御書拝読で判る大聖人のお立場 7 第七章 出世の本懐・民衆仏法の確立と広布への決意 「出世」とは、仏教用語で仏や菩薩等が世に出現すること、「本懐」とは、心に…
師匠と我らとの関係 14(生死一大事血脈抄) 生死一大事血脈抄における弟子との関係 本抄は、佐渡の天台僧であった最蓮房が、生死一大事血脈相承という甚深の…
師匠と我らとの関係 13(総勘文抄) 総勘文抄における弟子との関係 「総勘文抄」の正式な題号は、「三世諸仏総勘文教相廃立」と云い、宗門で戒壇本尊とされる楠…
師匠と我らとの関係 12(御義口伝 下巻) 御義口伝 下巻 における弟子との関係 「『如来』とは釈尊、総じては十方三世の諸仏なり、別しては本地の無作の三…
師匠と我らとの関係 11(御義口伝 上巻) 御義口伝 上巻 における弟子との関係 御義口伝は、日蓮大聖人が晩年(建治及び弘安期)に法華経の要文について講…
師匠と我らとの関係 10(如説修行抄) 如説修行抄における弟子との関係 本抄は、文永10(1273)年大聖人52歳、佐渡から鎌倉で難と戦っている門下一同に与…
師匠と我らとの関係 9(聖愚問答抄) 聖愚問答抄における弟子との関係 本抄は、文永2<1265>年大聖人44歳の御作とされ、対告衆明らかでなく、聖人と愚者と…
師匠と我らとの関係 8(持妙法華問答抄) 持妙法華問答抄における弟子との関係 本抄は、弘長3<1263>年3月大聖人42歳の御作とされ、短い御文で対告衆不…
師匠と我らとの関係 7(一生成仏抄) 一生成仏抄における弟子との関係 今回は、富木常忍に宛てられた御書の「一生成仏抄(建長7<1255>年 五作)」を紹介…
師匠と我らとの関係 6(法華取要抄と四信五品抄) 今回は、共に富木常忍に与えられ、十大部御書とされた「法華取要抄」(文永11<1274>年5月御作)と「四信…
師匠と我らとの関係 5(立証安国論と報恩抄) 今回は、十大部御書の中の平和誓願の書「立正安国論(文永元<1260>年7月御作」と師恩の書「報恩抄(建治2<1…
師匠と我らとの関係 4(撰時抄) 撰時抄における弟子との関係 「仏法を学せん法は、必ずまず時をならうべし」で始まる本抄にも、「師弟不二」の関係が見えましたの…
師匠と我らとの関係 3(開目抄 後) 開目抄における弟子への叱咤激励 後編 今回の開目抄下には、男子部時代、皆で暗誦した有名な御文も含まれています。 「地…
師匠と我らとの関係 2(開目抄 前) 開目抄における弟子への叱咤激励 前編 「師匠と弟子との関係」の記述が、最も多い人本尊開顕の書・開目抄の御文を紹介しま…
師匠と我らとの関係 1(観心本尊抄) 信仰上の師匠は、当然御本仏であられる日蓮大聖人ですが、人生の先輩であり実質的師匠なのは、私にとって創価学会第三代会長…
社会貢献と菩薩行 社会貢献への行動は、我々が生きていることの証でもあり、日蓮仏法及び強いては創価学会の理念であるという事実を、日蓮大聖人の御文を通して紹介し…
日蓮仏法の私なりの解釈 10(仏法と病の関係 6<終>) 病克服から始まった仏法の真の目的 「仏法と病の関係」最終の今回は、法華経に説かれ大聖人が説明され…
日蓮仏法の私なりの解釈 9 (仏法と病の関係 5) 仏法における良医と良薬 前回でも仏法の良薬が定義されていましたが、今回大聖人は、更に仏法における良医・…
日蓮仏法の私なりの解釈 8 (仏法と病の関係 4) 病に譬えた仏の教え 「『病』とは、三毒の煩悩なり。仏菩薩においてもまたこれ有るなり。『不老』は釈尊、『…
日蓮仏法の私なりの解釈 7 (仏法と病の関係 3) 病に関する大聖人の深慮 今回も前回同様、日蓮大聖人の弟子に対し師匠として、思いやりのある御文を紹介します…
