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大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」 https://blog.goo.ne.jp/goo1120_1948

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です。多くのジャンルをさ

大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」
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2014/09/26

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  • 東京新聞で紹介されました

    土曜日の東京新聞の書評欄で、紹介されました。1991~1996年に横浜で毎年開催された国際的音楽イベント「ウォーマッド」。アフリカ、アジア、欧米の音楽家が多数来日し、日本からは坂本竜一、都はるみらが出た。横浜市の元職員で、企画にあたった著者が自分史を交えてつづる。幅広い出演者が複数の舞台で並行して演奏するウォーマッドの精神は、現在の野外音楽フェスにつながると指摘。関係者の寄稿なども含め、貴重な記録だ。(Pヴァイン発行、日販アイ・ビー・エス発売2200円)東京新聞で紹介されました

  • 『美と恋の位相』をいただく

    一昨日、シアターχで、志賀さんにお会いしたとき、『美と恋の位相・93』をいただいた。写真が多く、かなり豪華な雑誌で、季刊とのこと。美術大学の若い女性などに人気で、この号には志賀さんは、3本書かれている。こういう雑誌もあるのか、と思う。『美と恋の位相』をいただく

  • 夢を語らせて喜んでいるのは誰だ

    昨日の午後は、磯子区中原で行われた「山下ふ頭再開発を考える意見交換会」に行く。この辺は、昔住んでいたところの近くで、よく散歩していたが、年の性か新杉田駅から遠いのに参る。この日も、ファシリテーターなる横浜港のことなど、ろくに知らない助言者が司会をする。6人ほどのグループで、私の他は、元県庁の職員だった村上さん、栄区の藤田さん、大学に勤務していたという人、さらに匿名の若者で、やはりファシリテーターなる者をやっている人、さらに20代の男女が一人づつ。今、「職業としてファシリテーターがあるのか」と驚くが、それなら「まずファシリティー、横浜港の施設をきちんと勉強してこい」と言いたくなった。村上さんは、自分で「金沢区八景の横浜市立大学をここに移転させる」というプリントを作ってきて配る。きわめて文化的な発想で、こんな...夢を語らせて喜んでいるのは誰だ

  • 人斬り彦斎を思い出す 門田博光、死去

    門田が死んだそうだ、74歳で、私と同じだ。門田で、思い出すのは、幕末に人斬り彦斎と恐れられた河上彦齊である。門田は、身長170と大きくはなかったが、王、野村に次ぐホームラン3位の記録である。彦齊も、150センチくらいで、やさ男だったらしいが、非常な人斬りだった。映画では、女形の中村扇雀が演じたほどだった。要は、体の大きさに運動神経は関係ないということだろうか。人斬り彦斎を思い出す門田博光、死去

  • 唐十郎の芝居を思い出した 『しみかん曼荼羅・モノガタリ』

    私が苦手なのは、シャンソンと能なのだが、制作の斎藤朋君から案内をいただいたので、両国のシアターχに行く。ここも、もう昨年に30年を過ぎたのだそうだ。わがウォーマッド横浜91と同時代なのだから、立派なものだと思う。Ⅰの「観世寿夫を読む」は始まっていて、観世の「世阿弥を読む」などの朗読が、清水寛二さんによって行われていた。なにせ、本の朗読であり、動きもなにもないので、私の前の席の女性は、ずっと寝られていた。しかし、観世さんの言うことは、すべて正しく、その通りと思えるご指摘ばかりで、観世氏の凄さを再認識した。休憩中に斎藤君から、志賀信夫さんを紹介される。以前おられたテレビ批評の志賀さんとは同姓同名だが、こちらの志賀さんは、舞踏批評家である。「テレビ批評の志賀さんは、もう亡くなられているが、年取った人からは、未だ...唐十郎の芝居を思い出した『しみかん曼荼羅・モノガタリ』

