日本映画が、アカデミー賞で2本受賞したのは、喜ばしいが、どちらも技術的である。日本映画の黒澤明、小林正樹、小津安二郎、溝口健二らも結局は職人的仕事の見事さに成立していたと思う。だから、映画『オッペンハイマー』のような作品は出てこない。日本にも興味深い人間はいた。陸軍の石原莞爾など、最高ではないか。満州事変を起こし、満州国を作ったが、東條英樹によって陸軍を追われる。この数奇な運命を、幼い小澤征爾の目から描けば、と思うのだが。職人芸の日本映画
さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です。多くのジャンルをさ
先日、トークイベントをやって泰生ポーチは、管理者の杉浦君に聞いたところでは、「ここは、元は会員制クラブだった」とのことで、天井には立派なシャンデリアが釣り下がっている。以前、映画のトークイベントをやった関内の多目的スペースも、元は高級カラオケ店で、港湾局の好きな人に連れられて行ったことのある場所だった。「ああ、ここに来たことがあるな」と思ったものだが、今は横浜市大のOBが運営しているとのことだ。昔々だが、関内の西側のクラブに局の課長に連れて行かれたことがあり、非常にきれいな女性たちがいた。たぶん、私と同年代だったと思うが、大変に年上の女性に見えたものだ。そこは、いわゆるピアノ・バーで、時間ごとにピアノを弾く方が来て、歌い手の伴奏をしてくれたものだ。もっと、庶民的な場では、「流し」がいて、彼らからは、北島三...元は会員制クラブ
一昨日の泰生ポーチでの高橋健太郎君とのトークイベントについて、配信で見てくれた元パシフィコ横浜の白井君から、「国際平和」としたのは、斎藤さんではないかとのメールが来た。斎藤さんというのは、国連大使も務められた斎藤鎮男さんで、横浜での国際会議場建設の検討会議のメンバーの一人だった方である。白井君のメールでは、「どこかの席で、斎藤さんが「国際平和」と言ったのではないか」と戸塚さんから聞いたとのことだった。戸塚さんというのは、みなとみらいの会議場担当で、最初に庶務係長をしていた方で、私はヒアリングするつもりだったのだが、ご都合が悪くてできなかった人だが。いずれにしても、細郷道一元横浜市長は、多くの方のご意見を聞いて、「横浜国際平和会議場」の名を決められたのだな、と改めて思った。斎藤鎮男さんは、国際関係の著作もあ...「斎藤さんではないか」とのメールが来た
日本海側は、大雪で大変のようだ。だが、首都圏などの関東地方には、大雪は少ない。それに気づいたのは、1991年の1月から3月に、英語の研修のために富士宮にいた時のことだ。この間、富士山が、松竹映画のタイトルのように見えるそこでは、3か月間に雪は、二度くらいしか降らなかった。雪は、富士山が防いでいて、静岡側ではなく、山梨側に降ってしまうのだ。このように、富士山から甲州山脈、赤城山など、関東の北側には、大きな山脈がある。これによって関東地方は、大雪の降雪を防いでもらっているのだ。東京や横浜などで、雪が降るのは、まったく別の原因で、台湾付近にできた低気圧が、東に移動してきて、伊豆大島付近を通過するときである。この時に、低気圧が、掃除機のように寒気を吸い込み、それが途中の首都圏で降りるので、降雪となるのだ。大体、1...関東は守られているね
午後は、ウォーマッド横浜の92のビデオをDVDに編集する作業をやっていたが、やはりすごいと思った。92が一番良かったと思うのだが、それにしてもすごかったなあと思った。そして、31年も経っているとは!われながら凄いと思ったビデオを編集して
「国際平和こそ、人類共通の目標であり、課題なんだよ・・・」こうおっしゃったのは、横浜市長の細郷道一氏である。横浜市都市計画局のみなとみらい担当の岡本部長と宇野課長(お二人ともすでに亡くなられている)が、国際会議場会社の名前を市長に言いにいった。原案は、(㈱横浜国際会議場で、ICC・ヨコハマだった。すると18代横浜市長の細郷道一氏は、「その国際の後に、平和を入れなさい。国際平和は、なにも左翼勢力の専売特許じゃないんだよ、人類共通の課題なんだよ」と言い、「(㈱横浜国際平和会議場」になったのだ。今日のウクライナへのロシアの侵略や、中国習近平体制の「侵略の恐れ」をみるとき、細郷市長のレベルの高さを感じるのは、私だけだろうか。「国際平和こそ、人類共通の目標であり、課題なんだよ」
日本で最初の国際的ポピュラー音楽フェステイバルだったウォーマッド横浜についての本が出ました。そこで、高橋健太郎君を迎えて、トークイベントをしますので、ぜひ見に来てください。日時:2022年12月26日(月)18:00〜20:00(開場17:30)会場:泰生ポーチ1F(横浜市中区相生町2-52)TEL090-3497-1468http://www.taisei-po-chi.yokohama/トーク:指田文夫(大衆文化評論家)高橋健太郎(音楽評論家)料金:1drink&書籍付き3000円(本代2200円を含む)限定30名当日18時〜オンラインにて無料配信も行います。視聴ご希望の方は、マルメロまでメールを。【お問い合わせ/予約】マルメロTEL:03-5627-7583FAX:03-5627-7584e-mai...トークイベントをします
安部徹ら、悪役俳優が好きだ。天津敏、吉田義男、河津清三郎、西村晃などたくさんいるが、一番好きなのは、石黒達也である。元は前進座で、東宝の他、大映にもよく出ていた。有名なのは、溝口健二監督、市川雷蔵主演の『新・平家物語』での、久我美子の父親で、藤原家なのだが、出世にまったく関係せず、図書守を喜んでやっている役だと思う。ちなみに、この映画のナレーションも石黒である。悪役俳優が好き
「畳の上では死ねないぞ!」とは、かつて悪漢が脅す台詞だった。だが、近年では病院で死ぬことが常識になりつつあったようだ。今年、私の知り合いでは、施設に入った後、そこで亡くなったという話が来た。これからは、「畳の上ではなく、施設のベッドで死ぬ」時代になったようだ。「畳の上では死ねないぞ!」
用があって紅葉ヶ丘の神奈川県立図書館に行った。新装されて、9月にオープンしたとのことで、元の書庫のところに立派に建て替えられていた。前の本館は、再整備中で閉まっていた。岡本真さんをはじ「神奈川の図書館を考える会」の皆さんのご努力の結果だと思う。中身を調べるほどの滞在ではなかったので、言わないが、さすがにかって本館の地下にあった食堂、1950年代の学食のようなものがなくなっていたのは時代だと思った。ラーメン、カレーライス、350円程度の昔の町の食堂がそこにはあった。その分は、21世紀になっていたと言えるだろう。だが、女性職員が制服を着ているのは、どうした理由なのだろうか。男性がどうなのかは、この日男性職員を見なかったので、分からないが。これは、民間企業では、銀行などでも制服の廃止の動きがあるのに、ひどく20...食堂がなくなっていた