日蓮仏法の私なりの解釈 6 (仏法と病の関係 2) 病気に負けない信心 今回は、病に向かわれている人々に対して、きめ細やかな気遣いと励ましをおくられた日蓮…
日蓮仏法の私なりの解釈 5 (仏法と病の関係 前) 仏法の病の考え方 インド応誕の釈迦は、生・老・病・死の四苦に悩んで、出家したとされています。病苦以外の三…
日蓮仏法の私なりの解釈 4 (功徳と利益の形態 後) 利益について 利益とは、個人や社会が法に順じた結果として、それ相応の利得を受けること。① 一般に世…
日蓮仏法の私なりの解釈 3 (功徳と利益の形態 前) 功徳について 功徳とは、俗に神仏の信仰から得られた果報(必然の結果としての報酬)を言い、梵語の求那(ぐな…
日蓮仏法の私なりの解釈 2 (成仏について) 成仏について 成仏とは、「仏に成る」と解釈されていますが、己心の「仏性をひらく」が、本来の意味だと大聖人は仰せ…
日蓮仏法の私なりの解釈 1 誰もが、『宗教の目的は人々を幸福にする為である』という事に異論はないでしょう。しかしながら、他力本願ではなく、各個人が自身の人間的…
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御書拝読で判る大聖人のお立場 7 第七章 出世の本懐・民衆仏法の確立と広布への決意 「出世」とは、仏教用語で仏や菩薩等が世に出現すること、「本懐」とは、心に…
御書拝読で判る大聖人のお立場 6 第六章 地涌の頭領・上行菩薩、末法に立つ 上行菩薩は、法華経従地涌出品に説かれている地涌の菩薩の上首である四菩薩の一人で…
御書拝読で判る大聖人のお立場 5 第五章 発迹顕本・法華経行者としての覚悟(佐渡以後) 発迹顕本「迹を発(はら)って本を顕(あらわ)す」とは、現代語で言え…
御書拝読で判る大聖人のお立場 4 第四章 弘教拡大と法難の連続(佐渡以前) 大聖人は、別世界の仏を説き現実逃避を促す等の諸宗によって立てられた諸仏を久遠の…
御書拝読で判る大聖人のお立場 3 第三章 仏道修行と立宗宣言(佐渡以前) 「『日本国に渡れるところの仏経ならびに菩薩の論と人師の釈を習い見候わばや。また俱…
御書拝読で判る大聖人のお立場 2 第二章 虚空蔵菩薩への誓願と修行開始 童名を善日(善日麿、善日童子)と呼ばれた日蓮大聖人は、12歳で清澄寺に登り道善房を師…
御書拝読で判る大聖人のお立場 1 第一期:自らの出自を公開 日蓮大聖人は、御自身を民が子,海人が子、賤民が子、旃陀羅が子、と最下層の凡夫相のお姿として、へ…
師匠と我らとの関係 33(現時点で宛名不明の門下に宛てられた御抄)(完) 「現時点で宛名不明の門下に宛てられた御抄」における弟子との関係 「この法華経におい…
師匠と我らとの関係 32(諸方面に散在する門下に宛てられた御抄) 「諸方面に散在する門下に宛てられた御抄」における弟子との関係 「仏、本願に趣いて法華経…
師匠と我らとの関係 31(駿河方面の門下に宛てられた御抄)後 「駿河方面の門下に宛てられた御抄」における弟子との関係 後編 「この経の修行に重々のしなあり…
師匠と我らとの関係 29(駿河方面の門下に宛てられた御抄)中 「駿河方面の門下に宛てられた御抄」における弟子との関係 中編 「仏になるみちは善知識にはすぎ…
師匠と我らとの関係 29(駿河方面の門下に宛てられた御抄)前 「駿河方面の門下に宛てられた御抄」における弟子との関係 前編 (駿河方面の各寺院で奔走…