  • 外資系化粧品会社は

    前回に書いた下川とやったメークアップショーの企画は、マックスファクターから来たものだった。マックスは、よく知られているようにハリウッドのカラー映画の女優のメイクで有名になった会社だった。監督の大島渚も、1950年代の松竹大船撮影所でのカラー映画撮影には、必ずマックスのメイクアップ・アーチストなる女性がきて、撮影に立ち会っていたと書いている。カメラ、照明等の準備がすべて整い、「いざ本番」となると、この姉ちゃんが出てきて、「待った!」と言い、再度女優の顔塗りをやったのだそうで、「メークをやり直さないとまずいのですか」とスタッフが聞くと、「絶対に映りませんから・・・」と断言したとのこと。撮影の邪魔ばかりしているので、「あの女のジュースに下剤を入れて、スタジオから追放しろ」と大島も思ったそうだ。だが、このメークア...外資系化粧品会社は

  • 下川博とやった企画

    昨年の今頃亡くなった友人の下川博とは、芝居だけではなく、いろんな企画を一緒に考えたことがある。と言うのも、彼は大学院を出た後、すぐには定職につかなかったので、その間、いろんな企画をさがしていたのだ。私も、彼が持ってくる企画に一緒に考えたことがいろいろあった。その一つが、アメリカの某化粧品会社が、日本で新製品を発売する時のキャンペーンだった。全国キャンペーンで、「金になる」とのことで、知り合いの広告代理店の人から来たものだった。1週間、二人で寝食を共にして、いろいろと考えた。最後にできたのは、「メークアップ・ショー」だったので、ある若い女性の数か月を描くというもので、上京、恋愛、結婚等を経るもので、最後はファッションショーにして、結婚式に、だった。企画と筋を出したが、数週間後に返事が来て、残念ながらダメだっ...下川博とやった企画

  • 映画『東京裁判』の問題シーン

    映画『東京裁判』は、非常に公平な見方の作品だが、中で一つだけ問題なのが、南京事件の部分で、中国側が作った先導的映画を挿入しているところだろう。それについては、荒木正也さんなどスタッフも反対したが、小林正樹監督が、「どうしても入れたい」として入れたフィルムである。そこで、「これは中国が作った宣伝映画である」とのコメントを入れることになった。戦時中は、ソ連国境近くの満州の部隊にいた小林正樹監督の実感から来たものだろうと思うのだ。映画『東京裁判』の問題シーン

  • 『映画の香気』 荒木正也

    最近読んだ本では一番面白かった本である。荒木氏は、大学卒業後、松竹に入り、大船撮影所で制作を担当する。いろんな作品があるが、一番重要だったのは、小林正樹監督の『人間の条件』である。その3・4部の、満州を舞台とした作品は、北海道での長期ロケで撮影したのだが、スタッフ・キャスト120人、貨物列車120台を組んで行かせたのだとのこと。当時のことなので、恐らく国鉄のチッキで送ったのだと思うが、これも実に面倒なものだったらしい。先輩の林さんは、大学に入ったころは、ドサ廻り、つまり地方公演があったそうで、そのために装置、衣装等をチッキで送ったとのことだ。そして、荒木氏は、松竹を辞めて博報堂に入る。そこでも、映像企画をやっていたが、ついに博報堂・講談社が製作していた『東京裁判』に関わり、小林正樹監督の下で、制作を担当す...『映画の香気』荒木正也

  • 『敵は本能寺にあり』

    1960年、松竹京都作品、監督は大曾根達保で、主演の明智光秀は松本幸四郎(先代)で、息子の当時市川染五郎も、織田信長の側近の森蘭丸で出ている。織田は、田村高広で、妻の濃姫は淡島千景、娘の一人は岸恵子で、もう一人は北条喜久子である。筋は、普通に進行し、明智が、なんども信長に裏切られ、恥辱を受けて、遂には本能寺での変に至る。秀吉は、河津清三郎で、いつもの悪役だが、おかしいのが徳川家康の嵐勘十郎で、わざわざ新東宝から迎えているほどの大作だったのである。その他、秀吉の間者で、最後は光秀に殺されるのが、石黒達也と、なかなかの配役である。この時期は、大船では、大島渚らのヌーベルバーグが出ていた時だが、松竹全体としては、このような映画だったのである。脚本は、池波正太郎で、彼は、後に『剣客商売』『鬼平犯科帳』などの多数の...『敵は本能寺にあり』