BS12で、松本清張の『微笑の儀式』を見た。これは、売れない彫刻家の内藤剛志が、殺された女性佳那晃子のデスマスクで作品を作って一時評価されるが、役所広司に事実を暴露されて転落するもの。昭和30年代の厚木基地付近の風俗など結構面白かった。監督は、元松竹の長尾啓司。最後に、死んだ内藤が住んでいた古い木造アパートが出てくる。管理人の女性が、どこかで見たことがあるなあと思うと、辻伊万里さんだった。1995年の作品だが、調べると辻さんは、ご健在のようで、101歳になるはず。「辻伊万里って誰だ」と思うかもしれないが、黒澤明の『野良犬』の最後のシーンで、ピアノを弾いている方である。辻さんは、ご健在らしい
人は、好きずきだが、私にとって大嫌いなものが、歌声運動であり、歌声喫茶である。もちろん、大好きな人もいるのだろうが、私は堪えられない。あの歌い方、みなが心酔している姿は、気持ち悪さの極致である、私には。この辺から、私の民青嫌いは始まっているのだと思う。朝日新聞の夕刊に出ていた記事が、歌声喫茶なのである。歌声喫茶
私は、熊井啓は、監督としては大したことないが、脚本家としては優れているというのが私の考えである。これも熊井の脚本で、横浜の銀行で強盗が入り、支店長が殺される。外観は、露亜銀行で、今は某結婚式場になっている建物である。犯人の川地民夫は、バイクで横浜駅に逃げ、特急つばめで東京駅に向かう。警察は、彼の靴と服装を知っていて、張り込んでいるが、車内で大学生から服と靴を強奪していて、すり抜けてしまう。刑事は、水島道太郎、二谷英明、宍戸錠らである。川地は、月島の姉の家に逃げ込む。姉は、高友子である。警察は、数年ぶりに川地が姉のところに来て、映画を見に行って、ニュース映画を見た時、急にいなくなったことを聞く。それは、街頭録音で、いろんな人間が今必要なものを聞かれ、ある女が「それは、30万くらいの金よ」と言っている事を突き...『傷つける野獣』
池広一夫監督が、93歳で、テレビの『終着駅』シリーズで、最後の作品とするそうだ。大映時代の最高作は、1958年の市川雷蔵主演の『ひとり狼』だと思う。有楽町のスキヤバシ映画で、田中徳三監督の『怪談雪女郎』との2本立てで見た。冒頭の、ウイリー沖山の大映レコードの主題歌から始まり、最後の語り手の長門勇の「逃げ足も早いぜ・・・」まで、非常に語り口の良い作品だった。これは、捨て子として生まれた主人公の雷蔵が、武士の家で育てられ、その家の娘の小川真由美と恋仲となる。もちろん、卑しい身分の雷蔵と小川真由美の結婚は認められず、「犬め」として家を出され、侠客として生きていく。それを、長門勇と駆け出しの長谷川明男の目を通して描くという筋書きが素晴らしい。小池朝雄らなどの、雷蔵を敵視する連中との殺陣も良い。全体を貫く、市川雷蔵...池広一夫監督の最高作は『ひとり狼』だろう
ワールドカップは、アルゼンチンが優勝した。私は、見ていないが、最後まで見ただろうか。さて、アルゼンチンの国歌は世界で一番長いのだそうだ。終わりそうになって、また始まるもので、確かに長い。それを知ったのは、ボクシングのフライ級戦で、パスカル・ペレスと矢尾板との闘いだったと思う。アルゼンチン、ご苦労さん。アルゼンチンの国歌
岸田政権が、敵基地攻撃能力を高める防衛力増強を決めた。これは、大問題で、戦後の日本の国是とも言うべき「専守防衛」を捨て去ることになるからだ。だが、考えると歴史には、皮肉な事柄が起きることがある。アメリカのベトナム戦争を止めたのは、民主党ではなく、共和党のニクソンだった。同様に、中国との国交回復をいたのも、反共主義者のニクソンだった。右翼の安倍晋三内閣が終わり、本来は「ハト派」の岸田内閣になったと言うのに、軍拡内閣となった。歴史は、実に皮肉なものである。歴史の皮肉
昨日見た、『黒い牡牛』は、牛と少年の映画で、森繫久彌が絶対に出ない映画だった。彼は言っている「子供と動物が出る映画には出ない。絶対に勝てないからだ」確かにそうで、この両者は、無心に演じるからで、プロの役者の演技も叶わないからである。さすが森繁である。森繫が出ない映画『黒い牡牛』
この映画を見たのは、高校生の時に見た記憶があるからで、それを確かめたかったのだ。話は、メキシコの田舎で、農場で働いている一家のこと。牛を育てているが、それは200頭も持っている牧場主のものだが、ある日雌牛が子牛を生み、それは丈夫そうな雄牛だった。息子のレオナルドは、それを牧場主に願い出て、その家のものにしてもらう。息子は、小学生で、学校に行っているが、その女教師の台詞も全部英語という凄さ。全米で公開するには、仕方がなかったのだろうが、誠にひどいもので、グラシアスとかセニョールくらいしかスペイン語はない。牧場主の息子がカーレーサーで、彼が事故死したことで、全財産が競売にされ、牡牛も売られてしまう。その前に、闘牛牛としての品評会のような、地方の闘牛イベントがあり、そこでも彼の牡牛のヒターノは、強さを見せて高く...『黒い牡牛』
横浜市にいて、バカバカしかったことを書いたが、もう一つ思い出した。それは、1996年頃のことで、なぜか高秀市長が、急に2008年のオリンピックに立候補すると言い出した。すでに大阪市が出ていて、「今更むり」とみな思ったが、市長はやる気になったらしい。当時、私は横浜コンベンションビューローにいて、ここと横浜観光協会の合併の仕事をやっていたのだが、急遽オリンピック招致事業を手伝うことになった。やることも大してないので、至急に市内企業から寄付を集めて、それで「桃太郎旗」を作ってみなとみらい地区や横浜駅に出した。高秀さんは、抽象的なことをやってもダメで、ものにして見せないと理解できないので、そうすると以外にも好評だったようだ。だが、ある夜に、大風が吹き、パシフィコのプラザの旗が全部倒れたことがあり、朝から浜崎部長と...もう一つのバカバカしかったこと
ビージーズは、どこか恥ずかしかった。ある時、彼らを聞いていると、当時結婚していた妻から、「こんな軟弱な音楽を聴いているの」とバカにされたものだ。今回、この映画を見て、少し彼らの独自性が分かった。彼ら3兄弟は、元ミュージシャンの父の下に、イギリスのマン島に生まれた後、オーストラリアに移住し、そこである程度の名声を得てから、さらに成功を目指してイギリスに来る。この辺が、イギリスのグループでも、少し異なる音楽性を持っていたところだろうと思う。イギリスのロック全般への同化と違和が混合しているように見えた。そして、アメリカに行き、映画『サタデー・ナイト・フィーバー』での大ヒットに至る。この映画、日本では、ヒットを危ぶまれていて、大学の先輩の島村さんによれば、配給会社は、どう売ろうか困惑していたのだそうだ。大ヒットの...『ビージーズ』
