楽しいこともたくさんあったはずなのに、辛い時のことの方が鮮明に蘇る。昔も今も変わらずに割と平穏に過ごしているけど、ふとした時に体の奥に刺さったトゲのようのものが顔を出す。そう、何もかも忘れてしまったような笑顔を振りまく彼らの存在を感じた時。あなた達は忘れてしまっていても、私の心の奥に刺さったトゲは一生癒えない。人が傷つくって、そういうことだと思う。
ふと静かになった時、頭の片隅に過ぎる人や場所があり、同じく私を思い返してくれる存在がある。多分、それだけでも十分すぎるくらい幸せで、満ち足りたことなのだ。
好きな事が好きと言えなくなってしまったのは、一体いつからだろう。 いつもまっすぐに自分の気持ちを伝えられたらいいのにね。
でも何が悲しいって、同じ言語を使っているのに通じることができない時。 本当の気持ちを伝えたら傷つけてしまうかもしれない。
空の様子がいつも同じなら、その下で暮らす私たちも同じ状態でいられるんだろうか。
夏空に舞う凧もなかなかいいもんです。
暑くて眩しくてたまらないけど、あなたの存在はやっぱり必要なんだよね。光り輝くあなたを見ていたいもの、たった一時でも。
ふわりとだんだん強まる蓮の香り。 蓮の香りがハノイもこれから暑くなるよってお知らせしてるみたい。
こんな夕日を見ていると、ソラは見上げるためにあるんだなあとつくづく思います。
静かに近づく春の足音に耳を傾けてみる。どこにいても春という響きはやっぱりいいな。
ゆっくりと、ゆっくりと、新しい街に体を馴染ませる。そしてその小さな変化を、私は静かに観察するのだ。
もっと自由になっていいよ、繁った枝葉の向こうにある空がそう言っている。
もしも空に境界線があったらどうなるんだろう、と思う。
楽しかったり嬉しかったり、悲しかったり辛かったり、色々な記憶を経験してきているはずなのに、なぜか楽しかった記憶が思い出せないでいる。
出会いも別れも喜怒哀楽な出来事も、目の前の現象がやっぱりリアル(現実)なんだなと実感する。そしてガンジスは静かに流れる。
久しぶりに朝日の中を歩いた。朝日は気持ちをリセットしてくれる、そんな気がする。
この日の午後感じた薄い光。久しぶりにできた長い影をそっと踏んでみる。
色々と雑音はあるけど、最終的には自分の好きを信じたい。
辛かったり悲しかったりしても どうしても表に出せなかったりする 多分出してもしょうがないからだと思う
これからどのくらいの出会いがあって そのうちどのくらいの人と交わっていくのかね たくさんの人と出会うけど 心に引っかかるのはとても少ない
またお会いしたいと思うような そんな素朴な朝日に出会えた朝だった
鬱陶しいと思いつつも この深く街を覆ってしまうような天気を いつの間にか心待ちにしている自分がいた
水際は決して美しいとは言えないけど、色んな表情を見せてくれる この湖が好きだ。
久しぶりにお正月に帰省した。 喜怒哀楽と感情様々。やっぱりというかなんというか、色んな思いが湧き上がる。 でもやっぱり帰ってよかった。 今年が素晴らしい年になりますように。
高くて青くて広い空 きっとどこまでもどこまでも続く
お金が欲しいという人や、忙しくて時間がないという人にはよくすれ違うけど、実際に何とかしてそれを手に入れようと体を動かしている人にはなかなか会わない。
どうして猫を見つけると人は近寄ってしまうんだろう
光のない世界へようこそ
もうそんなに欲しいものや叶えたい願望はないと思っていたけど それはもしかしたら見て見ぬ振りをしていたのかもしれない 叶えるだけの努力や勇気、そして力が私にはあるんだろうか
それは多分5分間の出来事 真っ赤な太陽が ゆっくりゆっくり 目の前で沈んでいった こんなに赤い太陽を見たのは いつぶりだろう
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