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TAZAN-NO-ISHI https://blog.goo.ne.jp/keisen-des

「他山の石」で軌道修正しながら 真の幸せにつながる言葉を メモってゆきたい

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2014/09/27

  • <現世と来世>

    【▼天界の秘義4220肉体の〈いのち〉にある間、主の神的なものを受け入れた人、つまり全人類にたいする主の愛を受け入れ、隣人にたいする仁愛を受け入れ、主にたいする相補的愛を受け入れた人は、来世で、理知と英知をいただき、筆舌を越える幸福を受ける。つまり天使になるからであり、本当の意味で、人になるからである。肉体の〈いのち〉にある間、主に属する神的なものを受け入れず、人類にたいする愛を受け入れず、主への相補的愛を受け入れず、ただ自分だけを愛し、むしろ自分に仕え、自分とこの世に属するものを目的として追求した場合、来世では、そこでしばらくの間過ごしたあと、あらゆる理知を失って、愚かきわまりない人となり、そこで地獄の愚者の仲間入りをする。】上記の言を読んで、私は"人で無し"という言葉を思い出した。来世に近い自分、天使...<現世と来世>

  • <真の神>

    ▼ヨハネ福音書8:(57)そこでユダヤ人たちはイエスに言った、「あなたはまだ五十にもならないのに、アブラハムを見たのか」。(58)イエスは彼らに言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。アブラハムの生れる前からわたしは、いるのである」。(59)そこで彼らは石をとって、イエスに投げつけようとした。しかし、イエスは身を隠して、宮から出て行かれた。(協会口語訳/新約聖書)▼ヨハネ福音書20:(24)十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれているトマスは、イエスがこられたとき、彼らと一緒にいなかった。(25)ほかの弟子たちが、彼に「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと、トマスは彼らに言った、「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信...<真の神>

  • <新しい意志>

    【人間のもとへ主から善が絶えず流入している。しかし、実際的な悪と遺伝的な悪の両者が、それ(主からの善)を受け入れないように妨げるのである。それで、これらのものが遠ざけられると、新しい意志が存在するようになるのである。このことは、不幸や悲惨や、病気にある者たちの場合には非常に明白である。何故ならこれらの者において、あらゆる悪の源である自己への愛と世への愛とが遠ざけられると、その人は神と隣人とについて良く考え、又その隣人の幸いを願うようになるからである。霊的な苦しみがあり、そこから内的な悲惨と絶望とが生まれてくる試練にあっても同様である。すなわちこの試練によって悪が遠ざけられるのであり、それが遠ざけられた後に、天界の善が主から流れ入って、それにより新しい意志が形成されるのである。天界の秘義5353/スウェデン...<新しい意志>

  • <人生論の真髄>

    【人間は自分自身のためではなくて、他人のために生きんがために生まれたものである。真のキリスト教406/スウェデンボルグ著】上記の言葉はほんとうだと思っている。なぜなら、私は心が落ち込むたびにこの言葉を思い出し生きる意欲を頂いて来たからである。「あなたは何の為に生まれたか?」への真の答えであるに相違ない。隣人語録より<人生論の真髄>

  • <生命は永遠です>

    ★【▼黙示録講解659:1「埋葬されること」は、聖言では目覚めること又は復活することを意味する。それは人間は死んで葬られるとき、彼は目覚める、又は永遠の生命に蘇るためである。何故なら人間は死後、この世で生きていた時と同様に生き続けるが、自然界で人間に役立った物質的な身体を脱ぎ去り、霊的な身体の中でその生命を生き続けるからである。それゆえ埋葬は、彼が自然界で持ち回った言わば抜け殻を捨て去ることでしかない。】知らなかったとはいえ、上記の内容を安易に考えたら永遠の悔いに落ち入りそうな気がする。/隣人語録より<生命は永遠です>

  • <善の確認>

    【▼天界の秘義2371:5主がそのように命じられているとの理由から、善を行おうと努力する人々は、ついにこの善を受ける。彼らは後に教えられて、善はすべて主から発していることを承認し信ずる人たちである。そのとき彼らは自分の功績を考えるのみで悲しみをおぼえ、それに応じて祝福と幸福が減退して行くのを認めるようになり、自己功績に反感を持つのである。】『善は全て主から発している』とは、言いかえれば「御主のみが善であって、生来人に善は無い」と言うことである。小生はこのことに気付かなかった。生来人の善は似非ものだったのだ。つまりその善は後で見返りや自己功績を思うからである。真の善を心がけねば。。。/隣人語録より<善の確認>