横浜市に40年間いて、一番バカバカしかったことの一つが、1999年末に起きた「コンピューター2000年問題」である。これは、2000年1月1日に、コンピューターが誤作動するという噂だった。みな忘れているだろうが、当時大騒ぎで、横浜市では、高秀横浜市長の厳命で、「事務所、事業所は、すべて12月31日の夜は、誰かをおいて、宿直せよ!」ときた。たぶん、石原信夫官房副長官から言われたのだと思う、このご命令になったのだ。私は、バカバカしいので、総務課の係長3人に任せて、12月31日は、「紅白」を見てきちんと寝て、翌日は妻の実家に行ってお節料理を食べた後、某区役所に行った。すると、徹夜で飲んで、二日酔いになった男たちが、ソファーで寝ていた。何も起こらなかったのは当然だった。私の知り合いの人の小学校の娘さんは、「この日...コンピューター2000年問題
慶応大学の創立者福沢諭吉の伝記映画だが、関係者は岡田祐介以外は、慶応の人間がいない。脚本の笠原和夫は日大で、桂千穂は早稲田、プロデューサーの一人の岡田裕も早稲田、監督の沢井信一郎は東京外語大である。慶応出の映画監督は意外にも少なくて、日活の藤井克彦くらいだと思う。テレビの演出家は多いと思うが。藤井は、かなり良い監督で、高校は都立小山台と私の先輩である。恐らく、映画界で一番多いのは、日大で、次いで早稲田だと思う。その理由は、どちらにも映画科や演劇科があったからである。今は、どこの大学にもエンターテインメント系の学部があるが、人集めには面白そうな学科がないとまずいからで、大学はイメージ産業なのだ。さて、私は、慶応の文学部を受けて落ちた。絶対に受かると思っていたので、ショックだった。同様に落ちた小山台の学生には...『福沢諭吉』
これです。アマゾン等で買えます。来週には出ます
私の父は、若い時から禿げていたようで、母は、見合い写真を見て、「この人、禿げているんじゃないの」と言ったそうだ。その時は、「照明の性だろう」とごまかされたそうだ。それに対して、私は髪が黒く、「指田は苦労していないなあ」といつも言われている。ヘアー・ビジネスは、在日という噂があるが、私も経験したことがある。ある有名な韓国の歌手のコンサートに行った。今はない、新宿のシアター・アプルである。チケット売り場に行くと、「ありますよ・・・」と中年の方が、チケットをタダでくれた。そのとき、思ったのだ「ああ、そうか、この産業は在日なのか」と。ヘアービジネスは
昨日見た『喜劇・大安旅行』の監督の瀬川昌司氏は、私の周辺では非常に評価の高い人だった。主に、テレビ映画の時に、スタッフについた人たちの話なのだが、大変に能率的に撮影されていたとのことだ。彼は、東大を出て、新東宝に入り脚本を書き、すぐに監督になる。新東宝が倒産すると、まず東映東京で監督をし、さらに松竹にも招かれて作品をたくさん作るようになる。特にすごいというものはないが、どれも水準以上で観客と、役者と会社にも満足を与えた。河竹黙阿弥の言う「三親切」の法則である。「役者に親切、見物に親切、金主に親切」である。私は、一度だけその姿を見たことがある。彼の兄の瀬川昌久さんの「戦時下のジャズ」の時だった。席の前の方に、皮ジャンパーを着た、かなり迫力のある男の人がいて、それが瀬川さんで、瀬川昌久さんと話されていたので、...瀬川昌司監督について
本の校正をやっていて、いろいろ調べていると、ペギー・マーチに当たり、生年月日が同じだった。「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」のペギー・マーチで、1948年3月8日である。以前から知っていたのは、女優の篠ひろ子だった。実は、もう一人いて、横浜市役所の新井貴君である。なぜ、彼と同じか知っているかというと、わざわざ彼が私の席に来て、「同じだよ」と職員証を見せてくれたのだ。なぜ、そんなことをしたのだろうか。たぶん、「本当は俺が座るはずだったのに、お前が来た」と言いたかったのではないかと思うのだ。相当に変わった人だったと思う。生年月日が同じ人間が、また見つかったペギー・マーチだ
1968年、松竹の旅行シリーズの1作目、主人公は紀勢線の専務車掌のフランキー堺で、父親はSLの機関手の伴淳三郎。そこに、新宮駅前で寿司の弁当屋をやっている、笠置静子と新珠三千代の母娘が対置される。紀伊半島は、当時新婚旅行のメッカだったようで、さまざまなカップルが登場するが、メインは独身のこの4人がどうなるかである。いろいろな取り違えもあるが、伴淳と笠置静子は無事夫婦になる。フランキーに惚れているのが、観光船のガイドの倍賞千恵子で、この二人のどちらと一緒になるかが最後のドラマだが、たぶん彼は、依然として新珠をとるだろうことを示唆して終わる。ドラマとしては、なにもないが、このフランキー堺と新珠三智代が松竹に出ているのが不思議である。この二人は、もともとは東宝だったが、この時期は松竹にも出ていた。西河克己の説で...松竹への逆輸入『喜劇・大安旅行』
今日、12月8日は、日本軍の真珠湾攻撃等があり、太平洋戦争があった日である。この大本営発表のニュースの映像は、みな見ているだろうと思う。だが、あの軍人が発表している映像は、実はやらせで、二回目なのである。真珠湾攻撃は、秘匿されていたので、誰も知らず、当時の唯一のニュース映画社だった日本映画社も知らなかったので、撮影できなかった。そこで、急遽駆けつけて、もう一度やってもらって撮影したのである。よく、あれはアメリカに騙されたもので、ルーズベルト大統領は攻撃を知っていたという俗説があるが、これも嘘だと分かると思う。日本のニュース映画で最大のやらせは
東京や京都には、日本人はほとんど知らないが、外国人観光客には非常に有名な施設がある。前から聞いていたが、本当に行ったのは、1991年夏のパシフィコ横浜のオープニングイベントの一つとしてやった「国連ピースメッセンジャー都市会議」でのことだった。これは、有名な南学(みなみ・まなぶ)先生を担当として横浜市国際室がやったものだった。私は、その年の正月から3月まで、富士宮にあった国際貿易研修センターに英語研修で派遣されていたので、戻ってきてからは、ほとんどどうでも良い仕事をやらされた。開会日当日は、国際室での電話番で、なかで驚いたのは、「式典で演奏する新日本フィルの方にバイオリンを貸すのだが、会場はどこでしょうか」だった。オーケストラの演奏者の中には、他人が所有する楽器で演奏する人もいるのだ、と。会期が終わった日曜...外国人には有名な場所
1961年の内田吐夢監督作品、5部作で、なんども見ているが、ユーチューブにあったので、見る。その後の作品とかなり違うことに気づく。冒頭、関ヶ原で大坂方として負けて泥沼を中村錦之助と木村功が這いずり回っているところから始まる。かなり長くて、ここは満州国に行き、そのまま中国に残って苦闘した内田の体験が反映していると思う。木村は、野盗の情婦だった木暮美千代とできてしまうが、この辺は実に戦後的風景のように見える。それにしても、木暮は戦後的で「実に色っぽいなあ」と思う。武蔵は、伊吹山から故郷の岡山に戻ってくるが、大坂方の残党狩りが行われている。その首領が花沢徳衛と言うのが良い。善人役が多い花沢だが、実に憎々しく、二言目には入江若葉のお通に言い寄る。この人は、戦前からの共産党で、たぶん死ぬまで共産党支持だったと思う。...『宮本武蔵』
