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大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」 https://blog.goo.ne.jp/goo1120_1948

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です。多くのジャンルをさ

大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」
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2014/09/26

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  • テナントが変わっていた 横浜ポルタ

    今週は、用があって横浜駅西口のポルタに行った。個々の店には行っていたが、今回は少し時間があったので、全体を見ることになった。随分とテナントが代わっているのにあらためて気づいた。レコード店や2軒あった書店もなくなっていて、その跡にはコンビニになっていた。ポルタは、できた当初は、客入りが悪くて、駅ビルのルミネの方が儲かっているように見えたが、今はそうでもないようだ。ともかく、夏休みなので、人が多いのには参る。テナントが変わっていた横浜ポルタ

  • 日本は「エバ国家」だそうだ

    旧統一教会の教祖文鮮明の言によれば、韓国はアダムで、日本はエバ(イブ)なのだそうだ。どこやら、朝鮮半島の形を男根に見立てたもので、笑ってしまうが、日本のどこが女陰なのだろうか。びわ湖あたりのことだろうか。しかし、こういう俗説は、巷では信じられやすいところがある。本当に、旧統一教会というのは、本当に変な連中である。今回のテレビの報道では、合同結婚式で、日本人妻が、韓国の男と結婚し、韓国の農村にいて、ただの労働力として使われていて非常にひどい状態に置かれていて、悲惨なようだ。これは、良く報道されてきた北朝鮮への日本人妻の悲劇と同じのように見える。これは、南北の国は異なるが、対日本への対応は同じと言うことなのだろうか。日本は「エバ国家」だそうだ

  • 「きれい好き、夜はすこぶる汚たな好き」

    小津安二郎の映画で、中村伸郎が言った台詞である。この辺の上品な猥褻さが、小津安二郎の真骨頂だと私は思うのだ。「昼は、聖女のごとく、夜は娼婦のごとく」という言葉があるが、原節子は、その典型だったと思うのだ。2008年に出た白坂依志夫の「シナリオ別冊」の『白坂依志夫の世界』は、1960年代以降の日本映画界が、セックスとクスリ(麻薬ではなく、ハイミナール等の睡眠薬である)が蔓延していたことを暴露したとんでもない本だが、この176ページにさらにとんでもないことが書かれている。東宝のプロデューサーだった藤本真澄について書かれたもので、彼の告白は、「原節子に、実は惚れてたンだよ、昔だけどね。できたら結婚したいなんて若気の至で思ったンだが、その時、ホラ、熊谷久虎。知ってるだろう、姉さんの旦那さ。あの右翼野郎と出来ている...「きれい好き、夜はすこぶる汚たな好き」

  • 日本維新の会について

    維新の会だが、私は彼らを評価するところもある。それは、政治、ことに選挙にエンターテイメントを導入したことだ。日本の政治、選挙は非常に面白くない。だが、選挙は、民主主義のお祭りであり、本当はじつに面白い物なのだ。それを法令でガンジガラメニしてひどく詰まらないものにしているのが、日本の選挙である。長く、日本の政治の中心にいた自民、社会も本質的にまじめ人間の集まりだったので、それを良しとしてきたのだ。そこに維新は、やたらに変な騒ぎを持ち込み、エンターテイメント化してきた。それは、創始者の橋下徹の特異性にも拠っている。タレント弁護士というのも奇妙な例だが、要は口先だけの三百代言である。今回の参議院選もそうだが、議員にタレントが多いのも、元が橋下であることに起因している。今度の選挙で。もし安部晋三元首相殺害事件がな...日本維新の会について

  • ロック・フェステイバルについての本は

    先日、朝日新聞の記者のロック・フェステイバルについての間違いを指摘したが、その原因のひとつに、関連した本がないことがある。中で、一番良いのは、永井純一氏の『ロック・フェスの社会学』(ミネルバ書房)がある。日本ポピュラー音楽学会で、お会いしたときにも、「調べるのに大変でした。『ミュージック・マガジン』を見直して書いたんです」と言っておられた。これについては、私も自分がやったウォーマッド横浜について、いずれ書くことにしていますので、ご期待いただきたいと思う。ロック・フェステイバルについての本は

