なぜ、特に同性愛を問題にするのか? さて、私が長々と同性愛を問題にして記事を書いている理由は何でしょうか。実は、このことが他の罪と比較して特に罪深いからではありません*1。神に対する罪はどれも全て重大なのですから…。また、同性愛の問題を取り上げるのが、単に「理解できない」「生理的に嫌だ」という理由であってもならないと思います。「理解できる」「生理的には別にOK」と思っている事柄でも、それが罪であるということも多々あるからです。それが罪であるか否かは、我々の感情によって規定されるわけでは絶対にありません。 *1:デューク大学のリチャード・ヘイズは、ローマ1章について次のように語る。「パウロが同性…
主イエスは何を語られたか? ある人々は、「イエスは別に同性愛に反対するような発言をしていない」と言います。確かにそうです。でも、主イエスはそれを肯定するような発言もなさっていませんし、福音書記者が「もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。」(ヨハネ21:25)と語っているように、主イエスの言動は、全てが記録されているわけではありません。福音書に直接記録されていないということなら、近親相姦、獣姦、幼児に対する性的虐待などについての言及もないのです。
しばらく前のものですが、以下のリンク記事を読んで考えさせられることが多くありました。以前にも少し記しましたが、「同性愛」「同性婚」について、私の考えを記したいと思います。はじめに断っておきますが、私は多くの部分でこの記事の著者の主張に同意できません。しかし、部分的には理解や共感のできることも書かれていました。 同性婚は聖書の教えに反するの? そう思う人に読んでほしい。www.huffingtonpost.jp
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