私の友人で、一番付き合いが長かった下川博が、今年の1月2日に死んでいたことが分かった。少々、驚いた。彼とは、同学年で、ただ彼は一浪して文学部に入ってきたので、劇団では1年下だった。彼は、両親が先生で、私の父も教師だったこともあり、また、私は池上、彼は横浜の本郷台だったので、高田馬場から品川に出て、京浜東北で帰っていたので、自然と話すようになり、いろいろと議論するようになった。一つだけ違うのは、彼は、巨人・長嶋ファンで、私は大学時代から江夏・阪神ファンだったので、そこだけは意見が一致しなかった。彼は、文学部に5年いたのち、大学院に入り、安堂信也先生のゼミに入った。彼は、後に安堂先生の遺稿集を作っているが、これは大変に立派なものだった。私は、横浜で普通の公務員生活をしていたが、2年くらいして、何度か劇場で会う...下川博が死んでいた
私は、中学生時代は、ラジオ少年で、ラジオを作っていた。当時、高価だった受信機を自作し、FM放送を聴いていたこともあり、そこでは柴田南雄先生や小泉文夫先生の現代音楽や民俗音楽等を聴いたものだ。同時に、モダンジャズも好きになり、そこからウォーマッドへの道もできたわけだ。その中で、一時警察無線を聞いていた時期がある。今は違うが、約40年前の当時は、セキュリティーが緩くて、さすがに警察署間の無線などは無理だったが、パトカーと警察署間の無線などは、普通に傍受できた。聴いていると、実にのんびりとしたもので、その大半が、無銭飲食、ボヤ等の類で、大事件などないのだ。「警察も、こんなのに付き合っているのか、大変だなあ」と思ったものだ。ちなみに、傍受するだけでは違反にはならず、他に漏らしたときは、問題になると思うが。さて、こ...警察無線
これです 『ウォーマッド横浜 歴史に消えた日本のビッグフェステイバル』
12月21日に、Pヴァイン社から出ます。1991年夏に横浜で始まったウォーマッド横浜、同時に富山県南砺市で始まった『スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド』前者は、1996年で終わったが、後者は今も行われている。そして、1997年から「フジロック・フェステイバル」が始まるのだ。この本は、ウォーマッド横浜を企画して、実行へと導いた私の本である。多数の写真の他、ピーター・バラカンさんや松村洋氏らの寄稿もいただき、日本におけるフェステイバルの意義、経過等もきちんと記述しています。また、こうしたフェステイバルが、1950年代以降の世界的なサブ・カルチャーの興隆の中で起きたことも書いています。音楽のみならず、映画、演劇等の状況にも触れています。ぜひ、お読みください。これです『ウォーマッド横浜歴史に消えた日本のビッグフェステイバル』
横浜市港湾局の管財第一係長になった時は、いろいろな事業に会ったが、中で珍しいものの一つが「排砂管事業」で、たぶん誰も知らないだろうと思う。これは、市の事業ではなく、国(建設省河川局)の事業で、鶴見川の土砂を大型パイプで排出して、大黒ふ頭の埋め立て土砂とするものだった。当時、鶴見川の脇を大きなパイプが置いてあって、大黒ふ頭まで延ばし、埋め立てに使っていたのだ。ここには、もちろん、土地の使用料と残土を捨てるときの料金ももらうという、横浜市にとっては、大変においしい事業だった。そして、国は、我々の言うままに、きちんと料金を払ってくれた。大黒での、首都高と357号線の建設については、生意気な建設省の出先の係長と喧嘩したこともあったが、ここでは非常に平和的に事が進んだものだ。鶴見川整備の一つとして紹介しておく。排砂管事業
渡辺謙主演のシリーズの5作目は、『キングの身代金』で、言うまでもなく黒澤明監督の『天国と地獄』の原作で、これもほとんど同じ。脚本は、鎌田敏夫。臨海部に住む会社社長の綿引勝彦と松本留美の子が誘拐されるが、実は運転手斎藤暁の子だったというのも同じ。違うのは、犯人が黒澤では、貧乏医学生の山崎努だが、ここでは主犯は、元保母の川上麻衣子、相棒の中丸新将の二人組になっている。身代金の取り換えなどがあるが、最後は川上が、6年前のやはり誘拐事件で、警視庁のエリート警部に犯人と間違われたことの仕返しであることが分かる。黒澤作品の、横浜の丘の上に住む三船敏郎と、下部の貧乏長屋に住む山崎の恨みという貧富の差が原因というのはなくなっている。階級的格差の消滅だろうか。最後、二人を身代金も手にして、成田空港から、カナダ航空機で飛びた...『わが町Ⅴ』
汪兆銘と言えば、日中戦争中に、中国に親日政権を作ったとして、「漢奸」とされる人物だが、1944年に名古屋の病院で病死している。その原因は、1935年に受けた対日強硬派の一味による銃撃の弾が体内の残っていたものだというのも象徴的である(汪精衛というのは、ペンネームだそうで、本名は汪兆銘)。要は、中国人にとっては、許せない人物だったのだろうか。汪は、広東省に生まれ、生家は大して裕福ではなかったが、勉学は優秀で科挙試験に合格し、日本に留学させられる。法政大で、フランス法学を学び、中国同盟会に入り、当時の清朝の王子の一人(溥儀の父親)の暗殺未遂により、死刑判決を受けるが、終身禁固に減刑されている内に清朝が倒れて無罪になる。辛亥革命の挫折で、渡仏し、1925年の孫文の死で戻り、広州の国民政府の主席になる。以後おおむ...『日中戦争下の汪兆銘政権を再考する』
いろいろと口座のチェックがあり、横浜駅東口に行く。昼は、地下のポルタの杵屋にする。ここは、味も値段もまあまあだと思う。このチェーンは、大阪和泉の水間鉄道の親会社なのだ。水間鉄道は、南海貝塚駅から水間観音までを結ぶローカル線である。元は、この地域の繊維産業の企業の出資によって出来た鉄道であるようだ。南海と関係は深いが、まったくの資本関係等はないようだ。そして、一時会社更生法が適用されたとき、杵屋が完全子会社化したとのこと。鉄道が、飲食をやっているのは多いが、飲食チェーンが、鉄道を子会社に持っているのは珍しいと思う。杵屋は、水間鉄道の親会社
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日本映画が、アカデミー賞で2本受賞したのは、喜ばしいが、どちらも技術的である。日本映画の黒澤明、小林正樹、小津安二郎、溝口健二らも結局は職人的仕事の見事さに成立していたと思う。だから、映画『オッペンハイマー』のような作品は出てこない。日本にも興味深い人間はいた。陸軍の石原莞爾など、最高ではないか。満州事変を起こし、満州国を作ったが、東條英樹によって陸軍を追われる。この数奇な運命を、幼い小澤征爾の目から描けば、と思うのだが。職人芸の日本映画