  • 『肉体犯罪海岸・ピラニアの群れ』

    1973年の日活ロマンポルノ作品。タイトルに水槽のピラニアが金魚を食べるカットがある。湘南海岸のピラニアと呼ばれる不良の連中4人、リーダーは中村良二で、その恋人は梢ひとみである。海辺に豪邸があり、小泉郁之助が、娘の潤ますみと住んでいて、女房は絵沢萌子で、当然夫の目を盗んで、娘の婚約者と若い男とできてている。ピラニア達は、豪邸に押し入るが、その方法は、家人の声が鍵になっているので、絵沢の声をテープレコーダーに吹き込んでいて、それで開ける。分厚い扉は、ガスバーナーで焼き切るという乱暴な方法。そして、ピラニアたちは、絵沢、潤、そして女中らを次々と強姦し、部屋に閉じ込める。だが、翌日、小泉の会社の職員が定例で来て、事件を発見し、双方で撃ち合いとなる。だが、その時、中村は、娘の潤を連れて、逃げてモーターボートで海へ...『肉体犯罪海岸・ピラニアの群れ』

  • 国葬とは

    安部晋三元首相が亡くなられて、冥福を祈る気持ちはあるだろう。だが、それを国葬でやるとは、どういうことなのか。岸田首相の、日本会議など保守への配慮なのだろうか。ともかく違和感があるのは、私だけではないだろう。前の国葬は、吉田茂元首相で、1967年のことだった。この時、当時私が付き合っていた女性も(まったくのノン・ポリだったが)、テレビでの国葬の映像の裏にベートーベンの『英雄』が流されていて、「なにこれ・・・」と思ったそうだ。戦後の民主主義社会に反する行事だと思うが、「戦後レジームからの脱却」を掲げた安部晋三元首相にはふさわしいことなのだろうか。国葬とは

  • 安部晋三元首相殺害をどう考えるか

    なかなか難しい問題だと思う。犯人山上は、「安部晋三元首相の思想に反対なのではない」と言っている。旧統一教会の思想的立場から考えれば、山上と安部晋三は、ほぼ同じだろうと思える。だが、少し離れた目で見れば思想的立場は、ほとんど同じではないかと思えるのに、激しく闘争する例は、いくらでもある。日本の新左翼が行なって来た、愚劣な「内ゲバ」がそうである。革マルと中核の殺仕合いが代表だが、実にくだらないことだった。他の党派間や党派内でも、内ゲバはあった。その際に起こるのは、近い者同士ほど、激しい闘争になったことである。いわゆる近親憎悪である。近いが故に離れられず、遠い物よりも強く憎みあうことだ。山上容疑者にとって、一番に憎むべきは、母親であり、旧統一教会であるはずだが、それはできず安部晋三元首相になったわけだ。その心性...安部晋三元首相殺害をどう考えるか

  • フジ・ロックが嚆矢ではない

    17日、月曜日の朝日新聞に、スマッシュの日高正博さんのインタビューが載っていて、1997年のフジ・ロック・フェステイバルが、現在の日本の野外ロック・フェステイバルの始まりだと書かれていた。これは、明かな間違いだ。1991年には、横浜のみなとみらいで、ウォーマッド横浜91が開催され、同時に富山県南砺市で、スキヤキ・ミィーツ・ザ・ワールドも始められているのだ。ウォーマッド横浜も、1996年まで行なわれたし、スキヤキ・ミィーツ・ザ・ワールドにいたっては、現在も実施されている。もちろん、日本でのロック・フェステイバルは、ニッポン放送がやった「箱根アフロディーテ」や福島の郡山のロック愛好者たちがやった「ワン・ステップ・ビヨンド・フェステイバル」もあったが、それらは単発だった。別に自慢するわけではないが、ウォーマッド...フジ・ロックが嚆矢ではない

