chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
アヴァンギャルド精神世界 https://blog.goo.ne.jp/naitoukonan

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

本当のなつかしさ、本当のやさしさ、そういったしみじみとしたものだけが好みです。 気になるもの 錬金術、冥想、瞑想、オカルト、坐禅、気功、ヨーガ、オーパーツ、超能力、霊能力、前世記憶、PTSD、トラウマ、修験道、アトランティス、レムリア、ケルト、クンダリーニ,チャクラ、洗脳、情報操作、テレビっ子、個人主義、疎外、おひとり様、悟り世代、アセンション、無私、敬虔、清貧

naitoukonan
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2013/11/11

arrow_drop_down
  • 2018年の終わり

    ◎物質科学の研究が進むと人間は悪化する今年も弊ブログにご来訪ありがとうございました。自分もそうですが、毎日特定のブログを見るということは、そう沢山のブログに対してできることでもなく、ありがたいことだと思います。アクセスの三分の二がiPhoneの時代になり、ますます長文は読みにくいのだろうなと思う次第です。2018年は、6月にいろいろ起き、半端でない猛暑にやられ、体調が落ち、10月にボトムとなりました。霊能力に目覚めたわけではないが、肉体が低下すると微細身とのバランスが崩れ、そのズレから霊能力が起きるという説があるが、そのとおり、肉体の力が落ちるのは決してプラスではないが、そうなって初めて物事の優先順位が変わるものもあるというのも、残念ながら真実でした。今年のエポックは、『エクスタシス夢の夢なる』を始めたこと。こ...2018年の終わり

  • 世の中に生まれし人は

    ◎無我無心無慾なりせば出口王仁三郎の歌集言華から。言華は、北欧のオーディンの箴言にも似て、下世話なシーンでの教訓がすこぶる多い。誰でも出会うシーンであるからこそ、考えさせられる。『世の中に生まれし人は一度(ひとたび)は必ず悲劇を味はふと知れ何事も善意に利用する人は現世(このよ)に余裕の存する人なり川海に釣魚を楽しむ閑人は神の所有を盗むものなり身を修め心の中を治めずば、支離滅裂の難を招かん大いなる不平の人は大いなる理想の人ぞ神に在る人物事に変化来たすは心魂に安定の無き報酬なりけり人間に私欲の念の無かりせば障壁も無く境界もなし世の中は神の教へに習はずば凡(すべ)ての事に自由を失ふ新しく生まれんとせば惟神(かんながら)神の御法(みのり)を固く守れよ我(わが)歴史回想すれば一切の事皆美味と感ずるものなり無我無心無慾なり...世の中に生まれし人は

  • 石がもの言う時代

    ◎スマホという石金属やプラスチックという石でできたスマホ。外国語を翻訳してしゃべるし、会話の相手もする時代となった。ブリタニア列王史から。『(37)それゆえに、ロンドニアは嫉妬してその城壁を三倍に増築するであろう。タメンシス(テムズ)川はロンドニアを四方から囲み、その堡塁の噂はアルプス山脈を越えて広まるであろう。針鼠陣はその林檎を街の中に隠して、地下道を工夫して創るであろう。(38)その頃までには、石がものをいい、人々がガリアへ渡航する海は狭くなって海峡となるであろう。両岸に立てば互いに人の声が聞こえて、島全体の面積は拡大するであろう。海に棲む生き物の秘密は明らかになり、ガリアは恐怖で身震いするであろう。』(ブリタニア列王史/ジェフリー・オヴ・モンマス/著/南雲堂フェニックスP195から引用)※ロンドニウムはロ...石がもの言う時代