夜、確定申告を終える。去年は、3月15日に出したので、今年は非常に早いことになる。今日の午前中に横浜南税務署に出しに行く。確定申告、終了
「3月は、31日ではなく、50日までありますから・・・」と聞いたのは、1989年12月末に、パシフィコ横浜から横浜市総務局国際室に異動した時だった。1989年度の国際室の調査事業で、2本も委託業者も決まっていないものがあり、「指田課長、すぐに業者を決めて事業を始めてください!」と言われ、驚いて、担当の荒木田百合さんに聞くと、「各年度事業は、3月31日ではなく、5月31日までにできれば良いんです」と平然と返された。その度胸には、大変に驚いたものだ。正月になってから、2社の委託業者を決めて、いろいろバタバタと調査をやり、最後は、業者が持ってきた下手な作文を、ほとんど私が改作して5月上旬に無事「報告書」を作って終わった。当時は、「出納閉鎖期間」というものがあり、各年度の事業は5月末に終了すればよいとなっていたの...3月は、31日では終わらないんです・・・
石原裕次郎、浅丘ルリ子の映画でベストと思われるのが、舛田利雄監督の『赤いハンカチ』である。このラストシーン、裕次郎とルリ子が別れるシーンは、墓場のようなところだ。昨日の『第三の男』を見て、これのラストシーンに類似しているなあと思った。私は、こういうことを否定しているわけではなく、肯定している。大衆文化では、引用はよくあることで、日本でいえば「本歌どり」であるのだから。『赤いハンカチ』のラストシーン
映画『第三の男』の舞台は、オーストリアのウィーンで、ここは第二次世界大戦後は、複雑な状況にあった。戦時中は、ドイツだったオーストリアは、東から侵攻してきたソ連軍によって占領されたが、イギリス、アメリカ、フランスによってウィーンは、分割統治されていた。その中で起きたのが、この映画の物語なのだ。1990年、翌年に開催される「国連ピースメッセンジャー都市会議」への参加誘致に、日本のウィーン市代表部の方に聞いたことがあった。ソ連占領後は、複雑な経緯があったようだが、最後は中立国になった。そこについては、「飲ませる、抱かせる、掴ませる」などの手を使ってのオーストリアの外交手法があったとのことだ。さすがハプスブルグ家の伝統だと思った。ウィーンは、今ももう一度行ってみたい都市である。ウィーンについて
『カサブランカ』のリメイクが日活の『夜霧よ今夜も有難う』なのは有名だが、『第三の男』もリイメイクされている。赤木圭一郎主演の『霧笛が俺を呼んでいる』で、共演は芦川いづみで、赤木が横浜に探しに来る旧友で、実は悪になっている男は、葉山良二なのだ。また、赤木の妹として吉永小百合が出ていることも貴重である。舞台は、いうまでもなく横浜と横浜港であり、芦川は、港のキャバレーの歌手で、歌を唄うのだが、ここではなぜか吹替えになっている。主題歌はもちろん赤木が歌うがこれが実に下手で参る。監督は山崎徳次郎で、この人は言わば職人的な監督だが、かなり良い作品を作っているが、最後は笹川財団の金で捕鯨の映画を撮って失敗したようだ。意外なのは、脚本が熊井敬であり、私はこの人は、新藤兼人と同様、脚本はすごいが、監督はどうかなあと思われる...『第三の男』のリメイクは
桜の映画と言えば、鈴木清順の名作『けんかえれじい』で高橋英樹が、浅野順子と見に行く夜桜も大変に美しい。浅野順子は、可愛いかった割に映画に出ていないと思っていたら、実は結構出ている。それも大映京都の時代劇である。浅野寿々子1957.07.30十七才の抵抗日活...可奈子の幼少時代1958.11.15赤胴鈴之助黒雲谷の雷人大映京都...しのぶ1958.12.21赤胴鈴之助どくろ団退治大映京都...しのぶ1959.11.22薄桜記大映京都市川雷蔵の代表作で、森一生の映画『薄桜記』で、堀部安兵衛の勝新太郎と婚姻を結ぶ少女が、浅野順子なのである。当時は、まだ十代のはずだが、かわいかったので、わざわざ大映京都までよばれて演じたのだ。本当に大橋巨泉に見込まれて結婚引退してまったのは、実に残念なことだったが。桜の映画と言えば
近年、桜の花が咲くのが早くなっているが、地球温暖化の性なのか。花見が出てくる映画もいろいろあるが、私が一番好きなのは、川島雄三監督の『花影』である。この映画の最後の方で、複数の男との関係を経てきた銀座のクラブの女給池内淳子は、最初の男である池辺良と夜桜を見に行く。そこは、青山墓地で、夜桜が美しいが、岡崎宏三と美術スタッフが作った人工の桜だったはずだ。ここのシーンに来ると、一生に一度、こんなにきれいな女と夜桜を見たいなと思うのである。美しい花見の映画
今日、3月8日は、私の誕生日で、76歳になった。今朝、低気圧の影響で雪が降ったが、5歳ごろのときも、東京池上だったが、大雪が降って家の前の電線が切れて停電になっり、お誕生日の祝いができるか、本当に心配したこともあった。さて、1947、1948、1950年生まれは、250万人もいたそうだが、去年の出生者数は、75万人だそうで、30%であり、人口減少社会である。人口は、そのエリアの力の元で、明治維新で薩摩や長州が徳川幕府を倒したのも、幕末は農業等の改良で西日本の人口が増加していたとの説もある。だが、人口に頼っていた社会はもう古いと思う。人口等による経済成長のみに頼っている社会ではなく、経済的停滞でも豊かな生活をおくれる社会を目指すべきだと思うのである。誕生日に思う
五百旗頭真先生の死亡は、急性「大動脈乖離」で、これは石原裕次郎もやったことがあった。実は、私も「動脈乖離」で倒れたのだが、心臓につながる大動脈乖離ではなく、右脳の大動脈乖離で、これは非常に珍しいものだそうだ。もちろん、脳内で動脈乖離が起き、その結果右脳の一部で梗塞が起きたので、脳梗塞となったのである。そのとき、「これは稀な症例とのことで、遺伝子等を調べるから」と血液を採取されて、研究に使用する許可を求められて、もちろん承諾したことがあった。その結果、どのように医学的研究が進んだかは、知らないが。唯一、私が医学の進歩に「貢献した」例である。同じ動脈乖離だが・・・
まるで、大島渚の映画『青春残酷物語』みたいだと思う。映画では、桑野みゆきは高校生で、川津祐介は大学生だったのだが。この映画では、桑野と川津の方が死んでしまうのだが。川津祐介も、桑野みゆきの姉久我美子の元恋人で医者の渡辺文雄もとっくに死んでいて、監督の大島渚も、撮影の川又昂も、音楽の真鍋理一郎も亡くなられている。その後、結婚して引退した桑野みゆきは、ご健在なのだろうか。MSN.COMSNSで美人局、大学生を転落死させた疑い中学生3人を逮捕・通告SNSで知り合った20代の男性から金を奪おうとし、逃げようとした男性をビル4階から転落させ、死亡させたとして、大阪府警は7日、大阪市中央区の中学2年の少女(14)と堺市北区の中学3年の少年(15)を強盗致死の疑いで逮.....まるで映画『青春残酷物語』みたいだ