  • 『武蔵坊弁慶 29話』

    去年亡くなった下川博脚本の代表作だろう。杉山義法との共作となっているが、当時下川の言っていたところでは、杉山はほとんど書いていなくて、下川が書いたとのことだ。話は、安宅の関で、中村吉右衛門の弁慶が勧進帖を読み上げるところで、富樫は児玉清。最後、見せろと言うところで、弁慶は白紙の勧進帖を見せる。ここは、「良い」と褒められたそうだが、忠臣蔵にもあったような気がする。そして、弁慶に先に行っていた義経たちをまた、別の関の役人が咎めると、ここで弁慶は義経を「新参者め!」と打擲し、詮索を逃れることができる。まあ、元が良くできているので、出来たシナリオだろう。時代劇専門チャンネル『武蔵坊弁慶29話』

  • 『惹句術』から思ったこと

    松竹映画の指導者だった城戸四郎は、シナリオが大好きで、上がってくる企画には、必ず目を通した。そして、聞いた「どんな映画か一言で言え」と。そう考えると、映画のポスター等に掛かれる惹句は、まさに城戸四郎への返答だったわけだ。この一言で言えは、非常に意味のある表現で、私も役所にいるときは、部下が持ってくる企画の説明に行った言葉だった。だいたい、一言で言えないような企画は、まずだめなのだからである。『惹句術』から思ったこと

  • 最初は菅原文太だった 『新幹線大爆破』

    昨夜は、新宿の紀伊国屋で行われた、関根忠男さんと鈴村たけしさんとの文庫本『惹句術』のトークショーに行く。新宿に夜に行くなんて、何年ぶりだろうか。ルミネから甲州街道に出るが、こんなに下がる道だったのかと思う。『惹句術』は、元は単行本として出たが、二度目の文庫化なのだそうだ。元東映にいた関根さんなので、いろいろな話が出たが、いちばん面白かったのは、映画『新幹線大爆破』の主役が、菅原文太だったが、「電車が主役の映画に出られるか!」と断ったので、当時やや不振だった高倉健に行ったとのことだ。確かに、あの実行犯は、高倉健が際立っていて、残りは山本圭、織田あきらなどのやや弱い俳優連中だった。しかし、もし菅原文太が、犯人を演じていたら、映画はもっとリアルになったはずで、高倉健のようなややメロドラマ的な抒情性にはならなかっ...最初は菅原文太だった『新幹線大爆破』

  • 『左ききの拳銃』

    1958年のアーサー・ペン監督の作品で、主演はポール・ニューマンで、演じる役はビリー・ザ・キッド。21歳というには、少し年取りすぎているが。ビリーは、リンカンの町で、世話になった男が殺されたことから「復讐だ」として、2人を殺してしまう。そこにパット・ギャレットが保安官となって、ビリーを追う。原作は、テレビで、脚本は、『マイラ』のゴア・ビダルとのことで、相当に変な人間に造形されている。言ってみれば、ジェームス・ディーンのような不良少年というところだろうか。ビリーは、さらに二人を殺し、ギャレットに逮捕されるが、逃亡してメキシコ近くの友人の家に来る。そこから出てきたところで、ギャレットに撃ち殺される。だが、このときビリーは、丸腰だった。ビリー・ザ・キッドは、この後、なんども映画化されているが、これが最初のようだ...『左ききの拳銃』