  • 世を騒がす神人たち-2

    ◎出口王仁三郎の法統クンダリーニ・ヨーガ系の法統の継続は、しばしばアストラル・ベースで行われるものだから古神道のそれもアストラル・ベースという形式はあり得る。出口王仁三郎については、その部分は明らかにしていないので、肉体での伝承ということで考えると、本田親徳から出口王仁三郎への流れというのがまず考えられる。本田親徳は、薩摩出身の霊能力者で、帰神の審神者をよくしたらしい。本田親徳と出口王仁三郎は、一度だけ会っている。本田親徳の著作である道之大原や霊魂百首を読んでみても、霊界物語に比べれば、文は短く、漠然としすぎていて、現代人にとってはやや食い足りない印象があるように思う。出口王仁三郎の高弟という点では戦後の新興宗教生長の家の谷口雅春、世界救世教の岡田茂吉などが挙げられる。またダンテス・ダイジが大本教の短期研修に参...世を騒がす神人たち-2

  • 世を騒がす神人たち-1

    ◎本心では世直しされたくない日本人神人合一体験があって、その上で組織宗教を始めようという人物は、本心では世直しされたくないパワーエリートとフツーの人々によって、結局は世の中から排斥される。そうした人物はOSHOバグワンだけでなく、それに先行して日本に出口王仁三郎がいた。私が初めて出口王仁三郎の本を手にしたのは40年ほど前だったのだが、最初は「巨人出口王仁三郎」という文庫本から入った。大学図書館で、大本神諭火の巻、同天の巻などを読み、大いに興味をそそられ、霊界物語などに進んでいった。霊界物語は全81巻で、千夜一夜物語並みに読むのに時間がかかり、周りに大本教の人がいたわけでもなかったから、霊界物語自体は、下世話で冗長な部分が多いという印象は残った。古事記があまりにも換骨奪胎されすぎて、ネオ古事記として霊界物語を改め...世を騒がす神人たち-1

  • 本心では世直しされたくない人々

    ◎他人一人では救済できない本当の自由、本当の愛、真理を万人が知る、すべての人が善だけしかしない社会。誰も悪業を犯さない。それは素晴らしい。誰もが表立っては反対しない。だが、本当にそうであれば、聖者はいつの世でも歓待され、磔にあったり、手足を切られたり(ホセイン・マンスール・ハッラージ)、牢獄に何年も入れられたりすることはない。とある宗教運動で、それを推進する教祖が正しいからその宗教運動が大成するなどということはない。とかく組織宗教は、教祖が正しく、教義が正しく、奇蹟・神のお告げ・超能力の病気直しなど見せれば大きくなりがちなものだと思われがちだ。ところが実際は、教祖が正しいことと布教するしないは別であり、教義の根幹部分は言葉では語れないので正しい教義というのはあり得ないものであり、現世利益というのは本質的には自分...本心では世直しされたくない人々

  • 七つの身体 ボディと修行

    ◎一生だけで行けるのかという観点人間は七つの身体の集合体である。人間の臨終を霊視した人によれば、肉体は、呼吸・心拍・脳停止の死において、機能を止め崩壊を開始する。半物質であるエーテル体は、肉体死の後数時間しか残存しない。アストラル体は、何百年、時により何千年ももつようだが、それでも寿命はある。仏教の天人五衰に見るように衰亡はあるらしい。メンタル体、コーザル体にも死はある(アメジスト・タブレット・プロローグ)『肉体・意識・現象・宇宙・・・・そのありとあらゆる出来事・・・・これらは、すべて肉体に属するものにすぎぬ。どれほど高尚な形而上学的悩みも、肉体あってのものだねだ。一般に、クンダリーニ・ヨーガは、アストラル体を基点とする。マントラ禅や丹田禅は、エーテル体を基点とする。公案禅や只管打坐は、メンタル体を基点とする。...七つの身体ボディと修行