  • 吉村公三郎の心情だろうか 『雨の鈴鹿川』

    『剣客商売』の『雨の鈴鹿川』を見ると監督が吉村公三郎だった。1973年なので、かなり晩年の作品である。私は、以前、次のように書いた。「桑野みゆき特集」、彼女の最後の出演作品。富裕な男(田村高広)と婚約していた上流階級の娘桑野が、女たらしのピアニスト細川俊之と一緒になり、身を持ち崩し最後は娼婦になる話。最後の作品としては最低。原作谷崎潤一郎、脚本新藤兼人、監督吉村公三郎。昔、見て「詰まらなかった」と思い込んでいた。だが、今回見て、一度も見ていないことが分かったが、やはりひどかった。多分、この時期の吉村公三郎作品として、川端康成原作で若い女の裸だけを売り物にした駄作『眠れる美女』があり、それと混同していたようだ。恐らく、予告編を見て、その時に「ひどい」と思い、見なかったのだろう。表現のセンスが信じられないくら...吉村公三郎の心情だろうか『雨の鈴鹿川』

  • アメリカで最高の価値はセクシーだそうだ

    デモクラシータイムスの佐高信の対談に、作家の石川好が出てきて、自身のアメリカでの体験を下に、「アメリカで最高の価値は、セクシーである」と言っていて、そうだと思った。性的な表現を解放したのは、確かにアメリカで、それが芸術のみならず、政治、経済、社会のすべての力の根源だとも思える。そうしたアメリカ的価値に反対で、戦前的価値の天暴力を暴力を旨とする「戦後レジームからの脱却」を戦前的価値の暴力で殺されてしまったのは、なにを意味しているのだろうか。アメリカで最高の価値はセクシーだそうだ

  • 吉村公三郎の心情だろうか

    以前、私は、吉村公三郎の『堕落する女』について、次のように書いた。『堕落する女』桑野みゆきの最後の出演作品。富裕な男(田村高広)と婚約していた上流階級の娘桑野が、女たらしのピアニスト細川俊之と一緒になり、身を持ち崩し最後は娼婦になる話。彼女の最後の作品としては最低。原作谷崎潤一郎、脚本新藤兼人、監督吉村公三郎。昔、見て「詰まらなかった」と思い込んでいた。だが、今回見て、一度も見ていないことが分かったが、やはりひどかった。多分、この時期の吉村公三郎作品として、川端康成原作で若い女の裸だけを売り物にした駄作『眠れる美女』があり、それと混同していたようだ。恐らく、予告編を見て、その時に「ひどい」と思い、見なかったのだろう。表現のセンスが信じられないくらい古い。桑野と田村がセックスするシーンでは、ミミズのカットが...吉村公三郎の心情だろうか

  • 『薄化粧』

    1985年の松竹映画だが、製作に映像京都が入っている。彼らも、この頃は勢いがあったのだが、今はなく、その場所だった大映京都撮影所もない。太秦中学校になっていて、入口に石碑が建っているだけである。話は、実話だそうだが、殺人と脱獄をした男で緖形拳が演じる。彼が演じた殺人犯と言えば、今村昌平の『復讐するは我にあり』が有名だが、これはよく似ているが、少し劣るだろう。冒頭に、木造長屋を爆破して全速で逃げる緖形が出てくるが、実はこれが最後の犯罪なので、筋の展開としてやや混乱する。彼は、浅利香津代の妻の他、何人もの女と関係し、浅野温子、宮下順子、藤真利子らとの濡れ場が見所だろう。中では、藤真利子がとても良いと思う。だが、この映画の最大の見所は、四国などの奥地の飯場等の、当時の日本の下層社会の実態だと思う。俗に、美術で一...『薄化粧』