師匠と我らとの関係 28(南条家及び時光に宛てられた御抄)後 「南条家及び時光に宛てられた御抄」における弟子との関係 後編 「今、日蓮は、聖人にはあらざれ…
師匠と我らとの関係 27(南条家及び時光に宛てられた御抄)前 「南条家及び時光に宛てられた御抄」における弟子との関係 前編 「南条」とは、元々伊豆国南条郷(…
師匠と我らとの関係 26(伊豆及び甲斐方面の門下に宛てられた御抄) 「伊豆方面の門下に宛てられた御抄」における弟子との関係 大聖人は、弘長元(1261)年…
師匠と我らとの関係 25(佐渡方面の門下に宛てられた御抄)後 「佐渡方面の門下に宛てられた御抄」における弟子との関係 後編 「上ににくまれたる上、万民も父…
師匠と我らとの関係 24(佐渡方面の門下に宛てられた御抄)前 「佐渡方面の門下に宛てられた御抄」における弟子との関係 前編 大聖人は、竜の口の法難後、文永…
師匠と我らとの関係 23(鎌倉方面の門下に宛てられた御抄)後 「鎌倉方面の門下に宛てられた御抄」における弟子との関係 後編 「法華経を信ずる人は冬のごとし…
師匠と我らとの関係 22(鎌倉方面の門下に宛てられた御抄) 「鎌倉方面の門下に宛てられた御抄」における弟子との関係 鎌倉は、大聖人が延応元(1239)年…
師匠と我らとの関係 21(四条金吾に関連する御抄)後 「四条金吾に関連する御抄」における弟子との関係 後編 「経王御前のこと、二六時中に日月天に祈り申し候…
師匠と我らとの関係 14(生死一大事血脈抄) 生死一大事血脈抄における弟子との関係 本抄は、佐渡の天台僧であった最蓮房が、生死一大事血脈相承という甚深の…
師匠と我らとの関係 13(総勘文抄) 総勘文抄における弟子との関係 「総勘文抄」の正式な題号は、「三世諸仏総勘文教相廃立」と云い、宗門で戒壇本尊とされる楠…
師匠と我らとの関係 12(御義口伝 下巻) 御義口伝 下巻 における弟子との関係 「『如来』とは釈尊、総じては十方三世の諸仏なり、別しては本地の無作の三…
師匠と我らとの関係 11(御義口伝 上巻) 御義口伝 上巻 における弟子との関係 御義口伝は、日蓮大聖人が晩年(建治及び弘安期)に法華経の要文について講…
師匠と我らとの関係 10(如説修行抄) 如説修行抄における弟子との関係 本抄は、文永10(1273)年大聖人52歳、佐渡から鎌倉で難と戦っている門下一同に与…
師匠と我らとの関係 9(聖愚問答抄) 聖愚問答抄における弟子との関係 本抄は、文永2<1265>年大聖人44歳の御作とされ、対告衆明らかでなく、聖人と愚者と…
師匠と我らとの関係 8(持妙法華問答抄) 持妙法華問答抄における弟子との関係 本抄は、弘長3<1263>年3月大聖人42歳の御作とされ、短い御文で対告衆不…
師匠と我らとの関係 7(一生成仏抄) 一生成仏抄における弟子との関係 今回は、富木常忍に宛てられた御書の「一生成仏抄(建長7<1255>年 五作)」を紹介…
師匠と我らとの関係 6(法華取要抄と四信五品抄) 今回は、共に富木常忍に与えられ、十大部御書とされた「法華取要抄」(文永11<1274>年5月御作)と「四信…
師匠と我らとの関係 5(立証安国論と報恩抄) 今回は、十大部御書の中の平和誓願の書「立正安国論(文永元<1260>年7月御作」と師恩の書「報恩抄(建治2<1…
師匠と我らとの関係 4(撰時抄) 撰時抄における弟子との関係 「仏法を学せん法は、必ずまず時をならうべし」で始まる本抄にも、「師弟不二」の関係が見えましたの…
師匠と我らとの関係 3(開目抄 後) 開目抄における弟子への叱咤激励 後編 今回の開目抄下には、男子部時代、皆で暗誦した有名な御文も含まれています。 「地…