東証の株価が4万円を越えて、40年前の水準を越えたと大騒ぎである。懐かしのバブル時代だが、私もパシフィコ横浜の営業部にいたとき、1回だけ「贅沢三昧」があった。それは、何かの医学界で本郷の東大医学部に営業に行った後のこと。パシフィコ横浜の上司の課長の他、JTBの担当の方もいて、5人くらいで行き、そのまま上野のカラオケ店に行った。そこでずっと飲んで歌ったのだが、すぐに時はすぎて、「帰ろう」となった。店のマスターが、9時ごろからずっと電話をしていて、11時ごろにタクシーが捕まったので、皆タクシーで帰った。私も会社発行のタクシー券で、横浜まで帰ったのだ。この程度のことだったが、今考えれば信じがたいことだった。40年前の「贅沢三昧」
この本は、この数年に読んだ本で一番面白かった。朝妻一郎と言えば、1960年代以降、日本のポピュラー音楽のLPを見ると必ず解説を書いていた方で、非常に年上の方だと思い込んでいた。だが、この本を読んで、私より5歳上の方だと分かり驚いた。朝妻さんは、高校時代にポール・アンカが好きになり、彼の後援会の代表になる。その時、経済観念の鋭かったポール・アンカは、自分で権利を管理する会社を作り、レコード会社も変えてしまい、日本の発売元も代わった。そこで、日本のレコード会社に頼れなくなったことから、渋谷のヤマハの紹介で、朝妻少年は、ニッポン放送の高崎一郎氏に紹介されて、アルバイトで助手をすることになる。そして、歌曲の権利管理会社のフジパシフィック・ミュージックの社員となり、日本のポピュラーの音楽の発展に多大な貢献をされるよ...『高鳴る心の歌』朝妻一郎
大谷将平の結婚話で、マスコミのすべてが占領されているが、実は大谷選手のご両親は、横浜にいたのだ。彼の父親は三菱重工横浜の野球部にいて、レギュラーの選手だったが、そこでバドミントンをやっていた女性と知り合って結婚して生まれたのが、大谷翔平君なのだ。彼は、非常にまじめで親の生き方をよく見ていると思うので、結婚相手は、彼の母親のような方ではないかと私は推測する。こんなことは、本来関係者だけの問題で、大谷ではないが、「皆さんがうるさい」ことに他ならないのだ。大谷の両親は横浜にいた
これも笑いはなしで、あろ日、佐藤栄作首相が聞いたそうだ。「なかそね、みき君はどうしているかね」秘書は言った、「中曾根康弘氏と三木武夫氏は・・・」「違うよ、仲宗根美樹君のことだよ」後に沖縄返還に尽力された佐藤栄作氏の言葉のようだ。佐藤栄作が言った「なかそね、みき君はどうしているかね」
歌手の中曽根美樹が亡くなったそうだが、結構映画にも出ている。また、吉永小百合、浜田光夫の映画『愛と死を見つめて』では、この二人が仲宗根の『川は流れる』を唄っている。この映画では、今テレビの朝ドラの主人公の笠置シズ子が、吉永と病院の同室の患者の叔母さんとして出ている。この頃、笠置は歌手をやめていたのである。仲宗根美樹1963年(キングレコードの広告)映画[編集]うるさい妹たち(1961年大映)東海一の若親分(1961年東映)海猫が飛んで(1962年松竹)しのび逢い(1962年松竹)太平洋戦争と姫ゆり部隊(1962年大蔵映画)川は流れる(1962年松竹)その結婚異議あり(1963年大映)独立美人隊(1963年松竹)魚河岸の旋風娘(1963年松竹)BACKSTAGE/バックステージ(2001年日活)仲宗根美樹、死去、79歳
昨日は、106年前に2・26事件がおきたときで、この時期になると「新資料」が出て来たものだが、この数年はない。さすがに100年も経つと関係者はもとより、遺族ももういなくなったからだろう。さて、この事件は、戦前の最大の事件の一つであり、日本の近代史の問題点の集中である。それは、日本は大日本帝国憲法で、一応立憲君主制を定めたが、思想的には前近代的な「君民一体」思想を持っていたからだ。日本は、天皇を祖とする大きな家族であるという神話で、個々の日本人と天皇は、もとをただせば同じと言う馬鹿げた考えである。人口学によれば、縄文時代に日本には、すでに30万人の住民がいたそうで、「君民一体」などありえないのだ。天皇制的神話が、一番嫌いだったのは、実は昭和天皇であり、だから2月26日に事件がおきた時、すぐに「反乱軍」を制圧...もう出てこないだろう2・26事件資料
昨日の朝日新聞に、元首相の宮沢喜一氏の日録があり、遺族から委託されて御厨貴先生らが編纂されているとの記事があった。いずれ、公開されるらしいが、ぜひ見てみたいものだ。日本の首相の中で、宮沢喜一氏は、もともとエリートで、高級官僚だった人の典型であり、その最後の方だったと思う。この人は、自分で言っているが、政策は得意だったが、人の動向を見るのは苦手で、1993年に自民党の小沢一郎らが反乱を起こして、宮沢内閣不信任案が可決されたとき、まったくその動きを知らなかったのだそうだ。おそらく「そんなことはあるまい」と思っていたのだろう。このときの感想はぜひ読んでみたいと思っている。同じ東大卒の高級官僚でも、人事にたけていたのは、佐藤栄作で、彼は、常に『国会便覧』を読み、さまざまな人事情報を頭に入れていたそうだ。だから、佐...『宮沢喜一日録』の存在
映画『ZK』、頭脳警察を見て、食わず嫌いだったことを悔いた。彼は、赤軍などの左翼過激派との関係が言われたが、その本質は、抒情的なメロディメーカーであることが分かった。それは、彼(パンタ)は、埼玉の所沢に生まれ育ったことで、アメリカ軍基地の文化を浴びたからだったと思う。それは、レゲエのボブ・マーリーにも類似していると思う。ボブは、他のレゲエ歌手とは異なるクールさがあるが、彼はイギリス人の父親とジャマイカ人の母との間に生まれたことが、その理由だと私は思うのである。横浜シネマベティ『ZK』を見て
女優の山本陽子が死んだそうだが、81とは女性では若死にと言うべきか。彼女の出演歴は以下のとおりで、数は多いが、まあ端役である。目立ったのは、裕次郎・浅丘ルリ子の名作『赤いハンカチ』で、二谷英明の裏切りで殺人犯にされ、ルリ子と二谷が結婚した豪邸の女中役で、私も最初に気づいた映画だった。後は、『猟人日記』でも、仲谷昇の餌食にされる女の一人にすぎなかったと思う。いずれにしても、日活時代は大した役はなかったが、1974年の東宝の『華麗なる一族』での万俵家の長男田宮二郎の妻が適役だったと思う。ゴシップ的に言えば、この頃から田宮二郎との関係はあったのかと思うが。テレビで成功した俳優であることは間違いなく、元日活でいえば、男では杉良太郎、女優では山本陽子が第一だと思う。杉良太郎など、沖雅也や藤竜也の遥か下だったのだから...山本陽子、死去、81歳