  • 後陣乗太鼓を見たことがある

    録画してあった水谷豊の地方新聞の通信局員のドラマを見ていると、能登の後陣乗太鼓が出てきた。これを見たことがあるなと思う。1965年正月のアートブレイキー公演で、サンケイホールだった。まだ、ファンキーブームが日本に残っていて、何度目かの来日公演だった。正月だったので、ロビーでは薦被りが置かれているなど、にぎやかな公演だった。そこにこの太鼓が出てきた。ブレイキーがドラムスだと言っても、日本の太鼓との共演とは。よくあるイベントだが、伝統音楽は、演奏を変えないので、いつまでやっても変わりはなく、共演は常に退屈なものになる。こうした企画を最初に見たときだった。サンケイホールでは、この前に「テイク・ファイブ」のデーブ・ブルーベックも見たことがあるなど、当時ジャズのコンサートは大抵サンケイホールだった。その後、消防法の...後陣乗太鼓を見たことがある

  • 『空いっぱいの涙』

    題名は良いが、中身はダメという作品があるが、これはその典型だと思う。1966年の松竹映画で、主演は田村正和で、若手人気歌手で、もちろん歌うのだが、これが実にド下手。『二人の銀座』の和泉雅子も、音痴なのだが、あれは山内賢が上手くカバーしているので聴けるが、これは田村だけなので、本当にひどい。こんなレベルでよくレコードを出したものだと思う。田村が、田舎の道路をスポーツカーで飛ばしていると、ダンプカーの追い抜きに会う。抜きつ抜かれつしているダンプカーの運転主は、藤岡重慶で、中村晃子に運転させているが、結局、ダンプは炉端の店に突っ込んでしまい火事を起こす。田村は、中村を自分の車に乗せてあげるが、自分が歌手であることを中村が見抜くと、道路に置き去りにしてしまう。田村は、女性マネージャー小畠絹子と同居していて、彼女の...『空いっぱいの涙』

  • 未発表原稿の価値は

    テレビを適当に廻していたら、井上ひさしの未発表原稿が鑑定に掛けられて、300万円とされた。途中から見たので、経緯は分らないが、この出した女性が持ってきた井上ひさしの未発表原稿が本物だとしても、価値と所有権はあるのだろうか。私は、所有権はないと思う。文学の価値と権利は、つまり著作権は、書かれている中身にあり、原稿そのものにはないからだ。昔、編集者の安原顕が、村上春樹の小説の原稿を古本屋に売っていた事件があったが、これも同様で本来は価値がなく、著作権は原稿にはないからだ。まあ、一部の好事家にしか原稿そのものの意味はないと思うのだ。ただ、井上ひさしが亡くなっている今日、その権利は娘たちにあるはずで、彼女らと原稿の所有者との話し合いになると私は思う。私が思うのは、晩年の井上のメインのテーマである、天皇制批判がある...未発表原稿の価値は

  • 戦後レジームは、脱却できたのか

    銃撃で亡くなれた安部晋三元首相について書くと、死者に対して不謹慎だと来るだろう。だが、ここは冷静に書いておきたい。彼が、首相になってすぐに唱えたのが「戦後レジームから脱却」である。1945年の敗戦後、日本社会党の片山哲内閣以外の政権は、自民党によって担われてきたのだから、戦後レジームからの脱却は、自民党政治を否定することで、これは自己矛盾以外のなのものでもないと思った。だが、なんと言うことか、安部晋三元首相は、一人の男の銃撃で亡くなれてしまった。まさしく、戦前のテロの時代のように。だが、一つだけ、戦前と大きく異なることがある。それは、銃撃の犯人を称賛する意見が見られないことである。戦前の首相等の要人テロの際は、多く犯人側を称える言説があった。それは、原敬射殺から2・26事件に至るまで、被害者よりも加害者を...戦後レジームは、脱却できたのか