  • 間違えがあった 桐朋学園

    『ウォーマッド横浜・歴史から消えたビッグ・フェステイバル』で、新しい間違いを見つけた。劇団俳優座が、その俳優の養成所を止めたくだりで、「桐朋学園に移行させた」のことで、正規の4年生の大学と書いたが、桐朋学園の演劇系は、実は4年制ではなく、2年生の短大なのだった。いまどき、絶滅危惧種のごとき短大とは気がつかなかった。桐朋学園で、本来の音楽は4年制だが、演劇は短大なのだ。また、この短大には音楽系もあるようだが、それはどのような趣旨なのかは、不明である。しかし、2年で演劇がきちんと教えられるものなのろうかとは思うが。間違えがあった桐朋学園

  • 『ウォーマッド横浜 歴史から消えたビッグ・フェステイバル』を配った

    横浜稲門会のカラオケクラブの例会で、『ウォーマッド横浜歴史から消えたビッグ・フェステイバル』を、日頃お世話になっている皆さんにお配りした。ご迷惑なら、近所の図書館か地区センターの図書室に寄付していただきたいとお願いした。ブックオフに持って行っても、50円くらいにしかならないのだから。1月11日、水曜日の夜のことである。『ウォーマッド横浜歴史から消えたビッグ・フェステイバル』を配った

  • 堀川弘通と吉村公三郎

    先日、堀川監督の作品を見て、思ったのは、吉村公三郎とのことだ。どちらも、東宝、松竹の看板監督だったが、最後は必ずしも良くはなかったように思える。吉村の場合は、新藤兼人と共に、松竹を自ら辞めた性だが、堀川監督の場合は、東宝で次第に活躍する場所がなくなり、最後は東京映画での『アラスカ物語』の失敗で、東宝系から出て、独立プロで作品を作るようになる。どちらの監督も、その作風が、時代と合わなくなったからだと思う。吉村は、「風俗映画」の監督で、女性映画に秀作を作っていた。だが、1960年代中頃からピンク映画、さらに日活ロマンポルノになると、次第に時代とのズレが目立つようになる。ポルノ映画が、次第に過激な表現になるのに対し、吉村は、やや微温的で、その性的表現は、「お笑い的」になってしまう。セックス・シーンで、水槽の中で...堀川弘通と吉村公三郎

  • 『悲劇の将軍山下奉文』

    こう書くと不謹慎と言われるかもしれないが、近年一番に笑った作品である。早川雪州が演じる山下が、非常に世間離れしていておかしいからだ。本当に見ていて、実におかしい。もちろん、敗戦直前のフィリピンの戦況自体が、悲喜劇的なのもあるが。山下が、フィリピンに赴任し、ルソン島が決戦だと言われていたのが、すぐにレイテが決戦だと変更される。山下は、現地の防備がひどいことに唖然とするが、同時にこの作戦変更にも驚く。だが、軍人は命令に従うのもだとして、参謀長として新作戦を持ってきた武藤章元軍務局長の指示に従って作戦を遂行するが、もちろん米軍の圧倒的勢力に叶うわけもなく、敗走に次ぐ敗走。そして、軍隊以上に悲劇なのが在留邦人で、軍と一緒に逃げて、これもほとんど飢餓地獄。中でも、信欣三と戸田春子夫妻と子供の飢餓は最たる悲劇である。...『悲劇の将軍山下奉文』

  • かながわ国際交流フェステイバル「国際音楽舞踏祭』

    1991年のウォーマッド横浜の前年、神奈川県が、突然「かながわ国際交流フェステイバル」をやると言ってきた。それも、各都市の国際交流担当課を集めての会議だった。おそらく、1989年に横浜市が博覧会をやったので、これに対抗した策だったと思え、実際に三浦海岸で、「サーフ90」というイベントをやったのだが、こっちは陸場のイベントだった。要は、各都市が持っている友好・姉妹都市からイベント団を招聘させてイベントにする、とういうケチな考えだった。でも、開催費は、数千万円は出したはずで、金のない県としては、清水の舞台から飛び降りるような事業だったと思う。横浜市としては、姉妹都市のルーマニアのコンスタンツアとカナダのバンクーバーから団を招聘して参加させた。その中で、音楽など分かっているのは、私だけだったので、司会は関谷元子...かながわ国際交流フェステイバル「国際音楽舞踏祭』

