なアパートだった。「ここだったら宿泊費もかからないわ」とユキ
軽井沢を離れて1年半も経っていた。5人で暮らした家に独りで住むのは寂しかったし、そもそも義父との繋がりもなくなれば僕が会社にいる意味もなくなった。 社長の座はマキの妹の夫に譲り、僕は潔く家を出た。皮肉なことに、事故の賠償金で僕は一生働かなくても暮らせる
ひとしきり泣いたあと、僕はシャワーを浴びた。それからベッドに戻って、横たわる彼女のバスローブを剥ぐと、貪るようにその豊満な肢体を抱いた。そして倒れるように眠りについた。 夢を見た。僕はマキや子供たちと食卓を囲んでいた。そこに真実も、ミチコさんも、ミカも
テレビカメラが入ったことでその夜はファンが異常なほど盛り上がって、終電間際なのにいつまでもその場を離れようとはしなかった。次々とリクエストが飛んできて、それにぜんぶ応えていたらもう0時半を回っていた。 どこからわいてきたのか、オーディエンスはいつの間に
そのうちに常連のファンたちと親しくなった。老若男女、いろんな人がいた。それぞれに自分の抱えている悩みを口にした。僕はそれをメモ帳に書き留め、どんどん歌にしていった。 生きていることが 罪に思えてきた 死んだら誰かが 笑ってくれるかな 面白すぎて
1ヶ月ほどホテルに滞在しているうちに、僕は近くの高輪台に1DKのマンションの一室を買った。ついでに中古のメルセデスのクーペも買った。そんなものがポンポン買えるだけのお金があった。そのほとんどは妻子4人分の命の代償であって、どんな形であれこれを使い切らな
たぶんその頃の僕は東京でいちばん暇な37歳の一人だったと思う。けれど幸いその中で経済的にはかなり豊かな方だったと思うし、人生経験のダイナミックさなら五指に数えられたかもしれない。 僕は毎日10時にホテルを出て、最寄りの品川駅まで歩いてそこから山手線に乗
天はこれ以上ないはっきりとした答を返してくれた。苫小牧にいる理由はないということだと僕は解釈した。けれどいざユキヨと別れようとなると、何と言って出ていけばいいのか見当もつかなかった。 けっきょく僕は昼間ユキヨが水産会社に働きに出ている間に、置き手紙ひと
「長いことピルなんか飲んでたのがいけないのかしら」「それは違うって前の先生が言ってたはず」「ううん、絶対その影響はあるわよ」 コールガールなんてやらなければよかった、と言って、ユキヨはアパートのカーペットに突っ伏して声をあげて泣いた。彼女が泣くのを僕は
それから半年ばかりの間に、僕は自分が一生のうちで算出できるであろう遺伝子の半分以上をユキヨに注ぎ込んだと思う。週末になれば昼夜分かたず獣のように交わり続けたし、この日だと確率が高いという日には5回戦に及んだこともある。 けれどいっこうな懐妊する気配はな
僕の中でにわかに答は出なかった。ユキヨのことは好きだけれど、ここで結婚して子供をもうけたらユキヨも僕も何か別の不幸に見舞われるような予感がした。 とはいえユキヨと離れる気もない。ここはひとつ、自分の運を改めて天に委ねてみようと思った。もしも子供ができた
「私さあ、ピルやめたんだよね」 夜の営みの最中にユキヨはそんなことを言い出した。「でも、ゴムしてるから」と僕は言った。「大丈夫」「大丈夫じゃいやなの」 そう言ってユキヨは僕の背中に手を回して自分に引き寄せた。「妊娠したい」と彼女は真面目な顔をして言っ
我々は同じアパートの住人やご近所からは仲良しの夫婦に見えたらしく、僕は「旦那さん」、ユキヨは「奥さん」と自然に呼ばれるようになった。「お子さんまだなの?」と訊く主婦もいた。「旦那さんも頑張らないと。女房にばっか働かせてぷらぷらしてちゃだめよ」「家で仕
それから僕はユキヨとともに苫小牧で冬を越した。彼女が夜の仕事で稼いでいた分は僕が補充した。「お金持ちなんだね」お金を渡すたびにユキヨは言った。「そうでなかったら犯罪者だわ」 思ったことをぜんぶ口に出してしまうのも良し悪しではあるけれど、おかげで彼女は
「ていうか」とユキヨは仰向けになって暗い天井を眺めながら言った。「このさい結婚しちゃうとか?」「さすがにそれはな」と僕は言った。「まだ旅の途中だからね」「まだどこか行きたいの?」「行きたいというか」と僕は口ごもった。「居場所がないんだ。実家はあるけど今
「ねえ、もしかして私のこと大事にしてくれてるの?」「もちろん大事にしてる」「嬉しい! けど、私は何番目に大事な女?」と訊いてからユキヨはハッとして物言いを変えた。「ごめん。つまんないこと訊いたね」「今は君しかいないから」「私しかいない? まじで?」「
寒冷地特有の二重窓を閉め切ってしまえば電車の音も踏切の音も聞こえない。ユキヨの出勤がない日の夜の営みはいつも絶望的な静寂に包まれていた。「あなたは着けなくていいよ」と肌を合わせながらあるときユキヨは言った。「お客には漬けさせてるけど、こういう仕事してる
苫小牧といえば工業都市ではあるけれど、ユキヨのアパートがある海に近い街はとても寂れた印象だった。なだらかな傾斜の土地にポツポツと街並みが続き、その先は森になって遠くの樽前山に連なっている。至る所でキタキツネが野良犬のようにうろついているのを見た。 海岸
「そんな君がどうして苫小牧に?」 流れからしてここにはさむべき質問を僕はインタビュアーのように投げかけた。「男と駆け落ちしてきたのよ」とユキヨは鍋の味見をしながら言った。「その人もテレクラで知り合ったんだけどね」 一度だけ勢いで寝たその相手が故郷の苫小