  • エンドタイトルでドンドン出て行くのは・・・

    先日の『エルビス』でもそうだったが、エンド・タイトルになると、客がドンドン出て行く。場内は未だ暗いので、階段で苦しんで降りたりしている。まことにご苦労さんなことだとつくづく思う。確かに、英字がゾロゾロと続くだけだから見たくないのは分る。ただ、「ここで大逆転になって話がひっくり返ったらどうするのだろうか」と、いつも思う。私は、根が貧乏性なので、絶対に最後まで見ることにしている。エンドタイトルでドンドン出て行くのは・・・

  • 『エルビス』

    エルビス・プレスリーの映画は、高校時代に『ラスベガス万歳』や『ブルーハワイ』見てほとんど関心しなかった。だが、1970年代になっての『エルビス・オン・ステージ』や『エルビス・オン・ツアー』は、かなり感動した。いずれも、横浜市中区長者町にあった元オデオン座の隣の横浜ピカデリーである。横浜ピカデリーは、横浜の松竹洋画の最上位の映画館で、今は横浜シネマリンとなっている地下の劇場は、SYチェーンの館で格下だった。エルビスは、ワーナー系で、今はワーナーは、MGM傘下になっているらしい。MGMは、一度潰れて映画製作は辞めたはずだが、他の事業で盛り返して、MGMやユナイトも所有しているとのこと。この辺のアメリカの映画産業の推移は、私にはよく分らない。プレスリーは、アメリカ中西部の白人最下層の家に生まれ、黒人居住地区内で...『エルビス』

  • 文鮮明は、

    安部晋三元首相の事件で、話題となっている統一教会の文鮮明だが、音楽評論家の中村とうようさんは、「すごいアジテーターだ!」と書いていた。1980年代だと思うが、統一教会は、日本伝導をやっていて、日本武道館でその大会をやった。中村とうようさんも、好奇心の強い方で、わざわざ武道館に見に行ったそうだ。中身は、もちろん賛同できないが、「すごいアジテーターだ!」と感じたそうだ。「武道館の天井まで、マイクなして声が届いていた」そうで、大変な迫力だったとのこと。たしかにそうだろうと思う。人間を信じさせるのは、理屈ではなく、感動なのだから。雑誌「ミュージック・マガジン」の「とうようズ・トーク」に書かれていたことである。文鮮明は、

  • 「映画表現と音 『マダムと女房』」

    国立映画アーカイブ小ホールで、同アーカイブと日本映画・テレビ録音協会の共催で、セミナーが行なわれた。このセミナーは、今回が二回目とのことだが、非常に面白かった。まず、『マダムと女房』が上映される。たぶん、3回目くらいだが、非常に音が良い。監督は五所平之助で、主演は田中絹代、渡辺篤、伊達里子などの当時の松竹で一番の俳優たちである。冒頭で、劇作家の渡辺が、道で絵を描いている横尾泥海男とやりとりする。横尾は、まさにデカイ男で、渡辺は小柄なので、ここはアメリカの喜劇のデカとチビのギャグで、城戸四郎は、こういう喜劇のルーティーンが好きだったそうだ。渡辺は、新作をすぐに書かなければならないが、家中の妻や娘の立てる音で集中できない。その時、隣家の洋館からジャズが聞えてきて、行くとモダンなマダムがいて歌っている。伊達は、...「映画表現と音『マダムと女房』」

  • 統一教会の映画があった

    以前、阿佐ヶ谷のラピュタで見たのは、統一教会の金で作られた映画だった。1987年、スパイ防止法制定を目的に作られた井上梅次監督作品で、某宗教団体の資金で作られたとの噂もある。メジャーでの公開はできず、地方の公民館や集会で上映されたというが、意外にもきちんと作られていて、当初は大手会社での公開を目指していたことがわかる。警視庁の公安課の刑事柴俊夫らの、B連邦共和国や北方共和国(あきらかにソ連と北朝鮮)のスパイの黒猫との戦いを描くものだが、井上梅次作品なので、城北大学ラクビー部の柴俊夫、国広富之、榎木孝明、高岡健二らが、敵味方に別れて戦う筋書きになっている。これは、井上梅次の監督作品『暗黒街最後の日』で、大学時代の友人だった鶴田浩二と丹波哲郎が暴力団と刑事に別れて対立するのと同じ構成である。初めは、B連邦共和...統一教会の映画があった