  • 『エイジアン・ブルー浮島丸サコン』

    松竹の城戸四郎は、新しい企画が来たとき、「それは、なんだ一言で言え」と聞いたそうだ。一言で言えない企画など、大したことないもので、私も市役所にいるとき、部下にさんざ言ったものだ。この映画も、いろんな要素が混入していて、その分だめになっている。平安建都1200年記念だそうだが、それはどこにあるのか、不明。京都の大学で先生をやっている益岡が、生徒に研究論文を書かせ、そこに浮島丸のことがあり、それを書いた女と、本当の作者の姉と知り合うところから始まる。敗戦直後、京都の舞鶴沖で、沈没した韓国への引き上げ船の浮島丸のことかと思うと、二人の姉妹の父親で、詩人の白雲を探すことになる。戦時中に、青森の鉱山で朝鮮人が強制労働されていたとのことで、そこでの苛烈な労働現場の話になる。そこで、唯一面白いのが、石橋蓮司が演じる、韓...『エイジアン・ブルー浮島丸サコン』

  • ウォーマッド横浜に関連したイベントは

    昨年の関内でやったトークイベントで、小林昭仁君が、さかんにウォーマッド横浜と国連ピースメッセンジャー都市会議との関連を質問された。私は、即座に否定したが、ピースメッジャー都市会議は、当時横浜市国際室長だった大内さんが、「我こそは、国際人だ!」と示したかったために招致してやった会議だった。なにしろ、大内さんは、英語はもちろん、ドイツ語、韓国語も堪能という、非常に珍しい土木屋さんだったからだ。むしろ、ウォーマッド横浜と強く関連したのは、アムネスティ・インターナショナルの日本での世界大会だった。1987年の秋ごろ、アムネステイの日本事務局から話があり、私も高田馬場にあった事務局に行ったのを憶えている。そして、アムネスティの地球的、全人類的目的に合うイベントして、ウォーマッド横浜は、最適となったのだ。だから、19...ウォーマッド横浜に関連したイベントは

  • 『いいかげん馬鹿』

    1964年に松竹で作られた山田洋次の「馬鹿シリーズ」の2作目。ここでも、主人公の安吉はハナ肇だが、相手役のお嬢さんは、岩下志麻になっている。1作目は、桑野みゆきだったが、彼女が次第に松竹作品への不満を持ち始めていたので、岩下や倍賞千恵子へと変えていく端緒でもある。瀬戸内海の小島に、東京から岩下志麻が疎開してくる。そこに孤児で、漁夫の花沢徳衛のところにいる、乱暴者のハナと知り合う。この無知な男と上品な女性という組み合わせは、『無法松の一生』から来たもので、原作の岩下俊作がプロレタリア作家であるように、知的な階層の人間と、無知な労働者との組み合わせになっている。言わば、日本共産党支持の山田洋次監督にとって、庶民は啓蒙されるべき無知な階層となる。その典型は、まさにハナ肇だったが、やはり少々無理だったのか、かなり...『いいかげん馬鹿』

  • 長門勇について

    長門勇と言えば、市川雷蔵主演の『ひとり狼』での筋の進行役が有名だが、彼の主演作『道場破り』もある。それは、以下のとおりである。去年亡くなった長門勇の主演第一作と謳っているが、そのとおり彼の数少ない1964年の主演作品。監督は、内川清一郎で、脚本は小国英雄だが、原作は山本周五郎の『雨上がる』より、となっている。『雨上がる』と言えば、小泉堯史の愚作『雨上がる』の原作ではないかと思いつつ見るが、この二流時代劇の方がはるかに面白い。冒頭、多くの武士に護衛された駕籠の列を長門勇が襲い、岩下志麻を救い出す。そこから話が飛んで、長門はある天領で、道場破りと賭け試合で生き、最下層の連中が住む宿にいる。長門の殺陣の上手さを味わう作品だが、そこに丹波哲郎と倍賞千恵子の特別参加があり、原作を大きく膨らましている。それは、諸国を...長門勇について

