やさしい聖書入門『箴言4:14-17』23. 私たち人間は、一人の例外(れいがい)なく、自分の経験(けいけん)をもとに生きています。たとえば大声でおびやかされてきた人は、大きな声を聞くと「こわい」と感じるでしょうし、春や夏に楽しい思い出をたくさん持っている人は、そ
やさしい聖書入門『箴言3:35』20. 私たちは自分で物事(ものごと)を考え、自分がどうするのかや、なにをいうのかを決めます。それらはぜんぶ、自分のこころの中でやるわけです。 自分のこころの中のことを自分でぜんぶわかっているわけではありませんが、でも「考えた」と
やさしい聖書入門『箴言3:34』19. 今回のかしょには、いい気になって、ほかの人のことを「たいしたことない」って思う人のことを、神さまの方がそう思うと書かれています。そしてその反対に、自分はそんなにえらくない、それどころかいろんな人たちにたすけてもらいながら生
やさしい聖書入門『箴言3:31-33』18. 今回のかしょには、まず暴虐(ぼうぎゃく)、つまり乱暴(らんぼう)で人をくるしめるようなことをへいきでやるような人のことを、「うらやましい」と思ってはいけないと書かれています。 もしかしたら、そんな人のことを「うらやまし
やさしい聖書入門『箴言3:29-30』17. 今回のかしょには、やさしく言い直すとつぎのようなことが書かれています。あなたのみじかな人にわるいことをしてはいけない、あなたに何(なに)もわるいことをしていないのにだれかとあらそってはいけないと。 これをよんで「そんな
やさしい聖書入門『箴言3:27-28』16. 私たちには自分以外の人とかかわる、たくさんの機会(きかい)があります。だれかになにか話す機会、へんじをする機会、しない機会、しんせつにする機会、しんせつにしない機会というように…。 そして「機会がある」ということがあま
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やさしい聖書入門『箴言4:14-17』23. 私たち人間は、一人の例外(れいがい)なく、自分の経験(けいけん)をもとに生きています。たとえば大声でおびやかされてきた人は、大きな声を聞くと「こわい」と感じるでしょうし、春や夏に楽しい思い出をたくさん持っている人は、そ
やさしい聖書入門『箴言4:7‐13』22. ほんとうにだいじなことというものは、「さいしょだけだいじ」とか、「さいごだけだいじ」というものではありません。さいしょからさいごまで、ずっとだいじです。知恵(ちえ)はまさにそれです。 しかし、それがなかなかわからないの
やさしい聖書入門『箴言4:1-6』21. 私たちには、だれかからなにかを教えてもらう機会(きかい)というものがあります。そして教えてもらうといってもいろいろです。 勉強(べんきょう)や料理(りょうり)のしかたもあれば、自転車ののりかたのようなものもあります。そし
表出(ひょうしゅつ) このところ、ある県の知事が「職業差別だととられかねない発言」をしたといって、ニュースで取り上げられている。 そもそもいったいマスコミはなぜ「職業差別だととられかねない」というような、奥歯にもののはさまった言い方をしているのか。あれは
やさしい聖書入門『箴言3:35』20. 私たちは自分で物事(ものごと)を考え、自分がどうするのかや、なにをいうのかを決めます。それらはぜんぶ、自分のこころの中でやるわけです。 自分のこころの中のことを自分でぜんぶわかっているわけではありませんが、でも「考えた」と
やさしい聖書入門『箴言3:34』19. 今回のかしょには、いい気になって、ほかの人のことを「たいしたことない」って思う人のことを、神さまの方がそう思うと書かれています。そしてその反対に、自分はそんなにえらくない、それどころかいろんな人たちにたすけてもらいながら生
やさしい聖書入門『箴言3:31-33』18. 今回のかしょには、まず暴虐(ぼうぎゃく)、つまり乱暴(らんぼう)で人をくるしめるようなことをへいきでやるような人のことを、「うらやましい」と思ってはいけないと書かれています。 もしかしたら、そんな人のことを「うらやまし
やさしい聖書入門『箴言3:29-30』17. 今回のかしょには、やさしく言い直すとつぎのようなことが書かれています。あなたのみじかな人にわるいことをしてはいけない、あなたに何(なに)もわるいことをしていないのにだれかとあらそってはいけないと。 これをよんで「そんな
やさしい聖書入門『箴言3:27-28』16. 私たちには自分以外の人とかかわる、たくさんの機会(きかい)があります。だれかになにか話す機会、へんじをする機会、しない機会、しんせつにする機会、しんせつにしない機会というように…。 そして「機会がある」ということがあま
