京都39番「妙法院」~神仏霊場巡拝の道・58(天台三門跡の一も今や外資に・・)
神仏霊場巡拝の道めぐりは、前回のあみだくじで出た京都39番・妙法院に到着。東山通り沿いに山門があるが、境内の入口はもう少し北である。雨の中しばらく歩く。妙法院は最澄が開いたとされ、天台宗の三門跡の一つとして伝えられているが、歴史上に出てくるのは平安末期の後白河法皇の時代である。譲位後、院政の場として整備したのが法住寺殿で、先ほど訪ねた三十三間堂(蓮華王院)や新日吉社、新熊野社などを建立した。そして、それらを傘下として管理したのが妙法院である。元々は比叡山の西塔に属していたが、後白河法皇の時に洛中に移ったとされる。さらに現在地に移ったのは、方広寺(京の大仏)の管理も任せられるようになってのことで、桃山時代から江戸時代にかけてとされる。幕末には土佐藩が御所として借り上げており、三条実美ら尊王攘夷派の公家たちの...京都39番「妙法院」~神仏霊場巡拝の道・58(天台三門跡の一も今や外資に・・)
2023/07/31 21:06