  • 山岸さんに間違いを指摘された 『WOMAD横浜 歴史から消えたビッグ・フェステイバル』

    先日の関内での「トークイベント」を見に来てくれた山岸伸一さんから、私の本の記述の間違いを指摘された。山岸さんから指摘されたのは、「山岸さんは、学生時代にラジオ関東でアルバイトをしていた」との箇所で、ラジオ関東のカンツオーネ好きの人と知り合っていて、局に出入りはしていたが、アルバイトはしていなかったとのことだった。ただ、この記述の意味は、横浜にあるという建前の放送局のラジオ関東が、実は横浜市西区老松町ではなくて、東京都港区麻布台にあったということであり、その趣旨は間違いではないが。山岸伸一さんには、大変にご迷惑をかけたので、ここにお詫びします。その他、さまざまな記述の間違いをしていただいた。もし、拙著が重版されるときは訂正したいと思うが、そうなるとは到底思えないが。山岸さん、ありがとうございました。山岸さんに間違いを指摘された『WOMAD横浜歴史から消えたビッグ・フェステイバル』

  • ジョン・レノンから若松孝二に

    正月は、横浜のジャック&ベティで、3日に『ジョン・レノン』を見た。ジョンが、やはりアイルランド系であることが分かり、さらにポール・マッカートニーとの出会いは、感動した。だが、西ドイツのハンブルグに行っての、トニー・ジェルダンとのことがほとんど描かれていなかったことが不満。ビートルズは、最初はトニー・シェリダンとビートルズだったのだから。6日までとのことで、ベティで若松孝二と若松プロを描いた『止められるか、俺たちを』を見る。これは、女性で助監督を目指した吉積めぐみを主人公とした作品で、当時の連中が出てくる。見ていて、60年代後半の若松プロの作品は、ほとんど見ていることに気づく。別に、特に好きだったわけではなく、蓮沼のヒカリ座がよく上映していたからである。ここは、1960年代末期は、大映と松竹がメインで、3本...ジョン・レノンから若松孝二に

  • 去年一番感動した動画は

    2022年で、一番感動した動画は、映画でも、テレビでもなくて、ユーチューブの「ララいずみ」さんのものだった。1月の「みさき公園の今昔」で、大阪南のみさき公園にあった遊園地と動物園に関するもので、動物への哀惜に充ちた映像に感動したのだった。2021年春に閉演した、そこは大阪南部地区の唯一の遊園地・動物園だったようで、ララいずみさんは、本当に愛していた。ララいずみさんは、大阪和泉地区に住む50代くらいの方で、どうやらデザイン関係の仕事をしているようだ。私と同様、少々ひねくれているらしく、人混みが嫌いで、形どおりも大嫌いとのこと。なぜ、正月は、どこでも琴の曲を流すのか、などまさにその通りと思う。この人は、電車オタクで、必ず駅に電車が入ってくると、それを見て、「出るところを見送ります」となる。完全に擬人化していて...去年一番感動した動画は

  • 寒の入り、犬は裸足であるいてる

    今朝は、寒くて目がさめたが、寒の入りだそうだ。昔、フジテレビで『お笑いタッグマッチ』があり、司会の春風亭柳昇が言ったのが、この句だった。バカバカしいが、いつもこの時期に思い出す。寒の入り、犬は裸足であるいてる

  • 正月の新年会

    私の父は、大田区で小学校の校長をやっていたが、脳梗塞で倒れるまで、任地の小学校(馬込小学校)の教職員を全員呼んで正月の新年会を家でやっていた。たぶん、1月3日だったと思うが、その学校の職員全員が昼間に来た。そして、御節料理を出すのである。だから、そのために年末に家では、父は兄と一緒に餅を突いて作っていた。さらに、母親の指揮の下で、3人の娘が御節料理を作り、もちろん酒も出していた。家は、明治時代の作りだったので、唐紙を開ければ、20人以上が入れる広さがあったのだ。手数はともかく、それなりにかなり予算は掛かったはずで、母親は、「12月のボーナスはこれで消えた」と言っていたそうだ。父は、酒もたばこも一切やらない「堅物」だったので、日頃付き合いのない職員たちへの年に一度のサービス、職員管理法だったのかもしれないが...正月の新年会