  • 『八甲田山』

    参議院選挙の開票が進み、当然にも自民・公明が勝利したので、バカバカしいので録画していたのを見る。創価学会が、製作と券売に協力して大ヒットした森谷司郎監督作品ではない。日・伊合作のドキュメンタリー的映画である。森谷司郎は好きだったので見たが、最大の不満は、青森、弘前の連隊がどこをどう歩いているのか、ほとんどわからないことだった。あれで、両連隊の動きが分った人がいたのだろうかと思った。ここでは、青森連隊の動きが地図上で、線画も使ってきちんと説明される。「ああ、ここで迷ったのか」と納得できる。この大惨事には、何度も不孝な偶然が重なったことが分る。最終版では、生き残りの方の証言も出てくる。もちろん、この方も凍傷で、両足の膝下を失っている。そして、結論としては、明治になってまだ30年で、徳川時代の武士の道徳の「生き...『八甲田山』

  • 『銀嶺の王者』

    1960年4月の松竹映画、冬季オリンピック、スキーのアルペン競技の金メダリストのトニー・ザイラーを迎えて作った作品。トニーは、スキー選手の後にドイツの映画に出て成功していた上、彼が歌った『白銀は招くよ』も日本でもヒットしていた。映画は、オーストリアの冬山で雪崩事故があり、その責任を感じて、トニーは、旅に出る。なぜ、日本に来たのかは説明がないが、貨物船でトニーは働いていて、同僚の南原宏治と一緒に東京に来る。スキー用品店に来て、鰐淵晴子と会う。鰐淵は、ドイツとのハーフなので、流ちょうなドイツ語で、映画の筋を進行させる。トニーは、本人であることを隠していて、トニー・ベートーベンと名乗るが、この名前が凄い。彼らは、南原の故郷の白馬に行くが、南原の父笠智衆は、寺の住職で村の名士で、三井弘治は、山小屋をやっていて救助...『銀嶺の王者』

  • レーガン事件を思い出す

    安部晋三元首相が銃撃されて亡くなった。まことに悲痛なことであり、ご冥福をお祈りしたい。さて、このテレビの映像を見ていて、思いだしたのは、1981年3月にアメリカの当時のレーガン大統領が銃撃された時のことだ。病院に運ばれたとき、レーガンは医者に聞いた。「君は、民主、共和どちらの党かね」医者は言った「私は民主党です。でも今日だけは共和党です」なかなかユーモアのある会話だと大変に感心した。担架で病院に運ばれるとき、安部晋三は、どう思っていたのだろうか。事情はまだ分かたないが、元海上自衛隊員の男だったというのは非常に皮肉に思える。憲法を改正し、自衛隊を国軍にすることを長年にわたり尽力してきた来た安部が、自衛隊員に殺されるとは、現実は実に皮肉なものだと言うべきか。レーガン事件を思い出す

  • 『さそり』

    これは、東映の梶芽衣子のではなく、1967年、松竹で水川淳三監督、佐藤友美主演の作品。佐藤の主演とはいえ、前半は伊藤雄之助の浮気の話である。小さなスーパーの社長の伊藤は、女好きで、出張先の名古屋で、ブルーフィルム上映会場で見つけた佐藤とホテルに行く。ブルーフィルムの上映というのも、1960年代にはよくあり、地方の温泉街には必ずで、伊東もそれで有名だったとのこと。伊藤は、佐藤を東京に連れてきてアパートに住まわせる。伊藤の妻は菅井きんで、彼女や家族には非常にケチな生活を強制している。佐藤は、マンションで優雅に暮らしているが、そこに名古屋から石立鉄男がやってくる。彼は、佐藤のおさな馴染みで、ブルーフィルム上映会の受付をやっていた男で、要はポン引きなのだ。二人で楽しんでいる時に、伊藤がやって来て騒動になるが、その...『さそり』

