「薩夜麻」と「天智」
『天智紀』の「天智三年」(六六四年)には「熊津都督府」から「使者」として「郭務悰」等が来倭したことが記されています。「「天智三年」(六六四年)夏五月戊申朔甲子百濟鎮將劉仁願遣朝散大夫郭務悰等進表函與獻物冬十月乙亥朔宣發遣郭務悰等敕是日中臣内臣遣沙門智祥賜物於郭務悰。戊寅饗賜郭務悰等」この時の来倭記事とおぼしきものが『善隣国宝記』に引用する『海外国記』に出ています。『善隣国宝記』は京都相国寺の僧侶「瑞渓周鳳」によって室町時代(15世紀の終わりごろ)書かれたもので、歴代の王権の外交に関する史料を時系列で並べたものです。「海外国記曰、天智三年四月、大唐客来朝。大使朝散大夫上柱国郭務悰等三十人・百済佐平禰軍等百余人、到対馬島。遣大山中采女通信侶・僧智弁等来。喚客於別館。於是智弁問曰、有表書并献物以不。使人答曰、有...「薩夜麻」と「天智」
2024/11/30 13:13