  • 一休の今ここ

    ◎死にはせぬどこへも行かぬ一休道歌。今ここをこれほど端的に示している歌はない。死にはせぬどこへも行かぬここに居るたづねはするなものは言はぬぞ死ぬことはないので、第六身体のアートマン以上。どこへも行かずここにいるので、今ここ。そこはどこだ、それは何だと尋ねても言葉にはできない。時間も空間もあらゆる物質も他人もひとつながりになっているもの。一気通貫。それを社会の常識人は、神秘体験と呼ぶが、体験者にとっては、体験とは言えない体験である。体験している人がいないから。もともと生まれてきてなどいないから、死ぬことはない。私は、来ることもなく、去ることもなくここにいる。さらに一休道歌。ひとり来てひとり帰るも迷いなり来たらず去らぬ道を教えん私は独りで、孤独だが、一人で生まれ来るということも、一人で死に去るということもなく、それ...一休の今ここ

  • "釈迦は何を悟ったのか"とググる

    ◎自分で気づこうとする訓練の少ない時代大悟覚醒した人間は極めて少なく、そうした人間の大半は、生き延びることはさらに少ない。その上に、生存し得た覚者の中でも、グル・マスターとして他人にその教えを説く者は更に一握りとなる。禅家で、大悟した途端に、仏の何たるかを知ったからには、一人でも半人でもそういう水準に達した弟子を出さなければならないというプレッシャーをかけられることがある。これがうまくいけば、大悟者はネズミ算式に増えていっているはずなのだが、そうはなっていない。例えば臨済の盟友普化は、悟後にまともな修行はしていなかったし、後進の者に教えを説くというようなことはしていなかったように思われる。また一休だって、弟子もいて説法もしたが、専門道場で後進を育成するということはほとんどやらなかった。そもそも悟った人には、エゴ..."釈迦は何を悟ったのか"とググる

  • オルガズムと無我、無時間、無思考

    ◎性エネルギーとジャンプ・アウトセクシュアル・メディテーションは、まず求道心が双方にないと成立しない。不倫であっては成立しない。二人に愛がないと成立しない。何でも語ってくれるOSHOバグワンの片言には、時に性的ヨーガの片鱗を示すことがあるのだが、内なる女性とか、内なる男性の話にはぐらかされたり、性的ヨーガには何種類かあるのではないかと推測される発言がある。そこで気にすべきなのは、セクシュアル・メディテーションというのは、男性のための冥想手法ではないのかということである。密教では、明妃と結合した男性の交合像が堂々と存在する。これぞ、それが男性側の冥想法であるというシンボルであって、女性の側の悟りが主眼であれば、女性が顔を見せたり、台座の向きが女性が正面を向く形で作られているのではないだろうか。そこで女性の窮極と男...オルガズムと無我、無時間、無思考

  • 自己想起と霊主体従

    ◎グルジェフが故意に自動車で事故るある日、グルジェフは猛スピードで自動車を運転し、立木に故意に衝突し、多くの箇所を骨折し出血しながら25キロ歩いてアシュラムまで帰った。医者は、歩ける状態の肉体ではないと非常に驚いたが、彼の骨折は3週間で完治したという。自己観察と自己想起は、グルジェフ・ワークの代表的なものである。OSHOバグワンは、グルジェフ・ワークの本質は、肉体と意識の分離と見る(神秘家の道/OSHOバグワン/市民出版社P706-710)。肉体がどんなにぼろぼろになっても自意識には影響がないことを自証するのだ。だからと言って、故意に交通事故を起こしていては命がいくつあっても足らないので、こんなやり方はクレイジーであって誰もができる修行ではない。チベットのティロパは、弟子ナロパに崖から飛び降りろと指示して、実際...自己想起と霊主体従

  • 中の下の人々を狙い撃ち

    ◎広告、宣伝、報道のターゲットテレビが想定している年齢層は8歳から12歳などと言われ、社会での営業商売でのカモは、頼まれると断れない人であり、人の言うことを信じてくれる人であって、人間の自立性とか独自の考え方、独自の判断力という点では、中の下より下の人を狙うというのは、常識である。無料や、常識はずれに儲かるイベントを企画して、人々にある種の興奮状態を引き起こし、それをマインド・コントロールのとば口にして、高価な商品を買わせるのも昔からある手法である。こういうのは洗脳商法の教科書には最初に載っている。これは商売の話だが、政治キャンペーンでもロシア革命の経緯の本などを読めば、大衆を扇動するデマゴーグが、デモや集会で熱狂の渦を起こし、暴動や破壊行為などに持っていく場合は、中の下の人々を狙い撃ちしていることがわかる。自...中の下の人々を狙い撃ち