日本映画が、アカデミー賞で2本受賞したのは、喜ばしいが、どちらも技術的である。日本映画の黒澤明、小林正樹、小津安二郎、溝口健二らも結局は職人的仕事の見事さに成立していたと思う。だから、映画『オッペンハイマー』のような作品は出てこない。日本にも興味深い人間はいた。陸軍の石原莞爾など、最高ではないか。満州事変を起こし、満州国を作ったが、東條英樹によって陸軍を追われる。この数奇な運命を、幼い小澤征爾の目から描けば、と思うのだが。職人芸の日本映画
夜、確定申告を終える。去年は、3月15日に出したので、今年は非常に早いことになる。今日の午前中に横浜南税務署に出しに行く。確定申告、終了
「3月は、31日ではなく、50日までありますから・・・」と聞いたのは、1989年12月末に、パシフィコ横浜から横浜市総務局国際室に異動した時だった。1989年度の国際室の調査事業で、2本も委託業者も決まっていないものがあり、「指田課長、すぐに業者を決めて事業を始めてください!」と言われ、驚いて、担当の荒木田百合さんに聞くと、「各年度事業は、3月31日ではなく、5月31日までにできれば良いんです」と平然と返された。その度胸には、大変に驚いたものだ。正月になってから、2社の委託業者を決めて、いろいろバタバタと調査をやり、最後は、業者が持ってきた下手な作文を、ほとんど私が改作して5月上旬に無事「報告書」を作って終わった。当時は、「出納閉鎖期間」というものがあり、各年度の事業は5月末に終了すればよいとなっていたの...3月は、31日では終わらないんです・・・
石原裕次郎、浅丘ルリ子の映画でベストと思われるのが、舛田利雄監督の『赤いハンカチ』である。このラストシーン、裕次郎とルリ子が別れるシーンは、墓場のようなところだ。昨日の『第三の男』を見て、これのラストシーンに類似しているなあと思った。私は、こういうことを否定しているわけではなく、肯定している。大衆文化では、引用はよくあることで、日本でいえば「本歌どり」であるのだから。『赤いハンカチ』のラストシーン
映画『第三の男』の舞台は、オーストリアのウィーンで、ここは第二次世界大戦後は、複雑な状況にあった。戦時中は、ドイツだったオーストリアは、東から侵攻してきたソ連軍によって占領されたが、イギリス、アメリカ、フランスによってウィーンは、分割統治されていた。その中で起きたのが、この映画の物語なのだ。1990年、翌年に開催される「国連ピースメッセンジャー都市会議」への参加誘致に、日本のウィーン市代表部の方に聞いたことがあった。ソ連占領後は、複雑な経緯があったようだが、最後は中立国になった。そこについては、「飲ませる、抱かせる、掴ませる」などの手を使ってのオーストリアの外交手法があったとのことだ。さすがハプスブルグ家の伝統だと思った。ウィーンは、今ももう一度行ってみたい都市である。ウィーンについて
『カサブランカ』のリメイクが日活の『夜霧よ今夜も有難う』なのは有名だが、『第三の男』もリイメイクされている。赤木圭一郎主演の『霧笛が俺を呼んでいる』で、共演は芦川いづみで、赤木が横浜に探しに来る旧友で、実は悪になっている男は、葉山良二なのだ。また、赤木の妹として吉永小百合が出ていることも貴重である。舞台は、いうまでもなく横浜と横浜港であり、芦川は、港のキャバレーの歌手で、歌を唄うのだが、ここではなぜか吹替えになっている。主題歌はもちろん赤木が歌うがこれが実に下手で参る。監督は山崎徳次郎で、この人は言わば職人的な監督だが、かなり良い作品を作っているが、最後は笹川財団の金で捕鯨の映画を撮って失敗したようだ。意外なのは、脚本が熊井敬であり、私はこの人は、新藤兼人と同様、脚本はすごいが、監督はどうかなあと思われる...『第三の男』のリメイクは
桜の映画と言えば、鈴木清順の名作『けんかえれじい』で高橋英樹が、浅野順子と見に行く夜桜も大変に美しい。浅野順子は、可愛いかった割に映画に出ていないと思っていたら、実は結構出ている。それも大映京都の時代劇である。浅野寿々子1957.07.30十七才の抵抗日活...可奈子の幼少時代1958.11.15赤胴鈴之助黒雲谷の雷人大映京都...しのぶ1958.12.21赤胴鈴之助どくろ団退治大映京都...しのぶ1959.11.22薄桜記大映京都市川雷蔵の代表作で、森一生の映画『薄桜記』で、堀部安兵衛の勝新太郎と婚姻を結ぶ少女が、浅野順子なのである。当時は、まだ十代のはずだが、かわいかったので、わざわざ大映京都までよばれて演じたのだ。本当に大橋巨泉に見込まれて結婚引退してまったのは、実に残念なことだったが。桜の映画と言えば
近年、桜の花が咲くのが早くなっているが、地球温暖化の性なのか。花見が出てくる映画もいろいろあるが、私が一番好きなのは、川島雄三監督の『花影』である。この映画の最後の方で、複数の男との関係を経てきた銀座のクラブの女給池内淳子は、最初の男である池辺良と夜桜を見に行く。そこは、青山墓地で、夜桜が美しいが、岡崎宏三と美術スタッフが作った人工の桜だったはずだ。ここのシーンに来ると、一生に一度、こんなにきれいな女と夜桜を見たいなと思うのである。美しい花見の映画
今日、3月8日は、私の誕生日で、76歳になった。今朝、低気圧の影響で雪が降ったが、5歳ごろのときも、東京池上だったが、大雪が降って家の前の電線が切れて停電になっり、お誕生日の祝いができるか、本当に心配したこともあった。さて、1947、1948、1950年生まれは、250万人もいたそうだが、去年の出生者数は、75万人だそうで、30%であり、人口減少社会である。人口は、そのエリアの力の元で、明治維新で薩摩や長州が徳川幕府を倒したのも、幕末は農業等の改良で西日本の人口が増加していたとの説もある。だが、人口に頼っていた社会はもう古いと思う。人口等による経済成長のみに頼っている社会ではなく、経済的停滞でも豊かな生活をおくれる社会を目指すべきだと思うのである。誕生日に思う
五百旗頭真先生の死亡は、急性「大動脈乖離」で、これは石原裕次郎もやったことがあった。実は、私も「動脈乖離」で倒れたのだが、心臓につながる大動脈乖離ではなく、右脳の大動脈乖離で、これは非常に珍しいものだそうだ。もちろん、脳内で動脈乖離が起き、その結果右脳の一部で梗塞が起きたので、脳梗塞となったのである。そのとき、「これは稀な症例とのことで、遺伝子等を調べるから」と血液を採取されて、研究に使用する許可を求められて、もちろん承諾したことがあった。その結果、どのように医学的研究が進んだかは、知らないが。唯一、私が医学の進歩に「貢献した」例である。同じ動脈乖離だが・・・
まるで、大島渚の映画『青春残酷物語』みたいだと思う。映画では、桑野みゆきは高校生で、川津祐介は大学生だったのだが。この映画では、桑野と川津の方が死んでしまうのだが。川津祐介も、桑野みゆきの姉久我美子の元恋人で医者の渡辺文雄もとっくに死んでいて、監督の大島渚も、撮影の川又昂も、音楽の真鍋理一郎も亡くなられている。その後、結婚して引退した桑野みゆきは、ご健在なのだろうか。MSN.COMSNSで美人局、大学生を転落死させた疑い中学生3人を逮捕・通告SNSで知り合った20代の男性から金を奪おうとし、逃げようとした男性をビル4階から転落させ、死亡させたとして、大阪府警は7日、大阪市中央区の中学2年の少女(14)と堺市北区の中学3年の少年(15)を強盗致死の疑いで逮.....まるで映画『青春残酷物語』みたいだ
