ある限界芸術作品は、作者において、すべてを表するとしても、受け手には、そのすべてが伝わるわけではない。人は、各個性によって、生活経験によって万人万様に作品を受け止める。そして人は、己の内部に沈潜するもろもろの感情を作品を媒体にして、引き出し、自分の好みの感情にひたる。ある人は、悲しみの音楽を聴いて、悲しみの感情にひたるのであって、喜怒哀楽そのまますべての感情に包まれるのではない。そういう意味では芸術作品は一切を言いつくすというのはオーバーな表現だ。ある限界
人の命の根源をさかのぼって考えて見る。この世の中には水空気土があるが、そのうちのどれから命は発生したと考えられるか水からいのちがうまれたとは考えにくい。空気空中に命を生む要素はない土可能性としては一番考えられる。土の中に含まれるいろいろな元素が組み合わさって何かの弾みで細菌のようなものが生まれ、その命の芽吹きが長い時間をかけて水性動植物になり、それが陸上に上がっていわゆる動植物になったと考えるのが自然ではあるまいかだとすれば、人間もやがては土に還っていくのだろうと思うのは自然だろう。動物は死んだら土に埋もれて、あるいは焼却されて最終的に元素レベルでは土に還っていくという理屈は理解できる。こう考えると死者を埋葬するということは、人間は土に還るという事になり、自然の原理にかなう。火葬してカルシュームの塊になってもや...土から生まれて土へ還る
マスコミ報道による判断マスコミ報道による判断だが,今回の関西電力の案件を見ていると,まさに原発マネー還流事件の構図である。もしこれが金沢税務署の調査が入ってなかったら、そのまま時が過ぎて時効となり,免罪になっていたかもしれない。送る側も受け取る側も同じ穴の狢であり、この問題は犯罪の匂いがするから警察が調べたら良いのではないか。第三者委員よりも警察案件だと思う。特別収賄罪、背任罪などが頭をよぎる。関西電力は有力会社であり、特に八木は関経連の副会長までやっている。一般に範を示さなければならない立場の人が、犯罪者の立場に立たされるような情勢である。こんな輩が日本の経済を引っ張っていっているとすれば、単なる不祥事だけではすますことができない。すぐにでも解明して己の責任を世間に問うことが強く求められている。それで初めて、...マスコミ報道による判断
歌は人々の生活に根付いたもので大衆の心を歌ってこそ歌といえるのです。だからグループで派手に踊ったり、サーカスまがいのパホーマンスなどは一切不要です人生の苦悩や故郷や、青春へのノスタルジアを思い起こさせない歌や、歌付のパフォーマンスは歌と言える代物ではないのです。辛い思いを経験する大人の心を癒し、勇気づける歌こそ、いつの時代にも必要不可欠のものです。ところが現在の歌は一体何者でしょうか。グループでやる踊りも、パホーマンスの中にも歌がある。あれは歌ではなくBGM化した心なき単なる音の羅列に過ぎません。それを歌だと思いますか。一部の未熟者を除いて、大多数の大人はあれらを歌だと認めているでしょうかだからテレビのスイッチを切ることになるのでしょう。歌でないものを歌として取り上げる低レベルなプロデューサーが癌になってますね...歌おうと思う歌がない
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