  • <人間の内部>

    ★【▼天界の秘義1504他生(霊界)では他の人間は、たとえその人は何も語らなくても、近づいて来るのみでどのような性質の人であるかが知られている。このことから人間の内部は、一種の無意識な活動の状態の中にあって、そこからその霊の性質が認められていることを知ることが出来よう。】霊界に於いて人間は自分の性質を隠すことは不可能なのである。短いこの世の生き方を軽んじてはなるまい。/隣人語録より<人間の内部>

  • <願望>

    ★【『我々の願望なるものは、我々のうちにひそかにひそむ能力の予感であり、我々が成し遂げうることの先触れである。ゲーテ』『全て物事は願望から生まれ、心からの願いはすべてかなえられる。エルバート・ハバード』】<願望>

  • <生きがい>

    ★【人の苦しみをやわらげてあげられる限り、生きている意味がある。ヘレン・ケラー】"生きがい"を再検討しつつ実生活の改善を心がけたい!/隣人語録より<生きがい>

  • <再生の道>

    ★【▼真のキリスト教610人間の再生は、一瞬では行なわれない。この世の生涯の終わりまで、さらにこの世を去った後までも、継続する。自分の内にある悪と戦い、勝利していかねばならない。】<再生の道>

  • <創り主>

    お★【若き日に汝の創り主を覚えよ伝道の書12:⑴旧約聖書*(若き日=元気があるとき.の意)】「世事に慢心せぬよう.世人にいくら褒められようと,創り主なる神の"無限愛"を実感せずに現世を去ったら,人生がもったいない.」(余命幾ばくも無いので,元気なうちにと思って発信しました。よろしく)/KS氏の書簡より5<創り主>

  • <報酬/見返り>

    ★【▼天界の秘義8002人間は再生しないうちは必ず報酬を考えるが、再生後には考えなくなる。】再生の道を歩む人とは、真人間への願望を持ち永遠の世界を信じている人である。そうでない人は、なんらかの見返り無しには生きられないようだ。/隣人語録より<報酬/見返り>

  • <祈りの本質>

    ★【▼黙示録講解325祈りの本質は仁愛に生きることであり、口での祈りは仁愛の生活の外なるものである。だから、仁愛に生きている限り、祈りは意味がある。仁愛に生きているときは、口で祈っていない場合でも心は祈っているのである。だから、「人をゆるせ」と命じられたのである。人をゆるすことをせずに、口で祈っても無意味である。】▼天界の秘義7697赦すことは、誰かを悪から見(考え)ないで、善から見(考え)ることである。<祈りの本質>

  • <共存共栄>

    ★【詩ある日スズメが言った「人間は共存共栄に無知にだからおいらの仲間たちもぐーんと消えてしまった」と。(世界はどうなるん?)」/隣人語録より】<共存共栄>

  • <罪の赦し>

    ★【主はどんな人の罪をも赦され、責任の追及もされないが、だからといってその人の罪がなくなるわけではない。本人が悔い改めて、悪を遠ざけないかぎりは、その人は罪の中にとどまっている。すなわち救われていないのである。⁄神の摂理280・真のキリスト教409、539】<罪の赦し>

  • <真の愛/新約聖書>

    【コリントの信徒への手紙(一)13:(1)たとい私が人間のいろんな言葉や天使のコトバで話そうと、もし愛が無ければ、私は単にやかましい鐘や、うるさく鳴り響くシンバルにすぎない。(2)たとい私が預言する能力を持ち、すべての秘義と知識に通じ、さらに山を移すほどの信仰を持ちわせていたにせよ、愛が無ければ私は無にひとしい。(3)たといまた、私が貧しい人たちのために自分の全財産を提供し、また自分の身を犠牲にしようとも、愛が無ければ、いっさいは無益である。(4)愛は忍耐づよい。愛は情け深く、妬むことをしない。愛は思い上がったり、自慢などはしない。(5)下品な振る舞いをしない。自分さえ良ければというようなことはしないし、苛立たない。傷つけられても根にもたない。(6)不正を喜ばず、真理を喜ぶ。ー中略ー(13)信仰と希望と愛、この...<真の愛/新約聖書>

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