東証の株価が4万円を越えて、40年前の水準を越えたと大騒ぎである。懐かしのバブル時代だが、私もパシフィコ横浜の営業部にいたとき、1回だけ「贅沢三昧」があった。それは、何かの医学界で本郷の東大医学部に営業に行った後のこと。パシフィコ横浜の上司の課長の他、JTBの担当の方もいて、5人くらいで行き、そのまま上野のカラオケ店に行った。そこでずっと飲んで歌ったのだが、すぐに時はすぎて、「帰ろう」となった。店のマスターが、9時ごろからずっと電話をしていて、11時ごろにタクシーが捕まったので、皆タクシーで帰った。私も会社発行のタクシー券で、横浜まで帰ったのだ。この程度のことだったが、今考えれば信じがたいことだった。40年前の「贅沢三昧」
この本は、この数年に読んだ本で一番面白かった。朝妻一郎と言えば、1960年代以降、日本のポピュラー音楽のLPを見ると必ず解説を書いていた方で、非常に年上の方だと思い込んでいた。だが、この本を読んで、私より5歳上の方だと分かり驚いた。朝妻さんは、高校時代にポール・アンカが好きになり、彼の後援会の代表になる。その時、経済観念の鋭かったポール・アンカは、自分で権利を管理する会社を作り、レコード会社も変えてしまい、日本の発売元も代わった。そこで、日本のレコード会社に頼れなくなったことから、渋谷のヤマハの紹介で、朝妻少年は、ニッポン放送の高崎一郎氏に紹介されて、アルバイトで助手をすることになる。そして、歌曲の権利管理会社のフジパシフィック・ミュージックの社員となり、日本のポピュラーの音楽の発展に多大な貢献をされるよ...『高鳴る心の歌』朝妻一郎
大谷将平の結婚話で、マスコミのすべてが占領されているが、実は大谷選手のご両親は、横浜にいたのだ。彼の父親は三菱重工横浜の野球部にいて、レギュラーの選手だったが、そこでバドミントンをやっていた女性と知り合って結婚して生まれたのが、大谷翔平君なのだ。彼は、非常にまじめで親の生き方をよく見ていると思うので、結婚相手は、彼の母親のような方ではないかと私は推測する。こんなことは、本来関係者だけの問題で、大谷ではないが、「皆さんがうるさい」ことに他ならないのだ。大谷の両親は横浜にいた
これも笑いはなしで、あろ日、佐藤栄作首相が聞いたそうだ。「なかそね、みき君はどうしているかね」秘書は言った、「中曾根康弘氏と三木武夫氏は・・・」「違うよ、仲宗根美樹君のことだよ」後に沖縄返還に尽力された佐藤栄作氏の言葉のようだ。佐藤栄作が言った「なかそね、みき君はどうしているかね」
歌手の中曽根美樹が亡くなったそうだが、結構映画にも出ている。また、吉永小百合、浜田光夫の映画『愛と死を見つめて』では、この二人が仲宗根の『川は流れる』を唄っている。この映画では、今テレビの朝ドラの主人公の笠置シズ子が、吉永と病院の同室の患者の叔母さんとして出ている。この頃、笠置は歌手をやめていたのである。仲宗根美樹1963年(キングレコードの広告)映画[編集]うるさい妹たち(1961年大映)東海一の若親分(1961年東映)海猫が飛んで(1962年松竹)しのび逢い(1962年松竹)太平洋戦争と姫ゆり部隊(1962年大蔵映画)川は流れる(1962年松竹)その結婚異議あり(1963年大映)独立美人隊(1963年松竹)魚河岸の旋風娘(1963年松竹)BACKSTAGE/バックステージ(2001年日活)仲宗根美樹、死去、79歳
昨日は、106年前に2・26事件がおきたときで、この時期になると「新資料」が出て来たものだが、この数年はない。さすがに100年も経つと関係者はもとより、遺族ももういなくなったからだろう。さて、この事件は、戦前の最大の事件の一つであり、日本の近代史の問題点の集中である。それは、日本は大日本帝国憲法で、一応立憲君主制を定めたが、思想的には前近代的な「君民一体」思想を持っていたからだ。日本は、天皇を祖とする大きな家族であるという神話で、個々の日本人と天皇は、もとをただせば同じと言う馬鹿げた考えである。人口学によれば、縄文時代に日本には、すでに30万人の住民がいたそうで、「君民一体」などありえないのだ。天皇制的神話が、一番嫌いだったのは、実は昭和天皇であり、だから2月26日に事件がおきた時、すぐに「反乱軍」を制圧...もう出てこないだろう2・26事件資料
昨日の朝日新聞に、元首相の宮沢喜一氏の日録があり、遺族から委託されて御厨貴先生らが編纂されているとの記事があった。いずれ、公開されるらしいが、ぜひ見てみたいものだ。日本の首相の中で、宮沢喜一氏は、もともとエリートで、高級官僚だった人の典型であり、その最後の方だったと思う。この人は、自分で言っているが、政策は得意だったが、人の動向を見るのは苦手で、1993年に自民党の小沢一郎らが反乱を起こして、宮沢内閣不信任案が可決されたとき、まったくその動きを知らなかったのだそうだ。おそらく「そんなことはあるまい」と思っていたのだろう。このときの感想はぜひ読んでみたいと思っている。同じ東大卒の高級官僚でも、人事にたけていたのは、佐藤栄作で、彼は、常に『国会便覧』を読み、さまざまな人事情報を頭に入れていたそうだ。だから、佐...『宮沢喜一日録』の存在
映画『ZK』、頭脳警察を見て、食わず嫌いだったことを悔いた。彼は、赤軍などの左翼過激派との関係が言われたが、その本質は、抒情的なメロディメーカーであることが分かった。それは、彼(パンタ)は、埼玉の所沢に生まれ育ったことで、アメリカ軍基地の文化を浴びたからだったと思う。それは、レゲエのボブ・マーリーにも類似していると思う。ボブは、他のレゲエ歌手とは異なるクールさがあるが、彼はイギリス人の父親とジャマイカ人の母との間に生まれたことが、その理由だと私は思うのである。横浜シネマベティ『ZK』を見て
女優の山本陽子が死んだそうだが、81とは女性では若死にと言うべきか。彼女の出演歴は以下のとおりで、数は多いが、まあ端役である。目立ったのは、裕次郎・浅丘ルリ子の名作『赤いハンカチ』で、二谷英明の裏切りで殺人犯にされ、ルリ子と二谷が結婚した豪邸の女中役で、私も最初に気づいた映画だった。後は、『猟人日記』でも、仲谷昇の餌食にされる女の一人にすぎなかったと思う。いずれにしても、日活時代は大した役はなかったが、1974年の東宝の『華麗なる一族』での万俵家の長男田宮二郎の妻が適役だったと思う。ゴシップ的に言えば、この頃から田宮二郎との関係はあったのかと思うが。テレビで成功した俳優であることは間違いなく、元日活でいえば、男では杉良太郎、女優では山本陽子が第一だと思う。杉良太郎など、沖雅也や藤竜也の遥か下だったのだから...山本陽子、死去、81歳