『新編 生駒の神話』<創作途中>

『新編 生駒の神話』<創作途中>

~『新編 生駒の神話』とは各文献をつなぎ合わせた「生駒の神話」を原案に、文献リテラシー(※)を用いて、これらの立脚点に立ち、これらの留意点を踏まえ、これらの資料を根拠に設定した「生駒の神話」の枠組み(パラダイム)に沿って、生駒の神話(国譲り神話と長髄彦神話)<概説>を青写真にし、これを骨子にしてとりまとめ創作したものです。~ (※)リテラシー・・・適切に理解・解釈・分析し、改めて記述・表現し、その真意を把握する力。 (1)饒速日尊、葦原の中国に降臨す(『先代旧事本紀』より)・・・この部分は添削する。 ①天照太神が仰せになった。「豊葦原の千秋長五百秋長(ちあきながいほあきなが)の瑞穂(みずほ)の国は、わが御子の正哉吾勝勝速日天押穂耳尊(まさかあかつかちはやひあまのおしほみみのみこと)の治めるべき国である」と仰せになり命じられて、天からお降しになった。ときに、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)の子の思兼神(おもいかねのかみ)の妹・万幡豊秋津師姫栲幡千千姫命(よろずはたとよあきつしひめたくはたちぢひめのみこと)を妃として、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)をお生みになった。 このとき、正哉吾勝勝速日天押穂耳尊が、天照太神に奏して申しあげた。「私がまさに天降ろうと思い、準備をしているあいだに、生まれた子がいます。これを天降すべきです」そこで、天照太神は、これを許された。 天神の御祖神は、詔して、天孫の璽(しるし)である瑞宝十種を授けた。 瀛都鏡(おきつかがみ)一つ 辺都鏡(へつかがみ)一つ 八握(やつか)の剣一つ 生玉(いくたま)一つ 死反(まかるかえし)の玉一つ 足玉(たるたま)一つ 道反(ちかえし)の玉一つ 蛇の比礼(ひれ)一つ 蜂の比礼一つ 品物(くさぐさのもの)の比礼一つ というのがこれである。 天神の御祖神は、次のように教えて仰せられた。「もし痛むところがあれば、この十種の宝を、一、二、三、四、五、六、七、八、九、十といってふるわせなさい。ゆらゆらとふるわせよ。このようにするならば、死んだ人は生き返るであろう」これが“布留(ふる)の言(こと)”の起源である。 高皇産霊尊が仰せになった。「もし、葦原の中国の敵で、神をふせいで待ち受け、戦うものがいるならば、よく方策をたて、計略をもうけ平定せよ」 そして、三十二人に命じて、みな防御の人として天降しお仕