  • スピリチュアルの5G

    ◎現代の男も女も快楽、権力、金の奴隷5Gは第五ジェネレーション。通信の5Gは、あらゆる機器をもあらゆる人間をも支配できそうだという点で、機械文明、物質文明の極みである。人間は肉体であり、文明は物質主流であるということから、どんどん科学は発展したが、物質科学、肉体研究が進歩発展すると、なぜだか知らぬが、人間はどんどん悪化していくという法則がある。この結果、現代の男も女も快楽、権力、金の奴隷になり下がった。現世利益のスピリチュアルとは、こうした奴隷のままで自己満足を求めるということであって、それがデジタルな欲望であろうがアナログな人生目標であろうが、自己満足を求めていることには変わりない。これは、スピリチュアルの1Gから4Gまでの様相である。癒し、ヒーリング、肉体の健康、心の健康を求めるというのは、必要な場合がある...スピリチュアルの5G

  • 生きている方がまし-3

    ◎一人より二人のほうが勝るオーディンの箴言から。『夫の死後に生まれたものでも、息子はないよりはあるほうがいい。息子が立てるのでなければ、路傍に故人の石碑が立つことはない。一人より二人のほうが勝る。舌は身をほろぼす。どんなマントのかげにも、敵の手がありはしないかと私は疑ってみる。食糧に心配がなければ夜は楽しいもの。船室はせまくるしい。秋の夜は変わりやすい。五日のあいだにも天気はさまざまだ。一月(ひとつき)のあいだにはそれどころではない。』(筑摩世界文学大系10エッダ/筑摩書房P22から引用)『舌は身をほろぼす。』の前に『うっかりと他人に向けた言葉の報いをうけることが多い。』という条があり、不用意な言葉が思わぬ遺恨を招き、襲撃にまで及ぶことがあることを示している。法治であろうがなかろうが、人間関係の中でいじめや力の...生きている方がまし-3

  • 生きている方がまし-2

    ◎生者は死者より幸いなものオーディンの箴言から。『生者は死者より幸いなもの。生きていればいつかは牝牛も手にはいる。かつて私は金持の家の炉に火がもえさかるのを見たが、本人は死んで戸口の外に倒れていた。(七〇)足なえでも馬にのり、手なしでも家畜を追い、つんぼでも戦えば役に立つ。めくらでも死んで焼かれるよりはまし。死者は何にもならない。』(筑摩世界文学大系10エッダ/筑摩書房P22から引用)身障者は、生活することが大変で、社会性というものを様々な場面で自覚するが、都度つらく苦しいことがある。それでもオーディンは、死者は無益であり、生きていれば、必ずよいことがあると確約する。オーディンは、ここで身障者を列挙するのだが、荘子では、もっと頻繁に身障者が登場し、健常者以上の見識を垂れるシーンが多い。荘子を読んでいて、わざわざ...生きている方がまし-2

  • 生きている方がまし-1

    ◎オーディンの箴言からお一人様の多い時代。子供のいない夫婦は、概してリッチなものであり、その私生活はちょっとおしゃれなものに溢れていることが多い。子供が一人の夫婦は、まずまず不自由なく暮らせる。子供が二人の夫婦は、一般に日々節約を心掛けないと暮らせない。子供が三人以上の夫婦は、大まかに言って生活は厳しい。子供の教育費は、高校、大学に進むにつれて重いが、所得は変わらないので、以上に述べたことのような姿になる。そして子育てが終わると、親には老いと死が忍び寄る。『人の子にとっては、火と太陽の顔と、もし可能なら、すこやかな体にけがれのない生活とが最上のもの。よし病身であっても、万事に不幸な人はいない。ある者は息子により、ある者は親族により、ある者はゆたかな富により、またある者は仕事によって、恵まれている。』(筑摩世界文...生きている方がまし-1