  • 『祭りの準備』で驚いた二つのこと

    テレビの『徹子の部屋』を見たら、竹下景子が出ていた。随分と年取ったなあと思うが、私もそうだろうと改めて思う。彼女を見て、思い出すのは映画『祭りの準備』である。1975年の11月に、川崎の駅ビルにあった川崎文化で見ている。併映は、西村昭五郎監督の『わななき』とノートされている。『祭りの準備』では、二つのことに驚いた。一つは、監督が黒木和雄なのに、内容が簡単で分かること。もう一つは、大学の先輩の斎藤真さんが出てきて、竹下景子の処女を奪う役を演じていたことだ。竹下や彼女に憧れている江藤潤たちは、高知の中村で文学サークルをやっていて、そこに共産党のオルグの斎藤さんがやってくる。彼は聞く、「土佐の偉人は」竹下は手を挙げて言う「幸徳秋水です!」「そうだ、よく知っているね」と励ますオルグ。思わず「斎藤さん!」と叫びたく...『祭りの準備』で驚いた二つのこと

  • 『泥だらけの純情』

    中学3年の3月、当時一番仲の良かった同級生の仁多見弘一君が、「今までに見た映画で、最高の作品だ」と言ったので、たぶん3月の終わりに一緒に蒲田で見た映画。その時も良いと思ったが、中平康作品では、ベストだと確信する。まず、脚本が馬場当、音楽は黛敏郎、美術は大鶴康弘(唐十郎の父親)で、制作はなんと大塚和である。これを見ていると、吉永小百合も、浜田光夫も芝居が非常にうまいことに感心する。なぜなら、彼らは、二人とも子役上がりで、演技の経験があるからで、芝居が大変にうまい。特に、浜田光夫は、受けるのも攻めるのも両方の芝居が良い上に、タイミングも是っ妙である。話としては、これは吉永小百合に引きずられる話で、ある意味で、彼女は女性ストーカーである。ストーカー小百合に魅入られた浜田光夫の悲劇とも言えるだろう。ここには、立派...『泥だらけの純情』

  • 『若い人』

    BS12で、1962年西河克己監督の『若い人』をやっていたので見るが、非常に面白かった。言うもなく、3回作られていて、全部見ているが、これが一番面白いと思った。そして、当時17歳、江波恵子を演じた吉永小百合の美しさである。もちろん、浅丘ルリ子も良い。それに脇役が非常に良い。恵子の母親が三浦充子で、この自堕落な感じが最高である。その情夫で、船員が北村和夫、石原裕次郎が下宿している家の親父が殿山泰司で、その妻は武智豊子で、殿山はエロ小説を読んでいる男。学校が(長崎らしい)が、修学旅行で上京してきて、旅館に来て会うのが、小沢昭一で、これも笑える。その他、裕次郎と校医の大坂志郎が会うバーの女は、千代郁子だった。原作では、橋本先生は、左翼的な文学サークルにいる女性だそうで、それは全部の映画では描かれていないが、ここ...『若い人』

  • 配置が代わっている 早稲田大学の

    今の早稲田の構内の地図を見ると、随分と配置がかわっている。この現在は、6号館となっているところが、当時の9号館で、ここをわれわれは勝手に占拠して使っていたのだ。今考えると、大学も随分と寛大なものだったと思う。いずれ治まると思っていたのだろうが。配置が代わっている早稲田大学の

