中皮腫になった親父の息子である俺が病気の事、闘病記、家族の気持ちを書き記したり吐き出したりする場所。
突如として親父を襲った病気中皮腫。 親父の闘病、そして家族の気持ちを書き綴れたら、そして親父が今を生きている証を残せたらという想いで始めたブログです。 ただ三日坊主な俺がやってるのでいつまで書き綴るかは俺にもわからない。 そんな無責任な感じの俺が管理人のブログです。
先程の記事で闘病の記録は最後となります。この後病理解剖の話が出てくるのですがそれは後日改めたいと思います。このブログを始めた時は親父は生きてました。そしていずれは来るであろう親父の死をまさかこんなに早く経験する事になるとは思ってませんでした。一度は手術も
続けます。急変の連絡を受け家族皆で病院へ駆けつけた。親父は個室に移されており色々なモニターを付けられていた。そこに先生が来て皆さんこれが最後になります兎に角声をかけてください。言いたい事を伝えたい事を全て伝えてあげてください! 家族皆で親父を囲み顔を覗き
引き続き更新していきます。緊急入院になり病室で親父と別れる際親父はそれを拒んだ。しかし病院に付き添う事は原則出来ない決まりとなっており親父を説得して私達は自宅へ戻った。翌日お見舞いに行くと親父は酸素吸入をしていた。spo2が下がったらいずれはする事だったので
こんばんは、珍しく夜に更新してみます。色々と必要な事や緊急時の対応等を聞いて準備を整えて緩和ケアに移行した親父。まず二階の寝室から一階のリビングへベッドを移動し最小限の移動で生活が出来る様にした。血圧、spo2、呼吸音を聞くために血圧計、パルスオキシメーター
引き続き更新させていただきます。家族に余命宣告を受けた事を伝えた翌日、本人を交えた家族全員で説明を受けた。胸膜中皮腫には抗がん剤が効果を示しているが腹膜中皮腫には効果が出てなく進行すらみられる事。この事から抗がん剤を続けるか緩和ケアに移行するか判断する段
ここまで来ると正直もうこの闘病の記録が終わりに近づいている事を感じつつ更新をさせていただきます。中皮腫の再発から抗がん剤治療を始めて2クール目の入院初日だったか親父が吐血をした。1クール目が終わり退院してきた親父は食事もほぼ摂れず痩せていったそして嘔吐がひ
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