  • 魔術師マーリンの予言-2

    ◎マーリンはにわかに涙を流して予言した魔術師マーリンの予言は、水の抜かれた池で赤い龍と白い龍が戦うことで始まる。舞台は、主としてイギリス、フランス、ドイツなどだが、アフリカやアルバニアまでに及び、地球全体の運命に係る予言もある。全体としては、出口王仁三郎の予言詩『いろは歌』のように時代の同定はしにくい部分が多いが、時代の終わりの部分はわかる。『[117](71)ひとりの人が酔った獅子と格闘するであろう。そして黄金の煌めきはそれをみる人びとの両眼を盲目にするであろう。銀はあたりで白く輝き、さまざまな葡萄圧搾機を故障させるであろう。人間は差し出された葡萄酒に酔い、天上に背を向けて地上を見据えるであろう。(72)星々はこれらの人びとから顔をそむけ、いつもの運行の軌道は乱れるであろう。星々の怒りのため、穀物の収穫は枯れ...魔術師マーリンの予言-2

  • スピリチュアルでの正統性

    ◎群盲象をなでる今、スピリチュアルの世界は、百花斉放である。まず宗派で言えば、伝統宗教があって、新興宗教があって、スピリチュアルといえば新興宗教の方を指すと思われがちだが、冥想手法には、奇妙なものはあるが目新しいものはまずない。神仏道とのコンタクト方法は、見仏見神の一瞥、神人合一、そしてチャネリング(神降ろし)の三区分に分類されるが、その枠を出るものはない。ヒーリング、ロハスなど生活改善系も、個々人の生活がおひとり様が増えてきてから余計にそうしたもののニーズは高まっているが、基調は昔ながらの肉体相手、エーテル体相手ということでは変わらない。柔軟体操、ハタ・ヨーガ、呼吸法、導引などは、冥想の準備としていつでも必要であることも変わらない。SNSやブログやtwitterなどのwebでも紙媒体でも、イベントでも、こうし...スピリチュアルでの正統性

  • マントラ・シッディ

    ◎心身一如的アー、アー、アー。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。オーーーーーム、オーーーーーム、オーーーーーム。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。惟神霊幸倍坐世(かんながらたまちはえませ)、惟神霊幸倍坐世、惟神霊幸倍坐世。ムー、ムー、ムー。アッラー、アッラー、アッラー。スッブハーン・アッラー、スッブハーン・アッラー、スッブハーン・アッラー(アッラーの栄光をたたえまつる)。これらは、伝統的マントラ。そして伝統的でない奴。非二元、非二元、非二元。イワシの頭、イワシの頭、イワシの頭。レッドブル、レッドブル、レッドブル。モンスターエナジー、モンスターエナジー、モンスターエナジー。などどんなマントラでもあり得る。言霊が綺麗で美声だなどという迷信にはとらわれない。真言宗の覚鑁は、初心者は余計なことは考...マントラ・シッディ

  • 非二元(ノンデュアリティー)とエクスタシー

    ◎なにもかもなしだけでは、なにもかもなしが成立しない非二元(ノンデュアリティー)は、なにもないだけではない。あらゆる欲望は、その最後に欲望からの解脱を欲望する。その解脱にさいして、味もそっけもない、非二元(ノンデュアリティー)な何もかもなしだけではない。それはもはや、個人の心理体験ではない。まずそれまでの世界が崩壊し、そこで虚無を見ることが多い。その虚無を見ている自分さえもなくなれば、どのような宇宙にも出入自在となる。虚無を体験した自分という幻想が神秘そのものによって殺されて初めて非二元と言える。そのように殺された人の歌。生きながら死人となりてなりはてて思いのままにするわざぞよき(至道無難)自分が自分がなくなり自分を取り巻く宇宙がなくなるのは恐ろしいことだ。そこには意外なことに、快感などという感覚刺激を超えた形...非二元(ノンデュアリティー)とエクスタシー