やさしい聖書入門『箴言3:25-26』15. 私たち人間は、よほどめぐまれた人でないかぎり、なにかについて「こわい」と感じることがあります。じっさいにこわいめにあったことのない人でも、テレビでみたこわいシーンがわすれられないという人もいますし、それに夜こわい夢(ゆ
やさしい聖書入門『箴言3:21-24』14. あなたはいま、自転車にのって、どこか知らないところへ向かっているとしましょう。 あなたが小さくてまだ自転車にのれなかったころは、練習(れんしゅう)のとき、「右足のペダルをふんで、つぎは左足のペダルをふんで…」と、こころ
恵まれた者たちにあわれみをなあ、考えてみてはどうだい?たとえば、そうだなバイクのバリエーションの中にツアラーってバイクがある文字通り乗り手が旅をすることを意識して設計されたバイクだこういうバイクで旅をするのはたしかに楽だゆったりしたポジションに余裕のある
遠い道程なかばで遠い道程なかばで力尽きてしまい冷たい道に伏して後は死を待つだけだったこの身神に従ったところで受けるのはこんなものかと砂を噛む想いで一度は滅びるに身を任せたでもこんな死の谷の乾いた砂の中でさえなんとイエスよあなたはわが先に生きておられた生き
やさしい聖書入門『箴言3:13-20』13. 今回のかしょには、「知恵(ちえ)」というもののたいせつさがたくさん書かれています。 知恵というと、なにかむずかしいことのように思えるかもしれませんね。まして今回のかしょにいろんなことがたくさん書かれているのをみて、ます
やさしい聖書入門『箴言3:11-12』12. 今回のかしょには、私たちのことを「わが子よ」とよんでから、神さまが私たちをこらしめたり、しかったりすると書かれています。 子どもにとって、しかられることはとてもかなしいことです。しかられる理由がどんなことでもです。 そ
やさしい聖書入門『箴言3:9-10』11. 今回のかしょに「あなたの財産(ざいさん)で主をあがめよ」と書かれているのをみて、あなたはどう思いますか。 あわてやすい人はこれを見て、自分にあたえられているお金や物が、なにかつまらないものであるかのように早合点(はやが
やさしい聖書入門『箴言3:5-8』10. 今回のかしょのさいしょのところには、「こころをつくして主によりたのめ」と書かれています。わかりやすくいうと、「ひっしにがんばって神さまにたよりなさい。自分が『わかっている』つもりにならないで」という意味です。 私たちは、
やさしい聖書入門『箴言3:1-4』9. 心理カウンセラーをしていると、人間には2つのだいじな目標(もくひょう)があることがわかります。その1つは、自分のかんがえをちゃんとだいじにもつ、ということです。 たとえば今回のかしょには「私のめいれいをたもつようにせよ」と
やさしい聖書入門『箴言2:20-22』8. 前にこの箴言(しんげん)は、よい人と悪い人とか、かしこい人とおろかな人っていうように、2種類(しゅるい)の人々にわけて書かれているといいました。 でもそれは、箴言を書いた人がそういう書き方をしたっていうよりも、この世の中
やさしい聖書入門『箴言2:16-19』7. 前回までこのコーナーで、私たちのこころのなかには2つの思いがあるということをまなびました。そしてその思いはまるで「声(こえ)」のように、私たちをみちびいてしまうことも。 その声のうち、1つは私たちを「わるいほうへみちびく
やさしい聖書入門『創世記39:16-23』104.人の好意と神さまの好意今回も前回の、ヨセフが主人(しゅじん)のおくさんからゆうわくをされ、からくも逃げ出したお話のつづきです。 このときおくさんの手元には、ヨセフの上着(うわぎ)がのこっていました。私は、この上着にか
やさしい聖書入門『創世記39:6‐15』103.一方的 私たちが人と話すときは、とうぜん話す相手がいるわけで、正しい会話(かいわ)は自分も相手も平等(びょうどう)でなければなりません。 あるいは話に出てくる人がその場にいなくて、だれか別の相手にその人のことについて
ちょっとおどろいた話―本性にご用心 今日、早めに帰ってきてテレビをつけたら、関西の情報バラエティ番組をやっていて、ときどきテレビで見かける白髪頭のジャーナリストが出ていた。そしてこの日の朝出されていたJアラートにかんして、いかにも「自分は正義の味方です」み
やさしい聖書入門『創世記39:3-5』102.神さまとともにあゆむくらし 文には「主語(しゅご)」というものがあります。主語とは「いつ、どこで、だれが、何をした」という時の「だれが」にあたる言葉です。たとえば「きのうぼくは映画(えいが)を見に行ったんだ」という文で
