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  • 初鰹の話 ちょっと時期はずれですが

      初物、ことに初鰹に寄せた江戸の人々の関心は熱狂的なものでした。   ‘女房を質に入れても食べたい’初鰹は正月ごろに鹿児島沖に到着し、その後黒潮に乗り初夏相模沖に到達します。   鎌倉、小田原あたりの漁師が採った初鰹は東京湾入り口で特別な高速船に積み替えられ、江戸日本橋の魚河岸に運び込まれます。   冷凍設備のなかった時代、鮮度の落ちやすい生の魚を運ぶため「押送船オシオクリブネ」 という当時の最高速の船で運ばれたのです。 この押送船、細長い船体に片側4挺ずつの櫓があり、8人の船頭さんが一斉に漕ぐ高速船で、魚荷専用のクール宅急便のような存在でした。   最初に入荷されたものが正式には初鰹ですが、これはとても庶民が口に出来るものではありません。 まず将軍家に献上され、残りを超高級料理茶屋や限られたセレブ(人気歌舞伎スタ..

  • 大坂夏の陣に散った武辺者 真田幸村 後藤又兵衛 毛利勝永

     大坂夏の陣は東西両軍合わせ戦死者2万5千を超える類例をみない激戦となった。   天下分け目の戦いと言われる関ヶ原の決戦でも戦死者の数は1万に満たない。   すでに戦いの行方が決しているなかで、何故これほどの戦死者を出す激戦となった のでしょうか?   大坂夏の陣、戦国最後の武辺者たちの真にめざましい戦いがあったようです。   慶長19年(1614年)11月、徳川家康は30万人にのぼる大軍をもって 大坂城を包囲。 この大坂冬の陣の戦いは、真田幸村の活躍もありやや西軍(大坂豊臣方)有利で あったが、翌月には休戦条約が結ばれ、老獪な家康の策略により天下の堅城大坂城 も二の丸、三の丸の濠までも埋められてしまいます。   慶長20年(元和元年)5月、家康は再び大軍を率い大坂城に攻め寄せる。   ..

  • 「軍師 官兵衛」 名前の話

     「軍師 官兵衛」 黒田官兵衛を筆頭に~兵衛の名前が多く登場します。 竹中半兵衛、母里武兵衛、母里太兵衛。 もうすぐ後藤又兵衛も登場しますね。   磯田道史氏著「江戸の忘備録」によれば、(人別帳から確認できる)江戸時代には日本人男性の約半数が~兵衛、右衛門、左衛門であったようです。   同書によれば、兵衛、衛門はもともと朝廷の衛士を示す官名で、中世の日本人に「自分は貴人の末孫で武士であった」との意識が高まり、庶民も自由に~兵衛、~衛門を名乗り始めた。  室町時代にはこの官名の‘私的使用’がすっかり定着。 かくして日本中が~兵衛、~衛門の名であふれたようです。     ところが明治3年、時の政府はこの官名を‘通称’として称することを禁じた通達を出します。 ~兵衛、~衛門は本来、律令制度に由来した官命ですから..

  • 江戸の渋谷スクランブル交差点

       東京渋谷のスクランブル交差点。 まさに圧巻の景色が展開される場所です。 圧倒的な人の数、信号が青に変わり一斉に動き出す人、人、人・・・。   今や外国人観光客にもすっかり有名になった東京の観光名所です。   江戸の観光名所をあげれば、浅草観音、神田明神、湯島天神・・・ こうした神社仏閣の他に、大都市江戸でなければ見られないものがあった。 大名たちの登城の様子です。   大名たちの登城日、江戸城城門(大手門、桜田門)前では 渋谷スクランブル交差点にも劣らない圧巻の風景が見られたはずです。   定例の登城日は月に3日あり、他に年始や節句などの式日 に江戸在府の大名たちがほぼ同時刻一斉に登城します。   江戸の観光客は時間前に道筋に出て、各々良い見物場所を確保し 大名たちの登城行列..

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