寺沢薫著「弥生国家論―国家はこうして生まれた」~部族的国家は九州北部から/他との差別化の幻想 統合を促す~
「生駒の神話」のストーリー【解説付版】に戻る 国家=権力に戻る 〈「国家=権力」とは何か〉にかかる3つの宿題に戻る【1】<全文(ミラー)> ・・・・・弥生時代をやる以上、国家論は避けて通れない・・・・・まず紀元前の北部九州で最初の国家形態である「部族的国家」が生まれた・・・・・中国の史書、漢書地理志にいう「百余国」のごときものが集散離合を繰り返して「部族的国家」ができ、やがて魏志倭人伝や後漢書倭(わ)伝が「倭国」と呼ぶものに発展していく・・・・・その生成メカニズムは?・・・・・在野の政治学者、滝村隆一が主張した「外的国家」という対外的な視点(引用者:ご参照 )を援用(引用者:半世紀前に唱えられた論の再発見ではないか!これに驚いた人も多いのではないか!あ!待てよ。これは再発見ではなくて、寺沢さんは、この論が提唱されたときからこの論に注目されていたのだろう!) 。人々の集団が一体感を通して共同体へのまとまりを促すのは、自分たちの仲間と他との差別化という共同幻想であり、その過程で政治的行為である「戦争」が発生し、それがより広い統合と階級分化や支配・被支配関係を進める・・・・・弥生時代の日本列島内には自他を区別しようとする個別集団が各地にある一方、海を隔てては中国・漢王朝という巨大な外圧が存在した。なかでも、いくつもの部族的国家がひしめき最も外圧を受けやすかった北部九州で、まず国家成立のプロセスが急速に進んだ――。言い換えれば、国家への胎動は北部九州で始まっ過酷な闘争を繰り広げてまとまっていった北部九州に比べ、もうひとつの弥生文化の中核、近畿社会は祭祀(さいし)や経済でゆるやかにつながる広域コミュニティーだった。だから大和政権の前身となる強力な勢力は見当たらず、〈卑弥呼の共立は北部九州や出雲地方、吉備をはじめとする瀬戸内沿岸部を加えた有力勢力による合議の結果だ〉(引用者:〈 〉の部分はやや強引ではないだろうか?)・・・・・その舞台こそ纒向の地であり、ここを都とした大和政権へとつながっていく・・・・・もちろん、これも数ある国家誕生論のひとつ・・・・・国家の起源を語るとき、多かれ少なかれエンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』が影響を与えてきたが・・・・・『起源』は「外的国家」の視点を捨て去った“欠点”がある。にもかかわらず、いまなお呪縛は残る。それと決別することで(引用者:これは言い過ぎではないだろうか?) ・・・・
2022/02/18 19:13