  • 金門島紛争について

    先日見た石原裕次郎の『金門島にかける橋』だが、最後は金門島の軍隊(国府軍)や人々に中国(中共軍)が航空機で、空爆してきて、主人公の女性は死んでしまう。当時、金門島と馬祖島に対して大陸側からの攻撃はあり、テレビの海外ニュースでも報じられていた。だが、ほとんどは砲撃であり、直接の空軍による攻撃はなかったように記憶している。本当に空爆等があったのだろうか、少々疑問に思った。この映画が作られた1962年から10年後には、中国と日本は国交回復してしまう。そして、国連での代表権も、台湾から中国へと代わってしまう。まことに、政治は変わるものである。金門島紛争について

  • 民謡酒場

    さんざ批判した映画『外濠殺人事件』だが、一つだけ興味深い、貴重な映像があった。それは、城山順子が働く場所で、浅草の民謡酒場の「おばこ」である。その名の通り、酒場の中の舞台で、東北民謡の一座がいて、歌っているのだ。この時期は、まだ民謡が盛んで、また1960年は、東京オリンピクックの直前で、道路や地下鉄工事で、出稼ぎの人も多かったので、こうした故郷の民謡を聞かせる店があったのだと思う。また、明治以降、日本の芸能で一番の人気だったのは、実は浪花節と民謡だった。それが、1960年代末に演歌に代わる。演歌は伝統音楽ではなく、この時期に出来た新しい音楽なのである。そのことは、三波春夫、村田英雄の二人が元は浪花節語りで、同様に三橋美智也が、同様に民謡歌手だったことでも明かだろう。民謡酒場

  • 同伴席について

    同伴と聞いて、すぐに思い浮かべるのは、同伴喫茶だろう。そこは、席が二人づつで、背もたれが高く、全部前を向いている。つまり、男女二人が前を向いて座るようにできていた。そこで何が行なわれるかは、店は関与しない。以上は、喫茶店だが、映画館でも、同伴席があった。これは、元々は、男女別々に席が設けられていたことに起因している。当時は、映画館では、男女別々に席が作られていて、右だか、左だか忘れたが、その女性席に向けて、長谷川一夫は、秋波をおくっていたという挿話もあるくらいだ。そこで、男女二人でいたい人たちは、同伴席に行くのだ。大抵は、二階にあって、料金もすこし高かったようだ。この遺物があったのが、横浜の若葉町の横浜大勝館だった。私が通った1970年代は、「毎日オールナイト」で、旅館代わりに泊りに来る浮浪者がいて、ひど...同伴席について

  • 1968年の映画・2

    1968年に私が見た映画について書く。4月に、新宿松竹で加藤泰と『皆殺しの霊歌』と関川秀雄の『いれずみ無残』を見ている。この2本は、元東映の監督で、松竹としては異質で、当たったようだ。特に、後者の『いれずみ無残』は、相当に変な映画だったが、ヒットしたので、すぐに関川秀雄の監督、荒井千寿子の主演で続編が作られた。荒井は、大船の大部屋女優で、体がでかいだけだったと思うが、ヒットしたのだから恐ろしい。松竹では、大島渚の『帰って来たヨッパライ』があり、これは途中で同じ箇所が繰り返される作品で、見たものはすべて戸惑った。この映画で、松竹の怒りを買ってしまい、以後大島作品は松竹で上映されなくなる。この時期、松竹では、従来の城戸四郎路線が変えられて、大島の他、篠田正浩、吉田喜重など、元松竹だが、出ていった連中の作品も上...1968年の映画・2