ジャズと絵本と心理学 以前、ある小学校で図書室から出てきた一人の子どもが、まだもっと小さかった時に好きだった本を見つけたと言って、1冊の絵本を見せてくれたことがありました。『もけらもけら』というタイトルの、なんともふしぎな絵本でした。 その絵本には建物なん
やさしい聖書入門『創世記39:1-2』101.人の目と神の目 4月に入りましたね。学校ではもうすぐ新学期、いろんな職場(しょくば)では新しい年度(ねんど)のスタートです。日本では1月にならんで―というより、ある意味では1月以上に―4月は新しい年のスタートです。 と
すでにむくいを だいぶ前の話なんやが、職場の近くのイタリアンのレストランへ、パスタを食いに行ったんや。その近辺では「うまい」と評判の店で、じっさい何もかもうまかった。 するとそこへ一組の若い男女がやって来て、やっぱりパスタを頼んだんや。あの感じやと、たぶ
やさしい聖書入門『創世記38:27-30』100.ごまかし このところずっとこのコーナーでは1つのやりかたをしています。 それは聖書を読むときに、その読むかしょについてこれまで教会で聞いたり本などで読んだことをわざとわすれて読むというやり方です。 今回のかしょだって
ほめられて悲しむ ずうっと以前、私はある教会の人と、大勢の人に関係する、ある奉仕をやったことがあった。 その奉仕は教会行事にかかわるもので、計画の立案から当日の作業など、けっこう大変だった。 しかしそれは私が「大変な思いをした」というわけではない。 とい
やさしい聖書入門『創世記38:1-26』99.みにくさを恐れない 今回のかしょは「そのころのことであった」という言葉で始まっています。「そのころ」というのは前回にみた話―つまり弟のヨセフをお兄さんたちが殺そうとし、ユダは殺すのではなく売ってしまおうと言って、じっさ
やさしい聖書入門『創世記37:25-36』98.だれも家族の問題を 今回のかしょに書かれていることは、家族の人たちがなまけたせいで起こった、ざんねんな結果です。この家族の人たちを同情(どうじょう)するにはおよびません。ヨセフがお兄さんたちににくまれて、奴隷(どれい)
やさしい聖書入門『創世記37:12-24』97.愛される努力 前回に私たちは、ヤコブがむすこのヨセフをあまやかしたせいで、ヨセフの性格がすっかり悪くなってしまい、しかもそれをほうっておいたということを見ました。それで今回みるように、問題はヤコブとヨセフの2人だけの話
大切なあなたへの大切なことば大事なことだから、ようく聞くんだよ。お前さんは神さまの大切な子。だから目に涙をためてまで無理したり、明日を不安がるまでがんばったりなんて、そんなにしてまでやる値打ちのあるものなんざ、この世にはなに1つありはしない。神さまのこと
やさしい聖書入門『創世記37:1-11』96.性格 先週のお話は、神さまを信じる人々とはべつの、もう一つの歴史(れきし)のお話しでした。今回のかしょはそれとはちがってわざわざ、これはヤコブの歴史―つまり神さまを信じて生きてゆく人々のお話だと言ってはじまります。 で
やさしい聖書入門『創世記36章』95.もう1つの歴史(れきし) 今回のかしょは、エサウの歴史です。つまり、おなじおじいさんのアブラハム、そしてお父さんのイサクからうまれたふたりの人のうち、お兄さんのほうの歴史です。おそらく数百年の歴史ですが、こうしてみると、エ
やさしい聖書入門『創世記35:16-29』94.自分たちの歴史 今回のかしょには、ヤコブたち家族の歴史(れきし)が書かれています。それも大きなできごとについての歴史です。まずヤコブの奥さん・ラケルがなくなりました。それもお産(さん)のために、急になくなったのです。
やさしい聖書入門『創世記35:1-15』93.旅(たび)のとちゅう 教会ではよくこれまでのあゆみを本などにまとめていることがあります。あるいは、そのような本を個人的に出している人もいます。それは、神さまにみちびかれて生きている人にとって、これまでのあゆみをふりかえ
過去よりも未来 もうずいぶん昔の話だが、こんな話を聞いたことがある。日本人のルーツには2つあって、それは北国から移住してきた人間の子孫と、南国から移住してきた人間の子孫だという話だ。 そしてその違いをどうやって見分けるかというと、その人間にこうたずねると
やさしい聖書入門『創世記34:8-31』92.真実のからくり 前回のこのかしょで、ヤコブのむすめ・ディナを、土地の有力者(ゆうりょくしゃ)であったシェケムがむりやりおよめさんにしようとしたことと、それ自体はむかしの社会ではそれほどめずらしいことではなかったものの、
やさしい聖書入門『創世記34:1-7』91.真実をうつしだす鏡 聖書は時として私たちのほんとうのすがた、真実(しんじつ)のすがたをうつし出す鏡(かがみ)のようです。 たとえば、聖書はむかしあったことをえがきだすことで、人間のよわさやおろかさを遠慮(えんりょ)なくう