  • ロストフの14秒

    ◎中国製の設備を使わないNHKスペシャル「ロストフの14秒日本vs.ベルギー」でサッカー・ロシア・ワールドカップ決勝トーナメント1回戦の日本対ベルギー戦を分析。試合は後半、原口と乾のシュートで日本がよもやの2点リード。そこでキャプテン長谷部が何でもないパスをミスし、思い切り香川に当て、転々としたボールはベルギー・ボールとなった。このミスを見て、最もそういうものに疎そうな原口が『怖いな』と思った。それからロビングのセンタリングが日本のゴールを侵し、センタリングからのヘッド、そして後半ロス・タイムのカウンター攻撃で日本はまさかの2-3の逆転負けを食らった。原口は『怖いな』と思った瞬間に、試合の結末までも感じ取ったのだ。東日本大震災と福島原発事故を忌んだ日本は自民党政権を選んで満8年。長谷部のミス・パスは、2点リード...ロストフの14秒

  • 我が名も知らぬ物

    ◎至道無難の龍澤寺所蔵法語から-4至道無難の龍澤寺所蔵法語から『人にすすめんと思わば、慈悲を第一とすべし。向かうもの如何ほど愚かなりとも、不便を加えて教えよ。』この不便とは、わかりにくくという意味ではなく、愚かな人に向かってはわかりやすく方便で示しがちなのだが、方便ではなく直截示すのも加えなさいということか。至道無難禅師道歌集から『道を問う主ありて見聞覚知する人は生き畜生と是を言うなり同じく主無くて見聞覚知する人を生き佛とは是を云うなり身心無き時佛也さかさまによこす誓いに問う時は我が物ならぬ我が物もなし神よ仏よと問いし人に名に迷う浮世の中のおおたわけ我が名も知らぬ物となれかし』『身心無き時佛也』というのが、『さかさまによこす誓い』を指すのだろう。その時我が物でもなく我が物もない。(身心無き時とは身心脱落)主もな...我が名も知らぬ物

  • 呂洞賓が櫛を売る

    ◎聞く人たち全てが出鱈目だと言う朝鮮の神人姜甑山の語る呂洞賓のエピソード。『一五二、又、言われるに、私のことは、呂洞賓のことと同じであると。洞賓が自分に因縁のある者を求めて、長生術を伝えようとし櫛商人に変装して、街路で大声で呼んで言うに、この櫛で髪をとけば、白髪が黒くなり、曲がった腰が治り、衰えた気力が強壮になり、老いた顔が若返るが、この櫛の代金は千両であると言うと、聞く人たち全てが出鱈目を言っていると相手にしないので、洞賓がある老婆に試験すると、果然その言葉どおりになった。それを見た皆が、その時に初めて争って集まったが、洞賓は遂に昇天していたと。』(回天の聖者/姜甑山先生顕彰会P148から引用)長生術とは、有限の年齢のことではない。今ここのことであり、時間のない世界のこと。白髪が黒くなり、曲がった腰が治り云々...呂洞賓が櫛を売る

  • ニルヴァーナと覚者の五態

    ◎死ぬものとて何一つない未知なる国人間と神仏を分ける立場にあっては、まず神人合一が一つ。そして神を見た、一瞥、ワンタッチしたという区分に別れ、それとは別に大神・ニルヴァーナが入って来るチャネラーという3区分になる。覚者の定義は、これが前提。覚者の社会性というのは、あまりまともに論じられることはないのだが、混乱する部分ではある。1.ニルヴァーナにほとんど四六時中いるのだが、社会生活はほとんど営めない。ラーマクリシュナなど。臨終正念のように覚醒してすぐ亡くなるようなケースは、社会性という点では、大悟の後社会には出なかったという点で似たようなものだと思う。2.ニルヴァーナに時々入りながら、社会生活もそれなりにこなす。こうしたタイプの覚者は、マスに対して布教する人と、その人自身が悟りを生きることで布教はしない人との二類...ニルヴァーナと覚者の五態