  • 『外濠殺人事件』

    これは、昔から見たいと思っていた作品だった。「映画評論」だと思うが、新人監督特集で「ひどく古い」と書かれていたからだが、本当にひどい作品だった。タクシー運転手の大木実は、夜中道路に飛び出してきた女・城山順子に遭って、急ブレーキで止まるが、女は足に怪我をする。同情した大木は、彼女を自分の下宿に連れてくるが、これが相当にボロで、1960年にこんな家があったのかと思う。そこには、やはり会社の同僚の大泉滉もいるが、独身の二人は同じ部屋にいる。こんなことがあったのかと思う。女は、なにかはっきりしない女で、何をするでもなく、結局大木に頼っていて、最後は結婚することになる。そこに、ヤクザ風の男・諸角啓二郎が現れて、城山をあるバーに世話したとき、彼女の義兄に世話料として3万円を渡したが、彼女はすぐに店を辞めてしまった。「...『外濠殺人事件』

  • 『金門島にかける橋』

    昔の合作映画には、ろくなものがないが、これもその一つだろう。1962年、台湾の中央電影との合作作品だが、時代設定は1958年になっている。台湾の金門島に、貨物船が入ってきて、その船医が、石原裕次郎で、彼は4年前に日本の敬愛病院の医師だった頃を思い出す。朝鮮戦争の負傷者が、病院に運びこまれていて、手当をしているが、恋人の姿を求めてきた麗春に会う。華春を演じたのは、台湾の女優・華欣で、酒井和歌子に似ていて、すこしきつくした感じだ。恋人をなくして傷心の彼女に、裕次郎は惹かれてしまう、彼には、恋人の芦川いづみがいるのだが。また、裕次郎は、戦争で死んだ父の友人で製薬会社社長三津田健の助力でドイツに留学して医師になり、芦川はその娘なのだが。空襲で両親をなくした裕次郎は、戦争を憎んでいるという設定になっている。また、裕...『金門島にかける橋』

  • 『ローレル・キャニヨン』

    ロスアンゼルスの近郊にローレル・キャニヨンという場所がある。丘陵地で、細い道路の脇に住居が点在しているところだったようだ。そこに、バーズの連中が来て、住むようになる。そこには、ママス&パパスやモンキーズのミッキー・ドレンツなども住んでいて、それは1960年代の西海岸のヒッピームーブメントの盛上がりのなかで、1967年のモンタレー・ポップ・フェスタイバルになる。それには、アメリカのロック、ポピュラー音楽の連中のみならず、ラビー・シャンカールなどの非西欧世界のアーチストも出ていたのだった。さらに、1969年のウッドストックになり、ロックはアメリカ全土を覆い、ロスに全国からミュージシャンが来るようになる。ジョニ・ミッチェルとリンダ・ロンシュウタットが最高のミュージシャンだったろう。だが、その中で、1969年8月...『ローレル・キャニヨン』

  • トロイ・ドナヒュー

    テレビでユーチューブを見ると、トロイ・ドナヒューの『恋愛専科』と「アルディラ」をやっている。この映画は、高校1年の夏、蒲田国際で見たと思う。スクーターで、イタリアを旅する彼らの姿は、いいなあと思って、憧れたものだ。当時、トロイ・ドナヒューは、金髪長身の二枚目で、本当に絵に書いたような美男子だった。相手のスザンヌ・プレシエットも、実にきれいだった。だが、1972年に就職して10年後、ある局にいるとき、好き者の若者が集まって映画会をやっていた。そこに出ていたのは、トロイ・ドナヒューで、結構面白い作品のポルノ映画だった。舞台は、サンフランシスコで、出演者がケーブルカーに乗っているシーンを憶えている。彼は、いろいろあり、61歳で亡くなったとのこと。美人薄命ならぬ、美男薄命か。トロイ・ドナヒュー

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