  • 下川博にやらされたこと

    たぶん、1967年に下川や田村光男らが大学に入学し、劇団にも入って夏が過ぎた頃の秋、私は下川に劇団内の「勉強会」の講師をやらされた。主に、吉本隆明理論の解説で、今から考えれば、赤面ものだが、下川におだてられてやったのだ。おそらく、3回くらいやって、そこには4,5人の一年生らが来ていた。彼らの内の4人は、後に「FUG」というグループを作った。そして、当時我々が占拠して勝手に使っていた、「早稲田大学の9号館が警察によって封鎖解除されるとき、バッハの曲を流した」と村上春樹の処女作に記述された連中である。ちなみに、9号館を占拠していたのは、我々や自由舞台などの劇団だけではなく、考古学研究会などもあり、人形劇研究会というのもあった。巷の噂では、村上春樹は、その人形劇研究会にいたとのことだ。封鎖解除後は、なにをしてい...下川博にやらされたこと

  • 劇団を作る前のこと 下川博

    下川博で、もう一つ書いておきたいのは、彼は私と劇団を作る前、いろんなところに顔を出していたらしいことだ。その中に、文化学院の演劇グループがあり、そこで知り合った女性に近藤さんという人がいた。彼女は、まじめで良い方で、確か当時すでに年下の大人しい男の人と結婚していた。近藤さんは、我々の芝居の衣装もやってくれていたが、ときどき彼女たちの阿佐ヶ谷の下宿に行って飲むことがあった。その時、彼女から「ユーミンは、荒井さんの妹よ」と言われ、下川も「ああ、そうか」と言った。それは、彼らの友人の家でのことで、たぶん文化学院の人たちの集まりだったのだろう。そこに荒井さんの妹の由美も顔を出したというのだ。当時、荒井由美は、まだ高校生だったはずだが、その頃からレコード会社に出入りして、曲を売り込んでいたんだと近藤さんは言っていた...劇団を作る前のこと下川博

  • 下川博と音楽のことなど

    昨年、亡くなっていた下川博について、書いて與おきたい。「下川って誰だ」と言われるだろうが、私の大学時代の友人の一人で、彼と二人で劇団異立社(ことだてしゃ)を作って、約3年間やったのだ。異立ってなんだ、と言われるだろうが、当時もいつも聞かれたことだった。これは、保田與重郎の本にあった言葉で、異なる言説をたてることの意味で、異論に似た意味だろうと思う。その多くは、「異立の歌」というように使われたようだ。つまり、普通ではない事を言うのである。まあ、われわれにふさわしいと思われた。さて、下川は、『ミュージック・マガジン』に原稿を書いていたこともあり、音楽に普通の興味はあった。彼に誘われて見に行ったのは、ジャズシンガーの阿川泰子のコンサートで、昔の神奈川音楽堂で、そのj下手さには二人ともあきれた。ただ、元文学座研究...下川博と音楽のことなど

  • 北日本新聞に出ていた

    Pヴァインから掲載紙が送られてきて、12月25日に、北日本新聞の1面に出ていたのだ。こういう地方紙を読むと面白くて、「お悔み」のページがある。普通の人でも、情報提供すれば、載せてくれるのだ。北日本新聞に出ていた

  • プーチンのひどさが分かった

    NHKBSの『映像の世紀』、『スターリンとプーチン』で、プーチン大統領がスパイを志したのは、映画『真珠湾前夜・スパイゾルゲ』を見たからだとあった。こんなつまらない映画を見て、感動したとは、プーチンの頭のレベルが知れる。20年くらい前に、横浜のシネマジャックで見たが、あきれるほどひどい映画だった。「市川雷蔵主演の『陸軍中野学校』の方がはるかに上だ」と思ったのだ。『真珠湾前夜・スパイゾルゲ』は、日仏合作で『忘れえぬ慕情』と同じ、岸恵子主演、イブ・シャンピ監督だが、後者が一応松竹初の合作映画で、総力を挙げていたらしいのに対し、前者は脚本も沢村勉と、戦中期は戦意高揚映画、戦後は煮え切らない反省映画のバカなので、どうにもならなかった。しかも、京都撮影所なので、ひどく貧しく促成で映像もひどいのだった。そんなものを見て...プーチンのひどさが分かった

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