  • マインド・コントロールのない宗教

    ◎それを払しょくするか、相手にしない行法天国は良く、地獄は悪いというマインドコントロール。この教団は、教祖も教義も正しく、聖なるものであるというマインド・コントロール。考える時間を与えず、次々に繰り出されるイメージと音楽・効果音と情報。これを人間に四六時中投入することでポジティブな気分やポジティブな世界観を何年かは維持することができるかもしれない。こうしたスマホを眠る時以外は手離さないライフ・スタイルはほとんど完成の域に達した。スマホ・ホリック、ゲーム・ホリック。組織宗教である以上は、どうしても組織、教団の維持のために、他の教団は誤っていて、わが教団は正しいとやるものだが、これもマインド・コントロール。その教団では、ある修行をやれば、どんな信者も同じように同じステージをだんだん上がって行って、最後は同じ悟りに至...マインド・コントロールのない宗教

  • 西行の恋心

    ◎願わくは花の下にて春死なむ西行は、求道者であるが、悟った感じはない。歌を詠むには恋心が必要だと出口王仁三郎はいうが、心情を外部に顕すという恥ずかしさを吹っ切るところも要ると思う。以下の西行の歌の花や木は大方桜のことである。思ひかへす悟りや今日はなからまし花にそめおく色なかりせば春を経て花のさかりにあひ来つつ思い出多きわが身なりけり憂き世にはとどめおかじと春風の散らすは花を惜しむなりけり春ごとの花に心をなぐさめて六十(むそじ)あまりの年を経にける吉野山こずゑの花を見し日より心は身にもそはずなりけり花に染む心のいかで残りけん捨て果ててきと思ふわが身に葉隠れに散りとどまれる花のみぞ忍びし人に逢ふ心地する思へただ花の散りなむ木のもとになにを蔭にて我が身住みなむ願わくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月の頃悟った後は...西行の恋心

  • 実名SNSと政府による思想管理

    ◎大量破壊兵器並みの威力facebookの内部告発者クリストファー・ワイリーによって、facebookが、扇動的、偏執的なメッセージに乗りやすい人を標的にすることを主たる手段として、英国のEU離脱に係る国民投票やトランプの当選した米国大統領選挙に大きな影響(思想調整、マインド・コントロール、情報操作、洗脳)を与えたことが、海外では大きな話題になっているそうだ。(参照:日経ビジネスオンライン2018年12月4日伏見香名子/「これは戦争だ」心を操る大量破壊兵器内部告発者クリストファー・ワイリー氏ロングインタビュー(中))これは、自由主義社会において行われたところが特徴的だが、実名SNSであるfacebookで行われたところが、将来における大きな不安を感じさせる。なんとなれば、選挙で言えば、出口調査の結果や事前の支持...実名SNSと政府による思想管理

  • フランシスコ法王、同性愛は罪深い行為

    ◎神仏の目からすればアウト同性愛者は、性同一性障害という病気の場合もあるだろうが、単なる異常な嗜好の場合もある。日本のテレビやマスコミでは、同性愛者が闊歩する異常な状態である。ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は同性愛を「深刻な問題」と捉えて憂慮していることが、イタリアで2018年12月1日に出版されたフランシスコ法王のインタビュー本「TheStrengthofaVocation(召命の力)」で明らかにされたそうだ(2018年12月2日15:23のAFPBBニュース)。まず、ローマ・カトリック教会は同性愛を罪深い行為とする立場で、2005年に初めて、同性愛傾向がみられる人々が聖職に就くことを規定で禁止。2016年に出された聖職者育成に関する教令では禁欲義務が強調され、同性愛者に加え「同性愛文化」を支持する...フランシスコ法王、同性愛は罪深い行為

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、naitoukonanさんをフォローしませんか?

ハンドル名
naitoukonanさん
ブログタイトル
アヴァンギャルド精神世界
フォロー
アヴァンギャルド精神世界

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用